私の名は、マーク・スミス。
とある州の警察署に勤務する、殺人事件担当の刑事である。
このたび、私は、管轄内で妙な殺人事件を担当した。
被害者は、ジョージ・T・メリック。
21歳の大学生。
加害者は、マーガレット・トンプソン。
彼と同じ大学に通っており、二人とも、ごく普通の白人家庭に育っていた。
恋人同士であり、暴力や喧嘩といったいさかいが片鱗も見られなかったということは、周りの人間すべての共通する証言だった。
皆、一様に、マーガレットがジョージを殺害すること自体があり得ないし信じられないという、困惑と驚愕の表情を浮かべていた。
だが、実際、ジョージはマーガレットによって殺害された。
検視による推定死亡時刻は深夜一時。
ジョージは、全裸でベッドに眠った状態で発見された。
頸動脈をナイフで切り裂かれており、ほぼ即死だった。
しかも、ペニスが陰嚢ごと、体から切り離され、中の睾丸は二つとも陰嚢から取り出され、床に転がっていた。
切断面には生活反応がなく、死体から切り離されていることも判明した。
そして…
マーガレットは、床にこちらも全裸で仰向けに倒れ、意識を失っていた。
血まみれの右手にはナイフが握られており、全身には大量の返り血を浴びている。
彼女が犯人であることは間違いなかった。
マーガレットの左手には、かなり古い、すり切れた革製のきんちゃく袋が握りしめられていた。
知人の証言によれば、「ジョージががらくた市で購入したものだ」ということだった。
縫い目や継ぎ目が一切ないという点から考えて、陰嚢を加工したものであることは判る。
ジョージは、「大きさからして、ヘラジカかハイイログマのものではないのか」と言っていたそうだ。
だが、鑑識の鑑定結果は…
きんちゃく袋は、人間の陰嚢で作られたものだった。
マーガレットは、収容先の病院で意識を取り戻した。
だが、取り調べに応じられる状態では全くなかった。
ただ、目の前にいる取調官を尋常ではない目つきで見据え、太く低いしわがれ声で何かをぶつぶつと口にするばかりで、それが何を言っているかは全く判らない。
同じ言葉を、繰り返し繰り返しつぶやいている。
しかも、英語でもフランス語でも、スペイン語でもポルトガル語でもない。ドイツ語でもない。
判るのは、そのことぐらいだった。
私は、彼女の言葉を録音して、言語学の専門家に鑑定を依頼することにした。
鑑定結果は、驚くべきものだった。
それは、アメリカ先住民の言葉…
しかも、とうの昔に消え去ってしまったヤハヒ族のそれであった。
内容はこうだった。
「私の名は、地を駆けるコヨーテ。ヤハヒ族の勇敢なる戦士だ。
ある日の夜、白人の騎兵隊どもが、私の集落を襲い、男をまず皆殺しにし、女は全員犯してからやはり皆殺しにした。
私は、見張りをしていた時、だしぬけに背後から銃で不意討ちを食らって命を落とした。
騎兵隊どもが、子供や年寄りを含めた全ての男の死体から陰嚢を切り取り、なめしてきんちゃく袋にし、女からは頭の皮を剥ぎ取る光景を、私は全て魂となって無念の思いで見るほかになかった。
…私は、私の分身の行方を探し求め、ようやくのことでそれを手にした者の傍にいたこの女の肉体に宿り、私の男性の印を取り返す機会を…
そして、白人どもに復讐し、無残に殺された我が部族の者たちの、無念の思いを晴らす機会を窺っていたのだ!!」
マーガレットは、この言葉をただひたすら繰り返して口にするだけであった。
周囲の人間すべての証言を聞いてみても、マーガレットがアメリカ先住民のことに興味を持っていたという証言を得ることは全くできず、しかも、彼女の身の回りの書籍にも、インターネットの履歴にも、通信記録にも全くその証拠はなかった。
先住民族の知人も、誰ひとりとしていなかった。
彼女が通っていた大学の、先住民族専門家の教授も、彼女とは一切面識がないとのことであった。
一か月ほどのち、彼女は、憑き物が落ちたように、すとんと正気に戻った。
ただし、彼女の記憶から、ジョージと、彼にまつわる一切合切のことが全く欠落していた。
顔はおろか、ジョージの名も、彼の親兄弟や友人のことも。
もちろん、自らの手でジョージを殺害した事さえも…
全く、何一つとして記憶には残っていないのだ。
そして、不思議なことに、証拠物件として保管されていた例のきんちゃく袋は、その姿を忽然と消していた。
私には、「地を駆けるコヨーテ」が、己が分身を取り返したとしか思えなかった。
結局、彼女は、精神疾患患者用の療育機関へと移送されることとなった。
これで問題は解決したか…
のように思えたが、そうではなかった。
騎兵隊の子孫の血を引く者は、まだこの国にごまんといるし、「地を駆けるコヨーテ」の陰嚢を切り取った者の子孫は、どこにどれくらいいるかさえ皆目見当もつかないのだ。
実はすでに、この国のあちこちで、例の「きんちゃく袋」絡みの殺人事件は数例ではあるが報告され、徐々に犠牲者の数を増やしている。
その中には、一晩で複数名のものが殺害されたケースもあり、騎兵隊の子孫の者も殺害されていた。
加害者は、年齢人種性別を問わず、皆、マーガレットと同じようなことを口走っている。
そして、報告された中からいくつかの事例をかい摘まんで挙げてみると、「木登りリス」という少年だと名乗るアフリカ系アメリカ人女性は、友人女性のうなじをアイスピックで一突きにして殺害したのち、頭皮を剥ぎ取っており、「鷹の目」という青年だと名乗るヒスパニック系中年男性は、友人の喉を掻き切って殺害し、「太い右腕」という老人だと名乗るドイツ系青年は、妻とその兄の頭を、手斧で叩き割って殺害している。
しかし、報告されたケースの中には、「地を駆けるコヨーテ」を名乗る者は一人もいなかった。
女の犠牲者は、全て頭皮が剥がされており、男の犠牲者は、全てジョージ同様に、殺害された後に男性器を切り離されて、睾丸を二つとも摘出されているということである。
また、被害者と加害者の人間関係は極めて良好であり、殺害につながる動機が一切見当たらないということ、加害者には先住民族の知人はおらず、先住民族文化に詳しくもなければさしたる興味も持ってはいないということ、加害者から被害者の記憶が一切欠落していることの他、現場から押収した「きんちゃく袋」が姿を消しているのも、全く同じだということであった。
果たして、「地を駆けるコヨーテ」の魂は、すでに復讐を果たし、己が分身を取り戻したことに満足して、マーガレットからジョージと事件への記憶をも消し去った上で、ヤハヒの同胞たちの待つ「帰るべき場所」に帰ったのであろうか。
「木登りリス」はどうだ。
「鷹の目」は、「太い右腕」はどうなのであろうか。
他の者たちは一体どうなのであろうか。
彼らも、「帰るべき場所」に帰ったのであろうか。
彼らは、まだ全員が、自分を去勢した騎兵隊員の子孫をいまだ探し求めているのであろうか。
家族を、そして友人を殺した者のことも探し求めているのであろうか。
そして…
今も、この国で、どれくらいの「きんちゃく袋」が現存しているのであろうか。
加害者が、それぞれ全く異なる名前を口走っていることから考えて、「きんちゃく袋」の本来の持ち主も、自分の物を探し回っていると考えるべきなのだ。
いや。
騎兵隊の子孫も、現在の「きんちゃく袋」とその持ち主も、世界中にいる可能性だってある。
それら全てを、しらみつぶしに探すべきだということも視野に入れなければならない可能性さえ出てきた。
そう考えただけで、目の前が真っ暗になった。
とりあえず、「手元にある」「持っている人を知っている」「売られているのを見た」という者は、最寄りの警察署まで届け出ていただきたい。
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投稿:2011.09.30更新:2011.12.02
奇妙な事件
著者 真ん中 様 / アクセス 13507 / ♥ 2