「…で、この子が私が所望した生き物なの?」
キャネル夫人は、宇宙動物商のマーカーが室内に連れてきた生き物を一目見るなり言った。
マーカーに背を押されて現れたのは、どう見ても5~6歳の少年だった。
絶えず鼻をひくひくと動かしている彼は、一糸まとわぬ丸裸で、前を隠そうという気配さえ全く見せなかった。
「私、人身売買に荷担するつもりはありませんのよ、マーカーさん」
「いえいえ違います、キャネル夫人。この子は人間ではありませんよ。ですからこうして夫人にご足労願ったわけでして」
キャネル夫人は、三年前に交通事故で、夫と子宮と、妊娠したばかりの我が子の全てを同時に失い、慰謝料と両親から受け継いだ莫大な財産とを持つ身の上だったが、そのどうしようもない寂しさだけは、どうしても埋め合わせることが出来なかったのだ。
だから、「ある程度の大きさと扱いやすいだけの知能を持ち、それから犬よりも長く生きる動物」を求めてマーカーに連絡したのだった。
少年は、黒い髪と大きな黒い瞳、黒くて太い眉の、やんちゃそうな子だ。
だが、耳は長く尖っていて、先端には黒い飾り毛が生えている上に、人間より上の位置についていた。
しかも、お尻には、これまた黒くてふさふさとした毛の生えた、長い尻尾が背中に向かって跳ね上がっている上に、背後から見ると、頭の毛と尻尾の毛が、背筋に生えた黒い毛で完全につながっていた。
ちょうど、キタリスというリスの耳と尻尾を、人間につけたような案配だ。
「服は…着てないの?せめて下着くらいは」
「ですから人間じゃないんで…下着を身につけさせてもすぐに引き裂いてしまうんです」
よく見てみると、少年の体は、素肌だと思っていた部分全てが、アイボリーカラーのビロードの様な短い体毛に覆われていた。
額から鼻梁にかけての体毛は、ちょっとばかり茶色みが強いし、ほおと口元の毛は逆に白みがかっている。
そして、唇はベージュ色で、兎唇だった。
「こいつは、つい20年前に発見されたロェドレス星に住む、アルデラという生き物です。ほら、例の、齧歯類が地球でいうところの霊長類の地位にいる」
「でも…あんまり人間そっくりなんで、ちょっと気味悪いわね。本当に人間じゃないの?」
「霊長類と齧歯類ってのは、非常に近い動物が祖先なんですよ。ほら、ネズミやリスの手足なんかをよく思い出してください」
「…そういえば、猿にそっくりよね」
「同じ様な環境で育つと、全く違う種類の生き物の姿形が、よく似てしまうって事があるのはご存じでしょう?例のほら…平行進化。こいつが人間に似てるのはそういうわけなんですよ。図体はでかいけど、これでもう生後2年です。あと1年も経てば性的成熟もします。身長はあと10センチくらい伸びますが、ネオテニー的性質を持ってるので外見はこのまま。その頃には情緒的な面も安定します。寿命は、犬よりちょっと長めで20年前後ってところです」
マーカーは、そう言いながら、少年…アルデラのほおを両側から指で挟んで、口を開けさせた。
大きく開いた口の中には、人間と違って犬歯がない。
その代わりに、上下二本ずつの大きな門歯があった。
「で、地球でいうところのどういう動物に相当するの?」
「チンパンジー…くらい…ですかねえ。いや、社会性や知能や情緒面という概念から見ると、犬…?そうですねえ。生き物としての立場はチンパンジーくらいで、人間のペットとしては、犬レベルです。主人に対する認識も同様です。ですから、トイレをしつけるとそこでしかしません。こいつはもう、ちゃんとしつけてありますんで」
アルデラの瞳の輝き具合は、知的障害のある人間のそれとは全く異なっている。
一見人間だけど、人間じゃない。
人間によく似た、大きな齧歯類なのだ。
まじまじと見れば、それがよく判った。
「宇宙時代以前の昔みたいに、群れを一網打尽にしたり、親を殺して子供を引き離すなんて事はしません。このアルデラは、親を失った個体を人間が保護して繁殖させた、初の第二世代です。野生の個体ではありませんので。こいつをキャネルさんが買ってくだされば、初のペットになる個体ですよ」
「マーカーさん、ちょっとこの子に触ってみてもいい?」
「ええ、かまいませんよ。噛み付いたりはしませんから」
アルデラの頭の触り心地は、人間のそれとは異なっている。
長毛の犬や猫そのものだ。
それでいて、体臭はほとんどといっていいくらいに気にならない。
かすかに、ハムスターによく似たにおいがした。
体毛も、まるで短毛種の犬のような触感だった。
アルデラは、目を細めてキャネル夫人に頭をすりつけてきた。
「気に入ったわ。購入させていただきます」
「ところでキャネルさん…」
マーカーは、契約書にサインするキャネル夫人に言った。
「宇宙動物規約により、個人で飼育する場合は、去勢が義務づけられていることはご理解いただけますよね」
「ええ、判っています」
「性成熟しないうちに施術した方がいいですし、そのために前日の夜から絶食させてもいますが…どうなさいますか?」
キャネル夫人は、ゆっくりとした口調で、言った。
「今すぐ、お願いできますでしょうか」
キャネル夫人の見守る中、ガラス越しの手術室の向こうで吸引麻酔をかがされ、意識を失ったアルデラは、手足を手術台に拘束された。
そして、性器とその周りの毛を、全て剃り落とされる。
「去勢しても、ペニスがあったら、自分がオスだという認識が抜けませんし、自慰も行いますので…完全去勢という術式を取らせていただきます」
それにしても、アルデラは、本当に、ありとあらゆる部分が、人間にそっくりだ。
その、小さなペニスに、バイオ素材で出来た中空のカテーテルが挿入される。
平らな手術台は、固定されたアルデラの頭を上にした状態で、斜めにせりあがってゆき、45度の角度で固定された。
その両目は、かっと見開かれているが、意識は全くないのだ。
獣医師は、去勢用の電気焼灼鉗子を手に取る。
次にペニスを睾丸の入った袋ごと左手の人差し指と中指の間に挟み、軽く引っ張りながら持ち上げると、鉗子の刃を開き、その下…ペニスの付け根にあてがう。
そして、そのまま、刃を閉じてゆく。
しゅ、という小さな音がして、かすかに薄紫色の煙が上がった。
刃が完全に閉じると、もう全ては終わっていた。
アルデラの小さなペニスと睾丸は、彼の体から永久に切り離され、獣医師の左手の中にあった。
カテーテルは、徐々に体の組織と一体化する様に出来ており、体内に3センチほど残っている。
あとは、直径にして1.5センチほどの切断痕に、尿口を露出させるように医療用人工皮膚を貼り付けて、術式は完了した。
時間にして、10分もかからなかった。
「これで終わりです。もうしばらくしたら、麻酔も覚めますし、それから2~3時間もしたらすぐに連れて帰れますよ。ただ…」
マーカーは、続けて、こう言った。
「去勢のショックで、しばらくは落ち着かないかも、しれませんね」
「あの、マーカーさん」
「どうなさいました?キャネルさん」
「…麻酔から覚める時、この子の傍にいてあげたいんですけど、よろしいでしょうか」
「それは別に、かまいませんよ」
真っ白なシーツを敷いた、子供用のベッドの上で、丸くなって身じろぎしないアルデラの見開かれた目に、徐々に光が戻ってきた。
そして、ぱちぱちっとまばたきすると、がばっと体を起こして、犬がするように、頭をぶるぶるっと振った。
(ああ、やっぱりこの子は人間じゃないのね…)
キャネル夫人は、改めてそう思う。
そして、ベッドの上に座り込んだアルデラは、自分の股間に目を落とし…
つんざくばかりの悲鳴を上げて、自分の股間をまさぐり始めた。
この時代の医療用人工皮膚とバイオチューブは、患部の痛みを治癒するまでの間持続的に抑える作用があるので、痛みは感じてはいないはずだった。
だが、アルデラは、あからさまに、あるべきものがない…オスではなくなっているという現実にショックを受けていることは明らかだった。
「あっ…あっ…あう、あうあうっ!!」
その声は完全に悲嘆にくれ、我を忘れている。
双眸からは、大粒の涙があふれだした。
号泣するアルデラを、キャネル夫人は両手で抱きしめた。
「ごめん…ごめんね」
自分自身も子供を望めない体なのに、この子にまでその思いを味あわせてしまった。
キャネル夫人も、泣きながら、何度も何度もアルデラの頭や体を撫で続けた。
そうしているうちに、アルデラは、徐々に落ち着きを取り戻していった。
どうやら、自分の小さな男性器を奪ったのが、人間であるということは全く認識していない様子だった。
そのアルデラは、マックと名付けられて、キャネル夫人の自宅へ連れ帰られた。
家の一室をマック専用とし、与える食べ物はウサギやハムスターとほぼ同じ。
トイレは、人間用のものをすぐに使えるようになったし、かじり棒を与えたり、裏庭の森に放してやったりすることで、タンスや柱は一切かじらなくなった。
小さいものの頬袋があるので、乾燥したトウモロコシや殻を剥いただけの小麦を与えると、ほおがまるでバスケットボールの様に膨れあがる。
まさに、「姿形は人間によく似た、犬並みの知能を持つ大きなリス」であった。
時々、去勢された時のことを思い出してか泣き喚くことがあったが、夫人は、そのたびに彼を優しく抱きしめた。
泣き喚く回数は徐々に減って行き…
今では、全く泣かなくなった。
「マーック」
昼から夕方まで、そこに放してやることにしている裏庭の森で、夫人が樹上を見上げて呼びかけると、マックは木の梢を飛び移りながら夫人の元に戻ってくる。
そして、夫人の体に抱きつくと、きらきら輝く目で、夫人を見上げるのだった。
マックは常に夫人の姿を目で追いかけ、愛撫と抱擁とを求めており、一日に一度は、膝の上で、夫人の胸に顔を埋めている。
そんな彼と一緒に、週に一度は入浴して体も洗ってやる。
一人と一匹は、今や以心伝心の存在であった。
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投稿:2016.06.23更新:2016.06.25
アルデラ
著者 真ん中 様 / アクセス 12921 / ♥ 7