それを聞いた時、世界が狂ったのか、自分が狂ったのか、自身の常識が崩れたことを知った。
しかしながら、それを判断する術を、私は持っていなかったのである。
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「え、あの江崎君がですか」
「はい、先ほどご家族から連絡がありました、市役所からの連絡も届いています」
江崎は、私が受け持つ1-3クラスの児童だ。
とんだ悪ガキで、いつも汚い言葉を連呼している。
「とりあえずコレ、よろしくお願いしますね」
教頭が私のデスクの上に、ある紙を置いていった。
『性別再設定登録用紙』
この紙一枚で(正確にはこの紙が発行されるまでにいくつかの段階を踏んではいるのだろうか)、江崎の書類上の性別は「女」となる。
少なくとも、私が大学で教員免許を取得するまでに、このようなことは行われているという知識は無かった。
いや、常識と言うべきだろうか。
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『性別再設定手術』
第二次性徴を迎える前の子供たちに対して、現在の性別とは違う性別となるために受ける手術。
私の常識、知識の範囲内にあるものとして、それらはあくまでの外見上の見た目を近づけるためのものであり、生殖能力が失われるのが当たり前のはずであった。
この手術は、まず、外見を似せることからはじまる。
女子であれば陰茎を形成し、男子であれば陰茎と膀胱を切除する。
期間を置き、異なる性別で生活をさせ、段階を経ながら、手術や投薬によって、遺伝子レベルでの性転換を行う。
即ち、生殖能力は失われず、完全に異なる性として”再設定”される。
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今日も疲れた。
デスクワークを終え、一人暮らしのアパートに戻るための道を歩く。
「あ、先生!」
「あら、武藤先生、いつも息子がお世話になっております」
江崎と、その母。
「江崎君、こんばんわ、今日はお母さんと一緒にお買い物かい」
「ふーんだ、先生に教えてやるもんか、犬のうんちつけてやる!」
いつものような悪ふざけの言葉、だが。
「コラ、先生に何て言葉の口の利き方をするの!」
「ご、ごめんなさい、ママ」
「おちんちん取ってもらうんでしょ、そんな汚い言葉を使わないの」
まるで、ごねる子供に「サンタさんがこなくなっちゃうでしょ」と母親が脅すような、そんな当たり前の口調で言い放った言葉は、私の心をえぐる。
それを聞いた時、世界が狂ったのか、自分が狂ったのか、自身の常識が崩れたことを知った。
しかしながら、それを判断する術を、私は持っていなかったのである。
世界が狂っていたとしても、自分が狂っていたとしても、それを自身が判断することはできないのである。
「ところでお母さん、江崎君の性別再設定手術のことなのですが」
「ええ、この子ったらずっと……」
「先生!僕プリキュアになるんだ!だからおちんちん取ってもらうの!」
は?、と自分の耳を疑った。
「この子ったらずっとこうで、一度言い出したらきかないんですよ」
その程度の理由で、まるで子供がサンタを信じるような、そんな純粋無垢であるが、世界を何も知らないような空虚な理由だけで、この子も、この子の親も、今後の人生を大きくかえてしまうようなことを考えているのだと考えると、一気に気が遠くなってしまった。
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「それでは皆さん、冬休みが終わったら、また元気な顔を見せてください」
12月24日、その日は2学期最後の日であった。
早めに仕事を切り上げた私は、恋人と共に、イルミネーションで彩られた道を歩いていた。
「なあ、なんでお前は手術を受けたんだ」
「うーん、よく覚えてないなー、まだ本当に子供の時のことだったから」
同じ職場で働く彼女は、私には誰よりも美しく見えていた。
「ただね、その時の担任の先生がさ、すごくきれいだったなー」
「担任の先生?」
「そう、ちょうど3学期の始業式の日だった、いつもアクセサリーとか全然つけない先生でさ、その日いきなり指輪つけてきてたの、そしたらクラスのみんなで先生のことを茶化してさ、「先生結婚するのー」とか、「誰先生と結婚するのー」って……」
彼女の目が、少し遠くを見つめていた。
「その時ね、すごく先生が綺麗に見えたの、自分もああなりたいなーって、そう思った」
「だから、手術を?」
「さあね、他にも色々あったと思うんだけど、正直覚えてるのはこれだけ」
そんなものなのか、と。
であれば、江崎も、同じようなものなのだろうか。
「ところでさ、渡したいものがあるんだ」
コートのポケットにしまった、とても大事な物。
その後の人生を大きく変えてしまう、大切な物。
「結婚しよう」
この狂った世界で、あるいは狂った自分のまま、その世界を、あるいは自分を受け入れて、人生は進んでゆく。
人生なんて、所詮はそんなものである。
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「みなさん、おはようございます、今日から新学期です、今日からまた、いっぱい勉強しましょう」
何も変らない教室で、また再び当たり前の日々が始まる。
変わったことと言えば、スカートが一枚増えたことと、私の指にはまった指輪ぐらいのものである。
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投稿:2016.11.11更新:2016.11.11
「おちんちん取ってもらうんでしょ」
著者 ルミナス 様 / アクセス 16565 / ♥ 11