初めての方は古城の中から◆PART1〜バブルの果て◆からお読みください
この作品は古城の中から◆PART10〜注目の体験者インタビュー◆からの続きです
ゴールデンウイークに大盛況で幕を開けた博物館は、貧しかった寒村の村おこしを再起動させる起爆剤となった。
特別ショーの出演者はもちろんのこと、一般の宮刑体験者なども、去勢後の野外での3日間の全裸晒に耐え、大きな話題を呼んだ。
周辺は一大観光スポットとなり、村の地場産業のひとつに数えられるようになった。
直営の城館などに泊まりきれなかった来場者は、あの小さな湖の湖畔の数少ないホテルが、宿泊場所を提供することになった。
湖は古い火山の火口なので、地下には熱源があるかもしれないという発想から、湖畔でも温泉掘りが始まり、やがて運よく井戸から熱湯が噴出した。こうして一大温泉地となった湖畔は、新たなホテルも新築され、全国から観光客が殺到するようになった。
やがて湯の量が不足し始めたので、NPO法人の所有する温泉井戸から、パイプラインでお湯が送られることになり、和洋史学講習所の財政の一助となっていった。
宿泊者対策には、ヘリシュキャスルも動いた。続々志願者が集まった宮刑体験などに対応するには、何日も宿泊が必要だったからでもある。
最初に作られた施設は48人部屋の3段ベッドのキャビン。ここは宮刑体験者の療養ベッドも兼ねていて、去勢者は看護の都合で1段ベッドを使用できる。
中国流の宦官手術で傷口は縫合しないため、治癒まで時間がかかることもあって、1段ベッド部分も満員が多い。
空きがあれば去勢者優先で1段ベッドを使用できるが、その場合は治癒前の宮刑体験者と同様に、仰向けで全裸で寝ることになっている。
このキャビンの宿泊料は1日1500円となっている。
それでも長期滞在者には負担が大きいので、新たに1泊500円と格安の「ユースホステル室」が作られたが、ここは1室が何と24人定員である。室内には、海外の某国のある収容所で使用が検討されたという、捕虜詰め込み用の6段ベッドが2組あり、1段に2人、1ベッドに12人が寝るようになっている。
ベッドのサイズは、一段分の高さは僅か40センチ、横幅は1人分が50センチである。1人分の寝台の長さは180センチあるが、足元の部分に前後長20センチ、左右幅30センチのU字型の切れ込みがある。
ベッドは、1段毎に頭と足の向きが互い違いになっていて、さらに寝台も1段ごとに30センチづつ前後にずらしている。このずれと上段の人の足元のU字型の切れ込みによって、下段に寝る人が枕を使っても、顔の上の空間をある程度確保するようにしている。
寸法に余裕がないベッドで、上段の人が身長 160センチ以下の場合は、上の人の足の裏が下の人の顔のすぐ目の前にくる。身長160センチ以上の人は、切れ込みを避けて少し脚を開いてベッドに横たわるので、両脚に下段の人の顔を挟んだような形になる。下段の人から見ると、上段の人の足首が、自分の顔のすぐ横にくることになる。そして顔の先には上段の人の股間を見ることになる。
身長180センチ以上の人は、脚を少し曲げて横になるので、お尻が下段の人のから見える形になる。
このような常識外れの窮屈な部屋も、来場者の好みにうまく合致したのか、当日キャンセル待ちが出るほどの人気となった。そこで次に企画されたのが、1泊1000円の「カプセルホテル室」である。
ここは、上下左右に棚状に並んだ狭いボックスタイプのカプセルで一晩を過ごす。カプセルは上下に4段、左右に6列用意されている。1つのカプセルは、縦横とも50センチ、奥行きは180センチ。入口は足元の方向にあるだけなので、室内からみると、高さ2m、幅3mの壁に死体を保存する冷蔵庫のような扉が並んでいて、ちょうど検死官の霊安室の雰囲気を出している。
カプセルに入るには、扉を手前に倒し、中のスライド式の寝台部分を手前に引き出す。宿泊客は、寝台の上に横になってから、スタッフに寝台を中に押し込んでもらって、扉を外から閉めてもらう。すなわち一度入ると、自力ででることができない仕組みとなっている。
そのため、このカプセルホテルで寝る場合は、必ず事前にオムツ着用が義務付けられている。また、勝手に中でオムツを取ってしまうと、万一の場合にカプセルが汚れてしまうため、布オムツの上から、自分で開けない錠が付いた貞操帯風のオムツカバーで覆うことになっている。
さらに、カプセルの洗浄は、その構造上難しいため、汚損対策として寝間着はラバーで出来ていて、頭部には全頭マスクを被せ、全身を覆うようになっている。腰や首などの衣服の接合の部分も、しっかり留められて念入りに施錠される。
朝が来ると、スタッフによって足元の扉が開かれ、寝台が半分引き出される。下半身のラバー寝巻が脱がされ、貞操オムツカバーが外され、オムツ交換と陰部清拭が行われる。最後に寝台が全部引き出され、汗まみれの全身のラバー寝巻を脱いでから、チェックアウトをすることになる。
このカプセルホテル室も、死体収容所の雰囲気が味わえることが気に入られたのか、ゴムフェチマニアに好まれたのか、予想以上の人気を博したのである。
次に導入されたのが、古典的な小児麻痺患者の呼吸補助具「鉄の肺」を使用した寝台である。
これは外に頭部だけ出して拘束されたまま一晩を過ごすだけでなく、首から下の部分は高圧から真空近くまで気圧がランダムに変動する仕組みで、まさに昔の患者の気分が味わえるので人気が高い。
ただし1泊5000円と少々高い価格設定がされている。
個室のシングルルームも用意されている。ただしそこにあるベッドは昔の精神病院で使われた寝ている患者を閉じ込める檻状の蓋が付いたベッドで、一度寝ると朝が来るまで自由に起き上がることができないオートロックタイマー付きである。
価格は1泊1万円と最高水準である。室内にはバスルームを始めとしたホテル並みの設備や、タオル、ハブラシ、歯磨きなどのアメニティも充実しているが、一旦ベッドに入るとこれらは全く使えなくなる。そこで、アメニティの中に紙おむつがあるのが特徴的である。
オープンな構造のユースホステル室は男性用しかないが、カプセルホテル室や鉄の肺は女性の利用も可能なため、女性客もチラホラ見られるとのことだ。
近くの山道をめぐるトレッキングコースも人気の的である。ここには要所要所にキの字十字架やTの字十字架の磔柱が立っていて、これが道標となっている。
ほぼすべての磔柱に、両手両足を縄で縛られた上に、太い釘を実際に打ち込まれて釘付けされた志願者が晒されている。
去勢者は当然全裸だが、去勢していない志願者は、腰に布を纏うか褌を締めていることもある。
彼らは死ぬまでそのまま磔にされるだけでなく、死後も次の志願者が現れるまで死体はそのまま放置される。
ただし、人間道標となった彼らに出会ったとき、もし彼が存命だったら、尋ねれば道を案内してくれる。
博物館の人気が上り調子であったので、日々の展示や体験のほかに、特別イベントも盛んに行われるようになった。
当初、あまりの人気に場所が不足した磔柱も、広場に専用の場所が用意され、男性用のキの字磔も、女性用の十字磔も、十分な本数が立てられたので、ほぼいつでも体験可能となった。
男女の磔柱は、お互い向かい合うように立てられ、女性は白装束、男性は褌一丁で磔柱に縛り付けられ、最短1時間、希望によっては一昼夜そのまま生き晒しにされてから、脇腹から肩にかけて長い槍で突き刺されて絶命する。
死体はそのまま3日間から1週間放置され、十分に晒されてから取り片づけられる。
ただし、磔柱の数が十分にあると言っても、処刑前の磔柱上の生き晒や、処刑後の死体晒に時間がかかるため、希望者殺到により待ち時間が生じることもあるという。
3連休の中日や夏休みの土日には、必ずと言ってよいほど、特別イベントが組まれた。
江戸時代の打首刑はなかなか技術が必要だったが、忠実に再現した斬首体験が味わえるようになった。
普通の絞首刑やギロチンでの斬首刑の実演は、もはや平凡なものとなった。絞首刑は複数同時の公開処刑、斬首刑は中国刀での路上処刑が頻繁に行われた。
イベントでは、できるだけ当時の服装なども再現された。ただし、去勢者は去勢痕を見てほしいという要望が強かったこともあって、全裸というのが暗黙のルールとして続いている。
斬首の際の目隠しの有無は体験希望者が選択できる。
目隠しありの場合は上半身も着衣の形となる。
だが、せっかくだからと目隠しなしを選ぶ体験希望者が多い。
斬首後の首は獄門台に運ばれて晒し首となるが、胴体はそのまま3日間捨て置かれる。
江戸時代の打首体験はもちろんのこと、中国式の斬首やギロチンでの斬首刑の体験後は、斬首刑体験者の特権として獄門台の体験ができ、夏場は5日間、春秋は1週間、冬場は2週間、首だけの姿を晒されることになっている。
ただし体験者の死亡後なので、せっかくの体験も自分は味わうことができない。
なおこの獄門台の設置場所は、磔刑の体験者の死体晒しと同時に行われて、「磔獄門」状態になることも多く、見学者の人気スポットとなった。
獄門台を使わない梟首も体験することができる。
中でも女性だけ10人の一斉梟首は壮観であった。
絞首刑も一般的な処刑体験である。
絞首刑体験は、処刑後の死体晒しもセットになっていて、縄で吊るされたまま最低1週間は野外に放置することになっている。特別な大量処刑イベントでは、多数の死体が長期間晒されることもあった。
特別イベントの「チームによる集団絞首刑コンテスト」は、参加人数の多さ、コスプレのリアリティ、自力で台から飛び降りての絞首刑執行時における揃ったパフォーマンスなどで競う。
絞首刑体験の死体は通常は1週間晒であるが、優勝チームの死体はご褒美として1ヶ月間そのまま吊るされることになっている。
面白かったのは女性7人が並んでの絞首刑で、どの女性が真っ先に絶命するか、リモコンボタンで投票する企画付であった。
女性は皆着衣で、オペラの舞台衣装のようなクラシックな服の下には心電図などを装着して、絶命の順番が分かるようになっていた。
イランで実際に行われているクレーンを使用した集団絞首刑の実演で、8人の男性が同時に絞首刑になるという企画も、大きな話題を呼んだ。
会場には巨大なクレーン車が8台用意された。8人の体験希望者の首にロープが掛けられる。イラン式の絞首刑は他国の絞首刑と違って、両手は背中で縛られるが、両足はそのままである。
また、処刑時の服装も普段着でサンダル履きである。身体がクレーンで吊上げられると、体験希望者は両脚をばたつかせ、やがて息絶えていった。
このイベントについては、後日海外からは、イランの処刑を忠実に再現しているが、本国でも8人同時は流石に稀のはずだというコメントが寄せられたりした。
また、去勢者によるクレーン絞首刑も行われ、こちらは全裸だが緊縛方法は自由となっている。
しかしながら、斬首も磔も準備や技術がいるので、いつでも手軽にとはいかない。
そこで、多人数の処刑体験希望者があっても、簡単に対応できる鉄環絞首刑の「ガロット」が人気を集めている。
ガロットには、鉄の環を締めるハンドルに重りが付いていて、遠心力でハンドルを回転させて急速に首を絞める急速タイプと、ハンドルが手回しで処刑執行者の裁量でゆっくり絞首される緩速タイプがある。
急速タイプは体験希望者をあらかじめ後ろ手に縛っておき、ガロットが空いたらそこまで歩いて行って腰掛ける。
すると、胴体はベルトで固定され、首の周りに鉄環が回されて動けなくなる。
あとは鉄環の後ろのハンドルを思い切って回すだけで、鉄環が絞まって処刑完了となる。
鉄環とベルトを外して死体を運び出せば、もう次の体験希望者に座ってもらうだけであり、1人5分で体験完了する。
一方の緩速タイプは、体験者をガロットに縛り付け、鉄環を首に廻らせるのは似ているが、あらかじめの拘束はガウンの中で前手に縛られているものの、ガロットに座ってからロープで縛り付けられるのが、メインの拘束となる。
ハンドルも執行人が両手持って、ゆっくり絞めたり、急に絞めたり、また戻したりして、スリル満点、鉄環絞首だけでハンドルが動き始めてから窒息死するまで最低でも15分以上を要するのが普通である。
体験希望者は好みの方式を自由に選べるが、最近はスリリングな緩速タイプの方が人気が高い。
普通の絞首刑も手軽に見えるが、絞首後の死体は、原則として1週間は吊るしたまま晒してもらえるというルールなので、死体をすぐ取り片づけられるガロットと違って、絞首台がなかなか空かず、大人数の希望者の対応は難しかった。
それに加えて鉄環絞首刑の場合は、処刑後直ちに死体をそのまま標本にしてもらえることも、人気の秘密である。
凌遅処死のように切り刻まれることもなく、火刑のように黒焦げになることもなく、鉄の処女のように身体中に孔が開くこともなく、ギロチンや斬首のように首と胴が話されることもなく、絞首刑のように死体晒しで腐敗することもないので、そのままの姿の標本化が可能となっている。
死体保全を考えるなら、薬殺やガス室による処刑でも可能であるが、今のところ処刑体験のメニューには含まれていない。
結局処刑体験だけで終わりではなく、永久的な死体晒しも希望する参加者は、鉄環絞首刑を選ぶことが多くなる。
そして、手軽にいつでも手上げできる処刑体験は、やはり魅力的であることは間違いない。
さて、標本化の方法は、内臓などを取り出して皮膚だけを剥製にしたり、全身をそのまま乾燥させてミイラ化させたり、保存液に漬けてから透明樹脂で「固める方法などがある。また、最近人気が高いのは、水分をプラスチック樹脂で置き換えて、生きていたときの姿のまま身体に触れることもできるプラスチネーション化であるという。
ただし、剥製化には人手と技術と時間がかかり、プラスチネーション化には水分を樹脂に置換するための全身が入るタンクのような特別な設備が必要なため、本人の希望と標本化処理能力との間にギャップが生じている。
そのためなかなか体験者の希望どおりの死体処理にならず、意に反して乾燥炉で手軽に大量処理できるミイラ化や、とりあえず死体保存の保存液プールがあればいい透明樹脂固めにされるケースも多いと言う。
なお、樹脂固めの場合は、防腐剤が身体全体に十分に浸透したら、死体を引き上げて透明プラスチックで固める処理が行われる。これは型枠の中に展示用の死体を自由な形で入れて、樹脂を流し込んで固めてから、型枠は外すだけなので、プラスチネーションのような特別な設備が不用で、大量処理が可能である。
なお、希望どおりにならなくても、身体が残って展示されるというだけでも、多くの体験者には相当魅力的だそうで、鉄環絞首刑体験に希望者が集まる理由になっている。
これらの処刑体験後の人体標本は、博物館に収納され、入れ替わりで展示されている。その姿はもちろん一糸纏わぬ全裸であることは言うまでもない。
その他の処刑体験を見てみよう。
人型の鉄の檻に体験者を閉じ込めて高く吊るすジベット体験は、体験者が死亡するまで1週間、その後放置された死体が自然消滅するまで3ヶ月はかかるという長期間のイベントで、特別イベントの期間中だけでは終わらないため、常設イベントになった。ただしジベット檻の回転効率が悪いため、順番待ちの希望者をさばききれないということだ。
体験イベントのために、罪人を中で焼き殺したファラリスの鉄の牡牛は、もはやそれだけでは平凡な処刑具となっていたが、特別に公開処刑だけを目的とした新作の刑具が開発された。
これは、透明な耐火ガラスで出来た窓があって、中の体験者の様子が最後まで観察できることで、なかなか衝撃的な効果をもたらした。
また、更に衝撃的だったのは、人間を大股開きで逆さに吊し、股間の性器部分から鋸で真っ二つに挽いていく欧風の鋸挽刑である。その凄惨さもさることながら、前後で鋸を挽いている2人も実は処刑体験の希望者で、次に同じの鋸挽で処刑されていくという企画が、大きな話題となった。
しかし鋸挽も希望者が多く、鋸で挽かれたいが他の体験者を鋸で挽くのは自信がないという希望者も増え、体験途中で挽くのを断念する挽き手も出るようになった。
そのため挽き手が不足して体希望者の需要に間に合わなくなったので、回転鋸で自動的に体験者を股間から頭部まで真っ二つにする装置が開発された。
人手による鋸挽に比べて無機質でつまらないように見えるが、鋸の回転速度や回転鋸が股間に迫ってくる速度はランダムに変化し、恐怖感を十分に味わえるはずだという。
肉刑では、耳削刑、鼻削刑、足切刑、宮刑などはもちろんのこと、両眼の抉り出し、舌切、四肢全部の切断などが、ごく当たり前に行われるようになった。
イベントやアトラクションで完全去勢してからスタッフになるものも増えてきた。博物館の中国館は、全員宦官がスタッフが勤めることになった。
宦官スタッフは、股間部の切断痕が来場者に分かりやすいよう、股間部が透けて見える特別な中国服を着用した。
宮刑体験者から切り離された男根を吊るして保管しておく「宝貝房」も大人気であった。
さて、グランドオープンから早くも3年が過ぎ、宦官スタッフが、中国館の宮刑体験やCコースの自動去勢棺で去勢した一般客にも声を掛けて、去勢体験者の集まりを催した。
参加者は、口々に去勢の素晴らしさを語り合った。そこで、まだまだ少数者である去勢者の意識を高めあい、世間にも男性が去勢手術を受けることの意義を、広く伝えて行こうということが決まった。
そこからは、話はとんとん拍子。去勢の教義を広めるための宗教法人が設立された。
礼拝堂や設備がキリスト教式であることや、クルセード即ち十字軍をいう名称を用いたことから、必ずしも正確ではないが、世間からは、キリスト教の一宗派と見なされている。
去勢者の中には、宮刑体験の後で、どちらからともなく俗世間から離れた生活をする者も多かった。また、去勢の布教のための本部も必要であったので、敷地内に教会風の修道院も作られた。
その中心には「去勢の女神」の像が鎮座し、聖職者になる者はここで去勢の儀式もできるようになっている。
やがて、神学校も設立され、献身者はそこを卒業してから自らの男性器を破壊して、聖職者となるようになった。
この女神の上での去勢の儀式は、単なる性器切断では」なく、男性器全体を少しづつ解剖して行き、最後はちりちりばらばらにしてしまうという、志願者もなかなか覚悟と忍耐がいるものとなっている。
同じような去勢の儀式として、男性器を少しづつ輪切りにしていくものもある。
また、別の方法として、性器に爆薬を仕掛けて点火して粉々に吹き飛ばしてしまうという方法もあり、これも人気が高いということだ。
いずれにしても、去勢の苦悩をできるだけ大きくして長引かせることが重要視されていつ。
修道院は、西の方角にあったので、観光客からは「黄昏のクルセード」を呼ばれた。確かに、晴れた日に夕焼け空に浮かぶ修道院のシルエットは、絵葉書的な美しさを持っていた。
いつの日か、このクルセードが大教団になって、あなたの街にも教会ができるかもしれない。いつかはそこでの儀式をご紹介することがあるかもしれない。そのときまでお楽しみに。
(おしまい)
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★あとがき★
何ともへんてこりんな物語でしたが、いかかでしょうか。
なぜこんなに人々が熱病のように拷問や処刑に憧れる、超マゾヒズムが蔓延した世界になったのか、それはわかりません。
強いて理由を付けるなら、現代の単線レールのような生活への不満から、自分の人生自由じゃないかという風潮が広く拡大したとでも想像しておいてください。
この物語で1章ごとに会話だけで話が進む章を入れてみました。リアリティを出す実験と言うほどではなく作者の趣味ですが、とても成功したとは言えず、単に読みにくくなっただけに終り、申し訳ありませんでした。
ところどころに挿絵があります。一部にモザイク掛けるぐらいなら全体をノイスでぼかしてしまえというわけで、あんな絵になりました。下に日本語や英語の解説が入ってますが、あくまで雰囲気のためで、ストーリーと矛盾したり、文法も無視されていたりします。
軽く読み流してください。
つたない物語に最後までおつきあいくださりありがとうございました。
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<<追伸>> そういえば最近こんなニュースがありました
★★「生きるのに向いていないから」~健康な24歳女性の安楽死が認められる!!★★
現在、世界において積極的安楽死(本人の自発的意思のもと、医師が自殺幇助すること)が認められているのは、ヨーロッパの数カ国や米国の一部の州に限られている。その中の1国であるベルギーでは、「生きるのに向いていない」という理由で死を望んでいる女性に対する安楽死が行われようとしているようだ。
6月19日付のベルギー紙「De Morgen」によると、今回複数の精神科医によって安楽死が承認されたのは、ラウラさん(仮名)という24歳の女性。安楽死と聞くと、末期症状などの“肉体的苦痛”から解放されるための手段というイメージが強いが、ラウラさんは健康に何の問題も抱えていない。ただし彼女は、幼少期から一貫して自殺願望が頭から離れないという“精神的苦痛”に悩まされてきたのだという。
インタビューに応じたラウラさんは、この自殺願望には自身の生い立ちが少なからず影響を与えていることを認める。彼女の両親にとって、ラウラさんの誕生は予期せぬ出来事であり、酒癖の悪い父親からの虐待も相当なものだったという。そのため、祖父母に預けられて安定した環境の中で育ちはしたものの、彼女の自殺願望は一向に収まらなかった。
「苦しみのもとは、確かに子ども時代にあります。でも、穏やかで幸せな家庭で育っていたとしても、この自殺願望は変わらなかったでしょう」
「『私を必要としてくれる人がいるのかもしれない』『誰も傷つけたくはない』そんな考えから、今まで(自殺を)思いとどまってきました」(ラウラさん)
21歳のころからは精神病院に通院し、同じような考えを持つ友人ができ、さらに演劇への興味も湧いてきたラウラさん。しかし彼女の「自分は生きるのに向いていない」という思いは、やがて確信へと変わり、死を決意するに至ったとのことだ。
「私の考えは、友達に宛てた手紙にほとんどしたためました」
「もう、すべての準備は整ったと思います」(ラウラさん)
ラウラさんの安楽死は3人の精神科医によって承認され、この夏に決行される予定だという。ちなみにベルギーの成人には、医師が認める場合、精神的苦痛から逃れることを理由とした安楽死が許されており、昨年は性転換手術に失敗した女性(44)が実際にこの世を去っている。
2002年、オランダに次ぎ積極的安楽死を合法化したベルギー。その後、条件付きながら未成年にも認められるなど適用範囲は拡大し、現在では1日に5人が医師の援助のもとで安楽死している状況にある。
しかし、健康体であるにもかかわらず精神的苦痛を理由とした安楽死が行われることに対しては、根強い反対意見も残っているようだ。今回のラウラさんは、まだ24歳。生きてさえいれば、いつか命に意味を見出だせる時が来る――何とかそう信じることはできないのだろうか。
ベルギー(2015年6月29日)
(2015年6月29日)
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24歳で病気でもないのに安楽死。
ますます、この物語の世界が近づいているのかも。
今回の物語に登場する死は決して安楽ではないように思えますが、希望する当事者にとっては至福のときなのかもしれません。
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クルセードのその後について続篇を書きました。
よろしければご覧ください。
(PART12~続・古城の中から◆その後のクルセード◆に続く)
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投稿:2014.02.23更新:2022.06.13
古城の中から◆PART11〜黄昏のクルセード◆
挿絵あり 著者 名誉教授様 / アクセス 46607 / ♥ 282