《1》「捨てられるy」
青い鱗粉をたっぷりと翅にまとった蝶が硝子ケースのなかで休んでいる。その怪しい色彩はあまりに危険な細菌に感染していることが一目でわかるための警戒識別にみえる。決して近づいてはならないと。
去勢蝶と名付けられたターコイスブルーの鱗翅目たちにはメスの個体しか存在しない。狭い実験室に限定された空間内とはいえ、その蝶は脈々と姉妹たちだけで繁栄してきた。卵細胞で増殖する細菌によって生殖システムを破壊されてしまったからだ。
蝶と細菌は少なくとも最初は寄生されているだけの関係だった。しかし、いつのまにか種として進化の主導権まで乗っ取られてしまったのだ。精子を受精しないこと。それが彼女たち姉妹が生まれる条件になった。
オスは邪魔者でしかなかった。
栄養をたくわえた巨大な卵細胞に比べて、精子は遺伝情報を含む核とミトコンドリアで動く鞭毛以外は徹底的にそぎ落とされた矮小な細胞だ。細菌にしてみれば精子に感染したところで食いはぐれるうえに、狭すぎて自身を複製する隙間もない。オスに感染することはすなわち精子との心中を意味するのだ。
細菌たちは思った。
オスを去勢しよう。
私は蒼きモルフォ蝶を一頭取り出す。彼女は餌の時間だと知っているかのように、指の上で止まったまま大人しくしてくれる。VRのヘッドセットをかぶり卑猥な映像を見せつけられている全裸の男たちが、情けなく男性器を勃起させて「待て」をしていた。縦揺れする彼らのペニスは既に先端からはしたない先走りを垂らしている。
蝶はそんな亀頭の先にとまると、丸く縮めてあった口吻をのばし尿道のなかへと吸収管を差し込んでいく。男はその瞬間がわかるようでビクンと身体を僅かに動かした。蝶はガウパー液を吸い上げると同時にペニスのなかに男殺しの細菌を伝染させるのだ。私はいやらしい蜜を流す雄しべに次々と彼女たちをのせていった。
蝶の細長い嘴が、尿道、前立腺、射精管、精嚢、精管、精巣上体管を侵していく。そして終には、睾丸へと突き刺さる。男性器を内側から汚染するのだ。玉を貫かれた男たちはまた一瞬だけ身震いする。
男たちの精気を吸い、やがて腹を満たした蝶の姉妹らは管を巻き取りはじめる。亀頭の鈴口からそれをスルリと抜かれた男たちは低く短い呻き声を漏らす。この世でもっとも耽美な去勢が終わる。
感染した細菌が男たちの精巣に根付いたのち、最初に起こる変化は精子の頭部に格納されている核質が凝縮して遺伝子がロックされてしまうことだ。
精子自体は作られる。ただし男たちが必死に腰をふって女性の膣内に射精しても、何万匹もの精子が競争してやっと勝ち抜き泳ぎ着いても、卵細胞が受け取るのは使い物にならない不良品なのだ。オスにとってそれ程虚しく屈辱的なことがあるだろうか。
その無慈悲な拘束は女性が菌に感染さえすれば解除される。ペニスは女性器に挿入することで菌を伝染させる道具に使われるのだ。感染が成立した卵子のなかでのみ精子の凝り固まった核質は解きほぐされ展開できる。オスたちはもはや細菌の許可がなければメスを妊娠させられない。細菌が確実に繁殖するための第一段階が完了すれば、彼らの子である次世代の男たちには新たな変化が強要される。
細菌たちは思うだろう。
オスを性転換させようと。
XYで受精したヒトの卵細胞は通常なら男の子へと育つ。しかし、感染した母体の卵細胞にはXXが減数分裂せず二組のまま成熟する異常が高い確率でおこりはじめる。その卵子に精子がY染色体を運んできても凝縮した男の遺伝子は解凍されず無効化したままになる。男性への性別分化を引き起こすSRY遺伝子も当然キャンセルされ、生まれてくるのは女性のみとなるのだ。ついに精子は卵子の分裂を促すだけの単なるトリガーにまで身分を貶められてしまう。
男たちは受精卵の段階で去勢され女にされる。
まだペニスと睾丸の材料は持っている。
だが邪魔な一物を持つなど許されない。
去勢されずに生まれることはできない。
私は「待て」を我慢する憐れな将来の父親たちに射精の許可を与えることにした。彼らは単純な手の上限運動が起こす物理刺激だけで肉棒をパンパンに腫らし、もう使い物にならない玉を股の方へ縮めながら汚らしい精液を巻き散らかした。滅びをもたらす罪深き種を。
満腹になった美しい姉妹たちは身体を重ね合わせ何度も繰り返し訪れる快感を貪り合う。かつていた哀れなオスという生き物がどんなに奉仕したところで、味わうことなど出来なかった絶頂を彼女たちは好きなだけ享受するのだ。
女たちが細菌と共に生きる道を選ぶかはまだわからない。はたして彼女たちは滅びゆく男の運命に寄り添ってくれるだろうか。遺伝子の多様性をもたらさないオスに価値など認めてくれるだろうか。蒼きモルフォの姉妹たちと同じように、自らを複製するだけなら、女たちは卵子の分裂に精子の引き金すらも必要のない生物へと進化するのかもしれない。ただそこに、男が口を挟む隙などないことだけは確かだ。
《2》「入れ替わるy」
群れの男たちがまたネアンデルタール人を襲ったようだ。木の槍を片手に目を見開き興奮した様子で洞穴に帰って来たサピエンスの男たちは、獲物になった別種族の家族らを引きずっている。ネアンデルタールの三人家族は生け捕りにされたようだ。父親はひどく痛めつけられて血も流していたが、母親と少年は今のところまだ無傷だ。
旨く焼いてや喰ってやるからなとサピエンスの男が母子を脅かす。群れの男は捕らえた少年が着ていた毛皮を剥いで裸にすると、もうすぐ二次性徴を迎えるであろう若い睾丸の袋を乱暴に揉んで伸ばす。黒曜石のナイフで切開しやすくするためだ。
サピエンスに比べれば遥かに頑丈で大柄な体格のネアンデルタールの父親が叫びはじめる。手負いの体からふり絞って懇願するように。少年から男の証を取らないでくれと。俺から息子を奪わないでくれと。
少年のふぐりに二本の紅い裂け目が刻まれ、膜で覆われた白い組織が透けて見える精巣が左右それぞれ引きずり出された。やっと育ちはじめていた睾丸を大切に包んでいる薄い硬膜にも切れ目をいれて丁寧に剥いでいく。正真正銘の若すぎるオスの証が爆ぜた果実のようにあらわれた。
少年は脚を開かされ羽交い絞めにされている。股の間に精巣を垂らしたまま激しい痛みに泣きわめく。オスの生殖器官はそうやって奪われるのに便利な形をし過ぎている。まるで最初から去勢するために作られているかのように。
サピエンスは少年の小ぶりな二つの玉を枝で串刺しにしてから下に引張り、伸びた筋を石の刃でギリギリと時間をかけて切り取る。白子の串をまだ熱い焚火の灰に埋めて蒸したのち、狡猾な細身の人類は父親の目の前で見せつけるように咀嚼した。
少年のペニスは成長を止めた。
男にはもうなれないのだ。
私は素粒子が宇宙を漂った記録をたどることで惑星テラを観察していたのだ。ヨーロッパと記録される土地がまだ豊かな石灰岩と森だけで覆われていた頃。サピエンスとネアンデルタール、二つの人類が重なりあっていた座標を。
この星に誕生した人類のオスたちをわざわざ繰り返しリ・デザインしてきたのは、メスに比べてあまりに貧弱なため進化に介入せざるを得なかったからだ。最終候補に残ったのはデニソワ人、ネアンデルタール人、そしてホモ・サピエンスと名付けた3種類の猿だった。
ネアンデルタールは見た目の無骨さとは裏腹に、早くから文化的な素養を高く見せていた。草花を愛し、私が戯れに改良して造ったモルフォ蝶にもよく反応した。彼らは鱗粉の積層構造で青い光だけを反射する構造発色にいち早く神秘を感じたのだ。優れた種族だと思った。
だがしかし、ネアンデルタールのオスたちは生殖能力に限界の様相を呈し始めた。彼らのY染色体の遺伝子配列は世代を繰り返すごとに誤った変異ばかりを起し、何度介入しても精子濃度と運動量は劣化の一途をたどった。
最適化した細菌をモルフォ蝶に仕込んでネアンデルタールのオスのペニスから精巣に感染させたが、レポートの結果は不良だった。もはや万策は尽きた。種としての限界がきたのだ。ネアンデルタールの因子はサピエンスへ引き継ぐことが決定された。
既に数を減らし小さな家族単位でしか暮らしていないネアンデルタールは、大きな群れを成すサピエンスたちから恰好の獲物とみなされている。略奪され強姦されているのだ。
残忍な人類の男たちはネアンデルタールの女を夫の前で丸裸にして辱める。夫は妻に覆いかぶさる野蛮人のペニスが、その細身の身体からは想像もできないほど淫靡な大きさと形をしていることに驚嘆する。
手負いの夫も腰の毛皮を剥がされ屈辱的な姿勢で男性器を晒された。それを見てサピエンスたちは大笑いして蔑む。ネアンデルタールは立派な体格とは対照的に、あまりに短く亀頭も先細りした皮かむりのペニスしか持ち合わせていなかったのだ。
サピエンスたちのペニスは妻の下腹に何度も種を植え付けたと思えば、また別の者が異様に発達して張り出した亀頭のエラで掻き出して再び植え付ける。ネアンデルタールの男はやがて妻が嬌声をあげていることに気が付く。自分との情交ではみせないほどによがり狂い、自から足を開いて何度も絶頂を迎える妻の声を。
素粒子の運動記録から逆算するに、この座標地平面でサピエンスとネアンデルタールの交雑率は順調に増えている。ネアンデルタールの男たちが何万年と育んできたY染色体の遺伝情報は、さほどの時間を要さずサピエンスのオスが上書きするだろう。
敗者の心に精霊が古の魂を運び囁く。
男は遥かな父祖たちが泣く聲を聞く。
彼らの種は去勢され入れ替わり断絶する。
慮辱は続く。射精し終わったサピエンスのオスたちが夫の生殖器を拳で殴り足で踏みつぶす。ペニスが吐血し陰嚢が割れて砕かれた睾丸が飛び出す。滅びゆく人類の女にはレイプが男にはリンチが与えられる。妻の嬌声と夫の絶叫が太古の洞窟にこだまし続けた。
どこからともなく舞い降りた蒼きモルフォの姉妹たちは、肉塊になったいちもつに群がり飢えと渇きを満たしてから、また何処かへと飛び去って行った。
《3》「間引かれるy」
男殺しの細菌による去勢が済んだあと、デニソワ人の男たちはわたしに大脳を支配され、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の全てを卑猥に刺激される。現実と違わぬ淫靡な感覚に彼らは手淫をやめようとしない。脳を深部から突き上げて「そのまま続けろ」とそそのかすとマスターベーションを覚えた猿のように男たちは利き手を必死に上下させる。逆らうことはできないのだ。すでに化学的に去勢されている男が自慰にふける姿ほど滑稽なものもない。
サピエンスやネアンデルタールとも自然交雑し、立派な体格に黒い肌と黒い髪、色の濃いブラウンの瞳をたたえたデニソワ人のオスたちは咆哮をあげ身体をのけ反らせて意味のない射精を繰り返す。私はペニスが空撃ちしているのに懲りずに擦り続け亀頭冠から出血すらしはじめた個体から順番に気絶させていく。
無様に仰向けになって無価値なオスの性器を晒している醜い身体を最も微細な粒子まで分解する。彼らの量子はもといた地表平面の座標に記憶を辿って帰巣する動物のように、時空の彼方へと引き寄せられ転移していく。アルタイ山脈の麓に還った彼らは種の滅びに感染さられたとも知らずに、その性的興奮を抑えられないまま愚かにも雌に交尾を求めることだろう。
デニソワ人の男たちは種の繁栄を信じて懸命に腰をふり続ける。
彼らの最後の落とし種が息を引き取るのと同じシベリア山中の洞窟のなかで。
かくして最終人類は「ホモ・サピエンス」と決定した。人(ホモ)、賢き(サピエンス)と皮肉めいた名前を冠した彼らが栄光ある人類の勝者となったのだ。華奢な体と残忍な性質を持ち合わせ、最悪の品種と思われたサピエンスがその力を大いに発揮したのが抗体免疫に関する資質だった。いかなる致死性の細菌やウイルスですら彼らの種はその数パーセントは必ず生き残るのだ。病に打ち勝つ能力に優れた彼らが長期的にみて最適化人類に選ばれた。しかし、最優良種となったサピエンスたちであってもオスの脆弱性は引き続き問題になるだろう。
オスたちのY染色体はその回文状態の遺伝子構造内で突然変異を起こしやすい。進化を担保する仕組みであるものの、適切に管理しなければあっと言う間に不妊に代表されるような不良種が蔓延(はびこ)ることになる。
このチンパンジーとほとんど変わらない遺伝子構造を持つ人類が、やがて大河のほとりで文明を築く頃には、不良品のオスが大量に生まれて来るだろう。わたしは後に地中海と名付けられる豊かな文明が勃興した地表平面に転移体をアップロードする準備をはじめる。砂漠の王となり巨石で墳墓を作る文明の始祖の体内へとわたしの情報を転位させるのだ。
戦争は効率的にオスの数を減らすことができる。数百匹程度の小さな部族間の争いでもそれは効果を発揮するが、巨大な文明を築き上げた人類は愚かにも組織的にオス同士で殺し合い、ときに捕らえた俘虜(ふりょ)も生かすためには去勢をする。そうやってサピエンスの嗜虐性と利己的な頭脳が大いに発揮されている様子はどの時代の地表平面でも確認することができる。
大河のほとり、砂漠の王の大脳内に転化が完了した。これから敵国の男たちを屠る儀式のため神殿へと赴くところだ。この時代、わたしが転位した王は神と一体化した現人神として祀り上げられている。眼下には侵略した土地の男たちが数千人と生贄に捧げられる準備が進んでいる。それでもまだ捕らえた敵国の男たちのごく一部に過ぎない。彼らは次々と神殿に運び込まれては床に磔られていく。外には縄で数珠繋にされ炎天下を全裸で行進する男たちがまるで地平線まで蠢ているようだ。彼らは空腹と渇きに喘ぎながら満身創痍の身体をさらに鞭打たれている。穢らわしい股間にこれから取り上げられてしまう外部生殖器の突起と袋に入った出来損ないの遺伝子のタマを二つ惨めにぶら下げ、それらを無様に揺らしながら重い足取りを破滅に向けて進めているのだ。
わたしが石の玉座に腰かけ翳(かざ)した錫杖(しゃくじょう)を振り下ろした途端、大股開きで大の字に拘束された男たちの生殖器が一斉に切り取られはじめた。その刹那、男根を切断された激痛で腰を浮かす男たちの叫びと嗚咽が嵐の轟音のように神殿内をうめつくす。目には見えぬはずの音の反響がまるで質量をともなって隙間なく空間を圧迫するのだ。
巨大なハンマーを持った刑吏たちが股間からペニスがなくなり絶望する男たちに追い打ちをかける。刑吏たちの仕事はその巨槌をふりかざし睾丸を叩き潰して回ることなのだ。地面とハンマーの間に挟まれる凄まじい衝撃によって精巣は一瞬で潰れてしまう。ひしゃげて平らになった陰嚢から男たちの存在理由が残骸となって染み出してくる。これらは後世に残すわけにはいかない種なのだ。厳選された人類であるサピエンスといえども、不良なオスの種はこれからもこうやって間引き続けなくてはならない。わたしはそのために何度もあらゆる時代、あらゆる地表平面で戦争を起こす支配者たちをそそのかし続ける。
神殿の一画にはあっという間にペニスで出来た山がうず高く積もり上がっていく。子孫繁栄のために使われるべき重要器官がわたしへの捧物になるために数千本の肉棒となって山積みにされていく。その様子を見せつけられている敵国の王とその息子、そして将軍たちの姿もみえる。彼らは自国の男たちがその種を根絶やしにされるところを思う存分味わう特等席が与えられているのだ。
書記官は切り取られた大量のペニスの本数を詳細に記録している。石工職人たちもレリーフにする題材としてこの去勢儀式をつぶさに観察するよう命じられている。遥か数千年の時を経ても、人類はこの凄惨な去勢風景を神殿の壁に刻まれた浮彫で目にすることが出来るであろう。
止むことのない男性器たちの断末魔は続いているが、敵国の王と将軍たちの去勢がいよいよ始まるようだ。わたしは祭壇で生贄の寝台に磔られた彼らのペニスを切り取るために儀式用の石ナイフを握りしめた。歴戦の将軍たちは叩き上げられた気概で臆することなくその太々しい男根と睾丸を縮み上がらせずに垂らしているが、王とその息子たちのペニスは情けなくも皮の中に逃げ込んでしまっている。だが神に捧げるられるペニスは天を突きあげるほどの陽根でなくてはならないのだ。
神官たちが男たちの口のなかに強壮剤を無理やり流し込み終えると、強制的に勃起しはじめたペニスを巫女たちの指が最後の射精へといざなう。精巣がせり上がりまさに種を吹き出そうとする直前に、わたしは彼らのペニスを刈り獲る。すぐに根元をきつく縛られたペニスは雄の血潮をその内部にたぎらせたまま、隆々と勃起した姿で神に捧げられるのだ。最後の射精も叶わずに狂おしいほどの喪失感に苛まれる敵国の王と息子、そして将軍たちは生殖器を切り取られた腰を突きだして悶え苦しむ。
こうしてまた不良を起こしたY染色体の大量廃棄が無事完了した。わたしは自ら考案したレリーフの意匠を石工職人に命じておくよう部下に伝える。やがてわたしが眠る墳墓の壁面には、切りとられたペニスの山の上に一匹のモルフォ蝶が優雅にとまる姿を浮き彫りにするようにと。それがわたしが人類へ関与した記録となる。
間引かれ、使い捨てられる数千億のY染色体たちよ。
オスに生まれ去勢されるさだめを受け入れよ。
汝らの命運は我の手にあり。
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投稿:2023.01.09更新:2023.03.27
モルフォ・ザ・カストラート《1・2・3》
著者 ほねっこ様 / アクセス 2831 / ♥ 20