今でははるか遠い記憶となってしまったあの時代。
この街も、他の街と同じように、空襲で廃墟と化し、ようやく復興の兆しが見え始めていた。
闇市が立ち並び、進駐軍の兵士が行き交う。
英語表記の看板、洋画を公開している映画館。
そして、兵士たちに菓子をねだる子供たち。
それらを、隔靴掻痒の面持ちで見つめる大人たちもいた。
「あんたたち!狩りこみの奴らが来るよ!とっとと逃げなさい!!」
街角でたむろする浮浪児たちに向って、年の頃は10代半ばと思しき厚化粧の少女が叫ぶ。
「あんがとねえちゃん!また、おいらたちがポン引きになってやっかんな!!」
浮浪児たちは、蜘蛛の子を散らすように物陰に駆け込んでゆく。
この、一人では生きてゆけない、「か弱き」者たちも、全てこんな感じで、助け合っている存在であった。
進駐軍の乱暴狼藉…ひき逃げ、暴行、窃盗や強姦なども頻繁には起こっていたが、被害者は全て泣き寝入りを余儀なくされていた。
この街で、「ある事件」が、ささやかに起こり始めたのは、そんな頃の出来事だった。
被害に遭うのは、「一人で」行動していた進駐軍兵士だった。
複数名で行動していても、被害に遭うのは、必ず「一人」になる、ほんのわずかな隙を狙う、一瞬の出来事だった。
眠るなり、泥酔するなり…
そういう油断をする者が、特に被害に遭いやすかった。
被害者は、必ず、気がついたときには、はるか遠くの街やら線路沿いやらに転がされている。
服装も、失踪直後のままだし、現金や所持品が抜かれている形跡もない。
彼らは皆一様に、「気が付いたらここにいた」と言うばかりである。
そして…
彼らの輸精管は、全て「断ち切られて」いた。
大多数の者は、家畜にやるのと同じ手口で、睾丸の付け根にひもをくくりつけて、力任せに引っ張ることでくびり切る手口だったが、陰嚢の裏に、小さなテープが貼られている者もいる。
そういう場合は、かみそりで小さな切れ目を入れて輸精管を引っ張り出し、切り取られていた。
いずれにせよ、輸精管を元通りにつなぎ合わせるのは不可能…
すなわち、彼らは全て子供が望めない体にされていた。
進駐軍憲兵隊は、ただちに捜査を開始した。
だが、彼らの体には、物的証拠が何も残されていない。
彼らが最後に目撃された酒場や売春宿の店主も「一人で出て行ったのを見た」というばかりで、実際、彼らにも犯行の実行者だという証拠が全くなく、まさに雲をつかむかの如し有様であった。
実行犯が一人なのか、複数名なのか。
果たして、協力者がいるのかいないのか。
それさえも、全く不明だった。
「おいゴラ!おぎろこのバガっこの白豚!!」
進駐軍兵士のネルソン一等兵は、そんな声で目を覚ました。
…確かに、自分は娼婦のアパートで一緒に眠っていたはずなのに。
手や足を動かそうとしても、全く動かない。
なんと、全裸にされて、診療台と思しき所に、手足をくくりつけられていた。
「おらっちの英語、おめえにちゃんと通じてるっぺが?」
声の主は、10代前半と思しき少女だった。
それにしても、なんというひどい言葉づかいだろうか。
化粧をしていても判る、整った顔立ちや体格からして、教養さえうかがわせるのに。
ネルソンは、思わずわが耳と目を疑った。
「わがんのがわがんねえのが、とっとと返事くらいしやがれこのバガ!!」
少女が、苛立った口調で叫んだ。
「わ…判るけど、君の言葉づかいは一体…」
少女は、ネルソンを見下ろしながら言った。
「おらっちの言葉づけえ、そんなに変が?…まあ、しゃあねえわ。おらっちの英語教室は布団の上だあ。何人もの白豚黒豚のを、耳で聞いで覚えただけっけさ、変に聞ごえでもすかたねえやんけ。まあ、どんなに変でも、通じてりゃあどってごたあねえ。おらっち、アメリカで暮らすわけじゃあねえっぺよお。」
少女は、スラング混じりのひどい男言葉だ。
その上、いくつかの地方の方言まで、ごちゃ混ぜになっている。
「ユリコは…?ユリコはどうした?」
「あ、ユリッペのことがあ?おめえがぐっすり眠ったとごろで、おらたぢを手引きしだあ。おめ、ユリッペにずいぶん熱ぅあげでだみでだなあ。ユリッペとけっごんすんだあ、とが言ってえ。ユリッペがおらっちによーく言っでただあ。んだば残念だなや。ユリッペはおらにおめのごと、売りやがったべ!!」
ネルソンの顔から、血の気が引いてゆく。
「お察しの通りだあ。おらたぢの仲間が、球くびり事件の犯人だ。おらあ、おめえのチンボとキンタマが、にくぐってにくぐって堪んねえでよ。おらっちもユリッペも、娼婦なんかじゃながったあ。空襲でとっどおとかっがあと、兄ちゃんと妹が死ぬまで、おら、女学校に通って、学校の先生になるのが夢だったあ。ユリッペだってそうだあ。二人とも、同じ学校の同級生だあ。ところが、街が焼げで、おめだづがどやどややってぎでなあ。おらっちとユリッペのこどお、犯し腐ったんだなや。まだ、13歳だってのによお。おらっちの肘から先ぐれえあるでけえチンボぉ、無理やりねじ込みやがっで、血まみれになっていだぐっていだぐって、何べんも止めてけれって頼んでも、おめだづのながまは、ニヤニヤ笑って、何べんも何べんも、交代ごうたいでおめこしくさりやがっだあ。」
「で、でも…僕は強姦なんかしていない!ユリコが僕の初恋の…!!」
喚くネルソンを無視した少女は、彼のペニスを握りしめる。
そして、その付け根を、輪ゴムで硬く結わえ上げた。
「そったらこたあどうでもええだ。進駐軍の兵士がおらたぢと無理やりおめこしたって現実しか、おらあ見てねえ。…おらたぢ、結局泣き寝入りよお。あいつらが、娼婦とのトラブルだって抜かしやがったせえでな。バガこくでね。おらたぢ、娼婦なんかじゃながっただあ。だいいち、13歳の娼婦がいるがってんだよ。街い歩いてるだけで、なしてそったら目えにあわにゃなんねえだよ。」
ネルソンが、小さなうめき声をあげた。
「おらに突っ込まれたチンボも、こんくれえのでかさだったなあ。」
少女が、怒張したペニスの尿口に、ドライバーをねじ込んだのだ。
「今初めて教えてやるよ。…ユリッペな。子供産めねえ体なんだあ。犯された時、子宮が破裂しちまってよお。そったら目えに遭わされた上に娼婦呼ばわりがあ?馬鹿にすんのもええ加減にせえや、この犬畜生が。」
「あががががが…がぁ!!」
少女は、ねじ込んだドライバーをぐりぐりと回転させ、尿口から血があふれる。
「おらっちが、なんでこったらこどおベラベラくっちゃべってっかわがっか?…もう、球くびり事件を終わらせるからだあ。まさか憲兵隊も、犯人が女や子供だとは思ってねっが、なんか周りがきな臭くなってきだからなあ。今日が総仕上げだあ。おめえに、おらたぢの仲間あ、紹介してやるよ!」
少女は、ドアの方を向くと、日本語で声をかける。
『みんな、入ってらっしゃいな。』
ネルソンには言葉の意味は判らないが、英語の時とは全く口調が違っていた。
『遥子、ありがとう。代わって頂戴ね。』
先頭を切って入って来たのは、ユリコだった。
そのあとに続いて、5歳から10歳くらいまでの少年が三人、少女が二人入ってきた。
皆、手にメスを握っている。
少女…遥子が一歩引くと、ユリコが、尿道からドライバーを引き抜いた。
その片手には、メスが握られている。
ユリコが、それを使って、手足を縛っているロープを切ってくれるかもしれない。
ネルソンは、そう思ってほっとしたが、それはつかの間の出来事だった。
ユリコは、次の刹那には、ネルソンの尿口に、メスを突き立てていた。
尿口に、再び血の球が膨れ上がる。
ネルソンは、耐え難い激痛に一層甲高い悲鳴を上げるが、ユリコは、噴き出す鮮血を見ても躊躇することなく、彼の亀頭を下に斬り裂いてゆく。
「あなたをだますのって、結構簡単だったよ。純情ぶっておとなしくしてるだけで、ころっとだまされて油断しちゃって。軍の方から言われてなかったっけ。単独行動は慎むようにって。」
メスの持ち手が、一番大きな少年に代わる。
彼も、躊躇することなく、両手を鮮血で染めながら、ネルソンのペニスを縦に切り裂いてゆく。
「この子はね。学校の授業中に、空襲で校舎ごと吹っ飛ばされたの。この子は助かったけど、他の子たちは爆発で即死しちゃって。…この子以外の生き残った子なんかねえ。グラマンが機銃で撃ち殺しちゃったのよ。楽しかったのかしらね。兵士じゃない、丸腰の子供を追いかけまわして撃って撃って。やっとの思いで家に帰ってみたら、とっくに焼け落ちていて、お父さんが死んで。お母さんも妹も、ひどい大火傷で、戦争が終わってちょっとしてから死んだの。あなたたちのお友達は、すぐにリメンバーパールハーバーって言うじゃない。この子たちが奇襲をしたの?この子たちに、大の男で大人のあなたたちが殺せるの?第一、その前からの空襲だけでも、とっくにその数以上の日本人を殺してるのに、まだご不満なわけ?あなた達一人に、日本人100人で釣り合いがとれるのかしら。」
メスの持ち手の少年が、二人目へと変わるころには、ネルソンは既に、声を出す気力さえなくなっていた。
「この子のお父さんも、空襲で死んだの。お母さんはね。せっかく戦争を生き延びたのに、進駐軍にジープで追いかけまわされて轢き殺されたのよ。お母さんのおなかの中にはね。この子の弟がいたの。…お母さんの死体のおなかが裂けて、赤ちゃんが飛び出したんだって。この子、7歳かそこらで、それを一部始終見てたんだから。」
二人目の少年のメスが、ペニスの付け根に達した頃、ネルソンのペニスは、まるでアケビのようにばっくりと開いてしまった。
ユリコは、後ろを振り向き、声をかける。
『さあ、三人とも。こちらへいらっしゃいな。』
姉妹と、その末の弟にあたる、5歳の幼児が歩み寄って来た。
「この子たちのお母さんはね。ついこの間赤ちゃんを産んだばかりだったの。なのに、病院に押し掛けてきた進駐軍の兵士たちに強姦されて、やっぱり殺されちゃったの。…それからすぐに、お父さんも病気で死んじゃったから、この子たち、もうだーれも身寄りがないのよ。」
姉妹が、陰嚢の下の方の皮膚を、ちょっぴり切り取った。
弟が、袋をぎゅっとしごくように絞ったとき、ネルソンの下っ腹を激痛が見舞う。
彼の二つの睾丸は、つるん、つるん、と袋の中から絞り出されてしまった。
「生まれたばかりの赤ちゃんは、お母さんの目の前で、床に叩きつけられて殺されちゃったのよ。そしてね…」
ユリコが、片方の輸精管にメスを当てて続けた。
「その病院っていうのが、今は廃院になった、ここだったの。あなたの腕の中で、何度も何度も囁いた、愛してるって言葉。…あれ、真っ赤なウソ。こんな小さな子たちから、戦争が終わってからも親を奪った連中と同類のあんたなんか、愛してるわけないじゃないの。」
輸精管は、あっさり断ち切られてしまった。
絶え間ない激痛に、白目をむいて失神したネルソンへの責めは、まだ終わらない。
「眠るでね!バガっこ!!」
遥子の往復ビンタがさく裂する。
「廃病院の中には、メスやらエーテルやらもごまんとあっでなあ。ついでに、死体搬送用の自動車なんがもあるんだあ。エーテルでぐっすり眠らされてタマあくびり切られだ奴は、みーんなその車で適当なところに捨てたんだあ。娼婦だぢはみーんな、おらっちらに協力してくれたぞ。娼婦になっだきっかけは、おらたちと似たようなもんだがらなあ。どうせ犯されて汚れた身体だ、毒食らわば皿までって思っで自棄食って娼婦になってんだ。おめたづのこど、恨んで憎んで抱がれてるやつはいても、好きで抱がれるバガあ、ほどんどいねだあ。ここに居ねえみなしご達も、みーんなおらっちの協力者だあ。」
遥子は、切り離した睾丸を、ネルソンの鼻っ面で、ぶらぶらと揺らして見せた。
「ほーら見でみい。おめの大事なキンタマだあ。まるで鶏の卵だなや。おら、英語がわがんねえふりしで、おめえらの仲間に抱がれんの、すっげえ面白がったぞお。日本人は全て戦争加害者だ、罪のねえもんなんざあひどりもいね。負げだんなら何されても文句ぅ抜かすなって。そう抜かしくざってたぞお。だがらか?もう戦争が終わっでんのに、おらたぢは無理やりおめこされて娼婦になっで、この子らは親なしにならねばなんねがったがあ?ほいとみてえに、菓子をねだらなきゃなんねえがあ?兵士同士で戦った借りを、兵士じゃなぐでおらたぢに返すのがあ?おめたづ、粋がってても、弱い相手にしか強気に出られねえイモ引き野郎だなや。…だがらな。おらたぢ、おめたぢにその言葉あ、そっくりそのまんまおがえしさせでもらうごどにした。だがら、おめがこんな目えに遭うんだあ。」
遥子は、言い終わると、ネルソンの睾丸を床にぽとりと落とした。
そして、靴で踏みつけられ、平たく潰れたそれの白い皮は、ぱちん、とはじけてオレンジ色の造精細胞が飛び散った。
「ついでに言っとくげどな。この街のもんもみーんなグルだあ。殺すわげでもねえしなあ。おらたぢに協力しで、口裏合わせて証拠もきれいに消しでくれっぺよ。」
双眸に絶望の色を宿したネルソンを、さらなる激痛が見舞う。
例の三人兄弟が、彼のもう一つの睾丸のど真ん中にメスを突き立てたのだ。
そして三人は、そのまま、彼の睾丸を切り刻み始めた。
それを見ながら、遥子は続けた。
「弱い者に嬲り者にされる気分はどうだ?あぁバガっこ。最初に言っだよなあ。これで、おらたぢの球くびり事件はおしめえだって。だがら、最後の総仕上げに、おめを殺すごどにしたんだあ。おめえらが、誰でもえっがら、日本人を面白半分に殺すってんなら、おらたぢも誰でもえっがら、殺す。ただそんだけだあ。弱えもんでも、人の一人は殺せんだぞ。まあ、こんだけ血が出たんだ。ほっといても死ぬげどな。」
遥子の最期の言葉は、口から泡を吹き、全身を、びくん、びくん、と痙攣させているネルソンの耳には届いていない。
もう一つの方の睾丸がミンチ肉になるころには、彼の意識は、大量の出血と、激痛によるショックで失われていた。
全身の血をぬぐった濡れタオルと、ネルソンの死体。
それから脱ぎ捨てた血染めの衣類を残した廃病院は、夜の闇を紅蓮の炎に染めて燃え盛る。
遥子とユリコ、それから五人の子供たちは、あらかじめ用意されていた服に着替えると、ユリコの兄、武が手配した車に乗って、現場を後にした。
これから、子供たちは、全員ばらばらの街に、遠く離れて暮らすことになる。
行き着くことになる、はるか彼方の街には、特攻上がりである武の友人たちが、新たな住まいと名前、そして戸籍を用意して待っている。
「過去は忘れること、行き着いた先では、みんな普通の子供に戻って勉強を続けること。そして、共に暮らさざるを得ない年頃の三兄弟以外は、全員、二度と連絡を取り合わないこと」
武は、全員にそう伝えた。
実は、この事件の最初から、逃亡、そして新たな暮らしの場までの絵図を描いたのは、今はヤクザに落ちぶれてしまった、武であった。
ユリコは、それを知って、武に頼み込んだ。
「私たち、女や子供の方が相手も油断するから、私たちにやらせてほしい」と。
夜の闇を走る車の中で、遥子は、武の最後の言葉を思い出していた。
「俺は、昔、お前たちを守り切れなかった。だから、今度こそは全力で守る。どうせ死にそこなった身だ、後のことは心配するな。全部俺に任せておけ」
武は、確かにそう言った。
何をどう任せておけというのかということについて、武は、最後まで口にしようとはしなかった。
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14日深夜から翌未明にかけて発生した、市立中崎病院跡の火災現場の実況検分において、男性と思われる焼死体が発見された事件で、進駐軍憲兵隊は、出頭してきた鹿野山武(24)を、殺人及び放火の疑いで逮捕した。
焼死体は、同日から行方不明になっている、リチャード・ネルソン一等兵ではないかとみられているが、損傷が激しいために詳しい身元や死因等は現在のところ調査中。
鹿野山は、「売春婦の代金がらみのトラブルである」と供述しているが、全焼した火災現場は、ネルソン一等兵と思われる焼死体を中心にしてかなり大量のガソリンをまいた形跡があるため、憲兵隊は、かなり悪質な事件として調べを進めている。
(大都新聞・昭和23年4月16日付朝刊より)
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投稿:2011.12.22更新:2011.12.27
か弱き刃
著者 真ん中 様 / アクセス 12207 / ♥ 2