その日、ヌマタケイイチは、一人で自宅にいた。
妻子は、遊園地へと出かけて行ったが、たまの休みので「面倒くさい」という理由で、一人家に残ることにしたのだ。
「ヌマタさん、いらっしゃいますか?」
玄関から、高くてちょっと鼻にかかった、舌足らずな感じの若い女性の声がしたのはその時だった。
一体なんだろうか。
一瞬そう思った。
「ヌマタさん。クリーンモップサービスからやって参りました、タケウチミユキと申します。ダスターの交換に来ました。ヌマタさん。」
(ダスターだと…?留美子の奴、余計なサービスを頼みおって…!!)
ケイイチは、ソファから立ち上がった。
クリーンモップサービスなど、俺が今すぐこの場で怒鳴りつけて断ってやろう。
ガキみたいな声だから、脅せば何とかなるだろうし。
そして、留美子の奴もこっぴどく叱っておかないとな。
そう思いながら、廊下を歩き、玄関のドアを開けた…
そこで、ケイイチの記憶は、ぷっつりと途絶えた。
「苫貫商事営業3課課長、ヌマタケイイチ…間違いなくあなた様でいらっしゃいますね。」
ケイイチが意識を取り戻した場所は、事務机が一つあるだけの、狭く薄暗い一室だ。
目の前には、分厚い資料の束を手にした人の姿らしきものが見えた。
声は、意識を取り戻す前に聞いた、クリーンモップサービスの者と同じだった。
目が慣れてきた頃に判別できた声の主は…
20歳くらいの小柄な女性だった。
伸ばした髪は、ピンク色のバレッタを使って後頭部でまとめられ、裾と袖口を折り返した男物の青いつなぎの服を着ている。
幼さの残る丸顔で、ピンクゴールドの細い縁の眼鏡の奥には、猫のような丸い目が、眼光鋭く輝いていた。
ケイイチは、体を動かそうとしたが、全く動かない。
よく見ると、椅子に後ろ手に縛られ、両足も足首で縛られていた。
しかも、トランクス一つの裸にされている。
「お前は一体…」
ケイイチの問いに、女性…ミユキは、抑揚を抑えた、感情のこもっていない事務的な口調で返す。
「一体って…クリーンモップサービスと申し上げたはずですよね。清掃業ですよ。」
「だからなぜ、俺がここでこうしてるのかと…!!」
「だから、当社がクリーンモップサービスだからですよ。」
ケイイチには、ミユキの言っていることの意味が全く判らなかった。
「清掃業というのは、街の汚れをきれいにする仕事です。幼稚園児だって知ってますよ。」
ミユキとケイイチの会話は、全くかみ合わない。
「第一、クリーンモップサービスなんて社名、今まで聞いたことも…!!」
そうだ。そうだった。
今まで、ダストクリーン、リースモップといった社名は聞いたことがあっても、クリーンモップサービスなんて社名は聞いたことがない。
若い女性の声だったのでうっかりドアを開けてしまったが、こいつ、一体何者なんだ…?
「そうですよね。聞いたことがなくて当然です。私どもは、全くのボランティアとして誰からの報酬も依頼も受けずに社会奉仕する善意の個人の集団ですから。」
ミユキは、資料の束を机の上に置き、言葉を続ける。
「町を汚すゴミは、たとえ誰が捨てた物であっても、どんなに小さな物であっても拾ってゴミ箱に捨てる。それが、善意と良識のある人間の当然の義務ですし。」
ミユキが、改めてケイイチの眼を見据えてきた。
「社会にはいろいろなゴミがありますよね。詐欺師に暴走族にギャング。未成年だからと軽い刑で出所した凶悪犯罪人といった、この社会において全く不必要な人間。…ヌマタさん、特に、この当時未成年だった人、どうなってるかご存知です?いつ出所した、今どこそこにいる、いやあそこにいると、時々話題に上っている。」
ケイイチはかぶりを振る。
「彼ら彼女ら…みんな、私たちによって処分されてるんですよ。ゴミはゴミ箱に捨てなくっちゃね。」
「だ…だからなぜ俺がここに」
ケイイチの言葉をさえぎって、ミユキは言った。
「あなた様も処分する必要があるからですよ。あなた様は、パワハラの常習犯でいらっしゃるでしょう?どれだけ多くの部下や同僚を踏みにじって出世なさって来られたんです?今までは、いつ反省するかと思って監視を続けていたんですが、反省の色が全く見られないままで増長し続けたので、処分を断行することにしたわけです。」
ドアが開き、スーツ姿の青年がワゴンを押して入って来た。
そこには、大きなグラス一杯に並々注がれた真っ黒な液体と、注射器がトレイに乗せられている。
「私どもは、処分の方法を処分される側に選んでいただくことにしています。御自分で選ぶのがお厭とあらば、私どもの方で処分法を決定いたします。その際は、問答無用でそれを受け入れていただきますので。」
ミユキが、グラスをケイイチに突きつける。
「この中身は…毛染め液です。これを一気に飲んでいただくか、この注射器で点眼する。その上で静脈に注射する。いずれかを選んでいただきます。」
「だ…だからなぜそんなことをしないといけないんだ!?毛染め液なんぞ飲んだり注射したり点眼したりしたら…」
死ぬぞ!?と言いかけるケイイチをさえぎって、ミユキは言った。
「あなた様の会社の新入社員。そう、佐久間紘太さん。あなた…彼に、髪の毛を染めて来いとおっしゃいましたよね。まっ黒にしないと首だって、脅されましたよね。」
「言ったぞ、確かに言った。でもそれはあいつを思って…」
「佐久間さん、生まれつきの持病だと、履歴書に書いてありましたよね。先天性色素欠乏症だって。だから金に近い栗毛だと。あなたの行いは、重大かつ深刻な人権蹂躙ですよ。いいですか?色素欠乏症ということは、生まれつき、体も、皮膚も、髪の毛も人より弱いということですよ?あなた、いい歳をなさって、そんなこといちいち言われないと理解できないほど愚かでいらっしゃるんですか?」
ケイイチは、次の瞬間、盛大な悲鳴を上げた。
ミユキの靴底が、彼の股間に蹴り込まれていたからだ。
ミユキは、ケイイチの睾丸を靴のかかとでぐりぐりと踏みつけた。
「普通の人だって、毛染め剤でかぶれる人やただれる人がいるんです。アレルギーでショックを起こして卒倒する人だっているんですよ。ましてや持病のある佐久間さんだと…常に黒く染め続けることによって、髪も体も、ボロボロに痛めつけるんです。目だって弱いから、薬液が入ると取り返しがつかない事態をも招きかねないんです。飲むと死ぬか、死ななくても苦しんだり後遺症が残ったり、点眼すると失明する危険がある液を使って。普通の人の…倍か、それ以上の強さでね!!」
「だ、…だが、営業社員である以上、髪は黒くなければならない。染めるのが嫌なら、染めない会社を選べば…ぐぎゃ!!」
ミユキは、ケイイチの睾丸をさらに力を込めて踏みつけた。
「あなた様が何をお考えになっていらっしゃるかは私どもは存じません。…ですが、あなた様が許しがたいほどの人間のクズだという、そのことだけは良く判りますよ。」
「な…なぜだ!?」
「今は、右から左に、仕事を選べるようなご時世ですか?佐久間さんの様な方は、常に、体に負担をかけることを強いられ続けなければならないのですか?その為に、人生における選択の幅を狭められなければならないと…あなた様は、佐久間さんの持病について学ぶ気もなければ、佐久間さんの様な方に付けられるクレームから、上司として男として、人として佐久間さんを庇うこともしたくない。面倒くさい。だから、佐久間さんに対しても、それが毒杯だと十二分に承知の上であおれなどと恥知らずなことを言えるのです。苦しむのも命を縮めるのもご自分ではありませんし、全てを佐久間さんの自己責任へと転嫁すればよいとお考えの上のことでしょうからね。全く以て、この社会において全く不必要な、許し難い人間のクズだという証左ではありませんか。…さあ、あなたも上司として今まで踏みにじり、傷つけてきた多くの方の分まで毒杯をあおりなさい。」
「…い、嫌だあ!!」
絶叫したケイイチを見て、ミユキは、やれやれ、といった表情で足を離した。
「…呆れた駄々っ子ですね。ならば、処分法は私どもの方で決定させていただきます。命はいただきません。」
ケイイチは、ほっとした表情で言った。
「な…ならば、帰してくれるのか!?」
ミユキは、小さな丸い鼻で、ふっと笑って返した。
「あのですねえ。…最初から、処分と申し上げておりますでしょう?自分で死という処分方法を選ぶか、私どもで決定した、生き地獄という処分方法を選ぶかのどちらかしか選ぶ道はないんですよ。もう、あなた様は元の世界には帰れないんです。会社にも、自宅にも。ですから、当方の素性を前以てお伝えしたわけでして。」
「お、俺には妻と子が…!!」
「私どもで、あなた様の調査をしてまいりましたわけですが、あなた様がおられない方が、奥様も、お子様もお喜びになられるんじゃないんでしょうか。部下への態度同様、奥様にもお子様にも、暴力や暴言も含めて随分酷く当たり散らしていらっしゃったようですし。あなた様にとって、弱者とはすべからく踏みにじるか鬱憤をぶつけるか、さもなくば利用するかと言った存在とお考えの様ですね。…そういった面も全て熟慮の上で、私どもは、あなた様を処分すべきだと判断したんです。」
ミユキは、事務机の引き出しから、裁ちばさみを取り出す。
そして、ケイイチのトランクスを切り裂いていった。
…ケイイチの男性器は、哀れに縮みあがって、茂みに埋もれている。
睾丸は標準サイズだが、ペニスの方は親指サイズだ。
しかも、包茎だった。
「ひぎゃあ!やめてくれえ!!」
ミユキが手にしている物は、どう見ても爆竹だった。
ミユキがその包皮を剥き、恥垢まみれの亀頭を露出させる。
生臭い悪臭が立ち込めた。
「いだだだだ…いだあ!!」
その中でも、特別に大きな一本は尿道に差し込まれ、残りの物は、ペニスに20本の束、左右の睾丸に合計40本の束、といった按配に、全体を包み込む形で粘着テープで固定されてゆく。
「差し込んだのは、2B弾って呼ばれてるんですよ…ご存知ですか?」
ケイイチは、かぶりを振った。
「そりゃそうですよねえ。日本では、あなた様が生まれる前に製造中止されてますけど、闇で作ってるお方がいらっしゃるんですよ。昔の子供は、これを蛙のお尻から入れて火をつけたりしてたとか。…この爆竹の方も、中国で違法製造された物ですから、火をつけると一体どんなことになりますでしょうねえ。」
「お…お願いだ!それだけはやめてくれ!!」
「どこまで頭が悪くていらっしゃられるんですか?問答無用で処分法を受け入れていただくと申し上げたはずですよ?」
ヘッドフォンを装着し、ライターを手にしたミユキに、ケイイチは言う。
「最後に教えてくれ…!!お前ら、一体だれの差し金だ!?俺に何の恨みがある!!」
「私どもの仲間と、その身の回りには、誰ひとりあなた様の知ってるお方はいませんよ。そもそも、私のタケウチミユキという名前自体、偽名ですし。私どもは、最初に申し上げた通り、善意の個人の集団なんです。私の身の回りにも、持病やぜんそくの子が何人かいるんですけど、その子たちが社会に出た時、あなた様の様な無知無理解無責任の上司に出くわして、命を削る様な事を強いられたらと考えただけでも、ぞっとしますもの。あと、この件は、奥様も、あなた様の会社の方も…当然、佐久間様も全く存じてはおりませんし、預かり知らぬところで行われていることなんです。拉致と処分は、必ず個人とは全くの無関係の第三者が実行するというのが、当方のルールですから。」
ライターで導火線に火をつけた時のミユキの言葉が、ケイイチが再び意識を失う前に聞いた最後の言葉だった。
「あなた様は、ご自分で処分法をお選びにならなかったことを、きっと後悔なさるでしょうねえ。あの時、毒杯をあおって死を選べば良かった、死んでおいた方がよかったと。…まあ、私どもに処分された方は皆、結果として、私どもの決定した、生き地獄という処分法にご自分の身を委ねることになるわけですが。」
…ケイイチの絶叫は、耳をつんざくばかりの爆音にかき消された。
全てが終わった時、爆竹の破片と硝煙の漂う部屋の中で失神したケイイチの体全体には、粉微塵と化した血と肉、それから造精細胞と精液の飛沫が、赤白オレンジとだんだら模様になって飛び散り、男性器は、跡形もなく消し飛んでいた。
「…そう。処分は完了したのね。御苦労さま。ヌマタケイイチの妻子の方は大丈夫。転居させて、自宅を売却した資金はもちろん生命保険も満額支払われるように持ってゆくから。ヌマタの直属の上司も、閑職に左遷させます。部下の暴走を止められなかったのですから。ヌマタとその上司の跡には、海外勤務経験もある外資系の方を回します。ヌマタは…当然、シロアリに。」
ミユキからの報告を受けた、「善意の個人の集団」の元締めの女性…大加崎美佐子は、そう返して電話を切った。
「シロアリの平均寿命は3年…長くて5年、短くて半年だけど、このシロアリは、一体どれくらい持つかしら…ねえ。」
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投稿:2012.03.26更新:2012.03.26
クリーンモップサービス
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