宮崎豊は農家の三男坊として生まれ、中学卒業後国立高専へ進学した。20歳で卒業後大手電機メーカーに就職するも社風と会わず1年足らずで退職し看護学校へと入学する。24歳で卒業し地域の病院へ就職した。就職後病棟へ配属されるも男友達もいず寂しい日常を送っていた。就職3か月後同じ職場の優しい先輩(森田千代、35歳准看)と出会い、次第に深い中へと陥り、性的経験のない豊にとっては相手の思うつぼにはまり妊娠させてしまう羽目と陥ってしまう。そして結婚を迫られるも逃げ切れず、10月に結婚する。その後男児出産後も性的関係を持つことを好まない千代に対する愛情も持てず、若い同僚と付き合うようになった。 そして彼女の同僚よりの密報により千代の知るところとなった。千代は立腹し彼女の友人2人と共に攻めたて、今後一切浮気をしない事、もしも同様なことが起これば去勢も含めて考えるようにと約束をさせられてしまう。 その後2子誕生、そして28歳の時に3子誕生した。しかし性的関係に興味を示さない千代には耐えきれず再度幼馴染の女性と密会をする事となってしまった。
そしてその年の8月下腹部痛にて受診 結核性睾丸炎と診断され、化学療法を行うも疼痛違和感はとれず、症状緩和目的で去勢を勧められ、千代ともども受診することとなった。そしてしぶしぶ去勢を承諾した。しかし相手を妊娠させる危険性が無くなることより更なる浮気を警戒し、千代は携帯等調べ女性との密会をみつけられてしまう。その後千代は友人たち人と相談し、浮気できない体にしてしまうことで合意、陰茎切除も含めて彼女の友人姉の勤めている形成クリニックの看護婦の助言により その夜豊とその三人の協議が持たれた。
そして再度千代の友人3人およびその友人の姉(形成外科クリニックに勤務の看護婦)と話し合い 今後浮気封じのためにも陰茎切除も含めて受けるようにと勧められ、去勢されてしまうなら陰茎も同時切除をしたらと言われた。性交渉を嫌う妻と、今後も子供を作ることを望まない夫婦、そして二度と浮気が出来ないようにするとの考えのもと 陰茎一部切除に応じぜざるを得なくなった。 決まれば早い方がよい、気が変わらないうちにとそのクリニックの白紙承諾書にサインさせられ、翌日友人の姉の勤めるクリニックを受診した。担当医と面談術検査は前病院の結果をコピーして持ち出してきておりさっそく手術の準備をしますとの事で準備室に案内され妻とも話、もう今後子供を作ることもないし、千代は性交渉は希望せず、浮気をしないなら陰茎もいらないだろうと念を押された。 そして手術室へそこには友人の姉の看護婦がいて手際よく医師が腰椎麻酔等を済ませた。そして医師が手洗いしている間に両睾丸切除を行い全陰茎切除後 尿道孔を会陰部に移設する旨説明された。全切除など聞いてないそれでは立位排尿が出来なくなるではと反論したが、妻もそう希望しているしと押し切られた。
術終了後妻はそのうち慣れてくると慰めてくれました。又夫婦とも希望しない性的交渉をしないなら睾丸陰茎はいらないではないかと・・・又勃起可能な陰茎が残存していればいつまでも未練が残るのではと思い今回の手術をお願いしておいたとの事で 唖然としました。バルーンカテーテルを抜去後排尿時外陰部を見て驚きましたが、あきらめの一字です。帰宅後妻に今後も二人で子供を育てていこう、陰茎睾丸とってもなんら困ることは無い・・我々は無いのだからと慰められた。
只術後4-5日めより性ホルモン脱落症状としてのほてり、眩暈、倦怠感、等が出現、男性ホルモン投与を希望するも性欲出現を嫌う妻はそれを認めずり現在卵胞ホルモンの飲用をさせられています。 しかしよく考えてみると子供が出来た後は性交渉を好まないのなら我々のような生き方もあっても良いように思われますが。
術後職場に復帰するも 排尿での不便を感じるも時の経過とともに同僚にも徐々に女性として扱われるようになり、職員用女子便所の利用が認められ 職場にもなじみ平和な日々を送っています。術後6か月ごろより病院当局より現在1人しかいない男性看護師はケーシースタイルの服を着ているが医師と紛らわしいので看護婦同様の制服(スカート)を着用してはと勧められました。 当面は手術場勤務をしていましたが1年後には卵胞ホルモン投与を受けていることより乳房もふくらみだし仕方なく上司からのオカマ看護婦などどこでも雇ってくれないし諦めるようにと言われ勤務中は看護婦の制服を着用して病棟勤務しています。
術後3か月もすれば性欲も無くなり、異性への興味も薄れ問題は無い様です。 ただ言えることは出来れば性的経験を持つ前に、言い換えれば過去の忘れがたい快感を味わう前に去勢されるべきであったと感じています(童貞で結婚し6年間でほとんど千代の命令により5回の妊娠可能時を選んでの性交渉が持たれ3人の子供を残しての最初にして最後の喜びでした)。
又今後子供が成長してきたときパパは病気で性器の切除を受けたのだと説明した時どう理解してくれるか心配です。上の子が小学校に上がる時期となってきましたが 現在この様な体になってしまったことをそう後悔はしていません。 現在はただ二人で平穏に子供を育て二人で仲良く一生を送れれば幸いと思っています。
-
投稿:2012.08.17更新:2012.08.20
止むにやまれぬ結果として
著者 幸福な豊 様 / アクセス 17743 / ♥ 1