メイクはいつもより丹念にした。いつもはパフではたくだけなのだが、買ってきてから洗面所の引き出しでずっと眠っていたファンデーションも出してきて3重にも塗りたくったうえに、コンシーラーも丹念に使った。目の周りなどいつもはほったらかしだったが、眉毛も抜いて丁寧にペンシルで形を整え、アイシャドーを塗りアイライナーも入れて、ご丁寧にビューラーでまつげの形まで整えた。口紅もいつもより派手なオレンジ色にした。ここまで徹底的に女っぽくしようとする心境になったことはなかった。しかし、今度の実行のためには、自分を出来る限り女らしい姿に整えることが必要だと思いこんでしまったのだ。理屈なんかはなかった。理屈より何より、これまで何度も実行に失敗してきたではないか、だからこうしているのだ。
下着も先月買った勝負下着だ。黒や濃い目の色は好きじゃない。ブルーの水玉模様の清楚な感じのするブラジャーとショーツのペア下着だ。勝負下着なんていったって誰にも見せたことはないし見せるつもりもない。単なる自己満足だ。パンストだと実行の時に面倒になりそうなのでガーターベルトにした。ガーターなんて娼婦みたいで品がないと思っていたが、こういうときに役立つとは思っても見なかった。タンスの引き出しの奥底からストッキングとともに引っ張り出した。ありきたりのベージュのストッキングでちょっと物足りなかったが、いつもはパンストばっかりだから他には持っていない。この段になってストッキングだけ買いに行くのも馬鹿みたいだ。外は寒そうだったのでキャミソールを着た。寒くて震えてたら実行なんて不可能だから。
ブラウスは先週買ったばかりのやつだ。肩から袖にかけてふっくらした昭和時代のお嬢様が着てたようなデザインだ。自分の好みがレトロなんでしょうがない。スカートはもう何年もはいているお気に入りだ。全然派手じゃない。ベージュで、ひざが隠れるくらいで、たっぷりフレアの入ったやっぱり昭和のお嬢様のようなデザインだ。今時の若い娘が着るようなものじゃないだろう。かといって昭和時代にお嬢様だったおばさんが今着てるかというと、それもありえない。
とにかく、メイクから着替えまでこんなに時間をかけたのは久しぶりだ。姿をみただけならちょっと時代遅れの良家のオールドミスといったところか。
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私は、物心ついたときから引っ込み思案で、近所のおじさん、おばさんにもきちんと挨拶ができないほどだった。まして、自分の気持ちや願望、そういったことをきちんと表現して相手を納得させることなど不可能だった。級友から色々言われることも嫌だった。床屋に行って急に髪が短くなって「髪、切ってきたんだね。」のような何気ない一言すら言われることも大嫌いだった。新しい服を着て行って話題にされるなど恐怖そのものだった。
両親は、口下手で大人しくて目立つことの大嫌いなこんな息子に、戸惑いながらも世話のかからない孝行息子のように扱っていた。「あんたは中性的だから」「女の子みたいなところがあるから」が母親の口癖だったが、世話のかからぬ息子に満足しているようだった。
女性の服に関心を寄せ始めたのがいつのことだったのか分からない。少なくとも小学校低学年の頃から興味深々だったはずだ。特にお気に入りはスカートだった。家族の留守中に風呂敷やタオルをスカートの代用品として腰に巻いてみたり、母親のスカートをこっそり穿いてみたりしていた。スカートを穿くといつも陰茎が大きくなり硬直した。おくてだった私は勃起というシステムについてほとんど知識がなかったので、何でこうなるのか分からなかった。しかたがないので、スカートを持ち上げてしまわないように、いつも陰茎をベルトでキツク縛っていた。
母親のスカートはブカブカだったし、可愛いデザインではなかったので満足できなかった。同年代の女の子たちが身に着けている丈の短いプリーツスカートを穿いてみたかったが、自分で手に入れる術は全くなかった。ゴミ置き場に捨ててあった若い女性の服を漁ってきたこともあったが着れるような状態ではなく、ゴミを拾ってきたと親に怒られただけだった。
自分のスカートを初めて買ったのは大学に入ってからだった。買ったのはアダルトショップでだった。成人雑誌に「女らしさの匂いたつセーラー服」という広告が載っていたからだ。お金が足りず買えたのはスカートだけだった。
「エ○○○○」という女装クラブがあることも知った。女装者用に下着や婦人服を売っているのだ。バイトのお金たまると、エ○○○○での下着やスカート、ブラウスなどの購入に、なけなしの金を注ぎ込むようになった。
そのうち、エ○○○○などの女装ショップで売っている服は、スーパーどころか、ブティックやデパートよりもかなり高いということが分かり、普通の女性向けの店で買うようになった。若い女の子向けのプティックの中には、軽蔑の目付きで睨んだり、「どういうご用件ですか?」とわざとらしく声をかける店員がいるところもあったが、大手スーパーでは誰も男が婦人服を物色していることを咎める者はいなかった。レジに持っていっても事務的に金のやりとりをするだけで、余計な会話をする必要はなかった。さすがに女性用下着売り場には立ち入れなかったが、食品・日用雑貨が中心の小規模スーパーで、男性用下着や雑貨と混ぜて女性用下着を購入した。「インターネット」など存在していなかった時代のことだ。
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アクセサリーも身に付け香水もたっぷりふりかけてすっかり身支度を整えたところで、台所に鎮座している真新しい出刃包丁を手にした。足を外に向けられなかった。外から聞こえる通行人の物音に怯えた。やっぱり実行どころか、外出することすらシラフでできるものではなかった。そんな勇気が備わっていたらこんな人生を送らなかっただろう。結局アルコールの力を借りることにした。
「酔い」に後押ししてもらうのだ。だから「酔う」ためにだけ飲めばいいのだ。ツマミなど不要だ。度数さえあればいい。焼酎を生のままでコップに注いだ。グラス一杯を一気にあおった。あおってからテーブルに置いたグラスのふちに口紅の赤い色が残っているのを見て、自分が女性のいでたちをしていることを思い出した。飲む仕草ぐらい女らしくしないと、二杯目は両手で焼酎をグラスに注ぎ、グラスも両手で持って一口づつ飲んでいった。三杯目でも酔いはさほど廻らなかった。
一昨日は5杯飲んで実行しようとした。事後の片付けも考慮して、浴室で全裸になって実行に移した。既に酩酊状態だった。廻りの景色はグラグラ揺れていた。自分の体も浴槽も蛇口も区別がつかなかった。何度か実行に移したような気がするが、太ももにいくつか傷がついているだけだった。気がついたら夜が明けていた。昨日は一日中二日酔いで実行どころの状況ではなかった。
何のために実行するんだ。全裸じゃ意味がないだろう。女になって、今自分が出来る限りの女の姿になって実行しないと意味がないだろう。しようとすることに形をあわせないからうまくいかないんだ。夜になって酔いが醒めてきたところで落ち着いて考えて見た。化粧と衣装、手を抜かないこと、そして家の中で実行して万が一の時どうするんだ、自分の家を訪ねてくる親友など一人もいない、それなら屋外で堂々とすればいいではないか。アルコールの手助けが要るかどうか、その場になって考えよう。そこまで、頭の中で整理したところで眠り込んでしまった。いつものことだがスカートをはいたままだった。
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女装にのめりこみ始めた当時、女になりたいという意識があったかどうかわからない。性転換手術の知識もろくになかったし、女性ホルモンを投与すれば女性的な体になれるなどというような情報など全くなかった。誰もいない部屋で女装して恍惚感に浸っているだけだった。そもそも女性との性交渉の経験もなかった。女性に関心がないわけではなかったが、女性と会話をしたり、デートに誘ったりするようなこと自体、天性の性格からして不可能だった。男同士ですら会話は苦手だった。心を割って話ができる友人もいなかった。女でいたほうが男から誘ってくれるから楽そうだとは思っていたが、自分の女装趣味や性癖を人に暴露するなど絶対にできないことだった。
こんな私でもなんとか就職できた。時間の余裕はなくなったが、金銭の余裕と一人暮らしという誰にも邪魔されない空間を手に入れることができた。仕事が終わり帰宅すると居室に閉じこもって女装した。下着と服だけでは満足できなくなった。化粧もした。アクセサリーや女性用の小物も手に入れた。全て普通の店、大手スーパーで買うようになっていた。安いとか種類が多いとかの理由ではなく、同じ商品でも「男性向け」に売られているものを買うのは嫌だった。女性に買ってもらうはずの商品を購入することに意味を見出していた。生理用品なども買うようになった。
完全女装で外出する勇気はなかった。外出時は、女性用は下着とストッキング、ジーンズやTシャツは男性が着てもおかしくないような女性用を選んだ。夜、自家用車を運転するときだけは、ブラジャーにパットを入れジーパンをスカートに穿き替えた。それ以上のことをする勇気はなかった。
家ではタンポンを肛門に挿入していた。外出時にはナプキンを利用していた。女性用トイレに入るわけにはいかなかったが、小便器で立って排尿することはせず、常に個室でしゃがんで排尿した。トイレでのナプキンの取り替えが女性的な気分を高めてくれた。男性用トイレにはサニタリーボックスがないので、仕様済のナプキンは丸めてトイレの片隅に放置した。自分の使用していたナプキンが男性に見られると思うとそれだけで興奮した。
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やっぱりアルコールの手助けは必要だった。酔いの力で始めての完全女装外出に踏み切れるようになるまでに、焼酎一升瓶の半分が空いた。家の中では何とか歩けたがヒールのあるパンプスを履いて歩けるかどうか覚束なかった。
女装して外出などできもしなかったが、靴だけはいくつも持っていた。ローヒールもハイヒールも、バックベルトタイプやアンクルベルトタイプも、かなりの数のパンプスを持っていた。しかし、服は男でも着れる大きなサイズがあるものの、靴は少ない。普通の婦人靴は24.5cmまでしか売ってない。そのサイズは全然履けなかった。男性用の靴は25cmでちょうどいいが、女性用の25cmのパンプスは幅が狭いせいか10分も履いていると立つことすらできなくなるほどだった。でも、どうせ外出して街を歩くわけではないからそれでよかった。ヒールの高いパンプスを履いて全身を鏡で写して眺めてうっとりしているだけでよかった。ほとんど街を歩けるような靴はなかった。
25.5cmのバックベルト式の黒のローヒールパンプスが、唯一歩けそうな靴だった。白っぽい服に黒のパンプスは気に入らなかったがやむを得なかった。扉を一歩出ると既に夜は更けてひんやりとした空気に身を包まれた。足元から冷たい空気がスカートの中に入り込み、ショーツ一枚の下半身は冷気に震えた。一瞬酔いが醒めたような気がした。しかし、夜道に響く誰とも知れぬ足音に、いつもは怖気づいて部屋に飛び込んでしまうのだが、全く気に留めず公道へ足を進めることができた。酔いのおかげだ、朦朧とした頭で納得していた。
気がつくと肝心なものを忘れていた。出刃包丁だ。慌てて部屋に戻り、一升瓶の傍らに置き忘れていた出刃包丁をバッグに放り込み慌てて外に飛び出した。慌てる必要はないのだが、朦朧とした頭では冷静な判断はできない。パンプス特有の甲高い靴音を響かせてしまった。隣人に自分の女装姿を見られたかもしれないが、酔いのために気にならなくなっていた。
コツコツと夜道に響く自分のパンプスの靴音に酔っていた。スカートの裾から忍び込む冷気に酔っていた。アルコールの酔いとは違った。自分の体から香るフローラルの甘い香りにも酔っていた。ただひたすらに女性の姿で夜道を歩くというシチュエーションに陶酔していた。どこに向かって歩いているのかも分からなくなっていた。
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就職し5年もして、ようやくソープランドで女性との性交渉を初体験した。家で女装して自慰行為に耽るときは、ローターや張形を使って男性に犯される姿を想像していたが、女性を忌避していたわけではなかった。むしろ女性と肌を合わせることは強く望んでいたことだったし、実際にソープ嬢の柔らかい肌を重ね合わせてみると想像以上の満足を得られた。しかし性行為そのものには嫌悪感でいっぱいになった。女性の役割を演ずるのは相手方のソープ嬢であり、自分は男性の役割を演じなくてはならないからだった。
二度目は、下着女装でソープランドに行った。下着姿で犯して貰うのが好きと言ったものの、ソープ嬢は露骨に嫌悪感を示した。言葉巧みに全裸にされ、男性としての性行為に誘導されていった。相手がソープ嬢とはいえ、それ以上自分の嗜好を主張することはできなかった。それでも、自分の男性器は反応し絶頂を迎えたが、そのような自分自身の体にも嫌悪を感じた。その後、女性との性交渉は途絶えてしまった。
ニューハーフとはショーパブで何人かと接したことがあった。男性として生まれながら女性として暮らしている彼女らが羨ましく、そして寄り添って体を触れてくれるだけで嬉しかった。しかし、天性の口下手で会話にならなかった。店内の客が増えてくると、会話の続かない客には型通りの相手しかしてくれず、一人黙然として飲んでいる時間のほうが圧倒的に長かった。
その頃、ニューハーフヘルスなるものが存在していることを知った。そこでは、個室内でニューハーフと二人きりで体を重ねることができた。自分が男を演じる必要もなかった。ニューハーフのペニスでアヌスを攻めてくれることもあった。ニューハーフは自分の「女装」を抵抗なく受け入れてくれた。店に入るときは下着女装だった。そして、部屋の中で持参したブラウスとスカートを身に着け、パットをブラジャーに入れ、女装したまま相互に犯し合った。
世の中にインターネットが普及すると、女装のようなアンダーグラウンドの世界の情報が一挙にオープンになった。同じ趣味の人たちもかなり大勢いて、色々な団体や集まりがあることがわかった。そういったグループに参加すれば楽しいだろうとは思ったが、天性の口下手が、そういったコミュニティへの参加を躊躇させた。女装者が多いというパブも行ってみた。女装者も男装のままの人も賑やかに店のスタッフも一緒に騒いでいた。しかし、その人たちの会話や行動には全くついていけなかった。自分も女装するのが好きなどと言うきっかけも全くなかった。疎外感に苛まされながら少し多めのお金をカウンターに置きこっそりと店を離れた。
「性同一性障害」が精神疾患のひとつと認められ、性転換手術が一種の医療行為と見なされるようになった。性同一性障害の人たちのかなりの人が、家族や友人にカミングアウトしたり、メンタルクリニックに通院したりしていることをブログに書き綴っていた。このように、自分の性癖を他人に打ち明けるなんていうことは、私にはできなかった。職場で女性としての扱いを認めよ、などと活動している人もいた。街宣活動や国会議員への陳情までしている人もいた。こんな活動は、自分には絶対に無理だった。女性になるためには、とてつもない勇気が必要だった。女性になってからは、水商売や風俗で働くか社会運動にのめりこむかしかないようだった。女性とはとうてい思えないほどのこんな気の強さがなければ女にはなれない、自分は到底無理だと感じた。
自分が純粋な「性同一性障害」だとは思えなかった。男性と恋に落ちるとか、素敵な男性に憧れるなど、全くなかった。むしろ女性が好きだった。女性と体を重ねたかった。だから、自分が好きな女性に、自分もなりたかった。男性には嫌悪感しかなかった。男性でありながら男性を放棄して女として暮らししている人には憧れがあった。女だけの世界に生まれたかった。そして自分も女になりたかった。
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歩いている内に、自分の真の目的が分からなくなってきた。見知らぬ公園があった。慣れないパンプスで疲れた足を休めるためベンチに腰掛けた。そして手元のバッグの中のズッシリとした手ごたえに気づいた。何をしに外へでてきたのか、ようやく思い出した。
女として初めて外出した恍惚感と、アルコールによる酩酊で恐怖心はすっかり消え去っていた。公園の公衆便所にある鏡に自分の化粧した顔、女性の服に身を包んだ姿が映っていた。ほんのり自分の体から女性の香りが漂っていた。激しく酔っていた。そして激しく興奮していた。スカートの中では、小さなショーツが怒張した陰茎のために張り裂けんばかりになっていた。ショーツはすっかり濡れ、スカートにまで小さな染みを作っていた。
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女になりたいなどと、他人に打ち明けることなどできなかった。家族にも医者にもこんな自分の性癖をカミングアウトなどできるわけなかった。しかし、日に日に自分が男であることのへの嫌悪感は大きくなっていった。男の象徴である陰茎や睾丸への嫌悪感は膨らんでいった。自分一人でできる女性化は既に何でもした。女性ホルモンも手に入れ服用した。女性化サプリも毎日飲んでいた。体毛や髭は自分で全て抜いた。しかし、陰茎や睾丸の除去は人にお願いするしかなかった。専門の医師であったとしても、このようなことを他人に相談するというようなことは自分にはできなかった。
女になりたいという感情で気が狂わんばかりになっていった。自分にできることで残されたことは、自らの手で男の象徴を葬り去ることだった。陰茎と陰嚢を根元から切断することだった。自分で切断しさえすれば、口下手な自分にとって他人になんで切断したいのかこまかく説明をしなくてすむはずだった。血まみれの股間を見れば、誰かが命の確保をしてくれるはずだった。
手元にあるナイフや医療用のメスなどではとてもではないが一気に切り落とすことはできない。出刃包丁を用意した。しかし、いざ切断をしようとしても恐怖が先にたった。陰茎の付け根にいくつも躊躇い傷ができた。正気でできるはずもなかった。酒の力を借りた。焼酎を生でコップ五杯もあおり一気に切断しようとした。躊躇いは薄らいだが、手元が怪しくなった。躊躇い傷は太ももや下腹部にも広がりそのまま寝込んでしまった。
形を整えることにした。女になるために実行するのだから、丹念にメイクし、取って置きの服に身を包んで、そうした姿で実行しないと、見た人が誰も何のためにしたのか理解してくれないじゃないか。そして、焼酎を一気に飲んだ。酩酊が羞恥心を振り払った。初めて完全女装で外に出た。出刃包丁を手に深夜の街をさまよった。そして見知らぬ公園に着いた。桜の木に体を預け、スカートをめくり、ショーツを下ろした。陰茎は激しく勃起していた。陰嚢もろとも左手で力をこめて掴んだ。快感が体を駆け巡った。恍惚の絶頂に達し、全世界が光に包まれ体内の全ての感覚が下半身に集中した。白濁した粘液が放出されると同時に、右手に持った出刃包丁を陰茎の根元に振り下ろした。深夜の冷気が手元を確かにした。陰茎と陰嚢が地に落ちるとともに、夥しい血が噴出した。ベージュのお気に入りのスカートは一瞬の間に真紅に染まった。そして意識は遠のいていった。
陰部が切断された血まみれの女装者の死体が発見されたのは翌朝のことであった。
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投稿:2011.01.12
悲惨な結末
著者 とも 様 / アクセス 27833 / ♥ 1