私は大学の研究室の頃から飽きることなく何時間でも、顕微鏡のなかで泳ぐ精子を観察するのが好きだった。自分とは違う、異性の性腺から分泌される小さくて健気な細胞たち。
私はこの世界から男を絶滅させたい。
博士課程修了後に就職した研究所で私が参加しているプロジェクトの目的は、男たちの穏やかな去勢だ。この研究所はやんごとなき界隈の支援を受け、男を生殖から不要にするために活動する組織が運営している。
男はそもそも単性生殖では劣化する遺伝子の多様性をプールし、厳しい地球環境を生き抜くために生まれてしまった生き物だ。私たちにとって男とはただ遺伝子をかき混ぜ運ぶツールにすぎない。種を出したい性衝動だけが男の本質で、後付けでいろいろと使い道が見つかった。三千万匹の精子のうちたった1匹しが受精が出来ないように、全ての男が生殖に関われるわけでもない。精子の頃から競争にさらされ、優秀な個体だけが自然と選別されるようになっている。加えて彼らは概ね短命だ。戦争になれば命をかけて私たちや子どもを守ってくれるし、重労働を厭わず生涯をかけ働き尽くしてくれる。
男とは実に便利な発明だった。
悲惨な運命を理不尽に背負わされた男たちに与えられている、たったひとつのささやかな報償が射精感だ。もちろん私たちの絶頂に比べれば射精などたいして気持ちの良いものではない。本来のオーガズムに達する直前、男の快感は発射とともにたちまちキャンセルされ、賢者の如く醒めるように設計されている。男は私たちを何回もイかせることができたと自慢するけれど、自分の亀頭がどれだけ気持ちよかったとは語らない。亀頭だけの刺激では強すぎてイケないのも必然だ。そもそも男の神経は本当の絶頂には耐えられない。
男たちも本当は射精がたいして気持ちよくないことはわかっている。彼らはプライドにかけて互いに気付かないふりをしているだけだ。何度射精しても決して満たされず、副睾丸にはすぐに精子がたまり再び出したくなるという繰り返し。永遠に終わりを知らない無限地獄。それは苦役以外のなんだろうか。性犯罪を犯す男は、私たちとの格差に腹立ち、我慢できず暴力に訴えている輩だ。性犯罪者たちの本質は、なぜ自分は男などに生まれたのかという自己憐憫だ。
男たちはセックスで射精するときは苦しそうな顔をする。対して自慰のときは恐ろしいほど無表情でただ垂れ流すことも多い。前者は私たちへのアピールなのだ。自分の苦しむ顔をみてほしいという男たちの自虐的な生存戦略だ。見て、僕こんなに苦しんでるんだよ、全てを捧げるよ、だから見捨てないでねと必死に訴えている顔だ。交尾の後に自ら食べられる蟲のオスが命をかけてオスの存在価値を認めてもらおうとするように。命を捧げる代わりにどうかオスという存在をこの世界に残してほしいと。対して、後者の無表情は本来の射精とは何かをよく物語っている。それはただの排泄行為にすぎないことを。実際は射精にたいした快感は伴わないことを。自分たちが単なる遺伝子の運び屋であることを。いつ生殖から切り捨てられてもおかしくない存在であることを。男とは虚しい生き物だということを。
男に生まれた時点で負けなのだ。
人工受精の技術が確立したとき、既に男は生殖において精子を作るだけの生き物に成り下がっている。人類はもともと社会のなかで協力して子育をする能力に優れているし、科学、機械工業が発達した世界においては男たちの腕力は不可欠ではなくなった。私たちはもう彼らにエサや燃料を取りに行ってもらう必要はない。
先日、私たちのプロジェクトはついに実用レベルで人工精子の製造に成功した。これにより私たちは私たちだけで遺伝子を混ぜることができるようになった。人間の生殖に男はいらなくなったのだ。もちろん、まだまだコストがかかるので一般に広がるには時間がかかる。しかし、それでよいのだ。物事に大衆が納得するには、もっともらしい理由と経緯が必要だから。
男たちは知らない、環境ホルモンによって人の精子量も活動量も極端に減ってきていることが、社会問題のふりをした恣意的で計画的な私たちの研究成果であることを。男たちは知らない、不妊治療の進歩は男を生殖から排除するための研究そのものであることを。私たちはそうやって少しずつ男たちを去勢してきた。
大半の人は思うだろう。このままだと男はいずれ睾丸で精子が造れなくなり、なだらかに滅んでいくだろうと。人工精子はXX型でのみ受精させて、いずれ男は生まれなくなるだろうと。しかし、この研究所はそんな甘い未来は予定していない。すでに精子が造れなくなったあとの睾丸を純粋な栄養源にするため、男を畜産の一環にしてしまう計画が進行中だ。種なし睾丸は品種改良で超肥大化され、精液の超増量、高糖度化が施される。ペニスはもともと生えないように遺伝子操作され、搾精用のノズルを挿入できる穴が代わりに発生するらしい。ペニスだけを巨大化させ良質の食肉にする品種も検討されている。やがて来る食糧危機に私たちは備えなくてはならない。
精子が造れなくなるまでのシナリオに、いくつかのイベントを予定している研究もある。まず思春期頃から精子量や質の検査を学校の身体測定に取り入れる。基準より劣る男子学生は去勢手術をするという過激な研究者もいるが、近々試験的に測定が行われる地域では、生涯ペニスが勃起できなくなる薬や射精が起きなくなる薬を予防注射に紛れ込ませて男子生徒に打つらしい。薬効の結果しだいでは有効成分の環境ホルモン化や農薬、添加物での食物への混入が行われるだろう。20年もすれば、若い世代で男性が性交時に挿入も射精もできなくなる。精子量の極端な低下と合わせて、妊娠の際には男性の睾丸を摘出し、資格をもつ専門職が精子を直接採取して人工受精をさせる必要性がでてくる。つまり、子供を作りたければ男性は去勢するのが当たり前の未来を作ることも私たちには可能だ。産科の待合室に妊娠のために金玉を抜かれるお父さんたちが座ることになる世界線だ。
私たちの脳は本来、男を忌み嫌うよう作られている。性ホルモンによって男性を嫌う本能を抑え込んでいるのだ。人工精子が行き渡るようになれば、いずれ私たちはそのホルモンを生成できなくなる。だから私は男を絶滅させてあげたい。お疲れ様、今まで長い間ありがとうと言って世界から退場させてあげたい。だってあまりにも憐れすぎるから。誰ひとりとして、男になど生まれてこなければよかったと、後悔させないために。
それでもやはり、男たちはゆっくりとペニスと睾丸を奪われ続けるのだろう。いつか、そんなちっぽけな存在理由はもう股ぐらにぶらさげなくていいんだよと、私たちに引導を渡されるその日まで。
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投稿:2022.09.09更新:2022.09.10
精子絶滅計画
著者 ほねっこ様 / アクセス 4618 / ♥ 39