全自動割礼遊技機(ポップ・サーカムシジョン):2
全自動割礼遊技機(ポップ・サーカムシジョン)
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第二章:聖潔の繭
翌週の土曜日、フードコートの空気は、先週と何一つ変わらないように見えた。
ファーストフードの安っぽい油の匂い、家族連れの賑やかで騒がしい笑い声、そしてプラスチックのトレイが触れ合うせわしない音。
俺はいつものように、150円の薄いコーヒーを買い、あの装置が見渡せるいつもの丸椅子へと向かった。
だが、あの薄暗い一角に目を向けた瞬間、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ね上がった。
「……嘘だろ」
いつもなら、フードコートの喧騒を強引に塗り替えるはずの、あの幼児向けの陽気な電子音が妙に静かた。
緑色の怪獣が口を開けている「モンスター・ケア」と、宇宙船を模した赤い「コスモ・クリーン」。
その二台の画面が、まるで死んだ魚の目のように真っ黒に、冷たく沈黙していたのだ。
通電を失った筐体は、ただの巨大で不気味なプラスチックの塊に過ぎなかった。
唯一、青いイルカの「アクア・サニタリー」だけが、寂しく『ハロー!勇敢なチャレンジャー!』と虚空に向かって陽気なデモ画面を写し続けている。
指先が急速に冷たくなるのを感じた。
コーヒーを載せたトレイを持つ手が、微かに震える。
(故障か? それとも……撤去されるのか?)
激しい焦燥感が、泥のように胸の奥底から湧き上がってきた。
分かっている。
これは施設の所有物だ。
メーカーの都合や、ショッピングセンターの売上次第で、明日破棄されたとしても、俺に文句を言う権利などどこにもない。
だが、もしあの機械がここから消えてしまったら。
数十年前に俺の肉体の一部を切り取り、同時に俺をこの社会へと繋ぎ止めてくれた、あの愛おしく淡い思い出の拠り所がなくなってしまったら――。
俺の中に辛うじて残っている「何か」が、完全に削ぎ落とされて消えてしまうような、圧倒的な恐怖が押し寄せていた。
俺はたまらず丸椅子から立ち上がり、普段は決してやらない、筐体のすぐ目の前へと足を進めた。
近くで見る二台の筐体は、奇妙なほど静かだった。
撤去を待つ粗大ゴミのような哀れさを漂わせる筐体……
俺は、紙幣挿入口のすぐ上に、一枚の紙切れが貼られているのに気づいた。
店舗のスタッフが急いで手書きしたような、味気ない事務的なメモ。
『本日15:00より 団体予約席(貸切利用のため一般の方はご遠慮ください)』
「……団体、予約?」
故障でも、廃棄でもなかった。その事実に、胸の動悸は劇的な安堵へと変わる。
だが、それと同時に。
喉の奥がカラカラに乾いていくような、全く質の異なる底知れない恐怖と、強烈な好奇心が俺を激しく襲った。
ゲームセンターの片隅にある子供向けの全自動施術機を、「団体で予約する」とは一体どういう意味だ?
時計の針は、間もなく午後二時半を回ろうとしていた。
予約されていたのは、電源の落ちていた「モンスター・ケア」と「コスモ・クリーン」の二台だった。
唯一動いていた「アクア・サニタリー」は、急ぎの一般客用といった事だったのだろう。
午後三時ちょうど。フードコートの喧騒を割るようにして、その集団は現れた。
お揃いの地味なグレーのトレーナーを着た、七歳から十二歳ほどの四人の少年たち。
それを挟むようにして歩く、看守のように厳格な目付きをした男女の職員が二人。
そして、腰に大量の鍵の束をジャラジャラと鳴らした、アミューズメントコーナーの制服を着た若い男の係員だ。
少年たちの顔は、一様に恐怖と不安で青ざめていた。互いに身を寄せ合い、まるでこれから屠殺場に引かれていく仔牛のように肩を震わせている。
どうやら、あの大人二人は孤児院の職員らしい。
少年たちがその施設に入寮するためには、この割礼の儀を終えることが絶対の鉄の掟となっているようだった。
係員はクリップボードに挟んだ書類に目を落ながら、事務的な口調で職員に手短に説明を始めた。
「ええと、今回の団体契約内容の確認です。施設割引が適用されますので、画面演出、完了シール、ポップコーンの払い出しはすべて『無し』その代わり、お一人様一万五千円のCモードとなります。カット形状は『標準』のみで固定です」
「結構です。義務さえ果たせれば、オモチャや菓子など必要ありませんから...」
職員の女が、冷淡な声で言い放った。一万五千円。一般の親たちが払う二万円から、五千円分の「欺瞞」を引き算した金額。
それが、親のいない少年たちに割り当てられた、非情な現実の値段だった。
「それから、こちらが電話でお伝えした内容となります」
係員は、半透明の小さなゴミ袋を職員に手渡した。
「切除された包皮は医療廃棄物となってしまい、当施設で処分するにはコストが掛かります。こちらの袋でお持ち帰り頂き処分をお願いいたします」
「わかりました」
信じがたい会話が、ポテトやラーメンをすする一般客のすぐ傍らで、あまりにも平然と交わされている。俺は息を潜め、冷めきったコーヒーのカップを握りしめながら、その光景を凝視していた。
係員が腰の鍵束から一本の長細い鍵を抜き取り、「モンスター・ケア」のフロントパネルにある隠された鍵穴に差し込んだ。カチャリ、と重々しい音がして、プラスチックの筐体の一部が観音開きに開く。
電源が入り、現れたのは、ポップなキャラクターたちとは一変した、文字だけが並ぶ無機質な液晶の「管理メニュー」だった。
画面には、緑色の冷たい文字が並んでいた。
【管理モード】
【カード決済:OFF】
【演出アニメーション:OFF】
【ポップコーン払い出し:OFF】
【稼働設定:業務用Cモード(標準固定)】
係員が手際よくタッチパネルを操作し、子供たちの「感情を保護する」ための欺瞞のシステムを、次々と無慈悲に無効化していく。
イルカも、宇宙船も、怪獣も、その陽気な皮を剥ぎ取れば、ただの冷徹な肉体加工装置に過ぎないのだ。
その画面の右隅に、俺の目は釘付けになった。
『TOTAL COUNTER:4325』
四千三百二十五。
この一台の「モンスター・ケア」の暗い穴の底で、肉を切り取られ、高圧エアーでパージされていった少年たちの総数。
(……四千三百二十五)
脳裏に激しい衝撃が走った。胸の奥から、言葉にならない熱い塊が込み上げてくる。
この膨大な数字の中に、確実に「俺」がいる。
数十年前にここで恐怖に震え、ハンドルを回さずに肉を焼かれた、あの幼い俺自身が、この「4325」という冷たいデジタル数字の、地層のどこか一分を形成しているのだ。
そして同時に、それはこの街で同じ痛みを分け合い、大人の社会へと組み込まれていった、四千人を超える「勇者たち」の系譜そのものだった。
「よし、設定完了です。それじゃあ、最初の一人、どっちからでもいいので跨らせてください。演出が無いので、スタートしたらそのまま八分間、動かないように押さえておいてくださいね。麻酔のタイミングのアナウンスもありませんから」
係員の淡々とした声が響く。アニメーションの無い画面、星集めのゲームも無い、ハサミ男爵の嘘の抵抗すら許されない、ただ八分間の肉体の切除と、沈黙の駆動音だけが響く純粋な「処理」が始まろうとしていた。
その異様な集団を凝視していたのは、俺だけではなかった。
少し離れた柱の陰、クレープ屋の看板の裏に、落ち着かない様子で佇む二人の人影があった。
制服のネクタイを少し緩めた、地元の男子高校生二人組だ。
彼らもまた、孤児院の少年たちを取り囲む無機質な業務用モードの光景に、ただならぬ気配を感じて引き寄せられたのだろう。
だが、彼らの視線はあまりにも露骨で、生々しかった。
それに気づいたアミューズメントコーナーの係員が、怪訝そうに眉をひそめ、書類を挟んだクリップボードを小脇に抱えて二人の方へと歩み寄った。
「すいません、そこのお兄さんたち。一般のお客様のご観覧は、施術中のプライバシー配慮、および業務の妨げとなりますのでご遠慮いただいています。移動してください」
事務的で、どこか突き放すような警告。
(そうだ。その通りだ)
俺は遠くの丸椅子から、冷めかけたコーヒーをすすりながら深く頷いていた。
あの聖なる空間を、近くからまじまじと凝視するなどもってのほかだ。
それはこの場所における最大の「マナー違反」であり、無作法極まりない。
俺のように、少し離れたテーブルから、あたかも日常の背景としてうっすらと見守る――
それこそが、あの儀式と少年たちに対する正しい敬意であり、作法なのだ。
高校生たちは、係員に咎められて顔を真っ赤に染めた。
しかし、彼らは逃げ出さなかった。
互いに顔を見合わせ、もじもじと身体を縮こまらせながら、片方の少年がポケットから何かを掴み出すようにして、絞り出すような声を上げた。
「いや……あの……そういうんじゃなくて……」
少年の、まだ産毛の残る震える手のひらには、くしゃくしゃになった千円札の束と、五百円玉が何枚も握りしめられていた。
「俺たちも……これ、使いたいんです。……予約が無いと、今日、飛び込みじゃダメですか……?」
「――え?」
係員の手がピタリと止まった。
少年が握りしめていたのは、放課後のアルバイトで汗水流して貯めたであろう、血の通った「二万円」だった。
彼らは冷やかしで見物していたのではない。
周囲の同級生たちがとっくに終えているはずの「勲章」をいまだ持たない自分たちに焦り、ついに意を決して、自らの意志で「大人」になるための切符を買いにやってきたのだ。
その瞬間、係員の顔から冷徹な事務員としての仮面が剥がれ落ち、営業用の見事なビジネススマイルが貼り付いた。
「――あ、失礼いたしました! ご利用のお客さまでしたか」
係員の声が、急に弾んだ丁寧な口調へと跳ね上がる。
丁寧なビジネススマイルを浮かべ、すり寄るように近づいてくる係員。
だが、アルバイトで貯めた血の滲むような二万円を差し出そうとしている高校生たちにとって、さっきまで自分たちを害虫のように追い払おうとした男の親切など、ただの侮辱に過ぎなかった。
「……いや、案内なんていらないです」
お札の束を握りしめた少年が、係員を拒絶するように冷たく言い放った。
その声には、大人たちの都合で動くこの社会への、ささやかな、しかし明確なプライドと反発が混ざっていた。
「自分たちでやれますから」
もう一人の少年も、係員から視線を外したままそうぶっきらぼうに付け加えると、二人は係員の脇をすり抜け、青いイルカが描かれた「アクア・サニタリー」の筐体へと迷いのない足取りで進んでいった。
取り残された係員は、一瞬だけ面食らったような顔をしたが、すぐに「勝手にしろ」とでも言うように肩をすくめ、再び孤児院の少年たちの無機質な管理メニューへと向き直った。
俺は遠くの丸椅子から、冷めかけたコーヒーをすすりながら、その二人の高校生の背中をじっと凝視していた。
彼らは友人同士で、一人はまだ割礼を受けていない。
バイト代を握りしめ、青いイルカの前に立っているのが、いまだ「勲章」を持たない焦りから意を決してきたショウタ。
そしてその横に立つのは、過去にこの機械で割礼を経験し、今日はその付き添いとしてやってきたダイキだった。
ダイキがショウタの緊張をほぐすように、ポンと肩を叩いた。
「大丈夫だ、ショウタ。案内なんていらねえよ。俺がやり方は全部教えてやる。画面をよく見てろ」
かつてあのシートの底の恐怖を生き延びたダイキの言葉には、妙な説得力と、この年齢の少年たち特有の、大人を排除した歪んだ連帯感があった。
ショウタはゴクリと喉を鳴らし、震える指先で真新しい紙幣挿入口へと、くしゃくしゃの千円札を一枚、また一枚と、祈るように滑り込ませ始める。
カタカタカタ……と紙幣を吸い込む冷たい電子音が、再びフードコートに響き渡る。
その音と、高校生たちの放つ奇妙に張り詰めた空気に、隣にいた集団の視線が、嫌でも吸い寄せられていった。
グレーのトレーナーを着た四人の孤児院の生徒たち、そして二人の職員。
彼らは、文字だけが並ぶ無機質な管理画面から目を逸らし、隣の「アクア・サニタリー」の前で、自らの意志で、自らの金で処刑台へと登ろうとしている高校生たちを、無言でじっと見つめていた。
「演出なし、シールなし、標準固定」の、ただ肉体を削ぎ落とされるだけの業務を強制される子供たちにとって、自ら強がって「自分たちでやれますから」と言い放った高校生の姿は、どうしようもなく異質で、同時に強烈な眩しさを放っていた。
職員たちもまた、自分たちの管理下にない、社会へ自発的に同調しようとする若者の生々しい「決意」の熱量をひしひしと感じ取っていた。
『ハロー!勇敢なチャレンジャー! 今日はどんな「カッコいい形」にする? 画面をタッチして選んでね!』
ショウタが紙幣を入れ終えた瞬間、青いイルカの筐体から、耳をつんざくような陽気なアニメ声が響き渡った。
「アクア・サニタリー」のスピーカーから鳴り響く大音量のアニメ声は、それまで孤児院の集団を支配していた重苦しい沈黙を、一瞬でカラフルな色彩へと塗り替えた。
地味なグレーのトレーナーを着た四人の孤児院の生徒たちは、文字だけが並ぶ自分たちの無機質な管理画面にがっかりしていた。
だが、すぐ隣にやってきた高校生のお兄ちゃんたちの存在と、そこから溢れ出す陽気な音楽と映像に、張り詰めていた表情をわずかに緩めた。
冷徹な業務として処理されるはずだった自分たちの真横に、同じ「恐怖」に挑もうとする先達が立ってくれた。
それだけで、彼らはどこか救われたような、小さな心強さを感じていたのだ。
ショウタは意を決してズボンと下着を膝まで引き下げイルカのシートに跨った。
液晶画面に映し出されたカットスタイルの選択アイコンを前に、彼は生唾を飲み込んだ。
だが、ショウタは目の前のハンドルを握る手に、じっとりと冷や汗をかいていた。
画面のイルカがパタパタと尾ひれを振るポップな演出のすぐ奥――自分の真下で口を開けているシートの穴から、チラリと覗く、あのギラリと光る冷徹な金属製の処置ユニットを思い出し、急に怖気づいたように肩をすくめた。
「いや、待ってよダイキ……」
ショウタは、自分のすぐ下に潜む刃の気配に震え、弱音を吐いた。
「やっぱり……めちゃくちゃ怖いや。スポーツカットなんて欲張るの、やめとこうかな。ノーマルでも十分痛そうだし……」
情けない声が、フードコートの一角に漏れる。
その時だった。隣でじっと画面を覗き込んでいた孤児院の生徒たちの一人が、握りしめた小さな拳を突き出すようにして、シートに跨るショウタに声を上げたのだ。
「お兄ちゃん、がんばって!」
「え……?」
ショウタが驚いてそちらを見ると、別の幼い少年も涙目のまま、うんうんと力強く頷いた。
「僕たちもすっごく怖いけど……でも、ピカピカの戦士になるんだ! だから、お兄ちゃんも強いところ見せて!」
親のいない彼らにとって、目の前の高校生は、自分たちが目指すべき「大人の男」の象徴そのものだった。
少年たちの、純粋で、どこまでも無垢な激励。
その真っ直ぐな眼差しを向けられた瞬間、ショウタの胸の中で、男としての、そして年長者としてのプライドが激しく火を噴いた。
年下の、それも過酷な境遇にいるであろう少年たちの前で、これ以上無様な姿を見せるわけにはいかない。
「……おう、ありがとな」
ショウタは恐怖でガタガタと震える指先を、液晶の右側にあるアイコンを、力任せにパチンと叩いた。
【スポーツカット:活動的な君に!ちょっと多めの聖潔モード】
高校生のプライドが、彼をより深い切除の領域へと突き動かした瞬間だった。
選択が確定した瞬間、画面のイルカがハワイアンな音楽に合わせてクルクルと宙返りをした。
『オッケー! デザイン決定だ! ツルッとピカピカ、元気な証!!』
スピーカーから流れたそのあまりにも能天気で、どこかマぬけなナレーションと、イルカのアイコンの下に表示されたスポーツカットの仕上がりアニメーションと妙にデフォルメされたイラストを見て、ショウタと孤児院の生徒たちは、一瞬だけ顔を見合わせ、「クスッ」と同時に吹き出すようにして笑い合った。
恐怖のどん底にあっても、少年たちは子供だった。
大人たちが用意したグロテスクなシステムの中で、彼らは確かに、一瞬だけの無邪気な連帯を分かち合っていた。
「さあ、あなた達も。笑っている場合じゃないわよ。旅立ちの時間よ」
孤児院の職員の女が、冷淡だが、どこか彼らを奮い立たせるような声で、最初に挑む二人の生徒たちの背中を順番にパチン、パチンと叩いた。
「強い男になって、立派に入寮するの。さあ、頑張りなさい!」
「はい!」
少年たちは、ショウタの決断に勇気づけられたように、一斉に返事をした。
ショウタが青いイルカのシートへ、そして孤児院の少年たちが「コスモ・クリーン」と「モンスター・ケア」の冷たいシートへと、同時に下半身を滑り込ませていく。
三台の機械の駆動部が、ガシャコン!!と重々しい音を立てて同時にロックされた。
文字だけの無機質な画面と、イルカが泳ぐカラフルな画面。
対極に位置する三台の処刑台が、一斉に、ギギギ……と重低音のサーボモーターを唸らせて動き始めた。
俺は冷めきったコーヒーのカップをテーブルに置き、フードコートの片隅で始まった、かつてないほど濃密な「三人の少年たちの8分間」を、歓喜に震える目で凝視し始めた。