昔のニューハーフ雑誌から
Shemale白書vol.6(1993年12月発売)
読者の投稿が記事になったもの
投稿者/東京都・ゆうさん
私は美容学校に通っている16歳ですが、実は中学3年の夏休みに睾丸の去勢を済ませ、中学校の卒業と同時に女としての生活に入りました。
私の家は板橋区で美容院を経営しており、両親、祖母、姉、私、それに従業員の女性3人という構成で、女一色に染まっていました。そんな中で私は物心ついた時から女っぽいカッコウが好きな子で、学校へは一応ズボンをはいて行きましたが、家の中ではずうっとスカートで過ごし、下着や上着もほとんどが姉と共同の女モノでした。また、入浴も姉や従業員の人と一緒で、従業員の人たちがカミソリで脇毛やショーツからはみ出る部分の陰毛を剃っているのを見て育ち、中学生になってからは自分も脇毛や陰毛を剃り始め、それが当たり前と思っていて、中学一年のスキー教室で、同級生と風呂に入った時、いつもどうりカミソリでワキ毛や陰毛を剃り始め、笑われたことがありました。
小学校5年の時、フジテレビの『笑っていいとも』でミスターレディのことを初めて知りました。また、その頃から、お店に置いてある女性週刊誌に時々でるニューハーフの特集に興味を持ち始め、段々とミスターレディになりたい願望が高まっていきました。
中学生になって体毛が生え出し、初めは姉たちのようにワキ毛と陰毛だけを剃っていたのですが、中学2年生の頃から足のスネ毛が濃くなり、毎日入浴の時に足の毛を剃らなくてはならなくなり、とうとうたまらなくなって、親に早く手術で睾丸とオチンチンを取ってしまいたいという気持ちを話しました。
今まで家の中で女の格好をしていたことを親は注意したこともなく、また小学生の頃は積極的に女の子の服を買って着せていたことも事実で、それがずうっと中学生になっても続いてきただけのこともあり、私が去勢手術の事を口にしても、親は驚きもしませんでした。しかし将来のことだけはとても心配し、ゲイバーやセックスする仕事にだけは絶対についてはダメだ、と強く言いました。私は去勢のためというのではなく、ずっと前から高校へは行かないで、中学校の卒業と同時に美容師になる決心をしていたので、そのことを話し、了解してもらいました。
それから数日後、母と一緒に病院に行き、女性ホルモンの注射を打ち始め、半年もしないうちにお乳が女性のように膨らみ、全身が丸っぽくなりました。
学校の先生には母が「息子は病気なんです」という話をしてくれ、私も同級生にお乳の膨らみのことを効かれると、そう答えました。
そして中学3年の夏休みに入ってすぐ、睾丸の去勢をしました。手術自体は時間にして10分もかからなかったんじゃないかと思います。ただ痛みだけは残り、完全に消えるまでに一週間ぐらいかかりました。女性ホルモンを始めてから、スネ毛やヒゲは多少薄くなったように思いましたが、相変わらず生えていました。しかし、睾丸の去勢をして数ヵ月後には、ほとんど毛は目立たなくなりました。
美容学校には中学3年の11月に推薦で合格しましたが、前もって親から、私の体が病気で女性のようになっていることは、美容学校には伝えておきました。
美容学校では先生も周りの人も、みんな私が男であるということは知っていますが、日常の生活はトイレも含めて完全に女として過ごしています。
近所の人のいやがらせや差別、学校でのからかいや冷やかしなど、頭にくることは数かぎりなくあります。けれども女として生きていることの幸せの方がずっと大きいので、そんなこと気にしません。今後の課題としてオチンチンの処理があります。この手術は日本では無理だと聞いています。じっくりと計画を立てて、20歳までには実行したいと思います。
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投稿:2012.06.18更新:2012.06.18
昔のニューハーフ雑誌の読者投稿から その1 ゆうさん
著者 もわぁ 様 / アクセス 14605 / ♥ 3