羅切宗廃寺跡発掘調査報告書
羅切宗廃寺跡発掘調査報告書
金製銘板の発見と解析
発行機関: 奈良県文化財研究所
調査期間: 2024年4月~2024年11月
調査主任: 田中宏明(奈良県文化財研究所 主任研究員)
調 査 員: 佐藤美香、山田太郎、鈴木花子
1. 調査概要
1.1 調査地点
所在地: 奈良県吉野郡十津川村大字上野地
遺跡名: 羅切寺跡(らせつじあと)
調査面積: 2,400㎡
調査原因: 林道建設に伴う緊急発掘調査
1.2 遺跡の概要
本遺跡は、16世紀後期から17世紀前期にかけて存在したとされる仏教寺院跡である。文献史料には記録が乏しく、これまでその実態は不明であった。今回の発掘調査により、極めて特異な宗教実践を行っていた仏教宗派の存在が明らかとなった。
2. 主要な発見
2.1 建物遺構
本堂跡(7間×5間)
薬師堂跡(5間×4間)
庫裏跡(5間×3間)
僧房跡(3間×2間、4棟)
地下納骨室(薬師堂床下)
2.2 出土遺物
陶磁器類:47点
金属製品:23点
石製品:15点
金製銘板:3点(本報告の主要対象)
青銅製容器:13点
3. 金製銘板の発見と詳細分析
3.1 発見状況
金製銘板3点は、薬師堂跡地下納骨室内で発見された。うち2点は木製棚上で発見され、それぞれ青銅製の小型壺(口径8cm、高さ20cm)に付属していた。第3号銘板は納骨室の最奥角部で発見され、密閉性の高い青銅製容器(口径10cm、高さ20cm、蓋付き)と共に出土した。第1・2号の壺内部からは有機物の痕跡が検出されたが保存状態は極めて悪く、詳細な分析は困難であった。しかし第3号容器は密閉状態が良好で、内容物の保存状態は極めて良好であった。
3.2 銘板の物理的特徴
材質: 純金(純度99.2%)
寸法: 縦12cm×横8cm×厚さ2mm
重量: 各約150g
技法: 彫金による文字彫刻
点数: 3点
3.3 銘板の銘文解読
3.3.1 第1号銘板(遺物番号:RS-2024-001)
羅切宗比丘 慈念
俗名:常世喜問多(とこよ きとうた)
入門:天正十二年三月十五日
断根:天正十三年八月二十三日
男根寸法:長さ二寸八分、周囲一寸九分
金玉寸法:左右合計一寸八分
薬師如来御前奉納
慈雲長老証明
3.3.2 第2号銘板(遺物番号:RS-2024-002)
羅切宗比丘 無欲
俗名:弥助(元信長公家臣)
入門:天正十一年二月十五日
断根:天正十一年五月七日
男根寸法:既失(幼時除去)
金玉寸法:左右合計二寸一分
薬師如来御前奉納
慈雲長老証明
3.3.3 第3号銘板(遺物番号:RS-2024-003)
羅切宗比丘 浄空
俗名:稲積弥刑部(いなづみ やぎょうぶ)
入門:天正十年九月二日
断根:天正十一年正月十八日
男根寸法:長さ三寸一分、周囲二寸二分
金玉寸法:左右合計二寸三分
薬師如来御前奉納
慈雲長老証明
4. 第3号容器の科学的分析
4.1 保存状態の検証
第3号銘板に付属していた密閉容器は、銘文に「完全保存」と記載されている通り、極めて良好な保存状態を示していた。容器内部は樹脂系の防腐剤で満たされており、pH値は4.2と酸性を保っていた。
4.2 内容物の分析(奈良大学医学部法医学教室との共同研究)
容器から取り出された有機物質について、奈良大学医学部法医学教室の協力を得て詳細な分析を実施した。
4.2.1 物理的観察
検体1: 男性器官(長さ約9.3cm、著しく収縮)
検体2: 睾丸2個(それぞれ直径約2.1cm、重量計測不可)
外観: 藤原清衡のミイラに類似した、干し肉状の茶褐色
質感: 完全に乾燥し硬化、皮革のような手触り
収縮状況: 原形の約60%程度まで縮小と推定
4.2.2 組織学的分析
海綿体組織は完全に脱水・硬化し、干し肉様の状態
血管構造の痕跡が筋状に確認される
表皮組織は革のように硬化し、色調は濃茶色
睾丸組織は核桃のように収縮し、表面に皺が形成
全体として中尊寺金色堂の藤原清衡ミイラと酷似した保存状態
4.2.3 化学的分析
防腐処理には天然樹脂(松脂系)と塩類が使用
有機物の炭素年代測定:1580年±30年
DNA分析:分解が進行しており詳細な遺伝子情報の取得は困難
4.3 保存技術の考察
16世紀後期においてこれほど高度な有機物保存技術が存在したことは驚異的である。使用された防腐技術は、当時の医学・薬学知識の高さを示すものであり、羅切宗が単なる宗教団体ではなく、高度な技術集団でもあったことを示唆している。
5. 銘文の歴史的意義
5.1 羅切宗について
今回発見された銘板により、これまで文献にわずかな記録しか残らなかった「羅切宗」という仏教宗派の実態が初めて具体的に明らかとなった。銘文から判断すると、この宗派は男性器官の切除を修行の一環として行う極めて特異な宗教実践を有していたと考えられる。第3号銘板の「松平忠次」は三河武士と記載されており、徳川家臣団との関連も示唆される。
5.2 弥助の同定
第2号銘板に記載された「弥助(元信長公家臣)」は、織田信長に仕えた黒人武士として知られる歴史上の人物と同一人物である可能性が極めて高い。これまで弥助の本能寺の変以降の動向は不明であったが、今回の発見により、彼が仏教に帰依し、この特殊な宗派に加わっていた可能性が示唆される。
5.3 年代考証
銘板に記載された年号(天正10年~13年)は、1582年~1585年に相当し、本能寺の変(1582年)直後の時期と一致する。これは弥助が信長の死後、比較的短期間でこの宗派に入門したことを示している。また、第3号銘板の保存状態の良さは、この修行が計画的かつ体系的に行われていたことを物語っている。
6. 宗教史的考察
6.1 極端な禁欲主義
羅切宗の実践は、仏教における禁欲主義を極限まで推し進めたものと解釈される。男性器官の物理的除去により、性的欲望を根絶しようとする思想は、インドの一部のヒンドゥー教やジャイナ教に類似例が見られるが、日本仏教においては極めて異例である。
6.2 身体の物質化と聖遺物化
切除された器官を保存し、薬師如来像前に奉納するという実践は、身体の一部を聖遺物として扱う発想を示している。これは、仏舎利信仰の変形と考えられ、極端な身体否定思想の表れと解釈できる。第3号容器の高度な保存技術は、この聖遺物化への強い意識を物語っている。
6.3 記録の意義
銘板に詳細な寸法が記録されていることは、この行為が単なる宗教的狂信ではなく、体系化された儀式として行われていたことを示している。また、俗名や入門日の記載は、個人のアイデンティティと宗教的変容の過程を記録する意図があったと考えられる。
7. 今後の研究課題
7.1 文献史料の再検討
今回の発見を受けて、羅切宗に関する文献史料の再調査が必要である。特に、江戸幕府による宗教統制との関連で、この宗派がいかにして消滅したかの解明が期待される。
7.2 他遺跡との比較検討
類似の宗教実践を示す遺跡が他に存在するかどうかの調査が必要である。特に、吉野・熊野地域の廃寺跡における類似遺物の存在可能性を検討すべきである。
7.3 弥助研究への貢献
今回の発見は、弥助の人物像理解に新たな視点を提供する。彼の宗教的転向の背景や、当時の外国人と日本社会の関係性について、さらなる研究が期待される。
7.4 保存技術の研究
第3号容器で確認された高度な有機物保存技術について、当時の医学・薬学技術史の観点からさらなる研究が必要である。
8. 結論
羅切寺跡から発見された金製銘板3点と保存された有機物は、16世紀後期の日本宗教史において極めて重要な史料である。特に、歴史上の人物である弥助の新たな一面を明らかにしたことは、戦国時代研究および宗教史研究に大きな意義を持つ。また、第3号容器の発見は、当時の技術水準についても新たな知見を提供している。今後、この発見を起点として、日本仏教における極端な禁欲主義の系譜や、外国人の宗教的統合過程について、さらなる研究の発展が期待される。