世界観光ガイドブック・去勢特集号
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個人旅行者を対象に、世界の隠れた見どころをご紹介する「世界観光ガイド」シリーズ。
これまでの国別ガイドブックに加えて、事項別シリーズが登場。
いよいよ「去勢特集」発売。君も行って、見て、体験しよう!
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前作「タイの禁欲・身体変工主義者の祭」はこちら
(3) 北京の宦官博物館
中国といえば宦官、清朝末期には、清の低級官吏である七品官の畢五家と小刀劉の2家が、政府公認の手術小屋「小廠(チャンツ)」を開いていて、そこで「刀子匠(タオツチャン=切り師) が、宦官製造を行っていた。
その2ヶ所とも、今は宦官に関する博物館となっている。
*** **********≪小刀劉小廠博物館≫*****************
紫禁城の北方、鼓楼の南にある地安門内方磚胡同の小刀劉の小廠は、かっての建物がそのまま残され、「小刀劉小廠博物館」となっている。
小屋と言ってもずいぶん大きな建物で、数人の刀子匠が、数人づづいる「刀手(刀子匠の徒弟)を指揮して、宦官製造を行っていたというから、かなりの職人が働いていただけある。
【↓ 小刀劉小廠博物館の外観】
【↓ 宦官博物院付近の胡同の光景】
ここでは1912年の清朝崩壊後も、残された旧王室や、地方の有力者が宦官を募集していたので、1940年代まで自宮が行われていたそうだ。
まず、入口を入ると、そこはかって宦官志願者が最初に門をくぐった場所である。自らの身を清めて宮中に入りたい者は、ここで「婚書」を書き、宦官になり宮中に嫁いて奉職したい旨を明らかにした。その実物も残されて展示されている。
手術料金は1人銀6両という掲示も残されている。
もちろん博物館なので、中国はもちろんのこと、古今東西の去勢と宦官に関する資料も豊富である。
【↓ 入口にある清王朝最後の宦官生存者の紹介】
【↓ 博物館の展示品より-1700年代に使用された去勢刀】
宦官の写真も豊富である。大抵の写真は着衣であるが、中の一枚は1年前に去勢した10歳の少年宦官が、服をまくって恥部を露にしたものである。
前陰部には、なるとを潰したように見える楕円形の傷痕が見えるだけで、突起物は一切残されていない。
傷痕は自然に止血を待つだけで、縫合などは一切行われなかったこともわかる。
【↓ 服をめくりズボンを下げて股間の切断痕を見せる少年宦官】
清朝崩壊後に金をもらって撮影に応じた青年宦官の画像では、切断痕の形状が若干違っている。
【↓ 脱衣で撮影に応じた青年宦官~思春期前の去勢で腕が長い】
これは陽物を切った小廠によって流儀が違うからかもしれない。
西欧では教会や劇場でボーイソプラノを担当するために去勢したカストラートが有名。そのカストラートの手術を描いた絵画も展示されている。
中国の宦官と違って陰茎はそのままで、睾丸だけを摘出されている。
【↓ 博物館の展示絵画より-西欧のカストラートの去勢手術】
また、アフリカの奴隷市場では、しばしば奴隷の去勢が行われていたが、これらの去勢は、睾丸のみ摘出する場合と、男性器全部を除去する場合があったことが知られている。
【↓ 博物館の展示絵画より-アフリカの奴隷の去勢】
中国の宦官制度をそのまま取り入れたのは、朝鮮やベトナムなどがよく知られている。
【↓朝鮮の少年宦官の去勢直後の写真】
次は、準備室。手術前に志願者たちが閉じ籠もり、数日間節食して体調を整えた部屋である。
自宮であっても宮刑は建前上は犯罪者への刑罰であるので、このように一定期間牢の中で過ごす必要があった。中には上下2段に別れた寝台が並び、その寝台一つ一つに、太い木製の格子が嵌められ、出入口は錠が掛かるようになっている。
宦官になるのはこの当時は完全志願制といっても、元々は宮刑(去勢刑)から始まった制度であるため、待機期間に形だけでも罪人という扱いをして、後々問題にならないようにしていた。その名残の習慣である。
【↓ 準備室の格子が付いた檻寝台】
その部屋を出ると中庭があって、そこには手術直前に大小便を処理した厠所(便所)がある。
手術後に排泄物で傷口を汚し、感染症に罹って生命に危険が及ぶことを避けるため、ここで浣腸が施されたそうだ。もちろん中国なので、大のほうも扉無し、仕切り無しのオープン便所で、日本人だと使用するのにちょっと抵抗がある。
【↓ 宦官用厠所~一般客も使用できるよう整備されている】
そこからもう一度建物に入ると、いよいよ手術室である。
手術室には、同時に3人の去勢を施術する台がある。宦官志願者は、ここで目隠しをされ、両手両足を縛りつけられて固定される。夏は全裸になるが、春や秋の手術では下半身だけ裸になり、厳冬期には陰部だけ露出したズボンを履いたという。
陰茎と陰嚢は胡椒湯でよく洗ってから、細くて強い糸でひとまとめに縛られ、糸の先端は、手術室の梁に備えられた滑車の紐に引っ掛けられる。こうして一物をピンと立たせて切りやすくするのである。
【↓ 宦官手術を行った拘束台】
宮刑の場合を除き、手術直前に、本人が入口で記入した婚書を読み上げ、これから去勢手術が行われることを確認する。
本人の意思が確認されると、陰茎と陰嚢を下方から刀で一気に切り上げられる。
【↓ 宦官手術に使用した清の時代の去勢刀の実物】
一介の肉の固まりとなった男根が、瞬時にして身体から離れる。直ちに滑車が回され、ひと固まりの陽物が梁に向かって吊り上がっていく。刀でスパッとやられる刹那、志願者は、壮絶な悲鳴を上げて昏倒するが、切り口は酒で洗浄され、尿道に一掴みの薬がねじ込まれ、銅と亜鉛の合金である白鑞の栓を差し込まれれば、手術は完了である。
隣室は、手術後の新しい宦官たちが静養して傷口の回復を待った蚕室(回復室)である。
ここは化膿を防ぐため、通気がないように密閉されていて、電灯がなければ真っ暗である。往時はおよそ60人分の木製の寝台が、枕を奥に、足を通路側にしてズラリと並んでいたという。
【↓ 木製の寝台が並んだ蚕室】
この寝台は、両脚を開いて仰向けに使用したそうで、ちょうど股間部、尻にあたるところには、囲炉裏のような四角い枡を置き、そこに灰を入れて、傷口から流れ出す血液や膿、更には大小便も受け止めて、定期的に処理をする設備だそうだ。
薬は傷口がすみやかに塞がるように、たびたび薬を取り換えられた。去勢手術が完了してしまえば、逃げ出す心配もないので、準備室のような寝台を囲む格子は一切ない。
最後の出口のある部屋は、切断された男根を油で揚げて腐敗しないように加工し保存した宝貝房と呼ばれる部屋である。
ここで処理された男根は「宝(パオ)」と呼ばれ、小振りの壷に入れられて天井から吊るされ、宦官が小廠を出るときに渡されたという。
【↓ 宦官の男根を壷に入れて天井からぶら下げて貯蔵する宝貝房】
実際に宦官手術を体験できる場所も設けられている。宮刑前の監房は実物が歴史的文化財扱いで使えないので、模擬的な独房が用意されている。体験希望者はこの中へ、首枷手枷足枷を着けられて全裸で閉じ込められる。
【↓ 宮刑体験用の監房】
去勢台は実物ではなく復元されたものを使うが、なかなかよくできている。しかも宮刑(公開去勢)用と自宮(個人去勢)用の二種類があるという念のいれようである。公開去勢がそれほど頻繁に行われるわけではないが、イベントが告知されると見学者がどっと押し掛けるという。
【↓ 宮刑体験用の公開去勢台】
【↓ 自宮体験用の去勢台】
体験専用の蚕室も用意されている。往時の蚕室は手術を受けた者が勝手に動かないように、檻や蓋があったという説から。ベッドごとに檻が作られている。
【↓ 当時に近い雰囲気に再現した体験蚕室】
また、博物館のあちこちには、過去の宦官手術の様子や古今東西の去勢の様子を伝える絵画が展示されている。
【↓ 博物館の展示より-宮刑を表した殷代の甲骨文字】
【↓ 博物館の展示絵画より-宦官手術施行】
【↓ 博物館の展示絵画より-宮刑施行】
【↓ 博物館の展示絵画より-去勢刀の絵画】
場所は鼓楼の南で、トロリーバス地安門大街から徒歩すぐ。又は地下鉄鼓楼大街駅下車、徒歩30分。鼓楼から景山公園へ向かう周遊ルートの途中になる。
入場は、午前10時から午後5時まで。入場料は9元。予約は不要。
*************≪西華門外宦官博物館≫*****************
南長街の会計司胡同には、畢五家が小廠を開いていたその場所である。ここには現在、「西華門外宦官博物館」として整備され、公開されている。建物は鉄筋コンクリートであるが、こちらは展示資料が充実している。
【↓ 西華門外宦官博物館の外観】
【↓ 宦官を生み出す刀子匠のいた胡同】
まず、歴史的資料。宦官の製造法に触れた「宸垣雑識」「浪跡叢談」「栖霞閣野乗」などの展示。そしてそれらに記載された去勢手術のシーンは、施術再現室で、実物大の人形を使って、手術台周囲の様子も含め、実にリアルに再現している。
【↓ 蚕室(去勢手術室)の再現模型(全景)】
【↓ 蚕室の再現模型(拡大)】
その一つは、先の小刀劉の小廠とは違った方式の去勢手術で、志願者は厚く石灰を撒いた大きな盆の中央に置かれた丸椅子に腰掛けさせられ、縛りつけられる。陰茎は鋭い刃物で根元を切開され、中の海綿体を細かく取り除き、尿道と輸精管だけを残す。
【↓ 特殊な手術に使用された刃物】
ほぼ1ヶ月で切り口は塞がる。この去勢法は時間が少し長くかかるために、失血する者がより多いが、陰茎をただ切り取ってしまうだけでは、尿道が短くなり、日常生活で失禁する場合が多く、宦官独特の異臭の原因とも言われていたので、西洋医学も参考にして、尿道を残すこの方法を取り入れたと説明されている。
このようにして作られた宦官の股間を写した写真がカラー化されて展示されている。
【↓ 清朝の少年宦官の着色写真画】
宦官の功績を展示したコーナーでは、蔡倫、鄭和、司馬遷など中国の有名な宦官から、西洋の宦官wp描いた絵画までずらっと並んでいる。
明代の程宗は、宣宗帝が文才を見て後宮の教官にしたいと考え、あらを探して投獄し、だまして麻酔薬を飲ませて人事不省に陥っている隙に性器切除手術を施され、宦官にされた学者である。
【↓ 有名な司馬遷の肖像画】
【↓ 有名な蔡倫の肖像画】
【↓ アラブの宦官は世界中から集められ、黒人白人に混じってアジア系の者もいた】
【↓ ビザンチン帝国の王族の宦官・宦官の法王までいた】
逆に宦官の暗部では、数え切れない人物の紹介があるが、中でも面白いのは、ニセ宦官の記録。清末の西太后に寵愛された李蓮英は、性器切除が不十分で陰茎の根が残った例として有名であり、同時代の安得海に到っては、全く手術していないニセ宦官で、死刑になってから発覚して周囲を慌てさせる始末であったという。
【↓ 中国の老宦官の写真】
【↓ 今に残る少年宦官の写真付き登録者名簿】
【↓ 陰部露出検査用に作られた特別な服装を着用した少年宦官】
去勢していない偽宦官が横行した時代もあったので、いつでも突発的な検査に応じられるよう、最初のうちはこのような服装をさせられた。検査前と検査終了後は腹部に跳ね上げている飾り布を下ろして下腹部を隠す仕組みとなっている。
【↓ 通常の陰部露出検査は集団でズボンを下げて見分を受ける】
【↓ 初登城の少年宦官に対する紫禁城内での前陰部検査】
【↓ 少年時代に去勢された3人の宦官~青年になっても腕や脚が長いのが特徴】
宦官が実際使用した衣服や道具も残されている。道具で面白いのは宦官用の便器。宦官はしゃがんで小用をするが、そのとき尿があちこちに飛ぶため、それに対応するものである。
最後に衝撃的なのは「宝貝房」。実際に宦官から切り落とされ、乾燥した生殖器が入った壷が吊るされており、壷の中を覗いて見ることができるのである。
【↓ 宝貝房の壷は中身を観察できる】
また、ヨーロッパの去勢宗のスコプチの信者の写真や、ボーイソプラノを保つために去勢したカストラート歌手の資料も蒐集されている。
【↓ ロシアの宗教上の去勢者スコプチの写真】
場所は、天安門広場前を東西に抜ける長安街から、天安門の西で北上する南長街を約800メートル入った場所。交通手段は地下鉄の天安門西駅下車10分。
入場は、午前10時から午後6時まで。入場料は6元。予約は不要。
▲▽▲▽▲▽▲▽ 読者からの耳より情報 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「小刀劉小廠博物館」では、実際に去勢手術を体験できる日があります。準備室~厠所~手術室~回復室を全部体験でき、一部は本物の小廠を使用します。
手術用の器具は衛生上と歴史的遺物の保存のため、再現されたイミテーションを使用しますが、基本的な手術方法は、麻酔なし、縫合なしの古典的なものです。ただし、現在の施術者は本物の医師。事前に下半身麻酔を施し、止血、縫合も行うオプションを選択する場合こともできます。
ただし、せっかくならと、昔の乱暴な手術を体験する志願者がかなり多いようです。
【↓ 実際の宦官体験手術で使用される去勢刀】
【↓ 宦官手術待機用の檻付きのベッド~本物の檻は文化財のためこのようなベッドで代用】
【↓ 中国伝統の男性器全切断で縫合をしない古典的宦官手術も体験できる】
古典的な自宮手術では、男性器を切断した痕の傷口を縫合しません。尿道は金属の栓を挿して保護するだけです。古典的な宦官誕生直後の写真です。
【↓ 古典的な自宮手術による宦官の誕生~尿道は金属の栓で保護されている】
表情を見ると、麻酔なしの陽物切除手術は、かなりの激痛であることが想像できます。
【↓ 剃毛をしない清朝式宦官手術で切り落とされた「パオ=宝」】
去勢手術が終わると、蚕室と呼ばれる療養場所で過ごすことになります。
蚕室には中東発祥と伝わる砂埋め方式と、印度発祥と伝わる箱蒸し方式があって、それぞれ南京式、西安式と呼ばれている。
【↓ 宦官手術体験用の南京式蚕室~身体を垂直に埋める方法もある。】
【↓ 宦官手術体験用の西安式蚕室~箱の扉の固定と猿轡に注目。】
志願者は圧倒的に外国人が多いとのこと。建前は歴史的伝統の継承ですが、死刑囚からの臓器販売移植で名を馳せた収益優先の中国の医療が、ついに去勢手術まで手を染めたといった感じです。
詳細は、小刀劉小廠博物館へとのことでした。
下は傷が治癒してからの、中国庭園での記念写真です。
体験したのは、男性器を切断した痕の傷口を縫合しない伝統的な去勢法でしたので、ここまで完治するのに2か月以上かかりましたが、ご覧の通り綺麗な何もない股間になっていて、往時ならいよいよ宦官として紫禁城に出仕がかなう状態です。
【↓ 博物館がある四合院の庭園内で新しい宦官の全裸での記念撮影】
手術直後の苦痛の表情も失せて、穏やかな顔つきが印象的です。
【↓ こちらは往時の宦官用官服を着ての記念撮影】
官服は撮影用の貸出衣装。
古典的な清朝の宦官服と今の時代の下着の取り合わせが、いかにも現代の宦官を象徴していて興味深いです。
またブリーフの黄ばんだ染みからは、昔の宦官と同じ失禁癖が始まっていることがうかがえます。
もしよろしければ、ぜひご体験を。
(2004年夏~東京都・大原孝志)
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世界観光ガイド・去勢特集(4)~ラスベガスの去勢クリニックはこちら
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投稿:2006.01.09更新:2024.02.26
世界観光ガイド・去勢特集(3)~北京の宦官博物館
挿絵あり 著者 Castrato 様 / アクセス 78291 / ♥ 233