《1》『偽睾丸のお年玉』
師走もあと数日を残すのみ。行きつけの喫茶店に座る暇そうな常連達すら正月をひかえてどこか浮足立つような雰囲気を醸し出している。老夫婦で経営するその店は奥さんがおせち用に炊いた黒豆を客にも茶請けに小皿で出すようなところだ。
去勢仕事の依頼に決まった繁忙期というものはない。降って湧いたように何本も立て続けにペニスを切らなければいけときもあれば、おまんまを食いはぐれそうになるぐらい閑古鳥が鳴いて仕事中に男の睾丸が旨そうな白子に見えることもある。いつものように渋い珈琲を啜る私の携帯に届いた仕事の知らせは、深窓のご婦人から承った大晦日の依頼だった。
仕事当日、最寄りの駅から乗ったタクシーが依頼者の棲む町へ踏み入れると急に道路から信号や電柱が姿を消す。そこには四百平米は軽くこえそうな邸宅だけが立ち並び、全ての家には住民協定によってもれなく立派な庭がついていた。
「主人を男ではなくしたいの」
庭園を囲む外廊下に面した和室で、障子に浮かび上がる庭木のシルエットを背景にフクジュソウ柄の着物をめした婦人は開口一番そう呟く。
有閑マダムたちがこぞって教えを請いたいとサロンができるほど、玄人はだしな料理の腕前を持つ彼女は、塩と砂糖で長い時間をかけて少しずつ夫の舌を慣らし、内臓が致命的になるまで味付けをしてきた。大病も患った夫が毎食ごとに飲まなければならない薬や点滴は増える一方で、体のどこが痛もうと何かしらもっともな理由は思いつくらしい。
特別なおせちを造りたい。彼女は夫の睾丸をその材料にするのが希望だった。若い頃から既製品や仕出しなど絶対に認めない夫は泥酔して午前様になったとしても、出来立ての料理で出迎えなければ機嫌をそこねて妻に罵詈雑言を浴びせかけた。言葉の刃は妻をじわじわと蝕み彼女自身も胃と子宮を全摘するほどの病を乗り越えなければならなかったそうだ。
睾丸体積を測定するための楕円球が糸で数珠のようにつながったオーキドメーターとシリコンで出来た透明な偽睾丸のサンプルを座卓の上に広げる。それまで表情の硬かった上品なご婦人は興味をそそられて顔をほころばせた。
目の飛び出るような値段がするであろう屋久杉だと教えてもらった一枚板の上で弾力のある人工睾丸をコロコロと転がしたあと、ご婦人は娘時代の記憶を呼び起こすように目をつむったまま男の玉の大きさを測る数珠を爪繰る。妻の指は25mlの楕円球を夫のために選んだ。
私が睾丸を全摘したうえで偽睾丸に置換する場合の料金を提示すると彼女は唇のはじを曲げて軽くほくそ笑んでから、そんなにお安いのねと静かに感嘆して漏らした。
時代錯誤の家長気取りを長年ひけらかしてきた男はいつも通りの時間に就寝したのち麻酔で鎮静される。私は部屋の暖房を強めにしてから彼の浴衣を脱がす。年老いた男の張りもなく萎んでしまった筋肉、かつては精力にあふれた身体で仕事にも打ち込み妻を愛して抱いた頃もあったことだろう。
包帯用の鋏で彼の下着の股引を切って裸にしていく。白毛の茂みのなかには赤黒く色素沈着した男根が醜く垂れ下がっている。そのペニスと精巣は妻との間にできた一人娘のほかに3人もの嫡出ではない子を産ませた愚息だった。誰が見ても切り取って庭に捨てたくなるような代物だが、今日の仕事は残念ながら竿には触れない。
ブルーシートの上に大判で厚手の吸水シーツを敷き全裸になった家の主をうつ伏せで寝かせる。よく消毒してから、本人には見えない陰嚢の裏側で皺に沿って可能な限り短く左右二か所を切開する。陰嚢をしごくと片方約25mlの体積をもつ球体がわずかな隙間から頭をだしポロリと飛び出してきた。男たちの精巣の脆弱さには何度同じことをやっても毎回感心する。
両方の睾丸を穴から引き出したあと、まだ筋で繋がっている間にその様子をポラロイドで撮影する。私は偽睾丸の滅菌パッケージを取り出し本物のタマの下へ差し込んで大きさが概ね同じことを確認した。
精子を運ぶパイプと血管をしっかり結紮してからハサミで切り取る。四人の女性の子宮に種を播いてその人数分ちゃっかり子供をつくった睾丸はそれでお役御免となった。オスとしては十分役割を果したのだから今更失ったところで別にかまわないだろう。とはいえ、眠りこくったこの家の主は自分の睾丸が既に冷たい膿盆にのっており、知らぬ間に偽物と入れ替わっているなど夢にも思わない。男の股の間に睾丸入りの盆を置いて切除後の姿も写真に収めた。
私は無機質で何も生み出さない透明な楕円球を収納するスペースを作るために組織を剥離していく。左右のバランスを見ながらシリコン玉を挿入して位置を決めると、離開しないように丁寧に袋の内部を縫う。抜かりなく消毒してから自然な皺になるように外側も縫合した。
除夜の鐘が鳴る頃、和洋折衷の豪華なおせち料理が重箱を満たしていく。妻は腕によりをかけて最後の品にとりかかる。フードプロセッサーの中にホタテとクリームチーズ、そして夫の睾丸を入れたあと臭みをとるための香草とレモン汁、味付けに塩コショウ、お湯で溶かしたゼラチンをいれる。彼女は機械のスイッチをいれることになんの躊躇いもなかった。音を立てて材料が攪拌されていく。
長方形の型にピンク色のサーモンの薄切りを敷き、なにもかも白く混ざり合ったプロセッサーの中身を流しこむ。冷蔵庫で冷やし明日の朝になればお正月にぴったりな紅白のテリーヌができあがるだろう。妻は着物の懐から出した二枚の写真をそれぞれ一瞥してからコンロで火をつけて流しで燃やした。
元旦、夫はいつものように目を覚ます。痛み止めの入った点滴のせいで特に陰部の傷には違和感を感じない彼は居間に並べられた料理に満足する。妻が少量だが一品ずつ皿に取り分けたおせちを夫に渡す。食事制限のある彼も正月ぐらいはと全て平らげた。
一人これ飲めば一家苦しみなく、一家これ飲めば一里病なし。夫は偉そうにそう言って三段重ねの朱塗りの盃から一番大きなものを取り、妻にお屠蘇を注ぐよう差し出したので彼女は微笑んで応えてやる。床の間に生けられた正月飾りのシロミ南天が実をふたつ畳の上に落とした。
三が日が過ぎ、私はやっといつもの喫茶店で渋い珈琲にありつく。モーニングの回数券を奥さんに渡してから煙草を咥える。調理はもっぱらマスターであるご主人の担当だ。彼は半分に切った分厚いトーストと茹で卵を私のために作ってくれる。そんな仲睦まじそうな雰囲気の老夫婦をみていると落ち着くものだ。
奥さんが普段どおり気さくな微笑みを変えることなくケースからペーパーナプキンを一枚とり、私にそっと差し出して言う。おかげで主人もずいぶんと大人しくなったわ。
そういえばマスターの玉を置き換えたのも去年の年末だったと思い出す。私は口に付いたバターの油分をナプキンで拭き、マスターにご馳走様のお礼を言って席を立つ。偽物の睾丸をぶら下げた彼はまたきてねと優しく見送ってくれるのだった。
《2》『元旦の去勢同意書』
参拝客で賑わう神社の裏手の公園で私は質素な身なりの壮年男性と一緒にベンチに座っている。彼の奢ってくれた温かいワンカップを飲む。会うのは3回目だ。50代だがアパートで独り暮らしをしているという彼は少々薄着すぎるのか、さっきからずっと震えている。私のお酒は半分残して彼に飲ませてあげた。
男はスラックスにノーネクタイのワイシャツ、タイヤメーカーのロゴが入ったカーキ色のジャンパーを着ていた。若者は敬遠するかもしれないけれど、私はそのブランドがイギリス発祥の歴史ある老舗で服も決してイメージほど廉価ではないことを知っていた。ある種のおじさんにしか着こなせない服なのだ。
「できるだけ惨く奪ってほしい」
今日も無口なその男と繁華街を一緒に歩きながら、転送メールをもう一度眺める。「惨い」という言葉の解釈にもいろいろとある。ペニスも睾丸も全て奪われることが惨いという男もいれば、竿だけを切り出来損ないの半端者にされることを惨いという男もいる。ただし、単に痛い拷問のような去勢はうちの専門外だ。私たちが提供出来る範囲で趣向を凝らすしかない。
飲食店が軒を連ねる通りにさしかかる。ホルモン鍋の店が1階に入った雑居ビルの隣、何年も前に閉院した性病専門の婦人科の寂れたドアを開ける。私が鍵を開けるあいだ、男は赤モツと白モツの二種類しかメニューが書いていない隣の看板をしばらく見つめていた。
「おチンチン横のお店で鍋にしてもらおっか?」
脱がしたジャンパーをハンガーにかけ、ワイシャツのボタンを外してあげながら茶目っ気を出してそんな話をしてみたけれど、彼は反応しなかった。ろくな運動もしていない緩んだ身体、胸や乳首には中途半端に毛が生えている。私はおじさん達のそういう情けない裸がけっこう好きだ。
未来ある筋骨逞しい働き盛りの男がペニスを失うのも確かに悪くはないけれど、結局何も手に入らなかった孤独な壮年男がオスのシンボルまで奪われる方が趣のある去勢だと思う。
古い病院をそのまま買い取った施術場で、全裸になってもらった彼には分娩台の上に座ってもらう。恥ずかしいのか自分では開脚姿勢を取ろうとしないので、仕方なく私は足をもって支脚器にのせてあげた。使い込まれて剥けてはいるけど彼の陰茎の全長は玉袋よりもずっと短かった。
腕と脚と腰をしっかり拘束している間におじさんは泣き始めたものだから「やめたほうが良いの?」と聞くけれど、赤く目を腫らしながら駄々をこねる子供みたいに顔を激しく横に振る。男心というのは難しい。
「とりあえずはじめよっか」
股間を剃毛する。射精しておきたいかどうか確認しても口をつぐんで何も答えないので、私は念のため電動マッサージ機をつかって亀頭の裏筋を振動させる。すると彼はほとんど表情も変えないまま数秒で精液を垂れ流すようにして吐き出した。最後の射精なのにさして気持ちよくもなかっただろう。
生理現象にすぎない出したところで意味もなかった汁を雑巾で拭く。彼は鼻水をすすり、大粒の涙をボロボロとこぼしている。しまいにはイヤだイヤだと叫びはじめた。
「もう遅いよ。おチンチンもタマも全部取ろうね」
私は診察室のカーテンを全開にする。水銀の膜が薄く塗られている床から天井まである大きな窓は、光が十分に差し込む日中だけ外の景色をはっきりと見せてくれるのだ。
明るい通りからその部屋に差し込む光はほとんど反射されてしまうので、外からは鏡のようにしか見えない。ましてやその奥に男が全裸で股を開かされてペニスと睾丸を晒していると誰が想像するだろうか。
晴れ着をまとった幸せそうな恋人たちや家族連れ、仲の良い学生たちが神社のある方へ歩いていく。みじめな五十路男は一番恥ずかしい部位をそんな皆様に見せながら去勢されるのだ。
今更だが私は同意書をとることにした。署名はすでに別の簡単な内容で書類を用意して書いてもらっている。揮発性のインクで書かれた偽文書の文字は薬品処理で消え去り、同じ紙をつかって正式な書類をつくり上げた。私はおじさんの耳元でゆっくりと音読してあげるのだ。彼は初めて聞かされる内容にきっと満足してくれるだろう。
『陰茎全切除及び両側精巣摘出に関する同意書』
〇〇クリニック院長殿
私は以下について説明を受け、理解したうえで手術を受けることに同意します。
・麻酔方法 局所麻酔(場合により腰椎麻酔)を行います。
・陰茎全切除は陰茎根部に裏面より皮膚切開を加え、陰茎海綿体を全て摘除します。尿道は会陰部まで十分な長さを持って切断し、肛門より3センチ程度前方に造設した後に切断部を縫合します。
・陰嚢の皮膚を中央で約5センチ程切開します。精巣からのびる精管と精巣動静脈を結紮して切離します。左右の精巣を取り出し切開部の皮膚を縫合します。
・陰茎全切除後の縫合に伴い陰嚢の皮膚形状も若干変形します。
・陰茎全切除によりペニスを勃起させ挿入による性交渉を行うことは以後不可能となります。
・亀頭や海綿体神経の刺激による射精は不可能となります。直腸内、S字結腸内より前立腺、射精管を刺激すれば性的な快感を得ることや、精子は含まれていませんが精漿という体液の分泌は可能性があります。
※性的な感度には個人差があります。術後の性的な感度を保障するものではありません。
※一般的に前立腺等による刺激も加齢により感度が下がります。
・両側精巣摘出により以後は子をつくることが永久に不可能となります。
・術後に尿道口の狭窄により排尿が困難になる可能性があります。適宜対応します。
・切断部、切開部の離開を起こす場合があります。適宜再縫合します。
・疼痛、発熱を起すことがあります。適宜排膿処置、鎮痛剤、抗生物質で対応します。
・陰嚢内に血液がたまる場合がありますが大半は自然吸収されます。適宜止血及び排出対応も行います。
・陰茎切断部および精巣摘出後の陰嚢が腫れることがあります。1か月程度で自然軽減していきます。
同意年月日 〇〇〇〇年1月1日
同意者署名 〇〇 〇〇
「これでおチンチンと金タマ取れるね。おじさんよかったね」
カウンセラーの私の役目はこれでおわる。おじさんは「去勢しないで」と叫び続けているけど料金はすでに振り込んでもらっている。後ろで準備をはじめた外科の先生は躊躇なく手術をするだろう。彼はどうしておチンチンなんてつけて生まれてきたのか。選びようもないことだけど、複雑な思いをずっと抱いて生きてきたに違いない。
消毒が済み、先生が陰茎の根元で皮膚をつまんで針を少しずつ深くして麻酔を注入していく。ペニスは根元のほうが痛みを感じにくいそうだ。正面、側面、背面と次々に針が刺さっていく。先生は亀頭のカリ周辺をぐるりと一周強く握りつぶしてもおじさんの表情にさして変化がないのを確認してからメスに手を伸ばす。
先生はとても丁寧な人だから「海綿体に血を流す血管が切れましたよ、どうやっても二度とおチンチンを勃起させることはできなくなりましたね」とか「亀頭が無くなってしまいましたね。切なくなるほど気持ちよくて必死に擦ってきたのに」とか「精巣が見えましたよ、これが二つとも取れてしまえばもう男じゃありませんね」とか「袋はあるのに金タマが入っていない状態が想像できますか? 悲しいですね、情けないですね、もうすぐそうなりますよ」など優しい声でゆっくりと語り掛けている。
痛みはなくても深部感覚が残っているおじさんは男そのものが奪われていくのがわかるはずだ。もうずっと「切らないでくれ、取らないでくれ」とわめいている。惨めさに満足してもらえたようで良かった。
医院の外に出て忙しなく行き交う雑踏のなか鏡硝子の前に立つ。何も見えないがその中では男性が外部生殖器を全て切り取られているところだ。私はおじさんの叫び声が聞こえないかしばらく窓の前で佇んだけれど、彼の存在はペニスと共に全てかき消されてしまうみたいだ。窓にむかって「じゃあね」と手をふってその場を後にした。
《3》『書初め切断筆おろし』
私は小さい頃おじいちゃんの部屋が大好きだった。襖を開けて入ると墨の薫が漂ってきて、部屋の空気を思い切り胸に吸い込むとおじいちゃんに抱いてもらっているような安心感が和紙に広がる墨汁のように心に滲んだ。初めてのときから既に懐かしいあの感触。
大人になってから祖父の自宅を訪れるのはどれくらいぶりだろう。世間では資金力7000億円とも言われた彼が営んでいた非常に漢らしい組織は当時舎弟もたくさんいて、この家も脂ぎった血と男のにおいで溢れていた。おじいちゃんの部屋だけがどこか清められた雰囲気で落ち着いたのだ。
普段は抗争に明け暮れていつも怖い顔をしていたけれど、この部屋で一緒に過ごすときだけは別人のように優しかった。彼が使う筆は一風変わったものだ。祖父曰く「これが男のチンポだ」と握らせてくれたそれは男性器を切り取ってこしらえた筆だったのだ。
祖父は自分の命を狙う鉄砲玉を仕留めては記念にペニスを切ることがよくあったようだ。男の証でつくった筆を使わせてもらったのは確かお正月にここを訪れ、祖父と書初めをしたときのことだ。
「いいかい、これが筆おろしだ。よくご覧なさい」
脱がされた自分の下着を口に詰め込まれてからガムテープできつく轡をされた高校生のように若い男を舎弟たちが押え込んでいた。彼の目の前には裸の女性がいて、たぶん何か薬も打たれていたのだと思う、身体を自由にされると飛びつくように女の人に覆いかぶさった。
若い男はおチンチンをパンパンに腫らして必死に腰をふった。どうやら一度も経験がないのを憐れに思って祖父が最後に女を抱かせてやろうと取計ったのだ。適当にわざとらしい声をあげる女性に比べて、血眼で鼻息を漏らし真剣にピストン運動をする男を見て、私は小さいながらに「じいじ、かわいそうだよ」と祖父に言ったのを憶えている。
「そうだ、男ってのはかわいそうなもんだ。じいじもそう思う」
書道には作品を飾るための裏打ちという補強作業がある。墨を良く乾かしてから糊を含んだ水で一度ビチャビチャになるまで濡らして、皺をのばし台紙に張り付ける。祖父は裏打ち用の水糊も男の体液で作っていたのだ。
あともう少しで射精しそうになった若い男は引きはがされる。抜かれて切なそうに脈動するペニスを無骨な舎弟たちの手でしごかれる。勢いよく粘度のある白い液体を容器に吹き出す様に当時の私はとても驚いた。男の人の体からあんな液体が出て来るなんて思いもしなかったから。射精するごとに顔を歪める若い男をみて「じいじ、くるしそうだよ」と私は漏らした。
「ああ、苦しい。男なんざみんな欲に騙されて射精してるんだ。あんなもん苦労してションベンするようなもんだ」
そのあと何度も何度も絶頂を迎えそうになれば女性から引きはがされ、容器のなかへと無理やり射精させられれていた。もう白い液体を出せなくなった若い男は亀頭だけを無理やりしごかれた。今度こそ本当に苦しそうに声を上げて暴れるので舎弟たちが何人もよってたかって押さえつける。すると突然水みたいに透明な液体を鯨が潮を吹くように勢いよく出し始めた。「じいじ、あの人のおチンチン泣いてるよ」私は止めてあげるようにお願いしたと思う。
「そうだ、苦しくてチンポが泣いてるんだ」
全て吐き出して力なく垂れ下がる若い男のペニスは疲れ果てたように伸びきっていた。私はもうやるべきことが何も無くなり消耗して使い捨てられた存在を感じた。「じいじ、あの人のチンチンもうおしまいなの?」
「チンポも男もたいてい使い捨てだ。憶えておきなさい」
祖父はおもむろに私の小さい利き手を取ってドスを握らせた。もう片方の手も包むように添えて、若い男の証を私に掬わせたのだ。精気を出し尽くした男根はもう刈り取られる瞬間を待つばかりだった。
ろくに声にはならないけれど、ペニスではなく本当に目から涙を流し何かを全身で叫んでいる若い男を見上げながら、私はおじいちゃんと一緒に彼のおチンチンを切り取った。刃物が下から上に陰茎の肉を裂いていく感覚は祖父の力添えもあってか思ったより軽くて一瞬だったけれど、完全に身体から離れるまでの映像は今でもくっきりと鮮明に思い起こすことができる。
切断面をきつく包帯で縛り筆にされたペニスが力ない姿で硯の横におかれる。
私は祖父に言われて股から血を流し続ける若い男の前で書初めの準備をはじめた。先ほど搾り取った体液を硯の丘に垂らし大きく円を描くようにして男の命を磨く。墨に光沢が出てくれば水を足す合図だと教わった。やがて自然に硯の海へと流れる液体は使い捨てにされた男の涙だと思った。
亀頭の先に墨をまんべんなくなじませる。
男の筆で半紙に点と線をはしらせ暫くおくと少し輪郭が滲む。墨をもう少し磨らなければいけない証拠だ。若い男は口枷も取られて楽になったのか朦朧としはじめていた。墨を磨る間は何を書こうか思いを巡らせつつ瞑想する時間だ。睾丸の入った袋だけがぶらさがる男の股間を見つめて手を動かしていた私は不思議と落ち着いていく自分を発見したのだ。
何を思ったか私が書いたのはペニスを切られた男の名前だった。きっと祖父や舎弟たちのやり取りで自然と耳に入り覚えていたのだ。男は自分のペニスで書かれた自分の名前をみてもう一度こみ上げてきた涙を必死にこらえていた。
祖父の遺品の整理をしていた私は意匠をこらした文鎮の下で束になった半紙の塊から、その幼い日の書初めをみつける。間違いない、あの後ちゃんと裏打ちもしたのだ。日焼けもせず少々黄ばんだ紙にはたどたどしい文字で夫の名前が書いてあった。私は一階で汗を流して大物家具と格闘している旦那を呼ぶ。彼は生返事だけして作業を続ける。おじいちゃんにはお前のような物好きな女は世の中に一人だけだと呆れられたものだ。
「竿がない男と祝言をあげる娘なんぞ聞いたことがねえ」
祝福してくれたのは祖父と当時の舎弟たちだけだった。「金玉があるんだもの、男だよ」年頃になった私はそう祖父に言い返した。私は夫になる男のペニスも彼の人生も、使い捨てにはしなかった。祖父は「お前だけには負けたよ」と言って微笑んでくれた。「バイバイおじいちゃん、ありがとね」私は女の幸せをちゃんと手に入れたよ。
私はやっとお目当ての品を探しあてる。瓶詰めにされていた鉄砲玉のペニスたちだ。夫のモノもちゃんとあった。彼のモノ以外は庭に埋めて開放してあげることにしよう。夫のいちもつだけは最後まで私のものだ。硝子瓶ごしに窮屈そうにくるまる旦那のペニスに口付けをした。
今晩はきっと疲れて眠るだろうけど、夫は明日の朝になれば興奮して私に馬乗りになってくる。いつものようにほんの少しだけ残った切り株をぷっくりと勃起させて、ほとんど何もない股間をヘコヘコと私の陰核に擦り付ける。その摩擦でちゃんとイカせてくれるし、かつて私が切断した断面からすごく頑張って射精もする。私はそんな彼が愛おしくてたまらないのだ。
《4》『正月凧の唸り少年の叫び』
かつて長男以外には結婚させず、社会からも隔絶して奴隷のように働かせる奇習が日本にはあった。開墾に限界がある地域では相続争いに加えて貧困が大きな課題だった。間引かれる命を出来るだけ少なくしようという慈悲でもあったのだ。似たような風習を男児だけに課した集落もあったという。父親のようになれる未来を信じて疑わなかった集落の男児たちは、結婚どころか男にすらなれなかったのだ。
年明け初めての出勤、寂れた地方都市で博物館の学芸員をしている私は小規模だが土地ゆかりの企画展示を催そうと資料整理をしているところだ。関係者以外立ち入り禁止の札が掛けられたドアの向こう側で、所々に虫食いのある書物をめくり男児の悲哀に満ちた郷土史を紐解いていく。
元日早朝、下の毛が生えたか生えないかという男の子たちが父親に連れられて御山の神社にやって来る。親子らは苔むす屋根の神殿に仕立てられたばかりの女物の晴れ着を供える。
「父っちゃ、なして女の着物なんてお供えするんだが?」
「おめえはなにも気にせんでいい。全部儂にまがせろ」
少年が疑問に思うのも当然だろう、少なくともこの彼には姉妹など一人もいなかったからだ。境内には同じ年頃の幼なじみが集まって来る。腕白な男児たちにはおよそ似つかわしくない可憐にこしらえた着物が神前に積み重ねられていく。
「父っちゃたぢ、娘でも授がりでえのがな?」
「おめえさとこと違って、俺のとこはもう姉っちゃも妹もいるどもなぁ…」
御山を司る山伏と一緒になにやらコソコソと談義する大人たちを遠巻きに眺めていた男の子たちは、話がおわって父親たちが放つ言葉に唖然とする。
「これがらおめたぢが男になれるが神様にみでもらう。今日でチンポつけでいられるのぁ最後がもしれん。わがったな、おまえら」
突然去勢されるかもしれないと知った男児たちはどんな気持ちになったのだろう。私は一旦書物から離れて、バックヤードに数百台並ぶ保管ラックを見て回る。棚から小ぶりの升を手に取った。緩衝材に包まれていた四角い木製の入れ物は漆も剥げてずいぶんと朽ちている。
少年たちは神前儀式でこの升のなかに無理やり射精させられたそうだ。もしその入れ物をなみなみと零れるほどの精液で満たせなければ、子をつくり繁栄させるだけの力はないと判断されたらしい。精子の数や運動性と精液の量がどこまで相関するのかわからないが、当時の人たちは単純にそう考えざるを得なかったのだろう。吹き出す種の有様だけが男児の運命を決めたのだ。
思春期で筋肉もつきはじめているとはいえ当時の肉体労働で鍛えている大人の男たちに敵うわけもなく、少年たちは羽交い絞めにされ父親たちにペニスを擦られ続ける。
「父っちゃ許して、痛え、痛えよ、チンポ痛えよ。やめでぐれ、止めでぐれ父っちゃ!」
「何へってらんだ。おめが男になれるがどうが、これでぎまるんだぞ。けっぱれ!もっとずっぱど種だせぇ」
天狗の面をかぶり人ならざる者となった山伏が升のなかに吐き出された若い子種の量を検分する。栗の匂いの立ち具合や粘り、はては味までも確かめられて運命が言い渡される。
「この子は女子(おなご)にしろ」
その一言で男児の股にある陽根は玉もろともに切り取られることが決まったのだ。
「いやだ、女になんてならねぞ。はなせ、はなせええ!」
「神様のお達しだ、あぎらめろ。おめはもうチンポ付げでらダメだ。めんこい娘にしてやるすけ」
手拭いを噛まされ切断の痛みを食いしばって耐える少年の口から唸り声が漏れる「ヴゥーヴゥー、ヴゥーヴゥー」と。
私は当時の風景を思い描きながら引き続きバックヤード倉庫をあさる。少年たちのペニスや睾丸を切り取ったとされる剃刀程度の細い小刀を手に取る。集落がダムの底に沈むことになった際、神社に残されていた道具はすべて博物館に寄贈された。
刃に残る曇りは夥しい数の幼い男性器を切って出来た染みなのだろうか。記録によれば最後に奇習の犠牲者が出たのは宝暦八年、1758年なので江戸時代の中期だ。私は魔羅切りの刃を注意深く鞘に納める。最後の少年たちはそこでどんな景色をみたのだろう、そして去勢された後どんな人生を送ったのだろう。
正月に行われた男子に対するこの厳しい儀式は時代を下ると凧を揚げて締めくくるようになったという。儀式で見事に認められた男子たちが、去勢された子の父親が我が子の股間の皮を鞣してつくった凧を揚げたのだ。
大人の男になれなかった息子のいちもつをせめて空で成仏させてやりたい親心と、選ばれた男子が無事育ってほしいという願い、新春の空へ捧げる二つの祈りが込められていたのだろうか。
「腰巻真っ赤にして、娘そのものだなぁ。めんこいぞぉ、めんこいぞぉ」
男の証を奪われた少年たちはもう褌を締めることも許されず、はじめて身に着けた無垢の腰巻を股から流した血で真っ赤に染める。晴れ着をまとい娘になった子を父親たちは「可愛いぞ、可愛いぞ」とこのときばかりは褒めてやるのだ。まるで初潮を迎えた愛娘のように。
父親たちは竹を削った骨組みをつくり、鞣した息子のチンポとキンタマの皮を貼り付けていく。仕上げには必ず「うなり」と呼ばれる音を出すための弓状の部品を上部につけるのが習わしだ。
女物の着物を羽織り娘になった元少年たちは、風を受けた弓のつるが独特の低い定常波を生み出し、唸りながら空を舞う自分の性器を見上げ涙した。
「俺のチンポ、空さ昇っていぐなぁ…へば(さよなら)、へば(さよなら)…」
それ以後、息子ではなくなった子のことを父親たちはもう我が子とは扱わない。集落の共有財産となった元少年たちは一生下働きを強いられ、若いうちは孕む恐れのない性のはけ口として男たちの嬲り者にすらなる運命だ。
江戸時代に飛ばしていた意識を現代に戻してから倉庫の階段をのぼる。私は去年の暮れの内に唯一残っていた少年凧の補修を済ませていたのを思い出した。まじましと見れば小さなペニスを包んでいた包皮の姿を確認できるのが生々しい。弓状のうなり部分は鯨の髭やヤシ科の籐(とう)を裂いて作ったらしいが、麻糸の代用で勘弁してもらった。
いつの間にかもう昼休憩の時間だ。博物館裏手の敷地で正月の凧揚げといこう。「チンチンの凧ですか!?」と嫌がっていたけれど新卒の男性職員に手伝ってもらった。若い男に糸を持たせ走らせる。もう息を切らしているけど、チンポとキンタマがちゃんと付いてるのだから頑張ってもらわなければ。気象庁のデータが証明するように正月というのは不思議とよく晴れる。
冬の高い空に少年のペニスが昇っていく。
ヴゥーヴゥーと唸り声をあげながら。
雄を奪われる叫び声のように。
《5》『大奥鏡餅曳き袋裂き』
正月七日、この日ばかりは男子禁制の大奥では滅多に拝むことができない男根と子種の入ったふぐりが見られると御端下(おはした)から御年寄(おとしより)までが浮足立つ。
「御台様(みだいさま)、鏡餅曳(かがみもちひき)の準備がすべて整いましてございます」
声をかけてきた御台所付の御中臈(ごちゅうろう)もどこか頬を紅くして畳についた三つ指すらも血色が良いように見えた。城の奥勤めをする女というものはこれほどまでに男のいちもつに飢えているものなのだ。
力自慢の下級女中たちがたすきで袖をまとめ寄ってたかって裸の男を曳きまわす。縄で両腕を胴体にきつく縛られた男たちは髪をかき乱し全身擦り傷だらけにして、しまいには褌もとれて雄の根っことたわわなふぐりを女どもに晒す。餅とは彼らの陰嚢を指す隠語なのだ。どんな巨根もその飾りにすぎない。
「上様は今年も立派な正月飾りのついたお餅をたくさん用意してくださいましたね」
鏡餅曳には女子の腕はゆうにありそうな巨根や狸のモノノケかと思うばかりの大きな袋を股にぶら下げた男ばかりが毎年選ばれて連れてこられる。流刑になるような罪人からしょっ引かれているとの噂も囁かれるが、実際は事情も分からぬうちに連れてこられた憐れな市井の男どもであった。
「奈良の昔、女上皇様を籠絡させた怪僧弓削の道鏡は、あのような立派なおのこの飾りをつけておったのかのぅ…」
大奥において最もあってはならぬ存在とは将軍以外の子種である。神君家康公より脈々と受け継がれる血筋に下賤な雄の種を混ぜるなど万死に値する。しかし、実際には大奥の女らとて抑えきれない肉欲を内に秘め悶々とした日々を送っている。里帰りが許される御目見え以下の女中すら三年に一度しか娑婆と触れ合ういとまは貰えないのだから。
鏡餅曳は男と情を交わすことのできない女たちにとってまたとない男性器に触れる機会であると同時に、一生をかけて大奥に尽くす契りを破らないように憐れないちもつの末路に戒めを新たにする日でもある。
「たすけてくれー!」
「ひいっ、ひいいい」
「縄を解いてくれえええ!」
「うぐっ、イテ、イテテ…」
女たちが揺さぶられ上下左右に動き回るいちもつと玉を眺めている。顔を突き合わせてほくそ笑む女もいれば、指をさして嘲る女もいる。なかには恍惚とした表情をうかべ股を湿らす者すらいる。男たちはいちもつが床にこすりつけられ、玉がへしゃげて腹の奥まで響くような痛みについ声をあげるのだ。
屈辱的な曳き回しがおわると、男たちは御目見え以上が鎮座する広間の柱に磔られペニスと陰嚢が紅白の水引で飾られる。広間の入り口には無礼講とばかりに女中たちの立ち見でごった返すありさまだ。
「こたびの鏡餅曳、この鳥居土佐守成勝(とりいとさのかみなりかつ)が上様より仰せつかりましてございます御台様」
先刻より緊張で胃が締め付けられるように痛むこの武士はこれから自分と同じ性器をぶら下げた男たちの去勢を完璧に取り仕切らねばならない。もし粗相でもしようものなら…、彼はその先はあえて考えまいと固唾とともに不安を腹へ押し返した。
「ようきた鳥居、今年も立派な飾りと餅ばかりじゃ。褒めて遣わす」
「もったいなお言葉、恐悦至極。まずは露払い、男の飾りを切り落としてご覧にいれましょう」
行事は男根を一刀両断する見せ物からはじまる。丁度男たちのいちもつの位置に合せるように彼らの股の前には脚の付いたまな板が置かれ、女中たちの手によってペニスがその上に安置される。
「魔羅切りの薙刀をこれへ」
鳥居の指示で武芸に明るい女中のなかでも男と渡り合えるほどの腕をもつ者たちが鉢巻にたすき掛け、携えた薙刀を男たちの前で構える。水引で飾られたペニスと睾丸は光の反射する生々しい刃をみて一斉に縮みあがりはじめた。
彼女たちの武術指南も鳥居のお役目なのだ。この日のために男根に見立てた胡瓜や根菜、はては竹や木の枝までも幾本と輪切りにして鍛錬してきた。柔らかいままの男の肉棒を切るなど造作もないこと。
「情けない男どもめ。釘と槌を持ってまいれ」
勝気な性格をした御端下の女たちがこぞって我が我がと道具を持参しやってくる。彼女たちは縮むペニスを切りやすくするため、引っ張り伸ばしまな板に釘で打ち付ける役目を買って出たのだ。
「ひ、ひっぱらないでくれ、俺のチンポの皮そんな、あっ、あっ…」
トントントン、トントントン。
「ひぎゃああっ!」
「ぎゃ、ぐううっ」
下腹部の付け根にある靭帯がこれ以上は男根が伸びることを許さない限界まで女たちは数人がかりでペニスをひっぱる。包茎のものは余った皮の上から、剝けているものはそのまま亀頭めがけて釘を打ち付ける。
トントントン、トントントン。
「いっ、いっ、いっ、いてええええ!」
「ぐああああ!」
亀頭が衝撃でへしゃげつつ尿道口からは血を吐き出す。まな板のうえでペニスの逃げ場は完全になくなってしまった。もはや打ち首を待つばかりだ。
「それではみなさま、とくと御覧じあれ!」
土佐守が天井にむけて振りあげた手を勢いよく降ろすと、鉢巻で気合をいれた女たちの薙刀が素早く正確にペニスの根元に向かって一閃切り落とす。
ストーン…
磔になった男たちはその瞬間のけぞって腰を前に突きだす。意外にも切断される刹那はあまりの衝撃のためか声をあげるものはいない。男たちはみな目を見開いて焦点もあわずに虚空を睨み、顎をあげたまま天を仰ぎつづける。
切断面から勢いよく流れはじめる血潮とその匂いに彼らは恐る恐る自分の下腹に視線をおとしはじめる。ジンジンと熱くなってくる傷口、まな板の上で息絶えている愚息の無惨な姿、そのような情報がひとつひとつ彼らの脳に蓄積されてくると腹の底から湧き上がる喪失感が声にかわるのだ。
「ぎゃあああああああ!」
「ああああっ!、ああああっ!」
「痛い、痛い、チンポ無いいいいっ!」
「チンポ、俺のチンポ無いいいいいいっ!」
うやうやしく三方に乗せた男根たちは討ち取った敵武将の首級のように御台所の前に供えられる。これらのペニスは御典医によって漢方薬の材料にされ将軍が服用する強壮剤となる運命だ。
「ようやった、上様もよろこんでくださるであろう」
「引き続き鏡開きと参りましょう。汚らわしき種を抜き取り厄を払い、もってみなさまが上様のお子を授かりますよう願いを込めまする」
将軍以外の汚れた種に女が手をふれるのは禁忌。睾丸の去勢をするのは武士であり男である鳥居土佐守成勝の本来の役目だ。彼の愛刀鬼丸が男たちの陰嚢を裂いていく。
柳生新陰流『九箇の太刀』(ぐがのたち)。両手の上段から片手で振り下ろす太刀筋自在の斬撃が繰り出されるたびに睾丸には傷ひとつ付けずに皮だけを見事に剝いてしまう。
「ひゃ、ひゃああああ…」
「ひいいっ、ひいいいいっ」
「だめええ、玉の皮むいちゃだめだああ!」
「やめっ、痛い、やめてくっ、ぇあぐぁ」
「もうやめてくれえええっ!」
大きなふぐりを持つ男たちは全員それに比例した巨大な睾丸を剥き出しにしたが、最後のひとりの陰嚢が取り除かれた後、土佐守は重大な欠陥に気付くことになる。
「こやつ…玉無しか…」
停留睾丸、本来ならば陰嚢に降りてくるはずの睾丸が先天的に腹腔内にとどまったままになる疾患だ。巨根とふぐりの大きさだけに騙され検分を怠った責任は重い。
「どうした鳥居、はよう男どもの開いた餅をみせてたもれ」
御台所をはじめ列席の奥方たちは男たちからくり抜かれた玉を間近で見たくて仕方がない。彼女たちにとって睾丸とは立身出世の手段でもあると同時に、自分たちの人生を弄ぶ元凶でもある。キンタマとは羨望と憎悪が入り混じるコンプレックスの塊なのだ。男から最大の存在価値を奪うことは最高のカタルシスを彼女たちに与えた。
「足りませぬ…申し訳ございません御台様、某(それがし)の責にございます」
「玉が足らぬと申すか鳥居」
「左様、しからば某の玉でもってお詫び申し上げまするっ!」
元より土佐守は純白の裃(かみしも)を召していた。何かあれば即腹を切る覚悟であたらねばならなぬ大役であるためだ。しかし、彼はそんな装束すら全て脱ぎ捨て褌の隙間より己の陰嚢を引きずり出した。
「みなさま、とくと御覧じろ。これがモノノフの玉でござる!」
脇差の切っ先が下から上へと武士のふぐりを掬いあげ二つに割るや、土佐守はそのなかへと指を差し入れ見事に玉を引き抜いてみせた。そして、武士はそのまま裂帛(れっぱく)の気合いで腹を三文字に引き裂き自刃したのだ。
「鳥居土佐守成勝、お役目あっぱれ見事なり。これぞ武士、これぞ男の本懐であろう」
他の女たちが騒然とするなか御台所はひとり毅然として忠義の家臣を褒める。彼女の進言により土佐守の国元は一切のお咎めもなかったという。
日も暮れて冷たい風が吹きすさぶ広間で息をする者はもういない。褌を鮮血で真っ赤に染め前に突っ伏す武士と、男根を切り取られ玉を抜かれた男たちが磔られたままにされている。彼らの陰嚢はパックリと開いて何もなくなった中身を虚しく晒し続けていた。
「ねえ、これってもしかして今日の鏡餅曳でとった男たちのキンタマ?」
「そうよ、なんでか毎年ここに持って来られるのよね」
「ヤダなぁもう縁起でもないわぁ、潰して燃やしとくね」
ドス、ドス、ブチュ、グチュ
ドス、グチャ、グチュ、ジュブ
グチャ、ジュブ、ドブゥ、ドグブゥ
ジュブ、グジュ、ジュク、ブジュウゥゥ
飯炊き女中は土間で藁の上に置いた睾丸を足で踏潰しそのまま竈の火に蹴りいれる。元の形も留めないほど崩れて藁に絡まった精巣組織は燃えて灰になった。こうして正月行事は締め括られたのだ。
ー完ー
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投稿:2022.12.24更新:2023.02.02
《1》偽睾丸のお年玉 《2》元旦の去勢同意書 《3》書初め切断筆おろし 《4》正月凧の唸り少年の叫び《5》大奥鏡餅曳き袋裂き
著者 ほねっこ様 / アクセス 5568 / ♥ 44