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僕のタマタマが未だオチンチン棒の根元に有った頃、一人暮らしを始めたアパートの隣の部屋に、N子さんというお姉さんが住んでました。顔を合わせたら挨拶する程度の間柄でしたが、貰い物が余ったりすると年に数回、お裾分けしてくれたりするお姉さんでした。
ある日、N子さんが玄関チャイムを鳴らし、やつれた顔で僕にお願いに来ました。風邪が酷くて薬を買ってきて欲しいと頼まれました。買い置きの風邪薬が有ったので、あげたら、数日後、快気祝いにN子さんの部屋に呼ばれてしまいました。
春先は、花粉症、アレルギー性鼻炎、そして呼吸系が弱ってる状態で、風邪をひく事が多いらしくて、目が痒くてコンタクトも付けられず、大きなマスクに度近眼鏡の怪しいお姉さんになってしまってました。
僕が知ってる範囲の大学女子の匂いは、化粧品とコーヒーと煙草の匂いが激しい場合が多かったのですが、N子さんの部屋では、そんな匂いが殆ど有りませんでした。花粉症が酷いと、匂いが強い化粧品は使えないらしいです。
実はN子さんにも遠距離恋愛の彼氏がいたらしいのでしたが、最近分かれた話とかを聞いてる内に、僕はN子さんオッパイにキスし、N子さんは僕のオチンチン棒にキスする仲になってしまいました。N子さんは、亀さんをじっくりと舐め回しながら、これからは自分でシコシコするのは禁止とか、フェラされたらオッパイを両方揉んであげたり、下の御口にキスを返すのがマナーだとか、色々教え込まれました。
---02---
その頃から、「タマタマを抜いたら下の御口でも、してあげる」とか、怖い話を吹きこまれていましたが、先ずオチンチン棒の周りの毛を、綺麗に剃られてしまいました。N子さんの下の御口の周りも、綺麗に剃られてツルツルだったので、僕のタマタマも無防備になり、フェラの前後に度々、そこへ吸いつかれたり舐め回されたりしていました。
ゴールデンウィークに突入しようとするある日、N子さんの妹、Y子さんが遊びに来ていて、三人でとても卑猥な事をしてしまいました。僕のオチンチン棒は、人生で二人目の御口に、精子を吸われてしまったのです。その時僕は、N子さんのオッパイを枕にして、その命令のままにY子さんの下の御口にも、キスしてしまいました。
そして2人がかかりのフェラや、2人玉吸いが繰りひろげられ、Y子さんの御口に自分でもびっくりする位放出した後は、N子さんが一滴残らず吸い取りました。2人は、体型も顔つきも似ていました。唯一違うのは色の好みで、N子さんは茶色、Y子さんは黒でした。
かけてるメガネが度近なのも、顔から瞼が大きく突き出ているのもそっくりなのにフレームの色だけが異なっていました。2人共小顔で小柄、大学のゼミの先輩達が良く言ってた、スケベ女は小柄が多いという言葉が、実感されました。2人の小さめな御口は、フェラチオが得意だったのです。
ゴールデンウィークが終わる頃にはもう、NYペアの共有財産になってしまっていた僕は、「タマタマ抜きに行こうよ」「おっぱいも大きくしよう」という命令に、逆らえなくなってきてました。
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ゴールデンウィークも終わったある日、NY姉妹がS子さんを、僕の部屋に連れてきました。S子さんは失恋をきっかけに、引き籠ってしまい、治療のためと称してNY姉妹の友達の女医Wさんに、洗脳手術されてしまったそうです。
「さあ、新しい度近眼鏡をかけなさいS子さん。」
「はい、ご命令のままに。」
「W先生に直していただいた脳味噌になって、眼鏡は何のためにかけるか、良く分かるわよね。」
「はい、遠くまで良く見える、視覚的快楽を得る為です。」
「それじゃ、彼氏が欲しい、愛されたいと思うのは何故かしら。」
「はい、エッチな行為をして、性的快楽を得る為です。」
「S子さん、性的快楽とはどんな行為かしら。」
ツルツルスキンヘッドにされてしまった眼鏡S子さんは、目を細め嬉しそうに・・。
「下の御口に、オチンチン棒を入れられて動かされながらオッパイを吸われたり、射精される事です。」
「その為に、乳ピアスと、スーパー2穴の贅沢を付けていただいたのよね。」
「はい、歩いてるだけで、とても幸せな快楽が得られました。」
「じゃあ今度は、本物のオチンチン棒を入れて、私達もオッパイを吸いましょう。」
S子さんは、この日から、僕の彼女になり、ツルツルに脱毛された下の御口で僕のオチンチン棒を受け入れながら、NY姉妹に両方のオッパイを各々吸われ、僕の精子をたっぷりと上下両方の御口で吸い取ったのでした。
僕はNY姉妹だけでなく、S子さんにもご奉仕するオチンチン棒君になってしまったのでした。そして、S子さんから、
「W先生にタマタマ抜いていただいて、オッパイも大きくして、結婚しよう。」
と、射精の度に囁かれる事になったのでした。
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そしてある日、気が付くと僕はタマタマ抜きの手術台に乗せられていました。眼鏡にマスク、薄ピンク手術着を纏ったNY姉妹とS子さんが順番に、マスクをずらして、最後のタマタマありフェラをしましたが、射精できなくて、恐ろしい新装置、夢精の贅沢と言うニックネームの精子絞り器にかけられて、シャーレに精子を放出しました。
出し残しを扱いて絞り出すの迄全自動で動作する恐ろしい装置にすっかり抜き取られた後は、亀さんをフックするみたいなペニスケースを換装されて、哀れな僕のオチンチン棒は、おなかに貼り付けられてしまいました。
そしてタマタマ袋にチクッと痛い麻酔が何回も注射され、ラッキョウの皮を剥く様に裏筋に入れられたメスが、ちょっとだけ血を流しながらタマタマ袋の皮を切り開いていったのでした。タマタマは幾重にもの皮で保護されていますが、W先生と2人の看護師さんの手際は素早く、アレレという間に、一つ目のタマタマとタマタマの周りのモジャモジャが摘み出され、小さ目の牡蠣貝みたいな僕のタマタマは、血管と輸精管や神経の束を切り離されてしまいました。
僕には、二つ目も見ている勇気が無くて、何だかタマタマがフラフラと泳いでいるみたいな感覚の後、簡単に2つ目も抜き取られてしまいました。これでもう僕は、男として子供を造れません。S子さんやNY姉妹にご奉仕する安全オチンチン棒に成ってしまったのでした。
恐ろしい手術は、それで終わりませんでした。その後お尻とオッパイを消毒され、見かけが女の子になる為の恐ろしい注射を打たれました。そしておっぱいを大きくするための仕掛けが入ったピンクのブラジャーを付けられてしまいました。
W先生は縫合の達人らしくて、中身を失ってしまった僕のタマタマ袋は、やや小さ目に見えるだけで、数日後に抜糸された時には、不自然な傷が全然残りませんでした。早速お祝いのセックスが開始され、NYS三重フェラチオの後、バックからS子さんへ初発射しました。タマタマが無くなった為なのか、普通なら数回で終了する連射が、10回以上続いて、このまま止まらなかったらどうしようと困っていると、オチンチン棒周辺からじわじわと力が抜けて、連射が終了しました。
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NYSトリオの為に精子無液を放出する安全君に成ってしまった僕が、次に抜き取られたのは、”憧れ”でした。大学生だった頃、バイト先で見たカルチャースクールの講師、K先生に密かな憧れを抱いてたのでしたが、NYSトリオは僕をW先生の得意な洗脳装置にかけて、その密かな憧れも、奪い取ってしまったのです。
K先生のカルチャースクールは、いまも細々と催されていて、結婚前に料理の腕を磨いておきたい玉の輿志望女子が、毎週数人通っていました。僕の密かな憧れを聞き出してしまったNYSトリオは、その教室に通い始めました。勿論目的は、僕の憧れを奪取してしまう事でした。数週後、K先生は、W先生のクリニックへ連行され、洗脳開始されてしまいました。
「オッパイ揉みながら2穴の贅沢使うと、とっても気持ちいいよ。」眼鏡とピアス、そしてスーパー2穴の贅沢だけを装着したK先生の連続自慰や、NYSトリオによるサービスを見せつけられ、破壊された憧れと共に、その行為に参加してしまった自分を、何だか許せませんでした。
K先生は、W先生の洗脳によって、恥ずかしいという感情を抜き取られてしまい、わずかに残されたのは、メガネをかけていないのは恥ずかしいという、わざしらしい残り香で、僕の精子無し液をかけられた後、それを拭き取る時メガネを外した仕種の恥ずかしそうな表情が、僕の憧れの残り香でもあったのかも知れません。
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「”憧れ”を抜き取ってもまだ”初恋”が残ってねわね。」W先生の声が、洗脳装置にかけられた僕の脳味噌内に響き渡りました。NY姉妹を若返らせて、更に度近にした風な容姿のH子さんは、僕の中学校時代の密かな初恋の相手でした。彼女はクラス対抗合唱大会等で、伴奏ピアノを弾いていました。音大や音短大の同窓生名簿と、あまり使われない漢字組み合わせの名前から、H子さんの現ピアノ教室は、素早く特定されてしまいました。
数週後には、W先生宅のピアノを、笑みを浮かべながら全裸で演奏するH子さんに再開する事となってしまいました。S子さんに後ろから両オッパイを揉まれ、恍惚の表情を浮かべながらも笑みを絶やさない、僕のタマタマも未だ有って、妄想しながら自家発電してた頃のイメージと、今も変わらないH子さんでした。
H子さんは既に結婚してて、本当は下の御口を舐められながらオチンチン棒を吸うのが好きなのだそうです。下の御口を舐めるのはNYSトリオに任せて、僕は精子無しオチンチン棒を吸っていただきました。W先生の恐ろしい企みに加担してしまった罪悪感と、淡い初恋の崩壊を感じながら・・。
---07---
H子先生には、僕が小学校の頃からピアノを習っています。音大や教育大の音楽科を受験するには、歌も必須だと助言されて、先生の伴奏で歌も習い始めました。合唱団に入るよりも、ソロ向きの声質だとの助言で、アリアを何曲か、課題曲にされてました。ある日、個人宅でH子先生がピアノを弾く会が催され、アンコール曲で僕も歌を披露して、絶賛されました。
しかし、この称賛の陰に有る真の恐ろしさを知らされたのは、H子先生が、色々な質問を受けた時でした。
「もう精通は確認したの?早い内に変声対策しましょう。」
個人宅と言っても、実はW先生という、性同一性障害の診療等を専門にしている女医さんの自宅で、僕の変声を防止する為にタマタマを抜き取ってしまうか、判断する為の歌声披露であった事に、気づいた時にはもう手遅れでした。
W先生の助手、今日の観客を装っていたN子さんとY子さんという姉妹に、両手を掴まれてW先生の診察を受けさせられました。鼻から下を覆う、マスクとマウスピースを組み合わせたみたいな物を取り付けられて、声を上げるのさえ、防止されてしまいました。
「さあ精通を確認してみましょう。S子さんお願い。」
NY姉妹は、小柄なのに武術の心得があるらしくて、僕はがっちりと両手両足をロックされ、車椅子みたいな診察台に縛り付けられてしまいました。しかも暴れて呼吸が激しくなると、マスクに染み込ませてあるらしい、何だか甘い香りが、僕のオチンチン棒を勝手に大きくさせてしまうのでした。
しかし、それよりも恥ずかしさと恐ろしさが、僕の脳味噌の中で追いかけっこし始めたのは、もう一人の助手、やや大柄で太めのナースS子さんが、H子先生に僕のオチンチン棒の触り方を指導し始めた時で、W先生も含めると5人の眼鏡越し視線が、僕のオチンチン棒に集まってしまったのでした。
ちょっと汗をかいて僕の顔の両側で、茶色と紫の色違いフレームの眼鏡越しのNY姉妹、薄ピンクのソフトフォックスフレームのナースS子さん、真っ赤なフレームのW先生は少し離れて、H子先生はいつものレトロなピンクフレーム眼鏡で、僕のオチンチン棒に絡みつくその細長いけれど関節は太い指を覗いてました。
やがて意を決したH子先生は、僕のオチンチン棒の先にキスをすると、そのまま亀さんを頬ばったのでした。ここで射精を確認されてしまったら、タマタマを抜き取られてしまうのに、
「ほらH子先生がこんな事までしてあげてるのに、射精できないと失礼よ。」
等とNY姉妹に両方の耳へ囁かれつつ両足を更におっぴろげられ、S子さんにも、タマタマ袋の下からツンツンと指でタマタマの引きあげリクエストを受け、僕は精通を証明してしまいました。
---08---
吸わされたオチンチン棒用の薬の為か、射精後にはボーっとしてしまった僕は、診察用車椅子のまま、寝室らしき部屋へと連行されました。寝室のベッドへ移される時が逃げ出すチャンスだと思っていた僕の期待は、車椅子型診察台の歯科診療台的変形という形で水泡に帰しました。
「最後だからお習字の時間を取ったのよ。」
残酷な天使的言葉をかけるS子さんが、僕に無理矢理、別なお薬を嗅がせ、僕はERに着いた交通事故患者みたいに、服を切り取られてしまいました。タマタマを抜き取る準備なのは明らかなのに、生え始めたオチンチン棒の周りの毛を剃る間も、SNYトリオは何だか意味深な笑みを浮かべてました。
そして頭の毛や鼻毛も剃られた僕は、脳味噌も手術されてしまう事を直感しましたが、嗅がされたお薬の為もあったのか、反抗しようという試みが出来ませんでした。やがてフェラチオには相当な自信があるらしいS子さんの、僕の肛門まで使ったナースフェラの虜にされてしまった僕のオチンチン棒は、先走り汁を出させられながら、コンドームを装着されてしまいました。
最後に登場したのは、金ぴかのガウンと、いつものレトロ眼鏡やピアスだけを身に着けたH子先生でした。僕が憧れていた栗色のロン毛は、実は鬘で、既にH子先生も脳味噌をW先生に手術されていた事が、ココで分かっても後の祭りでした。先ほどは僕のオチンチン棒から精子を吸い出した上の御口が僕にキスしながら、下の御口が僕のコンドーム付きオチンチン棒を、ゆっくりと飲み込みました。
下の御口の暖かさを感じた僕のオチンチン棒は、さっき射精したばかりなのに、最後の射精を我慢できそうにありません。両手を拘束されたままH子先生のオッパイの感触だけ味あわされて、ゆっくりとスライドするH子先生の体を数分堪能した後、H子先生が舌を押し入れるキスを繰り出した時点で、僕は降参してコンドームの中へ射精してしまいました。
その後、どうやって眠らされてしまったのかは、よく覚えていませんが、H子先生の中へ射精する夢を何回も見ました。しかしその時既に、僕のタマタマは抜き取られていたのです。丁度連休の終わる日の午後、僕がH子先生の運転する車でW先生宅を”退院”した時は、もう僕の精子は完全に体の中から抜き取られていました。
その日からH子先生は僕のご主人様となり、安全なオチンチン棒でたっぷりとコンドーム無セックスをする為の、燕君にされてしまったのでした。自宅へ返す前に、ラブホでご奉仕するのは、毎週の予定に入れられました。しかしながら僕が心の底で一番ショックだったのは、
「先生、これで立派なニューハーフにされて、音大受験も安心です。」
と、母がお礼を言ってた事でした。
---09---
僕が通っていた幼稚園は、園長先生も組み担任の先生も全員女性でした。制服は無かったのですが、年長組の男の子がスカートをはいてきたりする事を、誰もからかったりしない事のを、もっと早くおかしいと気づくべきでした。
僕も年長組になったある日、小学校入学準備の為に、年長組の数名と共に担任のE先生に連れられてW先生のクリニックに行きました。視力や聴力を検査された後、E先生がお母さんから預かったお手紙を見せて、僕とMさんだけが残されました。Mさんは視力検査で引っかかって、眼鏡を作る事になったみたいで、
「メガネになってもお互い悪口言わないでね。」
とか僕も眼鏡になると思い込んで話してました。しかし、僕にはもっと恐ろしい言葉が待ち構えていたのでした。
「A君はタマタマを抜いて天使になるんだよ。明日からスカートはけるよ。」
お母さんのお手紙は、僕をタマタマの無い天使にしてしまう為の申し込みだったのでした。鼻からお薬を吹き込まれて眠ってしまった僕は、気か付くと体中をガッチリ縛られて、おちんちん丸見えにされていました。
「タマタマが無なくなる前にE先生が最後のキスをしてあげるよ。」
化粧品とコーヒーの香りがするE先生が、僕のファーストキスを奪った後、タマタマとオチンチン棒にもキスしてくれました。E先生の眼鏡越しに小さくなった瞼が素早く瞬いて、実はオチンチン棒にキスするのが大好きな脳味噌にされてしまっていた事を、随分後になってから聞き及びました。
哀れな僕のオチンチン棒は、お臍の方向へテープで貼り付けられ、タマタマの袋に何回か注射されました。最初はチクチク痛かった注射がやがて全然痛くなくなると、タマタマ袋の真ん中に恐ろしいメスが入って、切って摘まんで袋を開く事が繰り返され、やがて白い袋の中から僕のタマタマ本体とその周りのモジャモジャが姿を現しました。タマタマ君にはモジャモジャの他に、僕の体と繋がった管が何本か付いていましたが、タマタマ君側と、僕の体側の2ヶ所が素早く縛られて、
「1個目のタマタマ君、さようなら。」
と、W先生が言葉をかけると同時に、哀れな僕のタマタマ君は、僕の体から切り離されてしまいました。何だかお正月の凧を上げていた時に、強風で凧糸が切れてしまったみたいな無念さを感じても手遅れでした。
「2個目のタマタマ君、さようなら。これでA君は立派な天使に成れるよ。」
W先生の残酷な言葉が、更に僕を打ちひしぎ、恥ずかしいけれど、ちょっと泣いてしまいました。そして僕のタマタマ袋は丁寧に縫い合わされて、オチンチン棒には管を挿し込まれ、まるで赤ちゃんみたいに包帯でぐるぐる巻きにされてしまいました。
一晩だけ入院したと思っていたのですが、実は米神を削って天使らしい顔にしてしまう手術や、変声の防止やオッパイを大きくする準備の手術も施されてしまっていたし、W先生の命令に全く逆らえない脳味噌にされていた事は、暫く経つまで全然気づきませんでした。それよりも毎週注射される薬の影響なのか、近視があっという間に進んで、Mさんと同じくメガネにされてしまった事の方が、ショックでした。
スカートに赤いフレームのメガネ姿で、僕は天使の為のクラスがある小学校に入学しました。実はMさんも、すっかり脳味噌を手術された上、下の御口にオチンチン棒を生えさせる手術を始められていた事を、中学で又同窓になった時、こっそりと教えられました。
---10---
僕のオチンチン棒が、上下逆に付いていると知ったのは、幼稚園に入る前、W先生の診察を受けた時でした。タマタマ袋もオチンチン棒の上に付いてて、ぶら下がってるというよりも、かぶさっている感じでした。
「このままに手術しないか、タマタマを取ってしまうか決めてください。」
僕の人生にとって大事な事なのに、お母さんはタマタマを取ってしまう方を選びました。
但し、オチンチン棒の向きは直さずに、精子が出せたら、赤ちゃん造りに必要な精子を採取してからにしましょうという約束になりました。そんな日は永遠に来ない事を願っていましたが、中2の夏休みに診察された日、僕はW先生の前で射精してしまいました。
その時は、S子さんというベテランのナースさんに、逆さオチンチン棒に薬を塗られていて、ちょっと元気が良くなったのを見たW先生が、精子採集装置を試してみる指示を出したのでした。
僕はタマタマを取られたくないので、足裏マッサージ器みたいな音を出す装置が通常と反対向きに装着されても必死に我慢したのですが、ほんの一瞬、気を許した時、タマタマが引っ張られる感じと共に、大量の精子を放出してしまいました。
「元気の良い精子が沢山出たわね。」
褒め言葉とも最後通告とも取れる、恐ろしい感想が発せられると、タマタマとサヨナラする日取りが数日後と決められ、それ迄毎日、精子採集を行う事が決められました。射精の快楽を覚えてしまった僕のオチンチン棒は、もう何の躊躇もなく、童貞を奪った精子採集装置の虜になってしまうのでした。
そして最後の精子採集日、いつものS子さんではなく、Mさんという新人のナースさんが、僕の最終射精を担当しました。Wクリニックのスタッフは全員、度近眼鏡をかけているのがトレードマークらしかったですが、Mさんのメガネは、大きなフレームなのに、顔の輪郭が他のスタッフ程は縮んでいない、未だ度近進行の余地がある目らしかったです。
「お母さんには内緒だよ。」
と囁いた後、最終射精を終えて、中に残った精子も抜き取られた僕の逆さオチンチン棒にキスしてくれました。いつの間にかコンドームを付けられてた事も、ナース服の上からだけどオッパイ触られてくれた事も何だか半分ショッパイ思い出となりました。
そして僕はオチンチン棒や背中に麻酔の注射をされて、タマタマ袋を切り開かれる手術を受けさせられました。玉毛を剃られて丸見えになった僕のタマタマ袋は、付いている場所がオチンチン棒の上だったので、中身のタマタマ等だけでなく、タマタマ袋も取り去る事を言い渡されました。タマタマを1つずつ剥き出しにして、精子を運ぶ管も結んで切り取ってしまう手際の速さから、W先生は玉抜きの技を極めた名医なのだろうと感心している内に、僕のタマタマとタマタマ袋は、僕の逆さオチンチン棒に別れを告げてしまいました。
更に凄い技として、僕のオチンチン棒の皮を少し抜き取って、今後カメさんが包まれる事が無いオチンチン棒に改造されてしまいました。
「オチンチン棒が逆さだと、良い事もあるんだよ。」
W先生の言葉の意味が分かるのは、未だず〜と後の事でした。僕の妻は、オチンチン棒が逆さなのと、タマタマが無くて安全なのを、とても気に入ってます。上の御口でオチンチン棒にキスされながら、オッパイを揉んであげる技を教えてくれた、あのMさんです。
彼女の下の御口も、W先生の手で女の子ともエッチ出来る改造手術を受けていて、他の女性とちょっと違っていますが、僕にお礼のキスされるのが、大好きです。勿論、逆さオチンチン棒を出し入れする、バックなのに正常位の精子無しセックスも、大好きですよ。
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先日亡くなった母の遺品を整理していたら、仏壇の引き出しの一つから、僕の臍の緒と、2個のタマタマ君が出てきました。タマタマ君が僕のオチンチン棒に付いていたのは、小学校迄だったと思います。一緒に入っていた小冊子のタイトルが、”去勢の勧め”という恐ろしい物で、一緒に入っていた経過の控えには、夢精精通確認日とか、ホルモン注射開始日、変声防止手術日、豊胸手術日等が書き込まれていました。そして極め付けの、”性同一性障害診断書”迄大事にしまってあって、僕のニューハーフ人生は、完全に母に操られれていた事を、証拠提出されてしまった形となりました。
もっと恐ろしかったのは、僕が生まれる前、僕でさえ名前を知っている、運勢判断や姓名判断の高名な易者先生に、男でも女でも使える名前、つまり僕の名前を付けていただいてた事でした。
要するに僕のタマタマ君達は、生まれる前から抜き取られることが決定していたし、急にオッパイが大きくなったのも、急に近視が進んで真っ赤なフレームのメガネをかけさせられたのも、セーラー服にスカート姿で遠い町の私立中学校へ通わされたのも、全て母の策略だったのでした。
そして最後に出て来たのが、見覚えがある女性の写真と、人物調査書、洗脳手術の見積もり書等でした。短大生の間、僕の精子無しオチンチン棒を愛し続けてくれた彼女、現在の僕の妻も又、母が洗脳依頼していた事が分かった今、これから生まれて来る僕の子供の運命も決められているのかなと、寒い妄想が広がりました。
---12---
中学校2年の時、僕は授業中に熱中症で倒れてしまい、気が付くと保健室のベッドで寝ていました。倒れた拍子に頭皮が切れて出血してしまったらしくて、顔には包帯を巻かれていました。大事を取ってそのまま、病院送りとなってしまいました。
局所麻酔を打たれて、頭皮を縫い合わされている内に、又気絶してしまったらしく、再度気付いたのは、もう夜中で、病院のベッドに寝てました。そして次の朝、実は熱中症よりも再生不良性貧血の疑いが高い事が判明して、色々な検査を受けさせられました。
その結果、僕は血液のガン、白血病である事が判明し、既に前立腺や睾丸に転移があるとの診断でした。ガンが全身に転移してしまう前に、僕はタマタマ君達とサヨナラする手術を受けました。手術の前夜、
「お母さんごめん。孫が作れない体に成っちゃうよ。綾姉に頑張ってもらうしかないね。」
と言って、3人で泣きました。母が帰宅した後、
「お母さんには内緒だよ。」
と言いつつ、綾姉がタマタマ君達にとって最後の、フェラチオをしてくれました。
「そんな事したら綾姉にも移るよ。」
と感謝しつつも必死に我慢したのでしたが、我慢も限界となって、最後の射精をしてしまいました。オチンチン棒の中に残った分も扱いて、綾姉自ら、ピンクフレーム眼鏡のレンズへ絞り出した時の、弟の妄想なんかすべてお見通しというドヤ顔も、忘れられません。
「赤ちゃんは作れ無くなるけれど、綾姉は、またフェラしてあげるからね。」
もう勃起しなくなるであろう僕のオチンチン棒にも優しい言葉をかけてくれた、綾姉の言葉も、遠くへお嫁に行ってしまった今となっては、陽炎のような、タマタマ最後の日の想い出です。
---13---
「最後の精子は、生徒会長のT子さんに吸っていただきましょう。」
僕のタマタマが付いていた最後の日、この恐ろしい中学校の校長でもあるW先生が、T子さんに命令した。真新しい眼鏡をかけたT子さんは、眼鏡だけでなく性欲や倫理観も、W先生の洗脳で真新しくされてしまったらしい。
「新しい眼鏡をかけたらほら、フェラチオも全然恥ずかしくなくなったわね。」
僕のタマタマを軽く揉みながら、オチンチン棒を愛おしそうにフェラチオするT子会長の下の御口には、フェラチオと同期して出し入れされる半自動オナニー装置が装着されていた。
両耳と両乳首には、この中学校の校章の入った金のピアスが付けられていて、フラフラと揺れながらT子会長のフェラチオ熟練度を示していた。僕は何とか最後の射精を我慢したかったけれど、タマタマを揉みながら絡みつくT子会長の細長い指のハンドパワーに圧倒されて、数分も耐えられなかったと思う。細長い指で扱かれた最後の精子は、T子会長に一滴残らず飲み干されてしまった。
「お礼のキスもね。」
僕の最後の精子を飲み干したばかりのT子会長の上の御口が、僕とフレンチキスを求めて来た。僕は自分の最後の精子と、間接キスしてしまった。オッパイの先に付いた金のピアスの先が僕の胸に触れて、パイ揉みをリクエストしていた。T子会長の細長い指が、優しく揉み方を指導していた。
「T子さん、大好き。」
絞り尽された筈のオチンチン棒に、何か冷たい液体が塗られたの迄は記憶の隅に留まっていたけれど、麻酔を吸わされてしまった僕が次に目覚めた時には既に、タマタマを抜き取る準備が完了していた。
「M君のタマタマさん、さようなら。」
マスク越しにT子会長の、ややこもった声が、か細く発せられると、W先生が素早く僕のタマタマを切り取った。
「もう一個、取り出す迄、頑張ろうね。」
T子会長に激励されても、何を頑張るのか全くわからないし、泣く事さえ出来ない僕は、手術台にガッチリ固定されたまま、二個目も抜き取る準備課程を見せつけられた。
左右独立して何層もの袋に包まれているタマタマも、W先生と助手の手早い技で、出血してる暇も殆どなく切り開かれて、僕のタマタマ袋に最後のタマタマ君が出現した。
先程迄精子を送り出していた管が手早く二重に結紮され、哀れな僕のタマタマ君はその間を切られようとしていた。
「二つ目のタマタマさん、さようなら。」
T子会長の残酷な号令と共に、僕のラストタマタマ君は切り取られて、その日から僕は、去勢推進委員に任命された。去勢済みの印として両耳に、T子会長と同じ金のピアス迄付けられて、男子でも女子でもない存在にされてしまった事を認識させられた、ちょっと哀れな序曲というべきかもな、古〜い思い出です。
---14---
僕の姉さんは、あの頃未だ短大の二年で、その年は就活で忙しかったみたいです。面接用の履歴書に書く為に視力を測りに行った時、古い眼鏡ではダメな事が判明して、新しい眼鏡を作る事になりました。スポンサーは、お母さんだったのでしたが、丁度僕も視力検査でひっかかってて、2人で眼鏡選びに行く事になりました。
でもそれはほんの序曲に過ぎなくて、先ず新しい眼鏡の処方箋をもらう時に、姉さんは、眼科の奥の部屋に通されて、暫くすると姉さんの唸り声が聞こえてきました。何か眼が痛む治療を受けてるのかと思ったら、網膜剥離を起こす寸前なので、眼の中に麻酔をかけた後で大学病院に運ぶとの、大事になってました。
お母さんに電話した後、取りあえず僕が引率して、眼科クリニックのW先生が車で送って行ってくれました。でもその事自体、お母さんが考えた、姉さんの洗脳と、僕の去勢の為の罠だったのでした。姉さんは、大きなヘルメットみたいな物を被せられて、目だけでなく鼻にも何か挿しいれられてました。
「こんな事して私・・・」
「私どうなって来たかしら?」
W先生の意地悪な質問が、投げかけられると、
「はいなんだかとても気持ちが良いです。」
「新しい眼鏡を作るのは何故かしら?」
「はい、気持ち良く遠くを見るためです。」
「今日から禁煙するのは何故かしら?」
「煙草よりもオチンチン棒を吸う為です。」
「オチンチン棒は何処で吸うのかしら?」
「はい、上下両方の御口で吸います。」
「上の御口で吸った後は、どうするのかしら?」
「はい、タマタマを抜いて去勢します。」
「弟想いの、優しいお姉さんね。」
「はい、弟のタマタマを抜いて去勢します。」
「弟君は、眼鏡のお姉さんにフェラされるのが大好きにしてあげるわ。」
「はい、お願いします。」
やり取りを聞いてると最後は、すぐにこの場を逃げ出したくなったけれど、見かけよりも屈強な看護師が2人も僕に付いてて、全然出来なかったのでした。脳味噌も治療されてしまった姉さんは、度近テストレンズも入った検眼用眼鏡を掛けさせられて、僕も洗脳されてしまうのを見てて・・、
「お姉さんに勃起したオチンチン棒を見せてあげましょうね。」
「はいなんだかとても気持ちが良いです。」
「新しい眼鏡を作るのは何故かしら?」
「はい、気持ち良くオチンチン棒を吸われるのを見るためです。」
「今からオチンチン棒をお姉さんに吸っていただくわよ。」
「はい、気持ちよく射精します。」
「これからは毎日、フェラチオ射精させていただきなさい。」
「はい、お姉さんの御口に毎日射精します。」
「お姉さん以外では射精できなくなったら、タマタマを抜いて去勢してあげます。」
「はい、安全なオチンチン棒になって、お姉さんにご奉仕します。」
姉弟御揃いフレームで、色違いの眼鏡が出来て、W先生が勧めた眼鏡屋さんから帰る車は、自宅ではなく高速インターのラブボへと向かっていたのが、未だタマタマが付いていた頃の、走馬灯の様な想い出でした。
もう袋さえ残っていないタマタマ君達が付いていた跡と、姉さんが初ボーナスで大きくしてくれた僕のオッパイに、姉さんがキスしてくれる度に、何だかその頃の事がフラッシュバックするこの頃です。
---15---
僕の本名が、“ヒデミ”だと知らされたのは、小学校へ入学した時だったでしょうか?ずっと、”ヒデちゃん”と呼ばれていたので、“ヒデオ”だと思い込んでました。
同じく、W先生にオチンチンを診察されるのも、毎月お尻に注射されてるのも、小学校に入る前に誰でも受ける健診なのだと思っていたら、入学式の前に、全然違う意味の事だったと気付きました。
僕に用意された制服には、スカートが付いてて、ランドセルもピンク色でした。W先生も、
「入学前にタマタマを取ってしまいましょうね。」
とか、ごく普通の事みたいに僕に話しかけました。ところが、お母さんも、
「とても楽しみにして待ってたんです。」
とか、嬉しそうに返事して、まるで春先に自分の新しい眼鏡を作るのと、殆ど同じ乗りでした。
そんな訳で僕は、入学前に“ヒデミ”にされてしまいました。ある朝気が付くと既に、僕のオチンチンは、タマタマとサヨナラしていたのです。そして月に一回だったお尻注射が、毎週になって、僕の体は何だかふくよかになってしまいました。それだけでなく、お母さんみたいな真っ赤な眼鏡をかけないと黒板の字が、読めなくなってしまいました。
幼稚園の頃は、毎日外で遊んでいたのに、小学校から帰ると、ピアノとお習字を習わされて、遠くを見る機会がどんど減って、半年もすると眼鏡が合わなくなるのを、お母さんは楽しんでるみたいでした。
小学校のクラスも、女の子に作り替えられてく児童専用のクラスで、同級生と言っても上の空な表情の子ばかりでした。僕以外は、オチンチンだけでなく、脳味噌も改造されてた子が、多かったらしいです。
そんな僕にも、一人だけ友達が出来ました。彼も“アキちゃん”と呼ばれてて、“アキラ”とかの略称だと思っていたら、本当に“アキ”だったのと、入学前のタマタマ抜き取り手術に、とてもショックを受けたそうです。
僕も彼も、小学5年迄、髪を切る事は許されず、腰近くまで伸ばされた髪を、3日毎にシャンプーされてました。“アキ”ちゃんには、お姉さんがいるそうで、小学5になってからは、毎週末お姉さんの指導の元に、お化粧迄させられてたそうです。
夏休みも近づいたある日、 アキちゃんが僕に、打ち明けてくれました。お姉さんが今度のボーナスで、アキちゃんのオッパイを、大きくする手術を計画してる話でした。アキちゃんも僕も、既にタマタマが無いので、髭が生えたりしないそうなのですが、一緒に脳味噌も手術されて、上の空な笑顔を浮かべる子達の仲間入りしてしまうのを恐れているらしく、
「僕が忘れてしまっても、ヒデミくんは覚えててね。」
と前振りした上で、最近はオチンチン棒をお姉さんに吸われている話や、お姉さんと色違いペアの度近眼鏡をかけさせようとしている話、喉仏や米神を削ってお姉さんとそっくりの顔に改造させられようとしてる話を、こっそりと教えてくれました。
そして数日後、真新しい眼鏡をかけて登校してきたアキちゃんは、既に脳味噌手術も始められてしまったらしく、他の同級生と同じく、上の空な笑顔を浮かべる子になってました。
「お姉さんとお揃いの眼鏡になれて、とっても嬉しいです。」
とか語っていましたが、それ以外の記憶は、すっかり忘れさせられている感じでした。その後も連休が終わる度に、喉に包帯を巻いて来たり、両米神に大きな傷バンドを貼って来たり、脳味噌以外の女の子化改造も、どんどん進められている事が、垣間見られました。
僕も将来、こんな事になるのかと思うと、漠然とした不安と恐怖を感じながらも、アキちゃんの変化に注目してしまうのを、止められませんでした。
夏休みが終わって、オッパイが大きくなって登校してきたアキちゃんはもう、男の子だった面影としての、オチンチン棒しか残されていない、優秀な小学生ニューハーフにされてました。
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僕のタマタマは、今何処でどうなってるのでしょうか? W先生のクリニックで精通を見つけられてしまってから、姉によるフェラチオの虜にされた後、お別れしてしまったので、思いをはせても、W先生が教えてくれる筈も無いと思い込んでました。
ところが今月、僕を女の子体型にしてしまう注射の後、
「そうそう、貴方の精子をこれから、洗脳が済んだ若妻に注入するのよ。」
とか誘われ、大きな液晶モニターが何台も置いてある部屋へ通されました。
モニターには洗脳用のマスクを被せられて歯科用の診療台みたいな装置に固定された、殆ど全裸の美女だと思われる娘が映っていました。全裸とは言っても鼻から上はマスクで見えないので、あまり大きくはないけど形が整った両オッパイや、キラキラ光る臍ピが見えて、下の御口にはWクリニックのスタッフも付けていた”スーパーさん”と呼ばれるオナニー装置が取り付けられてて、絶賛動作中らしかったです。
「分かるかしら、この若妻のスーパーさんには、貴方の精子がセットしてあるの。」
脳味噌を快楽で満たされて、口を半開きにしたままの若妻に、 スーパーさんが精液注入動作を始めました。
「排卵日に、こんな素晴らしい種付けを受けられて、幸せな若妻さんよね。」
僕のタマタマ君達は、僕から抜き取られた後も、精子を造らされてW先生の野望に協力していたのでした。僕がフェラチオ快楽の虜にされてタマタマを抜き取られてしまったのも、その野望のほんの一部に過ぎなかった事が、画面に映画の字幕みたいに、
“去勢婚済 種付け済”
とか表示される、快楽と生殖が綺麗に分離されてしまった事態をみせられて、痛感させられてしまい、オチンチン棒から精子が出ていた頃を、思い出させられました。
「折角の機会だから、若妻さんが、お礼のフェラをしたいそうよ。」
僕の元タマタマ君達の功績に、僕のオチンチン棒も感謝のフェラをされて、若妻さんの眼鏡エロ素顔も見られ、精子無し液も吸われてしまった、幸せな日でした。
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「さあ、精子を吸ってくれるお姉さんを選びなさい。」
W先生に精通を見つけられてしまった僕は、数人のお姉さんたちが、頭にマスクを被せられたまま、殆ど全裸で洗脳装置に座ったまま縛り付けられ、綺麗に脱毛された下の御口へピストン運動を与え続ける装置の快楽に溺れている施設に案内されました。
「オッパイピアスが付いてるお姉さんは豊胸済み、臍ピが付いてるお姉さんは妊娠済みか経産婦、クリピが付いてるお姉さんは不妊済みだから仲山車叶。」
手早く説明する施設責任者Iさん自体、黒のフォックスフレーム度近眼鏡と、両耳に金のオチンチン棒ピアスを付けていた。
ここで、射精の虜にされてしまったら、タマタマを抜き取られてしまう事が分かっているのに、心の中では、ゆっくり、じっくり吸ってくれそうなお姉さんは誰かなとか、舌ピが付いてた方が良いかなとか、考えてしまってました。見渡してると、ここで洗脳されているお姉さん達には、2つのパターンがある事に、気づきました。
1つ目は、小柄でセックス経験は少なく、体も脳味噌も洗脳用の快楽体験にすっかり溺れてしまい、あまり大きくない脳味噌の中身は、快楽を探求する欲望て埋まってしまったタイプです。
2つ目は、やや大柄でやや太め、食欲も性欲も旺盛なタイプで、快楽追及の熟成度も高く、上下両方の口で同時にオチンチン棒を味わう事も望んだりする、快楽刺激の量までも貪欲に追及する、性欲の探究者タイプです。
2つ共持ち合わせたタイプのお姉さんも、1人はいらっしゃいましたが、僕がそのお姉さんに初フェラをお願いしたのはやっぱり、口の周りの筋肉の発達度が、とても良好だったからでした。
思った通り、熱気球の様に窄められたT子さんの御口は、僕のオチンチン棒をまず丁寧に舐めてから、未だタマタマ袋に入ってたタマタマにも、1個ずつ別々にキスしてくれました。そしてその暖かい熱気球の中へ、僕のオチンチン棒は、ゆっくりと吸い込まれ、ては抜き出され、
「出そうになっても3回はホッペに触って、一時停止をお願いしなさい。」
とか、
「下の御口とオッパイも、触ってあげるのがマナーだよ。」
とか、責任者のIさんに指導されながら、なるべく我慢していたのでしたが、W先生の、
「発射オーライ。」
の掛け声と共に、高速吸引を開始したT子さんの御口に、自分もびっくりする位の勢いで、大量射精してしまいました。
このままでは、直ぐにフェラチオの虜になって、タマタマを抜かれてしまうと分かっていたのに、タマタマを差し出して快楽を贖う事になってしまった、嬉しいけれど悲しい想い出でした。
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「T子さんは、吸精テクニックが素晴らしいので、これからも色々と協力をお願いしないとね。」
今ではあまり行われなくなった、快楽中枢刺激電極を挿し込む手術が、T子さんに行われていた。既に洗脳完了した脳味噌に、フェラチオ中の快楽刺激を与えて、条件反射淫乱性欲を更に充実させる為らしい。
「今日から、フェラチオ吸精がT子さんの生き甲斐になったのよ。」
夢の中で未だフェラチオを続けているT子さんの表情は、手術モニター用ディルドを咥えさせられているにも拘わらず、幸せそうな笑顔にあふれていた。
「精通確認フェラチオを担当する、T子と申します。」
数日後には、Wクリニックの精通確認スタッフとして、未だタマタマが付いている中学生君達の夏休み前健診に勤しむT子さんが、淫乱眼鏡雌豚としての才能を開花させられて、両耳のオチンチン棒ピアスをフラフラと動かし、真新しい舌ピをフル活用していた。タマタマが付いていた頃の思い出を、又壱ページ増やす為に。
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投稿:2017.06.21更新:2017.07.17
僕のタマタマが有った頃
著者 ホログラム 様 / アクセス 12065 / ♥ 1