リリスの戯れ
第一章 招かれざる客たち
湿った石造りの広間には、天井の亀裂から落ちる水滴の音と、三人の男たちの足音だけが低く響いていた。
そこは、とうの昔に人の手を離れた場所だった。
黒ずんだ壁の溝、濁った水溜まり、柱の陰に転がる砕けた武具。
獣の巣なのか、墓所なのかも分からない。それでも、今も誰かがここを使っているような気配だけが、広間の奥に濃く残っていた。
三人はすでに、ダンジョンの深層へと足を踏み入れていた。
先頭を進む騎士ルシアンは、重厚な板金鎧に身を包み、通路を塞ぐように立っていた。歩くたびに、鎧の継ぎ目が甲高く軋む。並の男では持ち上げることもできない大盾を正面に構え、指の関節が白くなるほど強く取っ手を握りしめていた。
最後尾を守る狂戦士ラグナルは、金属の防具をほとんど身につけていなかった。太く盛り上がった筋肉と傷跡だらけの上半身は、冷えた空気の中でも熱を帯びている。背丈ほどもある大斧を担ぎ直す姿は、獲物の気配を探る肉食獣を思わせた。
二人の間を進む戦士ブラムは、鍛え上げられた逞しい体つきをしていた。厚い胸板に太い腰、地をしっかり踏みしめる両脚。背負った両手剣の柄に右手をかけたまま、左手はすぐに仲間を援護できるよう、わずかに浮かせていた。
三人とも、まだ二十代の若者だった。だがその体には、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた者の逞しさがあった。
太い首と肩、頑丈な体つき。その肌には、地下の冷気の中だというのに、じっとりと冷たい汗が滲んでいる。
誰も口を開かなかった。
水滴が落ちるたびに、三人の視線だけがわずかに動く。
広間の奥に、何かがいる。
まだ姿は見えない。それでも、その気配だけは冷えた石造りの広間に満ちていた。
そのとき、広間の奥で、誰かが小さく笑った。
水滴の音に紛れそうなほど、かすかな声だった。だが三人は同時に足を止め、武器を構えた。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいのに」
甘く柔らかな声が、暗がりの中から聞こえてきた。幼い子をなだめる姉のような、穏やかで親しげな声だった。
正面には、まだ何も見えない。
ただ、広間の奥に並ぶ柱の一本から、女の白い腕だけがゆっくりと伸びた。細い指が石柱の表面をなぞり、そのあとを追うように、豊かな黒髪となめらかな肩が闇の中から現れる。
女は、まるで最初からそこにいたかのように、音もなく姿を現した。
長く艶やかな黒髪は腰まで流れ、青白い肌の上でしっとりと光っていた。顔立ちは整っているが冷たい印象はなく、細い眉の下には大きな瞳がある。唇には柔らかな赤みがあり、微笑むだけで妙に親しげな印象を与えた。
身にまとっているのは、黒に近い深紅の薄衣だった。胸もとを覆う布は豊かな膨らみに沿って柔らかく張り、そこから細くくびれた腰へと流れ落ちている。裾は長い脚にまとわりつくように揺れ、歩くたびに深く入った切れ目が開いて、白い腿が付け根近くまでちらりと覗いた。
隠しているはずの薄衣が、むしろ女の身体の形をはっきりと浮かび上がらせていた。三人の視線も、警戒しているはずなのに、ふとした拍子にその姿へ引き寄せられる。
人の女として見れば、あまりにも美しかった。
だが、近づくにつれて、その姿には少しずつ人ならざるものが見え始めた。
瞳の奥の光は、人間のものよりわずかに縦長だった。黒髪の間から覗く耳は鋭く尖り、背後の闇では、髪とも影ともつかないものがゆっくりとうねっている。そして裸足で石床を歩いているのに、足音だけは一度も響かなかった。
悪魔リリス。
彼女は三人の前で立ち止まると、客を迎える女主人のように、胸の前で両手を重ねた。
「こんな深いところまで来るなんて。あなたたち、とても勇敢なのね」
薄い唇に、穏やかな笑みが浮かぶ。
その視線は三人を順に眺めながら、太い首筋から広い肩へ、盛り上がった腕から厚い胸板へ、さらに引き締まった腰と力強く踏ん張る脚へと、ゆっくり下りていった。
鍛え抜かれた男たちの身体を眺めるリリスの瞳には、獲物を見るにはあまりに親しげな、それでいて妙に熱っぽい色が浮かんでいた。
まるで、どれから手をつけるか選んでいるようだった。
リリスが、細い手首をわずかに返した。
ただそれだけだった。
呪文も、閃光もない。だが次の瞬間、広間の空気が急に重くなり、見えない力が四方からブラムの体を締めつけた。
「ぐっ――」
ブラムの足が石床に縫い止められる。
両手剣を抜こうとした右腕も、柄を半ばまで引き上げたところで止まった。肩から腕にかけて筋肉が盛り上がり、革鎧の下で筋が浮かぶ。それでも剣は、鞘の中でわずかに鳴っただけだった。
リリスは、その様子を見て笑みを深くした。
「あら。力持ちなのね」
優しく褒めるような声だった。
その言葉が終わるより早く、ブラムの巨体が床から持ち上がった。
踏ん張っていた両脚が宙を蹴り、抜きかけていた両手剣が鞘へ戻る。百キロを超える体重も、鍛え上げた筋力も、まるで意味をなさなかった。ブラムは仰向けのまま宙へ持ち上げられ、そのままリリスの目の高さまで音もなく運ばれていった。
「ブラム!」
ルシアンの叫びが広間に響いた。
だが、リリスはそちらを見もしなかった。
宙に浮いたブラムの両腕が、見えない手に掴まれたように左右へ開かれる。続いて両脚も引き離され、四肢は大きく外側へ伸ばされた。
ブラムの喉から、押し殺したような呻きが漏れる。
背中の筋肉が大きく盛り上がり、厚い胸板と腹が反射的に強張った。太い首には何本もの筋が浮かび、顎の下から鎖骨までが硬く引きつっている。力任せに身をよじろうとしても、見えない拘束がその動きを押さえ込み、関節をさらに外へ引いた。
息を吸おうとしても、胸は途中までしか膨らまない。
ブラムは口を大きく開いたが、漏れたのは言葉ではなく、濁った短い息だけだった。
リリスは、目の前に浮かぶ男をすぐに傷つけようとはしなかった。
逞しく盛り上がった肩。厚い胸板。武器を振るうために鍛えられた太い腕。地を踏みしめてきた力強い脚。
その一つひとつを、品定めするようにゆっくりと眺めていた。
やがてリリスは、宙に固定されたブラムのそばへ静かに歩み寄った。
「大丈夫よ」
震える男を安心させるように、甘く囁く。
「まだ、何もしていないもの」
その言葉を聞いて、ルシアンとラグナルはようやく気づいた。
今、目の前で見せつけられた圧倒的な力は、攻撃ですらなかった。
ただ、彼女が獲物を手に取っただけなのだ。
「じっとしていてね」
リリスは、これからすることがすべて決まっているかのような穏やかな声で言った。
「急に壊れてしまったら、せっかく綺麗に育った身体が、もったいないでしょう?」
ブラムの喉が、ひくりと鳴った。
殺すつもりなら、そんな言い方はしない。
そう思った瞬間、ブラムの顔から残っていた血の気まで引いた。四肢を引き伸ばされたまま、どうにか腰を捩ろうとする。だが、見えない力はその動きを先回りするように全身を締めつけ、背中から腰までを空中に固定した。
「や……待て」
胸を圧迫され、声がうまく続かない。
「何を、する気だ」
リリスは答えなかった。
ただ、怯え始めたブラムの目を見つめ、安心させるように微笑んだ。
細い指先に、青白い魔力が灯る。
その光は炎のようには揺れなかった。細く薄い刃のような形で、指先からわずかに伸びている。だが刃というより、空間に細い亀裂が走ったように見えた。
リリスは、指先から伸びる青白い刃を、ブラムの腰へゆっくりと近づけた。
狙っているのは、下腹部を覆う革鎧と、その上から腰を締める太いベルトだった。
刃はまだ何にも触れていない。それなのに、ベルトの表面がかすかに震え始める。革には細い白線が走り、打ち込まれた金属の鋲が、ひとつ、またひとつと浮き上がった。
「やめろ」
ブラムの声が裏返った。
四肢を開かれたまま宙に固定されているため、腰を引くことすらできない。腹に力を入れると、厚い腹筋が硬く盛り上がった。両脚も閉じようとしたが、膝が震えただけで、見えない拘束はびくともしなかった。
「リリス!」
ルシアンが盾を打ち鳴らした。
「そいつから離れろ!」
リリスは振り向きもしなかった。
ただ、ブラムの腰の前で人差し指をゆっくり横へ動かした。
一瞬遅れて、ベルトが裂けた。
まず表面の革に細い切れ目が走り、その線に沿って内側の革まで次々と断ち切られていく。縫い糸が弾け、鋲が外れ、最後に中央の金属製バックルが真っ二つに割れた。
片方は勢いよく壁へ飛び、もう片方は石床へ落ちた。金属片が何度も跳ね、甲高い音を広間に響かせる。
切れたベルトは支えを失い、そのままブラムの腰から垂れ下がった。
だが、リリスの指は止まらない。
青白い刃が今度は、その下にある革鎧の裾をなぞった。
厚い革が音もなく裂け、その内側の布地まで一直線に切り開かれていく。さらに指先が少し動くと、腹から腿を覆っていた布にも細い線が走った。
次の瞬間、布がはらりとほどけた。
織り目そのものが崩れたように、縦糸と横糸が次々に離れ、細かな布片となって宙へ舞い上がる。
それまで隠れていたブラムの腹と腰、太い腿が、少しずつ露わになっていった。
切れ端のいくつかが、むき出しになった肌を掠めて落ちる。
「ひっ……」
第二章 お願いの仕方
ブラムの口から、短い声が漏れた。
刃は、ほんのわずか皮膚の外側を通っていた。
革だけを切り、金属だけを割り、布だけをほどき、そのすぐ下にある身体には一度も触れていない。
その事実に気づいた途端、ブラムの顔からさらに血の気が引いた。
戦場で骨を折られたときでさえ、これほどの恐怖は覚えなかった。
防具を失ったことが怖いのではない。
リリスの前では、自分の身体さえも、彼女が好きな場所を選び、好きなように扱える物でしかない。
そう思い知らされたのだ。
リリスは舞い落ちる布片を眺め、それから改めてブラムの身体へ目を向けた。
満足したように、わずかに目を細める。
「そう。これでよく見えるわ」
その声に、昂ぶった様子はなかった。
ただ、これから手を加えるものの状態を確かめ終えた職人のような、静かな納得だけがあった。
ブラムの太腿の内側には、日焼けのない淡い肌が残っていた。太く鍛えられた内転筋が強張り、その間にある下腹部だけが、防具を失って無防備にさらされている。
その中央、黒々と茂る硬い縮れ毛の渦に包まれて、二つの球体を収めた重みのある陰嚢が、重力に従って弛緩と収縮を繰り返していた。
陰茎は、未だ弛緩した状態でありながらも成熟した肉の厚みと長さを持ち、くすんだ赤みを帯びた亀頭が包皮の先端からわずかに覗いていた。
拘束されたブラムには、脚を閉じることすらできない。
下腹部から太腿にかけて、力を込めた筋肉が硬く浮かび上がっている。その肌には拘束の圧力で赤い跡が残り、細かな汗が滲んでいた。
そしてリリスの視線は、そこから動かなかった。
「ブラム……!」
ルシアンの声には、いつもの鋭さがなかった。
大盾は正面に構えたままだったが、その縁はわずかに下がっている。板金鎧の奥で呼吸が乱れ、面頬の隙間から流れた汗が顎を伝った。
目の前で起きていることを、戦士として知る言葉に置き換えられなかった。
捕らえているだけではない。
だが、拷問しようとしているようにも見えない。
まして、すぐに殺すつもりでもない。
「そいつを下ろせ」
ルシアンは声を張った。
だが広間に響いたのは、自分で思っていたよりも掠れた声だった。
「俺たちが相手だ。ブラムから手を離せ」
リリスは答えない。
宙に浮かぶブラムのそばに立ち、その身体を眺めながら、細い指をゆっくりと動かしている。
「くそがァ!」
ラグナルが大斧を振り上げた。
しかし、そのまま踏み込むことはできなかった。
ブラムの巨体が、リリスとの間に浮かんでいる。斧を振れば巻き込むかもしれない。横へ回り込もうとしても、その前にリリスが何かをする。
普段なら考えるより先に飛びかかるラグナルにも、それくらいは分かった。
太い手の中で、大斧の柄が軋む。
「何をしやがる」
低い声が漏れた。
「そいつに……何をする気だ」
それは、答えを聞くことを恐れている男の声だった。
ブラムは、ルシアンとラグナルのほうを見ようとした。
だが首まで固定されていて、動かせるのは目だけだった。荒い呼吸の合間に唇が震える。何度か声を出そうとして、ようやく言葉になった。
「来るな……」
弱々しい声だった。
ルシアンの表情が固まる。
ブラムは、敵を前にして仲間に退けと言うような男ではない。傷を負っても前へ出ろと叫び、自分が盾になってでも道を開こうとする男だった。
そのブラムが、助けを求めるどころか、近づくなと言っている。
「見るな」
もう一度、ブラムが言った。
そして、途切れ途切れに続ける。
「来るな……こいつ、俺を殺す気じゃない」
ルシアンの盾の内側で、籠手に包まれた指が震えた。
ラグナルも、大斧を構えたまま動かなかった。
殺されるのではない。
その前に、何か別のことをされる。
三人とも、同じことを察していた。
そこでようやく、リリスが顔を上げた。
「あら」
怯えた三人を順に見て、優しく微笑む。
「分かってきたのね」
脅すような声でも、嘲るような声でもなかった。
幼い子供がようやく遊びの規則を理解したことを喜ぶような、穏やかで楽しげな声だった。
「大丈夫」
今度は、ブラムだけに聞こえるように囁いた。
「命までは取らないわ」
リリスは男たちの制止など聞こえないかのように、宙に固定されたブラムへ細い手を伸ばした。
白い指先が、強張った下腹部から太腿の付け根へとゆっくり滑っていく。
「待て……」
ブラムの声が掠れた。
逃れようと腰を捩る。だが、目に見えない拘束はびくともしない。腰まで固く押さえつけられ、彼の巨体はほとんど動かなかった。
「そこに、触るな」
先ほどまで声を出すことさえ難しかった男が、今度ははっきりと言った。
リリスの指が止まる。
手を引いたわけではない。それでもブラムは一瞬だけ、自分の言葉が通じたのではないかと期待した。
リリスは顔を上げ、怯えた彼の目を見つめた。
「どうして?」
声は穏やかだったが、本当に理由が分からない子供のような口調だった。
次の瞬間、彼女の指が、右側の陰嚢を優しく包み込んだ。親指と人差し指の間で、収められた球体が静かに挟み込まれる。指先から伝わる微小な圧力が、内部の硬い組織へと届いた。
ブラムの全身が強張った。
拘束された手足は動かない。それでも首筋から腹、腿までの筋肉が一斉に縮み、大きな身体の表面を震えが走った。
「ひっ――」
喉から漏れた声は、彼自身のものとは思えないほど細かった。
目を大きく見開き、リリスの手とその顔を何度も見比べる。息を止めようとしているのに、鼻から短い呼吸が何度も漏れた。額に浮いた汗がこめかみを伝い、顎から滴り落ちる。
まだ、痛みはなかった。
だからこそ、怖かった。
リリスの指は、壊そうと思えばいつでも壊せる位置にありながら、今はただ、確かめるほどの力しか加えていない。
わずかな指の動き一つで、ブラムの意識も呼吸も、全身の筋肉も支配されていた。
「やめろ」
ブラムは歯を鳴らしながら言った。
「それだけは……やめてくれ」
リリスは小さく首を傾げた。
「さっきまで、死ぬのは怖くないって顔をしていたのに」
「違う……」
「何が違うの?」
ブラムは答えようとした。
だが、それを口にすること自体が恐ろしく、唇だけが何度も震えた。
「頼む」
ようやく出たのは、戦士らしい言葉ではなかった。
「何でもする。武器も捨てる。もう逆らわない。だから……手を離してくれ」
「ブラム、よせ!」
ルシアンが叫んだ。
だが、ブラムは振り向かなかった。仲間の前でどう見えるかなど、もう気にしていられなかった。
「頼むから……」
声が途中で詰まる。
唾を呑み込もうとしても、喉がうまく動かなかった。
「潰さないでくれ」
最後の言葉は、ほとんど息だった。
その懇願を聞いて、リリスの唇に満足そうな笑みが浮かんだ。
彼女が欲しかったのは、秘密でも服従の誓いでもない。
強靱な肉体と誇りを持つ男が、まだ何も起きていないうちから恐怖に耐えきれず、自分から崩れていく瞬間だった。
「ちゃんとお願いできたわね」
リリスは優しく褒めた。
そして指先に、ほんのわずかに力を込めた。
ブラムの口が開いた。
声が出るより先に、広間から水滴の音まで消えたように感じられた。
リリスはそれ以上何もしなかった。
ただ満足げに目を細める。
それだけで、宙に拘束された大男の呼吸は浅くなり、全身は強張ったまま動かなかった。
やがて彼女は顔だけを巡らせ、ルシアンとラグナルを見た。
「聞こえたでしょう?」
囁くような声だった。
広間が静まり返っていたため、その一言は石壁の隅々にまでよく響いた。
「この子はね――」
リリスはいったん言葉を切った。
白い指が、そこにあるものの形を確かめるように、ほんのわずかに動く。
「ひっ……!」
ブラムの喉から、押し殺しきれなかった声が漏れた。
分厚い胸が一度だけ大きく持ち上がる。だが、そのまま息を吐くことができず、口を開いたまま、焦点の定まらない目を仲間たちへ向けた。
「自分が、どうなってしまうのか」
リリスは、怯える彼を褒めるように微笑んだ。
「とてもよく分かっているの」
ルシアンは大盾の陰から彼女を睨みつけた。右手の剣はまだ構えていたが、切っ先は先ほどよりわずかに下がっている。
ラグナルの大斧も、頭上で止まったままだった。
二人とも、武器を捨ててはいない。
だが、振るうこともできない。
リリスはそんな二人の迷いを眺めながら、急かすことなく待っていた。
まるで、獲物が自分から答えを出すのを楽しんでいるかのようだった。
「もし――」
細い声が、再び静寂を破った。
「あなたたちのどちらかが、一歩でも近づいたら」
ルシアンの足元で、鎧の踵が石床を擦った。
その微かな音に応じて、リリスの指が沈む。
「やめろ!」
ブラムが叫んだ。
先ほどまで掠れていた声が、恐怖に押し出されるように響いた。
「来るな、ルシアン! 動くな!」
ルシアンの足が止まった。
リリスはそれを見て、満足そうに微笑んだ。
第三章 誰も動いてはならない
「そう。お利口ね」
優しい褒め方だった。
ルシアンの顔から怒りが消えたわけではない。だが、その奥にははっきりと恐怖が浮かんでいた。
自分が一歩動けば、仲間に取り返しのつかないことが起きる。
その事実が、彼をその場に縛りつけていた。
「それから――」
リリスの視線が、ゆっくりとラグナルへ移った。
「その斧を、少しでも動かしたら」
ラグナルの鼻から、荒い息が噴き出した。
斧を握る両腕には血管が浮き、盛り上がった肩が震えている。振り下ろすことも、下ろすこともできないまま、重い刃を頭上に掲げて歯を食いしばっていた。
「下ろせ……」
ブラムが言った。
「ラグナル、頼む。そいつを下ろしてくれ」
「だが――」
「下ろせ!」
ほとんど悲鳴だった。
ラグナルの目が大きく見開かれた。
ブラムから命令されたことに驚いたのではない。
その声に、長く共に戦ってきた男の面影がほとんど残っていなかったからだ。
「頼む……」
ブラムは震える息を吐いた。
「こいつは、やる。脅してるだけじゃない。本当にやるんだ」
長い沈黙のあと、ラグナルは大斧を下ろした。
刃を石床へ置くことさえ恐れたのか、最後まで両腕で重さを支えながら、音を立てないようにゆっくりと刃を傾けていく。
やがて斧頭が石床に触れ、鈍い音が一つだけ響いた。
リリスは微笑んだ。
「これで、ちゃんとお話ができるわね」
「貴様……」
ルシアンの声が、鎧の奥で震えた。
「ブラムを盾にするつもりか」
「盾?」
リリスは不思議そうに瞬いた。
それから、目の前に浮かぶブラムへ視線を戻した。
「違うわ。この子が教えてくれているの」
白い指を動かす。
ブラムの顎が反射的に上がり、喉から短い声が漏れた。
「あなたたちが、何をしてはいけないのかを」
ルシアンの剣先が、さらに下がった。
ラグナルは斧の柄を握ったまま、動かない。
二人の荒い呼吸と、ブラムのかすかな息遣いだけが、冷えた広間に響いていた。
リリスは三人が完全に動きを止めたのを確かめてから、改めて告げた。
「近づかないで」
ひと呼吸。
「武器を向けないで」
さらにひと呼吸。
「私の邪魔をしないでね」
最後の言葉だけが、ひどく親しげだった。
「でないと――」
彼女はその先を口にしなかった。
代わりに指先へ、目に見えるか見えないかほどの力を加えた。
「やめてくれ!」
ブラムがすぐに叫んだ。
「二人とも動くな! 頼む、何もしないでくれ!」
リリスはそこで動きを止めた。
それ以上、言葉にする必要はなかった。
何が起きるのかは、ブラムの声だけで十分に伝わっていた。
広間は、再び静まり返った。
戦いは、まだ始まってさえいなかった。
それでも、すでにこの場を支配しているのは彼女だった。
「いい子たちね」
リリスは囁いた。
そして、ゆっくりとブラムのほうを向いた。
白い指は、先ほどから同じ場所に添えられたままだった。
握り直すことも、腕に力を込めることもしない。ただ二本の指の関節を、ごくわずかに内側へ沈めた。
ルシアンには、その変化はほとんど分からなかった。
だが、ブラムだけははっきりとそれを悟った。
「――ッ!」
まず、息だけが漏れた。
次の瞬間、喉が大きく開き、遅れて悲鳴が噴き出した。
「あ――がッ、ああああッ!」
石造りの広間が、一瞬でその叫びに満たされた。
声は天井へ突き上がり、柱や壁にぶつかって何度も反響する。ひとつの絶叫が消えきる前に、別の場所から同じ声が返り、広間のどこにいてもブラムが叫んでいるように聞こえた。
宙に固定された巨体が激しく震えた。
手足は見えない力に押さえ込まれ、ほとんど動かない。それでも肩、胸、腹、腿の筋肉はばらばらに強張り、大きな身体の表面を細かな痙攣が走っていく。両手の指は空を掻くように曲がり、爪が掌へ深く食い込んだ。
ブラムは反射的に身を縮めようとした。
だが、背も腰も伸ばされたまま固定されている。逃げ場さえ与えられず、苦しみだけが身体の内側を駆け巡った。
「や――やめ……!」
声が途中で裏返った。
「もう、分かった……分かったから……!」
リリスは指を離さない。
わずかに加えた力を、そのまま保っているだけだった。
彼女の細い腕には力んだ様子ひとつない。呼吸さえ乱れていなかった。
目の前で大男が激しく震えているというのに、リリスだけは、壊れやすい小物でも扱うような静けさを崩さなかった。
「リリス!」
ルシアンの叫びが、ブラムの悲鳴に割り込んだ。
「もうやめろ! 俺たちは動いていない!」
大盾の上端が大きく揺れた。
構えが崩れたのではない。盾を支える左腕そのものが震えていた。
鎧の内側から荒い呼吸が聞こえる。面頬の隙間から覗く目は、もはや敵そのものではなく、リリスの手元に釘付けになっていた。
「聞こえているだろう!」
返事はなかった。
リリスはブラムの様子を眺めたまま、ほんの少し首を傾げた。
その仕草を見て、ラグナルが低く呻いた。
「やめろ……」
先ほどまで怒鳴っていた男とは思えないほど、小さな声だった。
大斧の柄を握る両手には汗が滲み、革巻きを濡らしていた。太い指が強く食い込み、柄が軋む。
だが、斧頭は床についたままだった。
「やめてくれ」
ラグナルはもう一度言った。
「俺が悪かった。斧は上げねぇ。だから……」
そこで言葉が途切れた。
ラグナルは歯を食いしばり、その先を飲み込んだ。
リリスの手に触れれば、ブラムを救えるかもしれない。
だが、一歩踏み出した瞬間に何が起きるか。その確信が、ラグナルの両脚を石床へ縫いつけていた。
「ルシ……アン……」
ブラムが途切れ途切れに仲間の名を呼んだ。
目は涙で濡れ、焦点も合っていない。それでも必死にルシアンのほうを向こうとする。
「来るな……頼む……」
「動かない!」
ルシアンはすぐに答えた。
「誰も動かない。だから耐えろ、ブラム」
「無理、だ……」
ブラムは首を振ろうとした。
だが、拘束されているせいで、顎がわずかに震えただけだった。
「耐えられ……ない……やめさせてくれ……」
助けてほしい。
けれど、近づいてほしくない。
その矛盾した願いが、ルシアンとラグナルをさらに追い詰めていった。
二人とも武器を持っている。目の前には敵もいる。
それなのに、仲間のためにできることが何一つなかった。
やがてリリスの指が、ゆっくりと元の位置へ戻った。
圧力が消えた途端、ブラムは大きく息を吸った。
「かっ……は……!」
急に空気を吸い込んだせいでむせ、短い咳を繰り返す。全身の震えはすぐには収まらず、腹や腿が何度か小さく跳ねた。
広間を満たしていた悲鳴が途切れた。
代わりに聞こえるのは、ブラムの苦しげな息遣いと、鎧の中で響くルシアンの呼吸、それにラグナルが歯を食いしばる音だけだった。
リリスだけは、少しも息を乱していない。
「ほら」
彼女はブラムを労わるように囁いた。
「壊していないでしょう?」
ブラムの喉が引きつった。
返事の代わりに、嗚咽のような短い息が漏れる。
「お願いだ……もう……」
「まだ、ほんの少しよ」
リリスは微笑んだ。
その一言を聞いて、ルシアンの盾がさらに下がった。
ラグナルは斧から片手を離し、どうすることもできないまま拳を握りしめた。
ブラムの顔に浮かんでいたのは、終わったことへの安堵ではなかった。
今の出来事さえ、彼女にとってはまだ始まりにすぎない。
そう悟った恐怖だった。
リリスは宙に浮かべたブラムの右側の睾丸を挟んでいた指を、滑らせるようにして左側へと移動させた。
繊細な指先が湿った皮膜を滑り、内部の硬い球体を再び親指と人差し指の間に挟み込む。
「待っ……」
ブラムが息を呑んだ。
まだ何も起きていない。それでも胸が大きく持ち上がり、腹の筋肉が一斉に強張った。
身体のほうが、次に何が来るのかを覚えている。
拘束された指先まで、細かく震え始めた。
「こっちも、同じなのかしら」
リリスは独り言のように囁いた。
確かめるように指を動かす。
ブラムの喉から、苦しげな息が漏れた。
「やめ……頼む……」
「まだ何もしていないわ」
「する気だろ……」
言葉の終わりが震えた。
リリスは答えず、ほんのわずかに指を沈めた。
「ぐっ――あ……!」
ブラムの胸が大きく跳ねた。
息を吐こうと口を開く。だが、漏れたのは途切れた息だけだった。
今度は長い悲鳴にはならない。
声を上げまいと歯を食いしばり、喉の奥で苦しげな声を押し殺していた。
リリスは少し力を緩めて、その様子をしばらく眺めていた。
太腿の内側の太い筋肉は固く収縮し、股間に生い茂る硬い毛束は汗を吸って皮膚に貼り付いていた。
痛みが引き始めたところで、また少しだけ指を動かす。
「や……やめろ」
ブラムの声が細くなる。
「離してくれ。もう分かった。頼むから……」
リリスは首を傾けた。
「何が分かったの?」
「逆らわない……」
「それは、さっきも聞いたわ」
「なら、もう……」
言い終える前に、リリスのもう一方の手がピンと張った表面を指で弾いた。
「ひっ――!」
短い声が漏れ、そのまま息が止まった。
身体を反らそうとする力が一気に走る。だが、見えない拘束はそれを許さなかった。
首筋が強張り、顎が上がる。開いた口からは、震える息だけが漏れた。
「ブラム!」
ルシアンが盾の陰から叫んだ。
答えはない。
ブラムの目は大きく開かれていたが、焦点が合っていなかった。
何度か瞬きをしたあと、ようやく浅く息を吸った。
「だい……じょうぶだ……」
自分に言い聞かせるような声だった。
だが、誰の目にもそうは見えなかった。
「嘘をつくな」
ラグナルが吐き捨てた。
その怒りは、ブラムに向けたものではなかった。何もできない自分自身に向けた言葉だった。
「畜生……」
斧の柄を握る手に、また力が入る。
リリスはそのわずかな音を聞き逃さなかった。
ラグナルへ視線を向ける。
ただ、それだけだった。
それだけで、ラグナルの手から力が抜けた。
斧を持ち上げるどころか、柄を握っていることさえ怖くなったのか、太い指が一本ずつ開いていく。
「そう」
リリスは満足そうに囁いた。
「そのままでいてね」
「触るな……」
ラグナルの声が震えていた。
「もう、そいつに触るな」
「あなたが決めることではないでしょう?」
返ってきた声は、どこまでも柔らかかった。
第四章 盾と斧と、一人の男
リリスは再びブラムへ目を戻した。
指を少し持ち替える。押す。緩める。また場所をずらす。
どの動きも、離れて見ている者には何をしているのか分からないほど小さかった。
だが、そのたびにブラムの身体は違う反応を見せた。
肩が跳ねる。腹が引き攣る。脚が震える。
喉から短い呻きが漏れたかと思えば、次の瞬間には必死に息を殺す。
声を出せばリリスを喜ばせると思ったのか、ブラムは唇を噛んで耐えようとした。
だが、その決意も長くは続かなかった。
「あ……ぐっ……や、め……」
「何?」
「やめて……ください……」
言い直したブラムを、リリスは優しく見つめた。
「上手に言えたわね」
そこで初めて、指を少しだけ離した。
ブラムの全身から、張り詰めていた力が抜けた。
「はっ……は……」
浅い呼吸だけが、しばらく続いた。
だが、安堵する間もなく、リリスの爪の先が別の位置をなぞる。
ブラムの息が再び止まった。
「まだ……やるのか」
声には、もう怒りも抵抗も残っていなかった。
ただ、いつ終わるのか分からないことへの怯えだけがあった。
「ええ」
リリスは楽しそうに答えた。
「だって、触れるたびに違う顔をするんだもの」
「やめろ!」
ルシアンの声が広間に響いた。
リリスの動きが止まる。
その瞬間、ルシアンは自分の叫びが何を招くかに気づき、顔を強張らせた。
「違う……」
すぐに剣先を下げる。
「攻撃するつもりはない。ただ――」
そこで言葉が途切れた。
命令することもできない。頼むことさえ怖かった。
何を言っても、リリスの気分次第でブラムに返ってくる。
荒い息の合間に、ブラムが言った。
「ルシアン……何も言うな……」
「だが」
「こいつは……俺たちが騒ぐのも、見てる……」
その言葉を聞いて、リリスの微笑が深くなった。
彼女が楽しんでいるのは、ブラムだけではなかった。
何かが起きるたびに、ブラムが震える。
ルシアンの盾が下がる。
ラグナルの手から力が抜ける。
三人がそれぞれ違う形で追い詰められていく。そのすべてを、リリスは楽しんでいた。
「よく分かったわね」
リリスはブラムを褒めた。
そして今度は、指先を動かさず、ただそこに留めた。
何も起こらない時間が続く。
ブラムは息を止め、ルシアンは盾の陰で身を固くし、ラグナルは斧に触れることさえできずに立ち尽くしていた。
水滴が一つ、石床へ落ちた。
誰も動かない。
もう一つ落ちる。
それでも、リリスは動かなかった。
やがて、ブラムの呼吸が震え始めた。
「頼む……」
何もされていないのに、彼のほうから懇願した。
「次は……やめてくれ……」
リリスはその言葉を待っていたかのように、静かに目を細めた。
何も起きていない。その時間に耐えきれず、ブラムのほうから助けを求めた。
それだけで、リリスには十分だった。
「次は、やめてほしいの?」
ブラムは答えなかった。
答えられないのではない。何を言っても、それさえ次の材料にされる。
ようやく、それが分かり始めていた。
リリスは返事を待たず、空いている手をブラムの下腹部へ伸ばした。
指先が、汗に濡れた皮膚の上をゆっくりとなぞる。
その瞬間、ブラムの腹が反射的に強張った。
「……あら」
リリスの声が、わずかに弾んだ。
新しい玩具の仕掛けでも見つけたような、無邪気な喜びだった。
ブラムの陰茎の先端、包皮の隙間から覗く赤く湿った亀頭から、透明な粘液が細い糸を引いて滴り落ちようとしていた。
リリスは空いた手の指先を差し出し、その液体の先端に触れた。
粘り気のある筋が指先と亀頭の間で長く伸び、薄暗い空間の中で湿った光を放つ。
リリスは指先に付着した伸びる液体を、ブラムの太腿の内側にある日焼けのない淡い肌へと擦り付けた。
ぬめりとした感触が肌の上に広がり、汗と混ざり合って滑らかな層を作った。
「そんなに怯えているのに、身体のほうはずいぶん正直なのね」
「違う……」
ブラムはすぐに否定した。
声は掠れ、ほとんど息のようだった。
「何が違うの?」
「俺は……そんなつもりじゃ……」
「ええ。分かっているわ」
リリスは優しく頷いた。
「あなたは嫌がっている。怖がっている。私に触れられるたび、逃げたくて仕方がない」
そこで言葉を切り、ブラムの顔を覗き込む。
「でも、身体はあなたほど上手に嘘をつけないのね」
「黙れ……」
ブラムの頬が強張った。
怒鳴り返したかった。だが声には力がなく、命令というより懇願に近かった。
「黙ってくれ……」
「どうして?」
リリスは不思議そうに尋ねた。
「お仲間に知られるのが恥ずかしいの?」
ブラムの視線が、反射的にルシアンとラグナルへ向いた。
ほんの一瞬だった。
だが、リリスは見逃さなかった。
「あら。本当にそうなのね」
「見るな……」
ブラムが言った。
誰に向けた言葉なのか、自分でも分かっていないようだった。
「二人とも……見るな」
ルシアンの盾がわずかに揺れた。
「ブラム」
「見るな!」
今度の声は鋭かった。
羞恥が恐怖を押しのけるように噴き出した。だが叫んだ直後、ブラムの顔が苦しげに歪む。
ラグナルは目を逸らしかけた。だが、完全には逸らせなかった。
見ているのはつらい。
それでも、目を離した隙に何かが起きるほうが怖かった。
そんな二人の迷いを見透かしたように、リリスが笑った。
「見ていてあげて」
リリスは二人へ言った。
「せっかく、この子が一生懸命耐えているんだもの」
「貴様……」
ルシアンの声が低く沈んだ。
リリスはゆっくりと彼へ顔を向ける。
「なあに、騎士様?」
呼びかけは親しげだった。
「その盾は、仲間を守るためのものでしょう?」
ルシアンの指が、盾の取っ手に強く食い込んだ。
「だったら、どうしてそこに立っているの?」
答えはなかった。
リリスは急かすことなく、彼の姿を眺めた。
広い肩を覆う板金鎧。正面に構えた大盾。敵の攻撃を受け止めるために鍛えた脚。
どれも今は、仲間を救うためには何の役にも立っていない。
「前へ出ればいいのに」
リリスは囁いた。
「たった一歩よ」
ルシアンの右足が、石床の上でわずかに動いた。
その瞬間、ブラムの息が止まる。
「動くな!」
ブラムが叫んだ。
「ルシアン、頼む! そこにいろ!」
ルシアンの足が止まった。
リリスは満足そうに微笑む。
「ほら」
ブラムへ目を戻した。
「あなたの盾は、ちゃんと役に立っているわ」
ルシアンの眉が険しく寄った。
「何だと」
「この子を守るために、一歩も動かずにいてくれているでしょう?」
穏やかな言葉だった。
「でも、それなら盾じゃなくても同じね。大きな石でも、柱でも」
ルシアンの呼吸が荒くなった。
剣を握る腕が震える。
それでも、切っ先は上がらなかった。
リリスは次にラグナルを見た。
「それから、あなた」
「……俺に喋るな」
ラグナルは歯を食いしばった。
「怒っているの?」
「黙れ」
「そんなに強そうな腕をしているのに」
リリスの視線が、太い肩から大斧へゆっくり移る。
「仲間一人、助けられないのね」
ラグナルの鼻から荒い息が漏れた。
斧の柄を握る皮手袋が軋む。
「上げてみる?」
リリスは尋ねた。
「その斧を」
「やめろ……」
ブラムの声だった。
ラグナルは目を閉じた。
「上げれば、助けられるかもしれないわ」
リリスは囁く。
「届けば、の話だけれど」
「黙れ!」
ラグナルの怒声が広間に響いた。
それでも、斧は動かなかった。
リリスの微笑が深くなる。
「そうね。動かさないほうが賢いわ」
彼女はもう一度、三人を順に眺めた。
「騎士様は、盾を持ったまま前へ出られない」
ルシアンの顎が強張る。
「狂戦士さんは、斧を持ったまま振り下ろせない」
ラグナルの歯が軋む。
「そして、この子は――」
リリスの指先が、ほんのわずかに動いた。
ブラムの喉から短い悲鳴が漏れた。
「あなたたちが何もしないよう、お願いし続けるしかない」
「やめてくれ……」
ブラムは震える息を吐いた。
「もう、二人に言うな……」
「どうして?」
「俺を使うな……」
リリスは少し考えるような顔をした。
「でも、あなたがいちばんよく伝えてくれるのよ」
彼女はブラムの頬へ手を添えた。
その触れ方だけは、傷ついた者を慰めるように優しかった。
「私が何をしたら、この二人が動かなくなるのか」
ブラムは目を閉じた。
怒りも、恐怖も、羞恥も、仲間への罪悪感もある。
どれか一つだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが、もう全部が絡まり合って、自分が何に苦しんでいるのかさえ分からなくなっていた。
「俺のせいじゃない……」
小さな声が漏れた。
「ええ。あなたのせいではないわ」
リリスはすぐに頷いた。
その優しさが、かえって残酷だった。
「でも、二人が動けないのは、あなたがここにいるから」
ブラムの瞼が震えた。
「やめろ……」
「二人が武器を振るえないのも」
「やめてくれ」
「あなたが怖がっているから」
「黙れ!」
ブラムが叫んだ。
その声に、ルシアンとラグナルの身体が同時に強張る。
リリスは驚いたように瞬き、それから嬉しそうに笑った。
「まだ、そんな声が出せるのね」
ブラムは荒い息を繰り返した。
叫んでも、何かが変わったわけではない。
残っていた力を、また少し使い果たしただけだった。
リリスは彼の頬から手を離した。
「それなら、次も大丈夫そう」
声色は少しも変わっていない。
それなのに、三人は同時に反応した。
ブラムの呼吸が止まる。
ルシアンが盾の奥で身構える。
ラグナルの手が、再び斧の柄へ戻る。
「次……?」
ブラムが呟いた。
第五章 身体は嘘をつかない
リリスは答えず、白い手をゆっくりと持ち上げた。
その掌に、青白い光が小さく灯る。
先ほどまでの戯れとは違う、輪郭のはっきりした魔力だった。
広間の空気が、かすかに震え始める。
「待て」
ルシアンが言った。
「今度は何をする」
リリスは光を見つめたまま、穏やかに答えた。
「少し、形を変えてみるだけよ」
その言葉とともに、掌の上の青白い光が細く伸びた。
炎でも、刃でもなかった。
光は髪の毛ほどの細さまで絞られ、空中をゆっくりと這って、宙に拘束されたブラムの下腹部へ触れた。
「何をする気だ」
ルシアンの声が低くなる。
「その魔法は何だ」
リリスは答えずに、指先を、ほんのわずかに傾ける。
光がブラムの身体へ沈んだ。
衝撃はなかった。
目に見える傷もない。
だからブラムは一瞬、何も起きなかったのだと思った。
だが、光が身体の内側へ入り込んだ瞬間、ブラムの様子が変わった。
全身の筋肉が小さく震え始め、その反応だけがじわじわと大きくなっていった。
やがて、ブラムの瞳からふっと意思が抜けた。
「――あ」
喉から、小さな声が漏れる。
苦痛に備えて強張っていた全身が、内側から大きく揺さぶられた。
肩が跳ねる。胸が大きく持ち上がり、首筋が強張る。
「あ……あ、ぁ……」
声は悲鳴にならなかった。
それが、かえって異様だった。
ブラムはいつものように歯を食いしばろうとした。だが、うまく力が入らない。
唇が震え、浅い呼吸が何度も途切れた。
魔力は、外から身体を傷つけているのではなかった。
もっと深いところへ入り込み、自分では止められない感覚だけを直接送り込んでくる。
「な……にを……」
ブラムは言葉を探した。
だが、自分に何が起きているのか分からない。
痛くはない。傷ついてもいない。
それなのに、身体だけが勝手に反応していた。
「やめ……ろ……」
かろうじて残った理性で、どうにか言葉を押し出す。
リリスは微笑んだ。
「嫌なの?」
「違う……これ、は……」
「何が違うの?」
ブラムの瞳が激しく揺れた。
答えようとするたび、青白い魔力が身体の奥を駆け抜ける。
「う、ぁ……!」
言葉が途切れた。
胸から腹にかけて不規則な震えが走り、身体は自分の意思とは無関係に強張っては緩んだ。
両手の指が強く曲がる。
次の瞬間には力が抜け、だらりと開いた。
どこに力を入れればいいのか。
どこを緩めればいいのか。
そんなことさえ、自分では決められなくなっていた。
「ブラム!」
ルシアンが叫んだ。
返事はない。
「聞こえるか! 俺を見ろ!」
ブラムの目が、ゆっくりと声のほうへ動いた。
だが、ルシアンを見ているようには見えなかった。
焦点は彼の手前で揺れ、唇から細い息だけが漏れている。
「返事をしろ!」
「ル……シ……」
名前を最後まで呼ぶ前に、青白い光がもう一度脈打った。
「あ、ああ――ッ!」
ブラムの喉から、これまでの悲鳴とは明らかに違う声が噴き出した。
魔力は強烈な快楽の信号へと変質し、ブラムの意志や理性を一瞬で焼き切った。
腰が宙で暴れるように前後へ振られ、太腿の内転筋が弾けるほどの力で収縮する。
充血して大きく膨張した陰茎の先端から、白く濁った濃密な精液が勢いよく噴出された。激しく揺れる肉体に、飛散した液体は自身の腹部や、深く波打つへその窪みを汚しながら、太腿の肌へと降り注いでいく。
熱を帯んだ独特の匂いが、周囲の湿った空気を満たしていく。
その直後、さらに高く長い絶叫が広間を突き抜けた。
声は天井へ突き上がり、石壁にぶつかって何度も返ってくる。
だが、それまでの悲鳴とは何かが違っていた。
その違いに気づいた瞬間、ルシアンの顔が凍りついた。
目の前で起きていることは、彼らが知る戦いの範囲をとうに外れていた。
ラグナルも、斧の柄を握ったまま動けなかった。
「何をしやがった……」
ラグナルが呟いた。
怒鳴っているのではない。理解できないものを前にして、怯えていた。
「身体の声を、大きくしてあげただけ」
リリスは穏やかに答えた。
「人間はいつも、頭で身体を縛っているでしょう?」
指先を少し持ち上げる。
ブラムの背が弓なりに反った。
「だから、その縛りを解いてあげたの」
「戻せ」
ルシアンが言った。
「今すぐ元に戻せ」
「元?」
リリスは首を傾けた。
「この子は何も失っていないわ」
ブラムの口から、途切れた息が漏れ続けていた。
「傷もない。血も出ていない。どこも壊れていない」
その言葉を聞くたび、ルシアンの顔が険しくなった。
確かに、目に見える傷はない。
それでも、目の前にいるブラムが、さっきまでの彼とは違って見える。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
「やめろ……」
ブラムが再び言った。
今度は、誰に向けた言葉なのかさえ曖昧だった。
「俺の中に……入るな……」
リリスの瞳が、嬉しそうに細められる。
「分かるのね」
「出て……いけ……」
「嫌よ」
即答だった。
その声だけが、ひどく優しかった。
「だって、ここはとても素直なんだもの」
青白い光が、さらに深く沈んだ。
ブラムの息が止まる。
次の瞬間、全身から力が抜けた。
手足は拘束されたままだったが、身体から張りが消え、意識だけがそこに取り残されたように見えた。
口は開いている。だが、声は出ない。
目尻から涙が流れ、こめかみを伝って髪の中へ消えていった。
「ブラム!」
ルシアンが呼んでも、反応はない。
「おい!」
ラグナルが叫んだ。
「戻ってこい! 聞こえてるだろ!」
何度目かの呼びかけで、ようやくブラムの唇がわずかに動いた。
「たす……け……」
もう、戦士としての意地も、仲間を遠ざけようとする気遣いも残っていなかった。
「助けて……」
ルシアンの盾が大きく震えた。
ラグナルの喉から、獣のような低い唸りが漏れる。
それでも、二人とも動けない。
動けば、何が起きるか分からない。
だが動かなくても、ブラムは目の前で崩れていく。
そのことを分かったうえで、リリスは二人へ微笑みかけた。
「まだ動かないのね」
責めているわけではなかった。
むしろ感心しているようだった。
「偉いわ」
ルシアンの唇が震えた。
「貴様は……」
「安心して」
リリスはその言葉を遮った。
「まだ、この子の心は残っているから」
そして、青白い光をまとった指をゆっくりと曲げた。
第六章 戯れの終わり
「今から、それがどこまで耐えられるか確かめるの」
青白い光が脈打った。
ブラムの全身が大きく跳ねる。
「あ――ッ!」
声が広間を貫いた。
だが、それで終わりではなかった。
最初の波が引ききるより早く、次の魔力が身体の奥へ流れ込む。
自分の意思とは関係なく、同じ反応がまた始まった。
「や……め……」
ブラムの唇が震える。
「止め……止まらな……」
言い終える前に、二度目の波が彼を呑み込んだ。
「あ、が――あああッ!」
首が大きく反り返る。
喉から噴き出した声は、これまでの悲鳴とも助けを求める叫びとも違っていた。
高く、途中で裏返りながら、本人の意思とは関係なく長く伸びていく。
その肉体は、もはや彼自身のものとは思えないほどに狂い始めていた。
口から唾液を撒き散らしながら、連続して精液を吐き出し続けた。射精のたびに下腹部とへそ周りの肉が固く引きつり、陰嚢が痙攣して収縮した。白い液体が腹部から胸元、乳首の周辺へと滑り落ち、体温を含んだ重い匂いが広場全体に充満した。
身体の反応は、もう一つにまとまっていなかった。
胸が大きく持ち上がる。腹が強張る。脚に力が入る。
次の瞬間には、そのすべてから力が抜ける。
そして息をつく間もなく、また同じ反応が繰り返された。
ブラムは止めようとしていた。
歯を食いしばろうとする。呼吸を整えようとする。
指を握り、せめてどこか一か所だけでも自分の意思で動かそうとする。
だが、何をしても一瞬遅かった。
ブラムが身体を動かそうと思うより先に、魔力が反応を引き起こしてしまう。
自分の身体なのに、自分が後から追いかけているようだった。
「違う……」
ブラムが掠れた声を漏らした。
「俺じゃ……ない……」
何を否定しているのか、自分でも分かっていないようだった。
「止めろ……俺の身体を……」
三度目の波が来た。
今度は叫ぶことさえできなかった。口が大きく開き、喉が震える。
声にならない息だけが漏れ、全身が一斉に強張った。
目は大きく開かれている。だが、何も見ていなかった。
ルシアンの呼びかけにも、ラグナルの怒声にも反応しない。
「ブラム!」
ルシアンが叫んだ。
「聞こえるか!」
返事はない。
「俺を見ろ!」
ブラムの目が、わずかに動いた。
声に反応したようにも見えた。
だがルシアンを捉えることはなく、視線はそのまま上へ流れていった。
「くそっ……」
ルシアンの大盾が大きく揺れた。
目の前で仲間が崩れていくのを見ながら、それでも動けずにいることに、もう耐えられなくなっていた。
「戻せ」
騎士の声は低かった。
「ブラムを戻せ」
リリスは聞いていない。
彼女の関心は、完全に宙の男へ向けられていた。
指先から伝わる反応を確かめるように、微かに首を傾ける。
青白い光が、さらに短い間隔で脈動した。
ブラムの身体が、そのたびに跳ねる。だが、反応は少しずつ弱くなっていた。
最初は全身を揺らしていた収縮が、やがて胸と腹だけの震えに変わる。
握り締められていた指が、一本ずつ開いていく。
反り返っていた首から力が抜ける。
「やめろ!」
ラグナルが吠えた。
連続する絶頂の負荷に耐えかね、ブラムの喉から出ていた喘ぎが不意に途切れた。
首が力なく横へ傾き、目の焦点が完全に失われる。
大斧の柄を握ったまま、ラグナルの両腕が激しく震えていた。
「もう反応してねぇだろうが!」
リリスは答えなかった。
ただ、ブラムの顔を覗き込む。その目には、先ほどまでの恐怖も懇願も残っていない。
呼吸は続いていた。胸も、かすかに上下している。
それでも、ブラム自身がそこにいるようには見えなかった。
「ブラム……?」
ルシアンの声が掠れた。
今度の呼びかけには、もう命令の響きがなかった。
「おい、返事をしろ」
ブラムの唇が、かすかに開いた。
声は出ない。ただ一度、浅い息が漏れた。
それだけだった。
ラグナルの顔から怒りが消えた。
代わりに浮かんだのは、隠しようのない恐怖だった。
「あいつ……」
ラグナルの喉が鳴った。
「もう、俺たちの声が分かってねぇ」
その言葉を否定する者はいなかった。
リリスは青白い光を保ったまま、反応を返さなくなったブラムをじっと見つめていた。
興味を失ったわけではない。
むしろ、なぜ動かなくなったのかを確かめるように、静かに観察していた。
ブラムの首は力なく横へ傾き、汗に濡れた髪が額に貼りついている。開いた目はどこにも焦点が合っていなかった。
逞しい肩も、厚い胸も、太い腕も、今はただ見えない力に支えられているだけだった。
先ほどまで必死に懇願し、仲間に動くなと叫んでいた男は、もう何の反応も返さなかった。
「ブラム」
ルシアンが、もう一度名を呼んだ。
返事はない。
「ルシアン」
ラグナルが低く呼ぶ。
「ああ」
合図も作戦もなかった。ただこれ以上待てば二度と戻れないという確信だけが、二人を同時に動かす。
ルシアンが大盾を掲げて突進し、その死角からラグナルが渾身の力で大斧を振り抜いた。寸分の狂いもなく重なった渾身の一撃。
――だが、リリスが目を向けた、ただそれだけで決着はついた。
轟音とともに大盾が粉砕され、ルシアンは鎧ごと壁へ激突して倒れ伏す。大斧は空中でへし折れ、ラグナルの巨体も見えない力で石床へ叩き伏せられた。
二人の決死の反撃は、触れることすらできずに一瞬で潰えた。
広間に、重い静寂が戻った。
砕けた盾の破片が一つ、乾いた音を立てながら石床を転がり、やがて止まった。
リリスは倒れた二人には目も向けず、なおも宙に浮かぶブラムを見つめていた。首を垂れ、焦点を失った目は呼びかけにも反応せず、先ほどまで必死に声を上げていた男は、もう何の反応も返さない。
しばらくその姿を眺めていたリリスの唇から、ゆっくりと微笑が消えていった。
怒りが浮かんだのではない。むしろ表情そのものが抜け落ち、白い顔から人間らしい感情の気配が消えていく。
やがて瞳孔が細い縦の裂け目へ変わり、黒髪の奥に隠れていた角が音もなく伸び始めた。青白い肌の下には黒い筋が浮かび、それは頬から首筋へと、ひび割れのように広がっていく。
さらに背後の影が大きく膨らみ、翼とも肢ともつかない巨大な輪郭となって石壁を覆った。
それとともに、広間の空気まで一変した。先ほどまで漂っていた甘い香りは消え、冷たい気配と息苦しいほどの熱が入り混じって辺りを満たしていく。
倒れたルシアンが血に濡れた顔を上げ、ラグナルも石床に伏したままリリスを睨んだ。
二人はそこで初めて、さっきまでの彼女がまだ人間と戯れるための姿を保っていたのだと理解した。
リリスがゆっくりと二人へ顔を向ける。
「私の邪魔をしたのね」
声は低くなかったが、それまでの柔らかな響きは完全に消えていた。まるで何人もの声が重なっているかのように、広間の奥まで異様に響く。
床に散った盾の破片がひとりでに震え始め、折れた斧の刃も石床を擦りながら、ゆっくりとリリスの足元へ引き寄せられていった。
彼女は、もう好奇心さえ残っていない目で二人を見下ろした。
「では、あなたたちには――」
細い瞳が、ルシアンからラグナルへゆっくりと移る。
「別のことをしましょう」
そこでようやく、二人にも分かった。
戯れは終わったのだ。
目の前にいるのは、もはや人間のふりをして彼らの反応を楽しんでいた女ではない。そんな仮面すら必要としない、悪魔そのものだった。
「私を愉しませるための玩具が、勝手な真似をするものではないわ」
その声には、怒りさえなかった。
リリスは宙に浮くブラムへ手を戻した。
先ほどまでの慎重さは、もうどこにもなかった。反応を確かめるために加減する様子もない。
白い指が、宙に浮くブラムの右側の睾丸を握りしめた。これまでの加減された圧力とは違う、明確な破壊の力が指先に込められる。
圧迫された球体が内部で限界を迎えるくぐもった音が響き、湿った皮膜が破裂した。血と破壊された組織の混ざり合った赤黒い液体が、リリスの指の隙間から勢いよく噴出する。
「――ッ!」
垂れていたブラムの首が、勢いよく跳ね上がった。
意識を失っていたはずの身体が、一瞬で強く反り返る。目が大きく見開かれ、喉の奥から声とも息ともつかない音が噴き出した。
全身の筋肉が激しく強張り、呼吸をするたびに胸が大きく震えた。
「ブラム!」
ルシアンが床から叫んだ。
ブラムは答えなかった。呼びかけに応じるだけの余力さえ、もう残っていない。
リリスは血に染まった指先を一切気にすることなく、残された左側の睾丸へと容赦なく手を伸ばした。爪を深く肉に食い込ませ、根元から毟り取るように力を込める。生肉が引きちぎられる湿った音が空間に満ち、ブラムの絶叫は掠れた声へと変わっていった。
リリスは、血に濡れた指先を払うこともなく、ゆっくりとルシアンとラグナルへ振り向いた。
背後では、ブラムが宙に浮かされたまま、かすかな呼吸を繰り返している。
「さて」
リリスの視線が、倒れたルシアンへ落ちた。
それから、ラグナルへ移る。
「今度は、お前たちの番よ」
先ほどまでの甘い愉悦は、もうそこになかった。
怒りも、楽しげな響きもない。ただ順番を告げるだけの、静かな声だった。
ルシアンも、ラグナルも、答えなかった。
広間に、水滴の音が落ちた。
その音だけが、いつまでも響いていた。