乃雅の情事
俊から連絡が来たのは、昼間だった。
「来てほしい」
それだけだった。私たちの間では、
それで十分だった。
遮光カーテンが引かれた俊の部屋は、昼の光を拒絶し、特有の薄暗が澱んでいた。
細い鎖骨を包むブラウスとスカート。
それは鏡台の前で精緻に組み立てられた人造の空白であり、一分の隙もない女性美を纏っている。
ベッドに背を預け、寝ている。
俊が音もなく近づいてきた。
布地が擦れ合い、緊密に噛み合う微かな摩擦音が響いた。
空間に満ちる音の質そのものが、環境の変貌を即物的に告げていた。
膝をつき、静かに硬く湿った声で言った。
「見せてほしい」
無言のまま、スカートをまくり上げた。
「きれいだ、本当に」
指先が、縫合痕のすぐ手前で止まった。
ただその平坦さを網膜に焼き付けようとするかのように瞳孔が開いている。
「僕の身体はね。
まだ、うるさいんだ」
呪詛のような独白が漏れた。
ホルモン治療の錠剤を飲み、本来そこにあるべき肉の隆起を粘着テープで限界まで引き絞り、会陰の奥へと隠蔽する。
そうして作った「借り物の更地」は、日中、静けさを辛うじて維持させる。
しかし、夜が来れば皮膚はテープの糊に負けて悲鳴を上げ、血流は容赦なくその場所へと還っていく。
生物学的な新陳代謝、細胞の自己治癒の執念が、俊の意志を裏切って肉体の内側から「男」としての存在を不気味に主張し始めるのだ。
血液の拍動、皮膚の突っ張り、分泌される体液の匂い。
それらの生々しい代謝の騒音が、不快な熱量を持って俊を脅かしていた。
「どれだけ縛っても、一歩外へ出れば、重力や湿度が僕を『有』へと引き戻そうとする。
毎日、僕のこの手で、肉を殺し続けなきゃいけないんだ。でも、乃雅のそこには、最初から戦うべき相手がいない」
俊の細い指先が、自らのスカートの襞の上から、テープで圧迫され、鈍く痺れているはずの股間を強く押し付けた。
その「空白」は、可哀想な障害などではなかった。
それは、自らが血を流して模倣し、毎日作り続けなければならない「無」という名の完成形であり、何物にも侵されない本物の聖域だった。
私は、俊の言葉に同情を示さなかった。
可哀想だとも、苦しいだろうとも言わなかった。
ただ、同じように平均値から空白ははみ出し、歪んだ肉体の輪郭を持つ者として、切迫した呼吸を静かに見つめていた。
重く乾いた沈黙が流れる。
肉体が放つ代謝の騒音――「形の主張」が完全に消え去ることはないという冷徹な現実は、依然としてそこに横たわっている。
毎日テープを巻き直し、肉と戦い続けなければならない刑罰は、これからも続く。
しかし、目の前にある動じない空白は、確かな道標だった。
ゆっくりと上体を傾け、衣服の隙間に、湿り気を帯びた深い吐息を吹きかけた。
その微かな体温の移動だけが、閉ざされた暗がりのなかで、
二人の連帯の始まりを静かに予感させていた。
その空白には、突出した肉塊も、それを収める嚢(ふくろ)も一切存在しない。
白く滑らかな恥丘から会陰にかけて、一本の淡い縫合痕が縦に真っ直ぐ走っているだけだった。
大陰唇の膨らみも、女子にあるべき陰裂もない。
光を吸い込むような完璧な「空白」。
いかなる性の呪縛も受け付けない、絶対的な空白の領土がそこにあった。
部屋を出た。
階段を降りながら、俊の吐息の温度が
まだ首筋に残っていた。
空白と空白が、暗がりの中で
触れ合った夜のことを、
私はずっと忘れないだろうと思った。