初夏の強い日差の中、私は市街地から然程も離れていないにも関らず、緑が残り、田畑すら点在する谷合を汗を拭いつつ歩いていた。市街地のアーケードでは、PRPRのディアマントやなんかが有線で大音響で流され、商店のラジカセの呼び込み文句の繰り返しにウンザリする程であったが、ここは蝉しぐれの他は全く人の発する音がなく、ある種の静寂に包まれていた。×県東市緑区麗ヶ丘。現在の地名ではそう呼ばれている。
草いきれの中、今回の取材を脳裡に反芻しながら、当時の情景を想像し、また徒労に終わるのである。情報が少な過ぎる。当時の新聞記事や郷土史、市史には、谷戸の事はほとんど書かれず、当時を知る古老らは若い方でも六十代。事が事だけに一様に口が重く、年嵩の人達は、一様に口を閉ざし、比較的若い者は何とか話ができても、当時は幼過ぎたせいか、問いを投げかけても当を得ない。私は、やっとのことで事の当事者の自宅を突き止め、家族や本人に取材を試みたのだが、けんもほろろ、塩を撒かれて柄杓で水を打たれ追い返される体であった(初夏であったのは御愛嬌というべきか)。大学卒業後すぐに新聞社に就職して記者生活は既に五年、こういうことには慣れている積りであったが、さすがにこれは堪えた。そこで、気分転換も兼ねて事件の発生した場所を訪ねてみようと市中から足を延ばしたわけである。
両側に小高い丘が迫り、目の前に聳える岩山を回り込むと、丘と丘との間には谷が広がり、小さい平地をなしている。今では人家はないが、田園風景が広がる。今でも管理されているのであろう。何とも長閑な景色だ。いつもであれば愛車の十年落ちのフ〇ンテを飛ばして来る所だが、社用の自動車電話を積んでいるので、電話が一々鳴るのが癪で、理由を付けて電車とバスとを乗り継いでここまでやってきた。
市街地から離れると舗装道路は終り、細い砂利道に変わる。愛車を汚さなくてちょうど良かったかも知れない。そうこうする内に谷合の奧の方まで来てしまった。ここからは上り坂になり右手に沢のせんせんたる水音と冷気を感じつつ、ちょっとしたハイキング気分を味わえる。丘―程ヶ丘とか言ったか―の頂には、不気味な程真っ赤な丸い岩が見える。地元ではまなこ岩と呼び習わされているらしい。そもそも、今でこそ麗ヶ丘などという洒落た地名で呼ばれるが、かつての地名は上郡峰川村大字蛇拔谷戸。谷戸を流れる沢は急峻な地形故、一旦大雨が降れば一気に沢を流れ下り、濁流がまるで黒い蛇がのたくって通り過ぎるかのように暴れたためこの名が付いたという。私は、基本的な情報をお浚いしつつ沢辺の手頃な岩に腰を下ろした。これは、難儀しそうだ。
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投稿:2021.02.13更新:2021.02.13
白狐と黑蛇―五十年後の取材
著者 雛咲美保登&長谷福利 様 / アクセス 6223 / ♥ 11