理科の授業にて
「では次に、この男性生殖器の観察を行います」
理科教師の淡々とした声が教室に響く。しかし、僕——佐藤健太にとってその言葉は死刑宣告に等しかった。目の前に置かれたのは、紛れもない僕自身の陰茎だ。先ほどまで僕の股間にあったそれは、冷たい銀色のトレイの上で無機質な物体のように横たわっている。
なぜこんなことになったのか。事の発端は単なる理科の実験のはずだった。「人体の構造について理解を深めるため」という名目で行われる解剖実習。本来なら豚や羊などの臓器を使うはずが、「より身近で詳細な観察ができる」という教師の一声で、男子生徒自身のものを教材とする案が持ち上がったのだ。そして最悪なことに、くじ引きで僕が当たってしまった。
さらに追い打ちをかけるように、切断担当の生徒も決められた。その役割を任されたのが保健委員の鈴木美咲だった。彼女のくりくりとした大きな瞳や、常に笑顔を絶やさない明るい性格は、多くの男子生徒の憧れの的だった。僕も例外ではない。しかし、その彼女が今、手術用のメスを持ち、僕の陰茎と向かい合っている。
「それじゃあ、切断作業を開始します」
淡々とした教師の声が静まり返った教室に響く。僕は椅子に浅く腰掛けたまま、目の前で準備を整える美咲の姿をただ見つめることしかできなかった。彼女が手にするメスの冷たい輝きが、これから起きることの非情さを物語っている。
「はい、麻酔を塗りますね~。ちょっと冷たいかも?」
美咲はわざと甘ったるい声で告げると、僕の股間に麻酔クリームを塗り広げていく。その柔らかな指先の感触に、思わず息が詰まった。学年で一番可愛いい女子に、こんな形で触れられているという倒錯した状況。意識が朦朧とする中で、クリームの冷たさとは裏腹に、僕の下半身には確かな熱が灯り始めていた。信じられないことだが、麻酔が効きつつあるにも関わらず、僕の陰茎は緩やかに角度を変えつつあった。
美咲はすぐにその変化に気づいたようだ。彼女は僕の顔と膨らみ始めた股間を交互に見比べると、口元にニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「 麻酔してるのに、健太くん元気だねぇ。そんなに私の手、気持ちよかった?」
他のクラスメイトには聞こえないような、囁くような声。しかし、その声には明らかな嘲りが含まれていた。
「ち、違う……これは……」
否定しようとしても言葉が続かない。自分でも理由がわからない。恐怖か、羞恥か、それとも彼女に対する複雑な感情か。その全てが混ざり合い、体は裏腹に反応している。
鈴木さんは僕の狼狽を楽しむように目を細めると、周囲に気づかれないよう巧みに角度を変え、僕の陰茎を手に取った。麻酔で感覚はほとんどないはずなのに、彼女の指が触れた場所が燃えるように熱く感じられる。
「ふーん。まぁいいや。それじゃあ、最後の思い出作りってことで……サービスしてあげよっか?」
そう言うと、美咲は信じられない行動に出た。手にしたままの僕の陰茎を、ゆるゆると上下に扱き始めたのだ。
「え……ちょ……鈴木さん……!?」
鈴木さんの囁きは甘く毒を含んでいた。麻酔で感覚がないはずなのに、彼女の言葉とその滑らかな手つきだけで、脳髄が痺れるような錯覚に襲われる。もっと強く握ってほしい。もっと早く動かしてほしい。そんな浅ましい欲望が頭をよぎり、僕は必死に顔を伏せた。しかし、彼女の言う通り、今ここで快感を得ることは感覚が無いので不可能なのだ。その事実が、募るばかりの欲求と絶望的なまでの現実とのギャップを作り出し、僕をさらに惨めな気分にさせた。
「ほらほら、どう? キモチイイ? ……なんてね。残念でした! 麻酔でビリビリもしないんでしょ? 気持ちよくなれないなんて、本当に可哀想。せっかく勃起して期待したのにねぇ」
鈴木さんは僕の悲痛な心情を全て見透かしたかのように、さらに畳みかける。
「でもさぁ……そんなに気持ちよくなりたかったんだ? これから一生エッチなことができなくなるのに、最後の瞬間にそんなこと考えてるんだ? ほんと、健太くんってば救いようがないくらいエッチだよねぇ」
屈辱で顔が熱くなる。麻酔で感覚がないからこそ、視覚と聴覚が研ぎ澄まされ、彼女の嘲りがダイレクトに心を抉る。クラスメイト達の好奇の視線が突き刺さる中で、僕はただ俯き、歯を食いしばって耐えるしかない。麻酔の影響なのかだんだんと意識も朦朧としていた。
「さてと。準備もできたことだし、そろそろお別れの時間かな」
鈴木さんは楽しげにそう言うと、僕の陰茎を掴む手を離し、代わりにメスを構えた。その目は愉悦に満ちている。
「それじゃあね、健太くんの『元気だった』おちんちん。今までありがとう。短いお付き合いだったけど、なかなか楽しかったよ」
そして。
彼女の美しい指がメスを握り直し、冷たい刃が僕の股間に吸い込まれていく。
切断される瞬間の痛みは、幸いにも麻酔によって和らいでいた。しかし、ぷつりと何かが途切れたような感覚と共に、長年慣れ親しんだ器官が失われていく喪失感と、目の前でそれを嬉々として行った彼女への複雑な感情が押し寄せ、僕はただただ呆然と宙を見つめることしかできなかった。
「では次に、この男性生殖器の観察を行います」
目の前にある自分の体の一部ではなくなってしまった物体を確認すると精神的なショックと貧血と麻酔の影響もあったのか意識が無くなった。
「ん……」
重い瞼をゆっくりと開けると、見慣れない白い天井が視界に入った。消毒液のツンとする匂いが鼻腔を刺激する。徐々に意識が覚醒していくにつれ、僕は自分が保健室のベッドに横たわっていることに気づいた。
(保健室……? そうだ、僕は……)
ズキン、と股間に鈍い痛みが走る。反射的に手を伸ばそうとしたが、そこにはあるべきはずの感触がない。包帯のようなものが巻かれているだけで、あの忌まわしい実験で切断された陰茎は影も形もなかった。
「あ、起きた? おはよー、佐藤くん」
涼やかな声と共に視界に飛び込んできたのは、鈴木美咲の顔だった。彼女は僕が横たわるベッドサイドの椅子に腰掛け、スポーツドリンクのペットボトルを片手に持っている。その屈託のない笑顔が、今の僕にはあまりにも眩しく、そして同時に耐え難く醜悪なものに映った。彼女こそが、つい先ほどまで僕の陰茎を弄び、切り落とした張本人なのだから。
「……何で、鈴木さんが」
かすれた声で尋ねるのが精一杯だった。
「あれ? 忘れちゃった? 私、保健委員だから付き添ってたんだよ。先生も忙しいみたいだし。佐藤くん、おちんちん切られた後すぐ意識飛んじゃったから」
そう言って、美咲は僕にペットボトルを差し出してきた。受け取って一口飲み干すと、乾いた喉が潤い、少しだけ思考がクリアになった気がした。
「体調はどう? 吐き気とかしない?」
心配そうに尋ねる美咲の顔と、切断直前の悪魔のような囁きが脳内で交錯する。優しさと嘲笑。どちらが本当の彼女なのか。混乱する僕の内心を見透かしたかのように、美咲は続ける。
「そろそろ帰ろうか。佐藤くん、荷物教室に置きっ放しだし。私もカバン取りに行く途中だから一緒に行こ」
断る理由も体力もなかった。美咲の手を借りてベッドから降りると、世界がぐにゃりと歪んだように感じた。貧血なのか精神的なショックなのか分からない。よろめいた僕を、鈴木さんは迷わずしっかりと抱き留めた。
「わっ、危ないよ! やっぱりまだフラフラじゃん。ほら、捕まって。支えてあげるから」
彼女の華奢な身体に体重を預けざるを得なかった。柔らかい感触と体温。それはかつての僕にとって、どんなに恋焦がれても手に入れることが叶わないと思っていたものだったはずだ。そして皮肉にも今、彼女はその温もりを惜しみなく与えてくれている。
(そうだ……鈴木さんは……)
ふと、意識が手術前の彼女の行為に飛んだ。あの滑らかな指が僕の陰茎を扱き、耳元で囁いた甘美な悪夢のような快楽。ないはずの部分が熱を帯びるような錯覚を覚える。
「っ……!」
慌てて身を離そうとするが、まだしっかり歩けない僕は再び鈴木さんに支えられる。
「どうしたの? もっとしっかり掴まってて大丈夫だよ?」
無邪気に問いかける彼女。だが僕は悟った。この甘い接触も、今の自分にとってはただの拷問に等しいのだと。
(もう……何もないんだ)
彼女の身体に触れたいという欲求はある。しかし、その結果を想像しようとすると、途端に虚無感が襲ってきた。勃起することもなければ、女性と交わることもできない。この手で触れることはできても、以前のような繋がりを得ることは永遠に不可能なのだ。その事実が、鈴木さんの魅力そのものを棘のあるものに変えてしまった。
誰もいない夕暮れの廊下を二人で進む。やがて僕の教室のドアが見えてきた。中に入る時、彼女は何の躊躇いもなく自分の席とは別の方向――つまり僕の席へと向かった。
「あ、あったあった」
彼女の声に導かれるように自分の机へ目を向けると、そこには信じられないものが置かれていた。小さなガラス製の容器だ。そしてその中には……
「え……」
血痕のほとんど拭き取られた、しかし紛れもなく僕自身の陰茎が納められていた。まるで標本のように。切断された根本は丁寧に処理され、無害な物体としてそこに鎮座している。
「……これは」
絞り出すような声で尋ねると、彼女はこともなげに答えた。
「先生がね、教材としてこれからも使うから大事にとっておけって。だから容器に入れてあげたんだ。可愛いでしょ?」
可愛いでしょ? 彼女の言葉が凶器のように胸に突き刺さる。それは確かに僕自身の一部だった。けれど今や、意思も感情も持たない物体でしかない。僕の所有物ではなくなり、教師の教材となった忌まわしいコレクションの一つ。
「 これが……僕の……」
言葉がうまく続かない。目の前にあるのは、つい昨日まで自分と一体だったはずの生々しい肉塊。僕のアイデンティティの一部が徹底的に物化されたかのようだ。
「うん。これ、健太くんのだったんでしょ? 大事な宝物じゃん。ねぇ、触ってみたら?」
鈴木さんはこともなげに言うと、容器の蓋を開けた。そして、躊躇いもなくその中に手を突っ込むと、僕の陰茎を無造作に掴み上げた。
「なっ……何するんだよ!」
制止する間もなく、彼女はそれを床にポンと投げ捨て、かつての僕の一部は転がり、静止した。
「ほら、よく見て」
鈴木さんはそう言うと、まるで演劇の舞台に立つかのように数歩後退した。そして信じられないことに、履いていたスカートの裾をゆっくりと持ち上げ始めたのだ。
「何……やって……」
愕然として声も出せない僕の前で、パンツにまで手をかけた。薄い布切れがするすると下りていき、その下からは生まれて初めて見る、同級生の少女の最も秘められた部分が露わになった。
それは知識として知ってはいたものの、実際に目にすると予想以上の生々しさだった。柔らかな襞が、夕陽の差し込む教室の光の中で艶めかしく照らされている。僕の理性は必死に目を逸らそうとするのに、眼球は釘付けになったまま動かない。
「どう? わかる? 私のここ」
彼女は屈み込むと、指を使ってそこを左右に押し広げるようにした。ピンク色の粘膜が露わになり、その中心には小さな亀裂が走っているのが見える。僕の知らない世界がそこにはあった。
「これが、健太くんがずっと想像してたものだよ。クラスの男子はみんなそうだもんね?」
彼女の声は囁くように小さかったが、その言葉はナイフのように僕の心を抉る。
「でもね……」彼女は妖艶な笑みを浮かべながら続けた。「もうあなたには関係ないんだよ。だって、あなたにはもうこれを受け入れるものが何もないんだから。残念だねぇ……せっかく目の前に本物があるのに」
彼女の指がそこをさらに広げる。呼吸が荒くなるのが自分でもわかる。身体の芯が疼くような感覚があるのに、股間には何の変化もない。かつてなら間違いなく反応していたであろう光景。しかし今はただ無情な平らな空間があるだけだ。そのギャップが絶望となって押し寄せる。
「ねぇ、どう思った? 今」鈴木さんは膝立ちのまま僕を見上げて問いかける。「挿入れたい? 挿入れてみたい? でも無理だよ。あなたにはもうおちんちん無いんだから」
僕はよろめきながら壁にもたれかかった。全身から力が抜けていた。もう限界だった。鉛のように重い虚無感が交互に襲ってくる。
彼女はそんな僕の無様な姿を確認すると、僕の一部だったものを容器に入れて満足げに「じゃあ、そろそろ帰るね。明日はこれを解剖するんだって。楽しみだね。」そう告げると僕を置き去りにして教室から出て行った。その背中からは悪戯を成功させた子供のような無邪気さが滲み出ていた。