この村での、隠れキリシタンに対する取り調べは、過酷を極めていた。
特に、新しく赴任した白木吉衛門信康という、若い代官は、女子供にも、情け容赦ない責め苦を与えることで評判であった。
「信康様は、前の村で、隠れていた南蛮の宣教師を三人ほど見つけて、恐ろしい責めをお与えになったそうだ。」
「一体どんな?」
「…裸にして、鞭で打ち、熱湯をかけては治療してまた熱湯をかける。これを幾度も繰り返したうえに、魔羅をふぐりごとつかんで、付け根に刃を当て、切り落とすと脅された。」
「それでどうなすったんじゃ?」
「そのまま、切り落としなすったと。」
切り落とされた男根と睾丸は、天日に干されたのち、その三人の宣教師の首にかけられて、幾日も宿場を引き回されて晒しものにされた。
その際信康は、「今まで股ぐらにぶら下げておった物を、今度は首からぶら下げればよいわ!」と言った、と、その村人は伝えた。
ある時は、20人もの村人を、一斉に磔にしたこともあった。
その時、男はすべて…それこそ幼児から老人まで、磔にされる前に股間のものをすべて切り落とされて、やはり刑場に晒されていたともいう。
キリシタンたちは、信康という名前を聞いただけで震えあがり、「鬼の信康」と渾名していた。
「白木吉衛門信康は、実はキリシタンだ」
そういう噂が流れたのは、そんなある日のことであった。
「信康殿。…、その、例の噂だが、まことであるか?」
三名ほどしか残っていない酒の席で、別の代官が信康に尋ねた。
すると、信康の口からは、意外な言葉が出た。
「…まことだ。まだ若いころ、南蛮に使節として赴き、キリシタンの王と謁見したこともある。」
そして、信康は続けた。
「だが、今では、キリシタンではない。あのような忌々しい記憶、もはや思い出したくもない!」
そう吐き捨てた信康の口調には、怒気がはらんでいた。
数え十二で洗礼を受けた若き日の信康が、使節団の一員として欧州へ赴いたのは、数え十四の時であった。
日本から、船で、インド、地中海をめぐって欧州へ赴くのは、2年以上の歳月を要することであった。
最年少でもある若き信康は、希望に満ち溢れており、何事もなければ、若きキリシタンとして、まっすぐと健やかに伸びていたことであろう。
あの体験さえなければ。
「それがしは、キリシタンの王と謁見し、その言葉に大変感動しておった。その日まではキリシタンを心の底から信仰し、誇りに思うておった。…あやつらは、己が子供の双玉を抜いて、キリシタンの寺で歌を歌わせよったんじゃ。それを見たとき、こやつらは間違っておるのではないかと思い、そう告げたのであるが、あやつらはそれがしの言葉には耳を貸さなんだわ。その理由が、その時はまだ分かりはせなんだ。」
「なぜ双玉を取る?」
「…理屈はよく判りはせぬが、そうすると、大人の声にならぬのじゃ。金に欲目がくらんだ親が、己が子供の双玉を、ふぐりごと焼いた鋏で切り取りもすると言う。だが、そうされても、歌がうもうない子供もおる。そうなると、街角で尻の穴を売る以外には、なんの使い道にもならぬ人間にしかなれぬのじゃ。」
信康は、注いだ酒を一気に飲むと、言葉を続けた。
「それに、あやつらはのお。…人を、牛馬のごとくに売り買いしよるんじゃ!それがしは、その光景をこの両の眼で、はっきりと見たわい!!」
「どういうことじゃ、信康殿!!」
「見ろ、太三郎!!」
二年の長きにわたる欧州使節の旅も終りに近づいたその日、とある街角の市場で異様な光景を目にした若き日の信康は、思わず声を上げた。
「なんじゃ?吉衛門。」
信康より一つ年上の太三郎も、信康が指したほうに視線をやる。
そこにいたのは、鎖でつながれた人間達の姿だった。
大半は、信康たちが初めて見る、黒い肌の人間であったが、…その中に、あからさまな日本人が混ざっていたのだ。
彼らのうち、女性は、秘所を人前で丸出しにされ、下卑た笑い声を上げながら騒ぎたてる異国の男たちによって指で乱暴に掻きまわされては、悲鳴をあげて泣き叫んでいた。
その中の幾人かが、太三郎と信康の声に気付いて、こちらを見やった。
そして、叫んだ。
「お侍さま、どうかお助けください!!」と。
(どういうことじゃ!?一体あの者たちはなぜ、あのような場所にいるのじゃ!?)
信康には、全く訳が判らなかった。
「お前たち!なぜこのような目に遭っておるのじゃ!?」
太三郎の声に、その中の一人の、若い娘が返す。
「私たちの生まれた国は…ああっ!!」
娘は、たちまちのうちに鞭で打ちのめされた。
異国の者は、そうしながら何事かわめいていたが、その言葉の意味は、信康たちには判らなかった。
鎖でつながれた日本人の一人に、少年が混ざっていた。
「あ…ああっ…ああっ!!」
太三郎は、信康と同じ年頃と思しき少年を見やって叫ぶ。
「どうした太三郎!!」
「吉衛門!あいつを見てみろ!!着物の裾がまくれた時を…よく見てみろ!!」
「…ああっ!!」
着物の裾を、異国人に乱暴にたくし上げられた少年の股間には、あるべきものが、跡形もなかった。
引き攣れた傷跡の中に、尿道だけがぽっかりと、口をあけていた。
信康達を見る少年の顔は、赤く染まり、屈辱に歪んでいた。
そして、少年は叫んだ。
「俺をよく見ろ、キリシタン大名の犬ども!俺がこうなったのは…男の証を失ったのは、お前たちのせいだ!!」
信康たちには、訳が判らなかった。
(神様は…俺達の信ずる神様は、こういうことをお許しになるのか?!そして、なぜ俺達と同じ日本人が、ここでこんな目に遭っているのだ!?)
信康と太三郎は、激しく混乱していた。
自分たちの心の中から、キリシタンへの信仰心が、潮のように引いてゆき、異国人への、そしてキリシタンへの激しい憎しみの気持ちが、熱き炎と化して心の中に満ち溢れて行くのを感じていた。
そして、帰国の船から、信康と太三郎は、己が聖書と十字架を海へと投げ捨てた。
その時、信康と太三郎の心からは、キリシタンの王と謁見した時の喜びも、キリシタンへの信仰心も消え失せていた。
ふたたび故郷の土を踏んだ時、信康は、二十歳となっていた。
「あやつらは、自分たちと同じ神を信じない者、自分たちと姿形の違う者には、平然と無慈悲な仕打ちをしよるのじゃ。…そして、同じ神を信じておっても、姿形の違う者のことなんぞ心の底では見下しておる。あのとき、日本の娘たちを鞭打った者どもは、きいきいわめくな、この薄汚い猿が!と言うておったんじゃ。双玉を抜かれた子供に歌を歌わせるのは、まちごうておるのではないかと、それがしが申しても聞き入れられなんだのは、そのせいじゃったんじゃ。それがしは、六年余りの旅路で、それらのことが身に沁みて判ったわ。」
「信康殿、異国の地で信康殿が見られた者とは…」
「奴隷じゃ。キリシタン大名殿が、戦で滅ぼした国の民草を、火薬や銃と引き換えに、宣教師どもに売り渡しておったのじゃ。彼らは皆、異国の地でみじめな最期を遂げたと伝え聞いておる。すでに、多くの国々が、キリシタンの信仰の名のもとにあやつらに滅ぼされ、国ごと奴隷にされておるとも。」
信康は、静かに目を閉じて言葉を続けた。
「それがしが見た少年は、獣のような異国の人間に買われて、慰みものにされた揚句、股間の一物を鷲掴みにされ、小刀で乱暴に斬り飛ばされたと、後になって聞き及んだわい。…そやつは、子供をそのように扱うためにだけ金で見た目のいい奴隷を買うということじゃった。それがしが国に帰って暫くして、キリシタン追放のお触れが出たと聞いたとき、そうなるのも当然じゃと思うて、心の底からほっとしたわ。」
「で、では信康殿が、キリシタンを憎まれるわけとは…」
「ああ、そうじゃ。そういうことじゃ。あやつらは、それがし達のことを、野蛮な猿と見下してはおるが、いったいどちらが野蛮な猿であろうことか。それがし達の中の誰が、あやつらのようなことをしよるか?それがしがあやつらにしておることは、あやつらがそれがし達にしておったことじゃ。…いつの世か必ず、それがし達の国は、あやつらの国と、大きな戦になるであろう。それがいつのことになるかは判らん。おそらくは、それがし達の死に絶えた、ずっと先のことであろう。その時、あやつらはきっと、今それがしがあやつらにしておる以上のことを、何のためらいもなくやらかしおることであろう。街は紅蓮の炎で焼かれ、民草は虫けらのごとくに殺されよることであろう…のお。」
信康は、再び眼を開け、あたりを見渡した。
「…その大戦が終わる頃の者、そしてその後の世の者は、それがしが今しておることを知ったら、いったいどう思うであろうか。それがしは、別にどう思われようが、全くかまわんのじゃ。よいかお主ら。キリシタンを、そして南蛮人どもを、決して心から信じてはならぬぞ。それがしは、今のお主らに、そして、後の世の者たちにそう申し伝えたいがために、鬼代官と呼ばれる振る舞いをしておるのじゃ。ただ、それだけなのじゃ。」
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投稿:2010.08.21更新:2010.08.29
鬼代官
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