無人島に流れ着いてもう一ヶ月。残る食料もわずかになり、助けが来る望みも日に日に少なくなっていくのが理解できた。
リーダーシップを取っていたはずの船長の目は濁り、生き残り達の心に破綻が訪れるのも、遠い未来の話ではないと肌で感じ取れた。
船長以下五人の男達が、この狭い船の中にいる。誰も一歩外へ出ようともしない。外にある誘惑に勝てるとは思えないからだ。だからこの狭い空間の中で、ずっとお互いの顔を見ながら過ごしている。それだけで気が狂いそうだった。
船長が、食事当番を呼び、今日の食事は少し量を減らせ、と命令した。それを聞いて、グゥと大きな腹の音が、部下の男達の中の誰かから、もしかすると全員から聞こえたが、みな気まずそうに恥ずかしがるばかりで、異議を唱えはしなかった。
誰もが倉庫の中の様子を知っていたから、ゆっくりと頷き、食事の準備にかかる。遭難した当初から節約と倹約を重ねていたつもりだったが、今になって思えば、菜クズの一切れや、固形食糧のカケラの粒、昔ならそんなものに価値など見出さなかったものの全てが惜しく思えてくる。自分の排泄物を見ながら、これをなんとか食事に還元する術はないかと真剣に悩む日々を思いながら、彼らは食料を分配していった。
少ない食事を無言で食べ終わり、また失望と沈黙が支配する空間で、今日も一日が終わると思われた。終わらせてしまいたかった。だが、耐え切れなかった若者の一人が、ついに口を開いた。
「船長、外に出て他に何があるか探してみないか? アレ以外に何かあるかもしれない」
船長は首を振った。
「無駄に体力を消耗してしまうぞ。何度見て回ったと思ってるんだ」
「でも、もしかしたら一種類じゃないかもしれないじゃないか」
「どうやって、判別できるというんだ。今更この中に、毒キノコの専門家がいるとでも思うのか。信平がどうなったか、忘れたわけじゃあるまい」
それを聞いた若者は、チラリと、今は空になった椅子の一つに目をやった。今はいないその青年と、彼は仲が良かったはずだ。
−
この島には、たくさんのキノコが生えている。いや、キノコしか生えていない。気味が悪いほど、多種多様なキノコが、所狭しとひしめいていて、動物の姿は全くない。鳥さえもこの島には近づかないようだ。
細々と甲板で魚を釣って、救助の船の姿を探しながら、到底充分とは言えない量の食料をみんなでわける。
このキノコが、食べることが出来るものであれば、食料に困ることなどなかった。だが、このキノコには毒があった。
人を殺す毒ではなく、壊す毒が。
遭難したての頃に、試しに一口かじった信平は、泡を吹いて痙攣した後、人間の言葉を話さなくなった。糞尿を垂れ流し、見境なく自慰をする。
今では雨ざらしのキノコの山の中で、泥にまみれて全裸で暮らしていた。
信平だけが、飢えも恐れもなく、幸せそうにキノコを食べていた。もう他の食物は受け付けないようだ。魚を少し分け与えるとすぐに吐き戻し、怒る男たちから逃れるようにキノコの山へ向かって、またそこでウーウーと意味のない呻き声を上げながら、ガツガツとキノコを食らい、満腹になったらおもむろに自慰を始める。男根を無心に扱きたてて、掌に受け止めた白濁を丁寧に舐め取った後、疲れたら眠る。食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求に従った行動だけを、忠実に繰り返していた。
飢えた他の仲間達にとって、その信平の姿は、ある意味で妬ましいものだった。このまま助けが二度と訪れないのであれば、結局彼らに出来る行動は、理性を捨てた信平と大差ないものに限られる。いや、信平の出来ていることも、彼らには出来ていなかった。食料がないから腹いっぱいは食べられない。体力が勿体無くて自慰もできない。ひもじさと恐怖でほとんど眠れない。
やがて、彼らは若者の変化に気づいた。嫌でも目に入った。
「あいつのチンコ、あんなデカかったっけ……」
その呟きで、誰もが目の錯覚ではないと再確認せざるを得なかった。最初は単なるキノコの興奮作用で、精力が通常より漲っているだけだと思っていたのだ。しかし、どう考えても、今はそれどころの大きさではない。
平均的な東洋人のサイズだった、両手の中に収まるペニスの持ち主だったはずの信平が、今や黒人も驚いて逃げ出すほどの、ながぶとい肉筒を持て余している。
数日後には性器の巨大化は更に進み、はっきりと異常な大きさである事が一目でわかるようになった。大人の腕ほどの大きさになった茎に、握りこぶし大の亀頭が乗っている。竿を扱くのも大変そうで、最近は指をずぶずぶと鈴口に差し込んで、尿道ばかりをいじっていた。
そのうち、青年は股間が重いのか、座り込んだ場所からほとんど動かなくなった。亀頭の先が口に届くようになり、一日中、自分の性器を美味そうにしゃぶり続けている。吹き上がる精液を、直接口をつけてゴクゴクと飲み干し、舌先を突き入れて自分の尿道の中を舐める。
あるとき、信平は、膨らんだ自分のペニスの先に歯を立てて齧りつき、肉片を飲み込んだ。まわりで何人かがそれを見ていたが、なにをやっているのか理解できておらず、慌てて止めに入ったときには、すでに亀頭部分はほとんど無くなっていた。どういうわけか出血はほとんど無く、信平自身も痛みを感じていないようで、再び包茎に戻ったような形の萎えぬ肉棒の端から、ぴゅるぴゅると精液を噴き上げて笑っていた。
どうしても傷口を弄ろうとするので拘束したところ、次の日に手当てをしていた男が、傷口がもう塞がって、肉が盛り上がってきていることに気づいた。驚いて報告を受けた仲間達が、観察した結果、三日ほどで、歯型もよく見なければわからないほどに治癒してしまい、むしろ、前よりも太く、ペニス全体が更に大きくなっていた。
こうなると、もはや信平が自分のペニスを食べることを横から止めるのは、無意味なように思われた。どうせ元に戻るのだ。再生のスピードも上がり、いよいよ人間離れした存在になってきた。
起きて包皮を剥き、亀頭をしゃぶりながらかじり、飲み込んで寝る。次の日、また膨らんだ包皮の中には、スイカのような大きさの亀頭が育っている。
もう、人間の肉ではなく、ただのキノコの一部なのではないかとも思えるのだが、姿形は、ただ巨大なだけで、各自の股間にぶら下がっているものと同じなのである。ちゃんと尿道の穴も開いていて、小便や精液もそこから出ている。触れると人肌に温かく、本人も感覚があるようで、アーアーとうなる。
いつしか、信平は、自分のペニスだけを食べるようになっていた。他のキノコを手渡せば口には運ぶが、自分からは取りにいこうとしない。彼にとっては、枕元に常に食料が置いてある場合、わざわざ食卓まで足を運ぶ必要があるか、という問題なのであろう。
自分の肉を食べて栄養の収支が合うとは思えないが、現に食べただけの質量が戻っている。人間がエネルギーを消費するのはほとんどが脳と筋肉だと聞くが、青年は既に、どちらも必要としなくなっているのかもしれない。ある意味で完全な自給自足の状態だった。
「もう我慢できねえ!」
ある日、若い男がそう叫んで、信平の隣に駆け寄り、一心不乱にキノコをほおばり始めた。
「おい寄せ、人間をやめたいのか」
船長の制止も、飢えた青年には無意味だった。
「どうせ、助けは来やしないんだ。頭だけまともで残ってたって、腹が減ったことしか考えられねえなら、キノコで狂ったほうがマシさ。こいつを見ろよ。この満足そうな顔を!」
青年が信平の頬を引っ張ると、狂った若者は、自慰の手を止めてケタケタと笑い始めた。
ガツガツとキノコをほおばる若者を見て、他の者達は生唾を飲んだ。
古参の船員が、おずおずと船長の顔色を窺うように呟く。
「ちょっとぐらいなら、大丈夫じゃねえかな……」
「バカを言うな。頭をやられたら、おしまいだぞ」
別の男が一歩踏み出した。
「どうせ死ぬんだ。それなら、腹いっぱい食ってから死にてえ」
一人、また一人と、男達はキノコの山に群がっていき、今までの飢えを取り戻すかのようにむさぼった。やがて、膨れた腹を抱えて、満足そうにケタケタと笑い出した。
「人間なんてやめてやらあ! 俺だって信平に負けねえぞ!」
青年がそう叫んでパンツを脱ぎ捨て、自慰を始める。男達は、ヒヒヒと笑いながらそれを見ていた。そのうち、満腹になって体力に余力の出来た者から、我も我もと自慰に加わる。
一人の男が、どんな味がするのかと、信平の化け物ペニスに噛み付いてみた。信平はピクピクとイチモツを震わせながら、喰われるがままになっていた。みながそれを見て弾けるように笑った。
「美味え!」
笑っていた男たちが途端に真剣な顔つきになって、信平の陽根に群がった。ヒャアヒャアと叫ぶ信平を押さえつけて、みんなで信平の性器を引き裂いて、むしりとって食べた。信平はヒクヒクと痙攣しながら白目を剥き、精液を噴き上げながら失神していた。
船長だけが、正気のままで彼らの様子を見ていた。空腹に痛む腹を抱えながら、禁断の食料に手を出して人間をやめていく仲間達を眺めていた。
彼は、それから一ヶ月間、自分ひとりだけで耐えた。
仲間達は楽しそうに笑い、キノコやペニスを食べながら自慰をしていた。根元から引き裂かれたはずの信平のモノすら、すでに再生していた。言葉による会話はもうなされておらず、アーウーと、唸り声だけのコミュニケーションだけが、それぞれの座った場所から行われていた。
もう、ペニスが本体で、身体はオマケだった。ペニスに宿る寄生虫だ。
ある日、魚が釣れなかった。次の日も、魚は釣れなかった。
船長は泣いた。
泣きながら仲間達に近づき、キノコをひとかけらかじった。
途端に喉から胃の奥にかけて、燃えるような熱さを感じた。急に大量に食べ物を詰め込めば、吐いてしまうのをわかっていても、押し込むのをやめられなかった。
不思議と吐き気は訪れず、いくらでも食べられそうな気がした。
胃の熱はどんどん広がっていき、やがて下腹にも届いた。薄汚れた下着の中で、長い間そちらの役割を果たしていなかったペニスが、痛いほど張り詰めているのがわかった。本人の気づかないうちに、ビシャリとパンツの中に射精していたが、それでも萎えることなく、むず痒さを主張して震えている。
船長は食べることに必死になっていた。食べる手を休めるわけにはいかなかった。だから、抵抗を感じつつも、食べながら下着の中に手を入れ、食べながら性器を扱いた。
まわりでは、かつての仲間達が、堂々と同じことをしていた。だから、気にすることをやめた。やめようと思った。役に立たない服を脱ぎ捨て、全裸になって、欲望だけを追求することにした。すぐにキノコのせいで発狂して、何もわからなくなるのだから、かまわないだろうと、彼は思った。
予想に反して、彼は狂わなかった。身体は機械的に食事と自慰と睡眠を繰り返し続けているが、不幸なことに、船長の精神は、その自分の姿を冷静に眺めながら残った。
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ある日、もう何年も時が流れたかもしれないある日、船がやってきた。
船長は、かじっていた自分のペニスから、ふと顔を上げてそれに気づき、走りよろうと思った。呼びかけようと思った。
身体は動かなかった。声も出なかった。
船から下りてきた男達は、人間の形を失った船長の前に立って彼を囲んだ。
「珍しいキノコだな」
「チンコそのものじゃねーか」
「マラタケとでも名づけるか」
彼らはひとしきり、船長のペニスをつつきまわして観賞した後、地面に根付いていた腰を引っ張り上げた。
「標本にして国へ持って帰ろう。金持ち連中に高く売れるかもしれん」
「食えるのかな」
「やめとけやめとけ。ロクなことにならん。遭難でもしたなら別だがな」
キノコは、帰りたくないと思った。
帰っても、人としての暮らしはもう無いことに気づけるくらい、彼の意思は明晰だった。
「げげっ、汚ねえ。こいつザーメン噴き上げやがった」
「ザーメンって言うな。ただのキノコ汁だ」
キノコは泣きたかった。でも、泣こうと思って吹き上がるのは、精液ばかりだった。
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投稿:2013.06.12更新:2013.06.14
キノコの島
著者 自称清純派 様 / アクセス 10725 / ♥ 1