通告
通告
その葉書は、何の変哲もない官製の白い厚紙だった。だが、それはこの国に生きる全ての男にとって最終通告と同じ意味を持っていた。
「男性の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための最適化に関する特別法」に基づく通告
貴殿は、標記の法律に基づき、下記の通り最適化措置の対象となりましたことを、ここに通告いたします。本通告は最終決定であり、貴殿に拒否権、あるいは異議申し立ての権利は認められておりません。
1.措置事由
最終年齢(満55歳)への到達
2.出頭要請
日時: 万和31年 7月24日 午前10時00分
場所: 阿須賀市民病院 地下受付
持参物: 本通告書、個人番号カード
3.注意事項
・指定時刻までに必ず出頭してください。遅延は認められません。
・入場時に、衣服、装飾品を含む全ての所持品を回収します。詳細は当日、係員の指示に厳格に従ってください。
・正当な理由なく本通告に従わない場合、標記法第18条に基づき、非協力的個体として身柄を強制確保の上、追加措置を執行します。
・本件に関する問い合わせは、下記センターの自動音声ガイダンスでのみ受け付けます。
【内閣府直轄 男性管理室 総合コールセンター 電話:0570‐×××‐××××】
ハガキにはびっしりと細かい字で、男の有効期限が説明されていた。俺、岩田 剛は、その葉書を長距離トラックの運転で油と汗に汚れた指でつまみ上げた。団地の郵便受けの薄暗がりの中で、その無機質な明朝体の文字がやけにはっきりと見えた。市街地の古びた病院。その地下が何に使われているかは、思春期を過ぎれば誰でも知っている公然の秘密だった。
俺は、その葉書を作業着の胸ポケットに無造作にねじ込んだ。別れた女房に知らせる義理もない。空っぽの部屋に帰り埃と汗だらけの作業着を脱ぐと、一人で焼酎を煽りながら、パンツに手を突っ込み股間にぶら下がる長年連れ添った相棒を掌で包み込んだ。男の尊厳そのもの、その重さ。だが、実際はそんなものはこの世の中には存在しない。男を働かせるために、価値があるかの如く男らしさの下駄をはかされているだけだ。俺は酒が回って酔いつぶれると、股座の倅を握ったまま、冷たい泥の中に沈み込むように意識を失った。
指定された日、俺は阿須賀市民病院の地下にある、その待合室にいた。地上から階段を延々と下りてきた先の、カビ臭い、湿った空間。壁にはいつ貼られたものか分からない色褪せた啓蒙ポスターが数枚。清掃だけはしやすそうな、座り心地の悪い硬いプラスチックの椅子が整然と並べられている。
「根性のないヤツは胃の中のものを吐きだしたり、ションベンをもらすだろうからな…」
窓もない空間で、天井からは目に五月蠅く突き刺ささるLEDの青白い光が照らし、俺たちの身体を頭のてっぺんからつま先まで、隠しようもなく暴こうとしていた。そこにいるのは五十人ほどの、様々な年齢、様々な体型の男たち。そして、その誰もが既に一糸まとわぬ生まれたままの姿になっている。受付で渡されたプラスチックの番号札を手首につけられ、屠殺を待つ家畜のように恐怖をひた隠しにしながら、ただ自分の番が来るのを待っている。部屋の空気は重いが、奇妙な熱気を帯びていた。男たちの体温、緊張が滲む汗の匂い、言葉にならない諦念。
俺の数席隣には、やけに口数の多い中肉中背の男がいた。笹川と名乗ったそいつは、四十代後半で中小企業の営業マンらしい。一日中、ろくに売れもしない商品のために外回りをさせられる男だ、調子がいいことにも納得する。笹川は恐怖を誤魔化すように、周囲の男たちへ自分の武勇伝をひっきりなしに語っていた。
「いやあ、俺のチンポはですね、若い頃はそりゃモテましたよ! 懇ろになった女性たちはみんな形がいいって、よく言われたもんだ。まあ、こいつのおかげで女房と二人の子供に会えましたしね…今日までありがとさんって感謝しないとでしょ!」
それが虚勢だとは誰の目にも明らかだった。
向かいには、俺と同じくらいの歳だろうか、五十代の物静かな男が座っていた。若い頃は柔道で鳴らしたというその男の身体は、中年太りの柔らかい脂肪に覆われてはいるが、分厚い胸板や広い肩幅で格闘技をしていたことは容易に想像できた。白髪交じりの見事に禿げ上がった頭をしているそいつは熊谷といった。2人の息子と4人の娘を嫁さんに仕込んだという。男の義務を果たしきったその男は、周囲から尊敬のまなざしを受けていた。しかし、熊谷は必要なことだけ喋ればあとは黙って目をつむり、時折自分のキンタマを慈しむように握りしめていた。
部屋の隅には、ひときわ若い男が膝を抱えて座っていた。まだ三十代前半に見える鷹見という男だ。細い身体は恐怖に縮こまり、その白い肌は青ざめてさえいる。実子がいれば人数に応じて通告は猶予される。なぜ若すぎる鷹見がここにいるのか、誰もが訝しげに見ていた。やがて、笹川が耐えきれなくなったように尋ねた。
「なあ、あんちゃん。あんた、歳はいくつだ?子供は?」
鷹見は、顔を上げてか細い声で答えた。
「…いません」
その一言に、部屋の空気がさらに重くなる。
「俺は…」鷹見の声が震える。「自分は、無精子症なんです…」
その告白に、部屋が一瞬静まり返った。やがて、鷹見は堰を切ったように、うつむいたままぽつりぽつりと語り始めた。その言葉は、ここにいる全ての男の胸に突き刺さった。
「結婚してすぐ…検査を受けさせられました。何度も、何度も、小さなカップに…自分で…。でも、いつも結果はゼロでした。まともな子種なんて一匹もいなかったんです…」
そいつの視線が、自分の哀れな性器に向けられる。
「最後の検査は…この…このキンタマに、直接針を刺して、精子を作る細胞を調べるんです」
鷹見は、そこで言葉を切り、息を吸った。その目には、過去の光景がまざまざと映っているようだった。
「その検査室には…妻もいました。医師が俺のキンタマをいじくり、針を刺すのを、彼女は腕を組んで、じっと監視するように見ていました。一本、また一本と、何か所も穿刺されて…サンプルが採取されるたびに、医師は顕微鏡を覗き込んで、首を横に振るんです」
部屋の男たちは、息を詰めて鷹見の言葉を聞いていた。
「そして最後に、医師は妻に向かって言いました。『ご主人の精巣組織に、精子形成能力は認められません』って…。俺にじゃない。妻に、です」
鷹見は、顔を覆った。その肩が小刻みに震えている。
「俺は、妻の顔を見ました。そこにあったのは、失望と…欠陥品を見るような、冷たい目でした…」
調子のよかった笹川も、今は唇を固く結んでいる。男としての義務を果たせなかった鷹見の白くひょろ長いペニス。男たちは、その哀れなモノに同情と憐れみの目を向けては、すぐにそらした。待合室は重い沈黙の中に沈み、男達はただ黙って自分の番を待った。
やがて、スピーカーから突然流れたアナウンスが、その沈黙を切り裂いた。
「A-001番の方、処置室へお入りください」それは鷹見の番号だった。
全ての視線が、部屋の隅で膝を抱えていた青白い男に突き刺さる。鷹見は、まるで自分の名が呼ばれたことを理解できないかのように、数秒間、虚空を見つめていた。やがて、びくりと肩を震わせると、おぼつかない足取りでゆっくりと立ち上がった。細い身体は、恐怖でわなわなと震えている。鷹見は誰とも視線を合わせず、うつむいたまま重い足取りで歩いていった。
カタン、と軽い音を立てて扉が閉まる。
待合室では誰もが息を殺し、耳をそばだて、扉の向こう側で今から始まるであろう出来事に、全神経を集中させていた。男たちの額に、脂汗が玉のように浮かぶ。最初に聞こえてきたのは、壁一枚を隔てた向こう側から聞こえる、女の声だ。言葉の内容までは聞き取れない。だが、何かを事務的に説明していることだけは分かった。
次の瞬間。
「ひっ…!あ、ああ…やめ…」
か細く、引きつった鷹見の声が聞こえた。それはすぐに、何かに遮られるように途切れる。部屋の空気が、凍り付いた。虚勢を張っていた笹川の顔から血の気が失せ、口を半開きにしたまま硬直している。向かいに座る熊谷は、固く目を閉じ、その太い指でタマを潰れんばかりに強く握りしめていた。
ヴヴヴヴン……。
不意に、不快なモーターが響き執拗に続いた。おそらく陰毛が剃られる音だと俺は想像した。
しばらくして…。
「ぎぃあああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
それは、人間の喉から発せられるとは思えない、魂そのものを引き裂くような絶叫だった。苦痛、恐怖、そして絶望。あらゆる負の感情を凝縮したような叫び声が、厚い扉を突き抜けてくる。
「うわっ…!」
誰かが短い悲鳴を上げた。
「な、なんだ…今の…」笹川が、震える声で呟く。そいつの顔は恐怖に歪み、もはや武勇伝を語っていた男の面影はない。
一人の男が、椅子からずり落ちるように床にへたり込んだ。その股間から、温かい液体がだらしなく流れ出し、床に小さな水たまりを作っていく。恐怖のあまり失禁してしまったのだ。だが、それを咎めるものはいない。他人を責める余裕などない。
「お、おい…嘘だろ…」
「もうやだ…家に帰してくれ…俺は帰るぞ!」
取り乱す男たちに、再び鷹見の絶叫が漏れ出してくる。
「ごめんなさい!出来損ないのキンタマで、ごめんなさいぃぃぃぃっ!」
「いやだああああっ!! いやだああああっ!!」
パニックは伝染する。数人の男は頭を抱えて唸り始めた。俺は、自分の心臓が喉から飛び出しそうに激しく波打つのを感じていた。鷹見の絶叫が、頭蓋の内側で反響する。俺もまた無意識に、自分のチンポとタマに手を伸ばしていた。まだ、ここにある。まだ、俺は男だと確かめざるを得ないのだ。
鷹見の叫び声が、ふと糸が切れたかのように途絶えた。 待合室を支配したのは、先ほどよりもさらに重く、粘り気のある沈黙だった。男たちは、次の瞬間に自分の番号が呼ばれることを覚悟し身を固くした。
ガチャリ
音を立てて処置室の扉が開く。だが、響いてきたのは次の番号を告げるアナウンスではなかった。
「はい、ご苦労様。次のセクションに搬送して」
事務的な女の声と共に、二人の女ががストレッチャーを押して現れた。点滴を繋がれた鷹見が全裸のまま横たわっている。血の気がない顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。虚ろな目は天井の一点を見つめたまま微動だにしない。
鷹見の無防備に晒された下半身。男たちの視線が、そこに釘付けになる。
息を呑む音。
そこにあったのは綺麗に剃り上げられたツルツルの股間。力なく垂れ下がった一本の陰茎。その下には、しわしわになった陰嚢が確かにぶら下がっている。血はない。縫合の跡もない。男のシンボルが、物理的に切り取られた形跡はどこにも見当たらなかった。
「…ち、チンポが…あるぞ…」 誰かが、かすれた声で呟いた。その一言が、張り詰めていた空気をわずかに緩ませる。そうだ、ペニスは残っている。タマ袋も、ちゃんとついている。あの絶叫は、一体何だったのか。だが、少なくとも、切り刻まれるわけではない。その事実に、男たちにごくわずかな、しかし確かな安堵が与えられた。
ストレッチャーが音もなく遠ざかっていく。
では、あの絶叫は?
あの扉の向こうで何が行われたというのだ?
次のアナウンスが流れる。
「A-002番の方、及びA-003番の方、処置室へお進みください」
俺と、隣の笹川の番号だった。
観念して立ち上がると、汗で椅子に張り付いていた陰嚢が、べり、と生々しい音を立てて剥がれた。タマの重みがいつもよりやけにリアルに感じる。 俺と笹川は互いに覚悟を促すように一度だけ強く視線を合わせると無言で歩き出した。
診察室の扉を開けると、消毒液のツンとした匂いと、甘ったるい芳香剤の匂いが混じり合って漂ってきた。
天井のレールから垂れた薄いピンクのカーテンで仕切られた空間。カーテンの隙間からは、同じくピンクのスクラブを着た女たちの姿が行き交うのが見える。医師も看護師も全員女だ。
「はーい、岩田さんはこちらへどうぞ。笹川さんはあちらへ」
若い女性看護師が拍子抜けするほどの笑顔で指示を出す。俺は笹川と無言で別れ、カーテンの奥へと足を踏み入れた。そして、そこに置かれていた分娩台を目にし、俺は凍り付いた。
「おい…」
俺は、背後の看護師にドスの利いた声で振り向いた。
「なんだこりゃあ。ふざけてんのか!これは女が使うもんだろ!」
俺の剣幕に、しかし女はにこやかな笑みを一切崩さない。それどころか、心底おかしそうに喉を鳴らし、そして言った。
「ええ、そうですよ」
その肯定は、あまりにもあっさりとしていた。
「だから…あなたに座っていただくんです。もう男じゃなくなるんですから」
その言葉は、ハンマーのように俺の頭を殴りつけた。怒りで沸騰していたはずの血が、急速に冷えていく。俺が声もなく立ち尽くしていると、まるでタイミングを計っていたかのように、音もなく、俺の両脇に、別の二人の女性係員がすっと現れた。スクラブの上からでも分かるほど、がっしりとした体つきの女たちだった。
「岩田さん」最初の看護師が、なおも笑顔で言う。「さあ、賢い選択をなさってくださいね。これ以上、無様な抵抗をなさいますか?」
その言葉は、優雅な響きを持った、紛れもない最後通告だった。抵抗すれば、この女たちに力ずくで押さえつけられ、もっと惨めに、家畜のようにこの台に縛り付けられるのだ。もはや、意味のないことだった。俺は、歯を食いしばり、わななく体を無理やり抑えつけると、自ら屈辱の処刑台へと歩み、冷たい処置台に腰を下ろした。
「はい、よくできました」女は手を叩いて喜ぶと、無慈悲な指示を続けた。「では、仰向けになって、そこの足置きに膝の裏を乗せてください」
俺は、言われるがままに、その年季の入った肉体を横たえ、足をあの屈辱的な位置へと持ち上げた。股が、無様に開かれていく。チンポとタマだけじゃない、ケツの穴までが女たちの前でおっぴろげられた。顔が、カッと熱くなるのが分かった。屈辱に耐えている間に、女たちは手際よく革のバンドで俺の体を固く縛り付けていった。
「では、安全のために固定しますね」
カチリ
「あっ、笹川さんはもうおちんちんの処理おわりました?。先に笹川さんのタマタマの処理もしてくるので岩田さんは、どうぞリラックスなさっててね」
俺の拘束に手間取っている間に、笹川のやつはもうチンポをどうにかされていたらしい。カーテンの向こうで、女医が笹川に説明しているのが聞こえる。
「…じゃあ次は、あなたのタマ…精巣に対して、熱化学的融解処置を行います。難しい言葉だったかしら?要するに、その中身を、もう悪いことをしないように、溶かしちゃうってことよ」
直後、隣のブースから、笹川が息を呑む、ひゅっという短い音が聞こえた。
「……え…?」
「と、溶かす…?な、何を…冗談、ですよね…?」
女医は答えず、代わりに、カーテンに映る影が動いた。
影は屈み込み、笹川の股間あたりに両手を伸ばす。
「ひっ…!」
笹川の引きつった声と、革のバンドがきしむ音が、同時に響いた。見えなくても分かる。笹川が、処置台の上で必死にもがき始めているのだ。
「や、やめてくれ!頼む!俺には妻と子供が…!金なら払う!働いていくらでも!だから、それだけは!やめろおおおっ!」
待合室での虚勢は見る影もなく、その声は完全に裏返り、泣きじゃくるような懇願に変わっていた。
「はいはい、大丈夫ですよ。すぐ終わりますからね」
看護師はまるで赤子をあやすようにそいつの懇願を遮る。
「いやだ!いやだあああああああああああああ!」
「ぎゃあああああああああああっっっ!!!!」
「熱い!熱い熱い!キンタマ熱いイイ!熱いイイイイイイっ!」
笹川は喉を押しつぶすぐらいに叫びつづける。
「よし、精巣融解は良好のようね」女医の声が再び響く。「では次に、精巣内容物の強制排出に移行します。薬剤を静注しますので、少しちくっとしますよ」
ビシャッ!ビシャッ!ビシャッ!
まるで、濡れた雑巾を壁に何度も叩きつけるような、粘り気のある破裂音。それは断続的に、しかし凄まじい勢いで繰り返される。
「うわああああああ!な、なんだこれええええ!止まらねえ!俺の!俺のキンタマが!チンポから出ちまうううううう!」
笹川のパニックに陥った絶叫。
ビシャ!ビシャビシャビシャッ!
音がさらに激しくなる。カーテンに、何か黒っぽい染みがいくつも浮かび上がった。おびただしい量の液体が、笹川のチンポから撒き散らされているのだ。
俺は、息を呑んだ。脳裏に、おぞましい光景が浮かぶ。溶かされた精巣。それが今、原型を留めない液状のゴミとなって、制御不能のまま体から排出されているのだ。
「あらあら、すごい飛沫。カーテンが汚れてしまうわ」
「本当ですね、先生。後でしっかり消毒しないと」
女医と看護師たちの、平然とした会話が聞こえる。やがて、長い長い放出が終わったのか、音は途切れ途切れになり、最後に滴が水たまりに落ちるような小さな音を立てて、完全に止んだ。後に残されたのは、笹川の力ないすすり泣きだけだった。
俺が、隣のブースで起きた出来事に慄然としている、まさにその時だった。
俺のブースのカーテンが、さっと音を立てて開かれた。
そこに立っていたのは、笹川の男を終わらせたあの女医だった。白衣には、笹川と鷹見のものだろう、あいつらの溶かされたキンタマの染みがついていた。
「お待たせしましたね、岩田さん」
二人の若い看護師も入ってくる。一人は消毒液と膿盆を、もう一人は業務用の電気バリカンを手にしていた。
俺の股間は恐怖で縮み上がり、陰毛の茂みのなかに逃げ込もうとする。
「あらあら、すっかり小さくなって…毛に隠れておちんちん見えないじゃない」一人の看護師が、俺の股間を覗き込み、くすくすと喉を鳴らして笑った。「隣の方の処置、そんなに怖かったですか?大丈夫ですよ、あっという間におわりますって」
慰めとは程遠い、去勢宣告。
「さあ、処置の前に、まずは綺麗にしましょうね」
不快なモーター音と共に、バリカンのスイッチが入る。
ブウウウウウウウン……。
バリバリバリッ!
粗雑な音を立てて、下腹の茂みが刈り取られていく。屈辱に顔を歪め、ただ目を固く閉じる。やがて、不快なモーター音が止むと、俺の股間はガキのチンポような情けない姿を晒していた。
「はい、綺麗になりましたね」
女医は、その仕上がりを満足げに見下ろすと、貼り付けた笑みで言った。
「では、処置を始める前に、あなたの男性機能が現在どのレベルにあるのか、最終的なデータを取らせていただきます。ご自身のその手で、射精に至ることが可能かどうか、我々の前で見せてちょうだい」
「……ふざけるな」絞り出した声は、自分でも驚くほどかすれていた。「こんな状況で、できるわけがないだろう」
「あら、できないの?」女医は、心底意外だというように小首をかしげた。「あなたの記録、読ませていただいたわ。離婚なさっているのね。もしかして、前の奥様も満足させてあげられなかったのかしら?」
「……ッ!」その言葉は、俺の心の最も柔い部分を的確に抉った。
「さあ、どうなさるの?」女医は、俺の反応を楽しんでいる。「この最終機能評価をクリアできない個体は、機能不全と見なされ、その後の『再教育』プログラムが少し…厳しくなるのだけれど?」
それは紛れもない脅迫だった。
俺は、奥歯を噛みしめながら頷いた。
看護師が俺の右手の拘束を外す。時間は六十秒。俺は、震える手で、女たちの好奇と侮蔑の視線に晒された自分の陰茎を、ゆっくりと握りしめた。
(勃て…!勃てよっ、クソッたれ!)
「残り、三十秒…残念だわ」
(なめるなよ…!)
俺は、無我夢中で倅を扱いた。俺がまだ「男」であることを証明するための意地だった。
「残り、五秒」
女医のカウントダウンと同時に、俺は腰を持ち上げ腹の底から吹き上げるように大きな弧を描いて射精した。しかし、人生最後の絶頂を迎えたその瞬間、俺は一気に醒めて現実にもどされる。俺がまだ肩で荒い息をついている間に、右の手首が再び容赦なく拘束される。
「はい、射精を確認。心拍数、血圧ともに典型的な不応期への移行パターンね」
女医は、手元のタブレットに表示された数値から目を上げることもなく、そう冷たく言い放った。
「岩田さん。たった一度の射精で、あなたの興奮は完全にリセットされた。さっきまでの威勢はどこへやら、そんな悟ったような冷静なお顔をなさって…」
「射精と共にプロラクチンが放出され、快感をもたらすドパミンが強制的に抑制される…あなたたち男の脳は、絶頂の直後に自らそれを強制終了させるスイッチを押すようにできているのよね」
女医は続ける。
「あなたたちは、子孫を残すための遺伝子データを放出すればそれで終わり。セックスではただの一度の放出で完結してしまう出来損ないの快楽しか与えられず、普段は身を粉にして家族や社会のために働き、戦争になれば殺し合いに連れていかれる、実に便利な存在、そして…実に哀れだわ」
その言葉は、俺が最後に振り絞った「男の意地」そのものを、根底から否定するものだった。俺の、この虚しい達成感と虚脱感こそが、オスの限界であり、哀れさの証明なのだと、この女は言っているのだ。
「でも、もうそんな哀れなサイクルの心配もいらないわ。その非効率で感傷的な機能は、今から私たちが完全に終わらせてあげるから。さあ、適応処置をはじめましょうか」
女医はそう言うと、初めて俺の目を見て、にこりと微笑んだ。
「最初に、陰茎の知覚を司る神経を、永久に破壊する薬剤を注入します。選択的知覚神経破壊剤、とでも言いましょうか。この薬剤は、神経組織そのものを不可逆的に変性させるの。つまり、もう二度と、あなたのおちんちんの先っぽは気持ちよくならないということです。いやらしい快感に惑わされることもなくなるのですから、合理的でしょう?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。勃起を失うだけではない。快感そのものを、細胞レベルで、永久に殺すという宣告。
「やめ…」
俺が何かを言う前に、看護師が俺の陰茎の根本を強く掴んで固定し、女医がそこに長い針を深く突き刺した。
「ぐっ…!」
体の奥深くに、一瞬、焼けるような激痛が走る。神経が断末魔の悲鳴を上げている。だが、痛みはすぐに陰茎全体に広がる完全な無感覚へと変わっていった。まるで、自分のそこだけが、分厚い鉛で覆われたような感覚。数秒もしないうちに、亀頭はもちろんペニスの付け根に至るまでが麻痺状態となった。
女医は、間髪入れずに次の注射器を手に取った。「今度はこの陰茎海綿体に硬化剤を注入して、組織を永久に線維化させます。ペニスは海綿体に血液を取り込む力を失います。ただの、排尿のための柔らかい管の完成ですよ」
再び、陰茎の根本に針が突き刺さる。今度は痛みさえなく、俺は勃起する力を永遠に奪われた。
「はい、これでおちんちんの処置は完了ですよ」
女医が冷たくそう宣言した時だった。一人の看護師が女医に提案した。
「先生、岩田さんのおちんちん、本当に何も感じなくて大きくもならないのか、最後に確認してみてもよろしいですか?」
「ええ、いいわよ。しっかり確認してあげなさい」
女医が許可すると、看護師たちは楽しそうに俺の股間を覗き込んだ。
一人が、ぬるぬるしたローションがたっぷり染み込んだガーゼを、ピンセットでつまみ上げた。そして、そのガーゼを、俺の感覚が永久に消え失せた亀頭に押し当て汚れた食器でも磨くかのように執拗にこする。俺のチンポはただされるがままだった。硬くなる兆候も、ぴくりと痙攣する反応さえもない。
「本当だ、全然動かない」
「じゃあ、これはどうかしら?」
別の看護師が、ゴム手袋をはめた指で、弛緩して力なく垂れ下がる俺のペニスを、強く弾いた。
ピシっ
乾いた音が響く。俺の陰茎は柔らかい樹脂でできた玩具のように、無機質に揺れただけだった。
「見て、ほんとにゴムみたいだよ!」
「本当だ。ぴしぴし叩いても、全然平気なのね」
きゃらきゃらと笑いながら、看護師たちは代わる代わる、俺の感覚も機能も失ったペニスを指で弾き始めた。ぴし、ぴし、と屈辱的な音が続く。悔しさで、視界が滲む。俺は顔を背け、声を殺して泣いた。
「あら、泣いていらっしゃるの?」
女医が、俺の顔を覗き込み、心底不思議そうに言った。
「でも、もう大丈夫。これで、いやらしいことで悩む必要はなくなったのですから。よかったですね。おちんちんの処置はこれで本当におーしまい」
女医は、俺の涙など意にも介さず俺のチンポに終了を宣言した。
「次に、あなたの大切なタマタマ…精巣の処置に移りますね」
隣のブースで笹川が体験した、あの地獄が、ついに俺の身に降りかかるのだ。俺は固く目を閉じたが、瞼の裏に焼き付いて離れないのは、笹川の絶叫と、カーテンを汚したおびただしい黒い飛沫だった。
「さあ、岩田さん。少しちくっとしますから、動かないでくださいね」
女医の、甘くねっとりとした声が響く。
次の瞬間、俺の陰嚢…タマ袋の薄い皮膚を、二本の冷たい針が容赦なく貫いた。
ズプリ…!
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
笹川と同じ絶叫が、俺自身の喉から迸った。
「はい、薬剤を注入します。ここからが本番。あなたのその汚らわしいタマタマが溶けていくのをよーく味わいなさい」
直後、針の先端から、何かが注入される感覚。
そして、灼熱が始まった。
ジジジジジジジジジジジジジ……
「あああああああああ!熱い!熱い!タマが、タマが熱い!ぐっ、あ、あ…!」
「ぐおおおおおおおっ!…はっ、ひっ…!ああああああああああああああああああ!」
俺は狂ったように叫び、処置台の上で身を捩った。だが、革のバンドが肉に食い込み、さらなる痛みを生むだけだった。俺は、自分のタマがその原型を失い、熱いヘドロのような液体へと変質していくのを、その悍ましい感覚を、股間で克明に感じ取っていた。
「あらあら、すごい反応。よほど精力がお強かったのね」
女医は、俺の苦悶をまるで興味深い臨床データのように眺めながら、淡々と解説を続ける。
「今、あなたの精巣内部では、注入した薬剤による熱化学反応が進行し、組織が急速に液状化しています。精子を産生する精細管も、男性性を司るテストステロンを分泌するライディッヒ細胞も、この熱でタンパク質が完全に変性・融解し、濃厚な懸濁液へと変質していくの。男らしさなんて、このわずか数ミリリットルのお薬で壊れちゃうのよ。さて、陰嚢内容物の状態を確認しましょうか」
女医は新しいゴム手袋をはめる。そして、汗で濡れた俺の陰嚢を無造作に掴んだ。
「ひっ…!」
俺の体が強張る。女医は構わず、袋の上から、かつてそこにあったはずの二つの塊を探すように、指を滑らせ、押し、軽く捏ねた。
「うん…固形組織の感触は、もうないわね」
指が陰嚢の一点をと押すと、袋の別の部分が液体に満たされたようにぷくりと膨らんだ。
「指で押せば、抵抗なく内容液が移動するのが分かる。融解は、完了」
「う…ああ…いやだ…!嘘だろ!俺の…俺のキンタマを、返してくれええええっ!」
「はい、融解処置は良好。では、この溶けたタマタマを綺麗にお掃除してあげましょう。精巣内容物の強制排出に移行します」
俺は、これから起きることを知っていた。知っていたからこそ、その恐怖は計り知れなかった。
女医は、新しい注射器を手に取り、俺の腕の静脈に針を当てながら、俺の顔を覗き込んでにこりと笑った。
「ねえ、岩田さん。今からあなたに注射するこのお薬が、何だか分かるかしら?」
その問いの意味が分からず、俺はただ喘ぎながら女医の顔を見つめた。
「これはね、子宮収縮剤…女性の分娩を促進させるために使うお薬なのよ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。分娩…?
「そう。女性たちはね、このお薬で凄まじい陣痛を引き起こして、何時間も、時には何日も耐え抜くの。自分の体が内側から引き裂かれるような激痛に耐えて、新しい命をこの世に送り出すのよ。それは、尊い痛みでしょう?」
女医はうっとりとした表情で語ると、その目をすっと細め、俺を蔑むような視線で射抜いた。
「でも、あなたは違う。あなたはこれから、それと似たような、内臓がねじ切れるほどの強烈な痙攣を味わうことになる。何のために?ただ、その役立たずになったタマタマの中身…どろどろに溶けた廃棄物を、体外に捨てるためだけに」
隣にいた看護師が、くすくすと笑いながら言葉を継いだ。
「女の人の痛みには、命を産むっていう偉大な意味があるけど、あなたの痛みはただのゴミ出しですもんね。それで泣き叫んだら、みっともないですよ?」
薬剤が、俺の腕の静脈に注入される。下腹部の奥深くから、これまで経験したことのない強烈な痙攣が俺を襲った。女たちの言った通り、内臓を直接掴まれ、雑巾のように絞り上げられるような、暴力的で、逃げ場のない収縮だった。
「これが…女の…」
痛みと屈辱の中で、意識が朦朧とする。女たちは、この痛みに耐えるのか。命のために。それに比べて俺は、俺のこの痛みは、ただのゴミだ…無価値だ。
「ああ…っ!あああああっ!来る!来るぞ!やめろおおおおおお!」
ドビュ、ドクドクドクドクッッッ!! ビューッ! ビューッ!
陰茎の先端から熱い液体が凄まじい勢いで噴出した。それは、俺が知っている精液などでは断じてない。隣のカーテンを汚したのと同じ、粘り気のある汚泥のような液体。俺の、男としての全てが溶け落ちた、なれの果て。勢いよく流れる水を吹き出すホースのように、ペニスは柔らかいままでのたうち回ってあちこちに精巣が溶けた体液を撒き散らす。
「うわああああああ!な、なんだこれええええ!止まらねえ!俺の!俺のキンタマが!チンポから出ちまうううううう!」
「あらあら、すごい声。女の人はもっと我慢強いわよ」
「本当ですね、先生。こんなの、陣痛に比べたら全然大したことないのに」
女たちの嘲笑が、噴出の音に混じって降り注ぐ。俺は自分の体から噴き出すおぞましい光景と、その声に、完全に正気を失っていった。排泄液は放物線を描き、向かいの壁や、処置にあたる女たちのピンクのスクラブに、ビシャビシャと音を立てて叩きつけられる。一度では終わらない。体が痙攣するたびに、何度も、何度も、俺のタマだったものが、その最後のひとかけらまで体外へと噴き出されていく。
ドピュ、ドピュ、ビシャッ!
長い放出が終わった。俺の体から、絞り出すものはもう何も残っていなかった。俺は、ただ喘ぎながら汚物で汚れた自分の腹や胸、手足を虚ろな目で見つめていた。
もう、俺の中に「男」は、ひとかけらも残っていなかった。
「はい、排出完了」
女医は、手元のタブレットに何かを打ち込みながら、事務的に告げた。
「岩田さん、処置は全て終了です。お疲れ様でした」
その声には、もはや俺を嬲るような響きはなく、ただ仕事を終えただけの、平坦な響きだけがあった。
二人の看護師が、汚れたシーツを手際よく剥がし、俺の体にこびりついた汚物を、消毒液の染みたガーゼで乱暴に拭き取っていく。革の拘束バンドが外される。ぐったりとした俺の体は、二人の女に軽々と持ち上げられ、隣に用意されていたストレッチャーの上へと移された。
点滴の針が、力なく垂れ下がった俺の腕に突き刺さる。冷たい液体が、血管を通って全身に広がっていくのが分かった。身体の力が抜け、目はぼやけるが、聴覚だけはやけに鋭敏なまま残っている。
知らぬ間に隣のカーテンの向こう側には新しい男が拘束されていたようだ。それは、あの物静かな柔道家、熊谷だった。
「さて、忌避者、熊谷さん」
女医の、氷のように冷たい声が響いた。その声には、先の俺に対するような、からかう響きは一切ない。ただ、規律を破った違反者を処理するための、完全な無感情だけがあった。
「あなたの場合は標準プロトコルではありません。一度逃げ出した臆病者への追加措置として、まずその陰茎の勃起機能を、物理的に、そして不可逆的に破壊します」
「ううう、うぐううううっ」
熊谷は口枷を嵌められているようだ。
カーテンの向こうで、看護師が何か重々しい金属製の器具を準備する、ガチャリ、ギギギ…というラチェットを巻き上げるような音が聞こえた。
「先生、陰茎海綿体挫滅器の準備、できました」
「結構。では、陰茎を基部でしっかり把持して。皮膚を伸展させて」
「んんっ!んぐうううっ!」
熊谷の、口枷ごしの呻きが激しくなる。革のバンドがミシミシと悲鳴を上げ、カーテンに映るそいつの影が大きくしなった。女たちが、その巨体を押さえつけているのが分かる。
「ラチェットを一段階進めるわ。抵抗値をモニターして」
ギッ、と硬い金属が噛み合う音。
「んんんんんーーーーーっっっ!!」
熊谷の呻きが一際大きくなる。それはもはや声ではなく、圧搾される肉体から絞り出された、苦悶の呼気そのものだった。
「海綿体抵抗値、高いです」
「構わないわ。もう一段階、進めて」
ギギッ、と、さらに強く締め上げる音。ミシミシと、そいつの体内の硬い組織が軋み、圧壊していく音が、俺の耳にまで届く。
「んぐっ!ぐ、ううううっ!んんんんんんんーーーっ!」
呻きは断続的に続き、まるで拷問だった。一段、また一段と、容赦なく加えられていく圧力。そのたびに、熊谷の巨体が大きく跳ね、呻き声の圧が高まる。
ゴキャッ!
やがて、鈍く、湿った破裂音がした。それは、密度の高い組織が、限界を超えた圧力に耐えきれず、内部から完全に破壊された音だった。
「んぐうっ…!!!!……っ…!」
あれほど激しく続いていた熊谷の呻きが、喉の奥で詰まったように、ぷつりと途切れた。暴れていた体の動きも、完全に止んだ。
「はい、陰茎海綿体の挫滅、完了。これで物理的に、二度と勃起は不可能です。血流も完全に遮断されたわ」
女医が、何事もなかったかのように冷静に告げた。
「続けて、精巣摘出に移行します。忌避者への措置ですので、古典的な外科切除で、その場で内容物を回収します。メス、鉗子、高周波メスの準備を」
再び、器具の準備が始まる音。今度は、先ほどのような重い圧搾器の音ではない。もっと鋭く、細かい手術を連想させる金属音だった。
「陰嚢縫線で皮膚切開を開始します」
女医の宣言と、熊谷の体を固定するバンドがさらにきつく締められる音がする。
「んんんんんーーーーーっっっ!!」
熊谷の、再び始まった呻き声は、先ほどまでとは明らかに質が違った。それは、鋭利な刃物が直接肉を切り裂く痛みに対する、より鋭く、高い調子の苦悶だった。
「精索を露出させて。鉗子でしっかり把持しなさい」
「んぐっ!んんんんん!、んんんーーーっ!」
「では、高周波メスで切断します。出力、80」
ジジジジジジジジジッ!
肉の焼ける、甘ったるくも不快な匂いが、カーテンの隙間から俺の鼻腔にまで届いた。それと同時に、電気メスが神経を焼く音、そして、それに完全に同期した熊谷の絶叫に近い呻きが、ブースを満たす。そいつは、あの分厚い胸板を弓なりに反らせ、この世の地獄の全てをその喉に押し込めているようだった。
やがて、その音が止む。
「はい、右側、切断完了。摘出します」
女医の言葉の直後、何かがべちゃりと床に捨てられる、重く湿った音がした。
一つ目。
「んっ…!んぐ、ううう…」
熊谷の呻きは、もはや力なく、ただただ漏れ出す呼気に近い。
「続けて左側。…はい、切断完了。摘出」
再び、べちゃり、という音。
二つ目。
「ん…っ…ん……っ…」
俺を乗せたストレッチャーが、きしむような音を立てて動き出す。 視界はもう、ほとんどない。天井のLEDの光が、黒い視野の中で、時折ぼんやりと滲むだけだ。 だが、耳だけはまだ、機能していた。
「はい、これで午前の私たちの担当分は終わりね」
「ええ。やっと一息つけるわ」
看護師たちの、気怠そうな、世間話のような声。 俺や笹川、鷹見、そして熊谷の絶叫と呻きが響き渡っていたこの場所で、彼女たちは、ただ午前の業務を終えただけなのだ。
ストレッチャーの車輪が、コンクリートの床を転がる、ゴロゴロという無機質な音だけが続く。 やがて、その音が止まった。
目の前で、重い金属の扉が開く、ゴウ、という低い地鳴りのような音がした。
そして、その音を最後に、俺の意識は、完全に途絶えた。