●主従関係
「そうねぇ……犬としてなら飼ってあげてもいいわよ。」
決死の思いで告白した昭夫に、月子は目線も合わさずにさらりと言い放った。
上司を相手にしても、厳粛な態度を崩さない彼女に昭夫は心奪われたのだが、実家が資産家で有名大学を卒業、
キャリアウーマンの見本のような月子と比べ、話し方もしどろもどろで、学歴も低く、会社でもロートル扱いされていたこの男は、
まさに犬扱いされてもおかしくない存在だった。ふられる覚悟はできていたのだが、この返事には、さすがに昭夫も困惑しているようだ。
「あら、それじゃ不服そうね? ま、そういうことだからじゃあね。」
あからさまな拒否の意思表示。もちろん、月子には交際するどころか、話をしているこの瞬間さえ不快感を覚える存在なのだ。
もう話すことはないだろう。そう思って踵を返す月子の耳に、昭夫の意外な、というより異常な反応が戻ってきた。
「ま、待って……じゃあ、犬でいいですから……。」
「はぁ!?」
「あ……いや……あなたの犬にして下さい。」
まさかここまで卑屈な男だとは思わなかった。月子はとうとう、この男が気味悪くなり、すぐにでも逃げ出したいと思った。
しかし、ここで逃げ出し、あとでストーカーまがいのことをされてもこちらが迷惑だ。
それなら、この男の弱みを握ってやろう。月子は機転を利かせて、この男の不気味な申し出を受けたのだった。
「ポチ、おまえなんで服なんか着てるんだい?」
昭夫とともにマンションにたどり着いた月子は、冷ややかに昭夫に言った。
「犬なんだろ? 服を着てるわけないじゃないか。」
「あ……服、脱ぐんで……」
昭夫が言い終わる前に、月子の平手打ちが空気を震わせる。
「人間様の言葉をしゃべるんじゃないよ。犬が。」
凍りつくような目線が、命令を絶対のものにする。昭夫は
「ああ……ワ、ワン……ワン!」
と答えると、服を脱ぎだした。
「全部だよ。パンツを穿いてる犬なんて、ウチには置いとけないからね。」
おずおずと、人間の殻を脱ぎ捨てる昭夫。すっかり裸の犬に成り下がると、命令されることなく四つんばいになった。
「あら、わかってきたわね。それじゃ、次は首輪を作らないとね。」
そう言うと月子は、昭夫のベルトを短く切り、即興の首輪を作って昭夫の首につけた。
そして、荷作り用のロープを取り出し、ベルトからひもを伸ばした。その先をベッドの脚に結びつける。
「ん~、何か足りないわね……そう! 尻尾よ!」
さすがに驚く昭夫だが、月子は嬉々として尻尾の代用品を捜す。そして、部屋掃除用のハンドモップを見つけると、昭夫の肛門に突き刺そうとした。
昭夫はこのときばかりは抵抗したが、男の昭夫が、体力ですら月子に劣ることを証明しただけだった。
組み伏せられて、柄の部分は間もなく昭夫の肛門を貫通し、ハンドモップは犬の尻尾へと早変わりした。
激痛と情けなさから、昭夫はモップを引き抜こうとしたが、
「それ抜いたら犬失格だから。帰ってね。」
と言われ、結局抜くこともできなかった。肛門からモップを生やし、首輪をつけた全裸の男を見て、月子はしばらく笑い転げていたが、
しばらくするとタンスの中をゴソゴソとまさぐり、中からコンパクトカメラを取り出した。
「それじゃあ、ワンちゃんの成長記録をつけとこうかしら。」
それだけは勘弁してくれと、昭夫は懇願しようとして止めた。
人間の言葉を発すれば、また殴られるのがオチだ。それになにより、抵抗して帰れと言われてしまっては、月子との縁がなくなってしまう。
昭夫にとっては、それは堪えられなかった。
「は~い、それじゃチンチンして……あら? この変態ワンちゃん、カワイイものが立っちゃってるわよ。」
ゲラゲラという嘲笑と、カメラのフラッシュを交互に浴びながらも、昭夫の粗末な欲望の象徴は、これまでになく充血していた。
ところが、24枚のフィルムを使いきり、カメラが自動巻き戻しをしている音とともに、月子の態度が豹変した。
「うーん、もういいや、犬。」
「え……!?」
「あいかわらず鈍いわね。もう遊びは終わり。さっさと帰ってちょうだいって言ってんの。」
「だ、だって……。」
「だからぁ~、もう私につきまとわないで、ってことよ。もし会社で私に話しかけてきたら、この写真バラ撒くからね。」
ようやく昭夫は理解した。彼女は自分のことを、犬としてもそばに置くつもりなどなかったのだ。
写真を撮って、自分のことを脅そうとしただけだった、そう考えたら、急に頭に血が昇った。
聞き取れない奇声とともに、月子に飛びかかろうとするが、首輪についたロープがピンと張って、まるでラリアットをくらったときのように転んでしまった。
一瞬呼吸困難になり、後頭部をしこたまぶつけたショックで意識を失いかけた。
「やっぱりバカね。おまえ。」
近付いてきた月子が、頭を押さえて床で身もだえている昭夫のみぞおちに、遠慮無く踵を振り下ろす。
ドスッ! という派手な音を最後に、昭夫は今度こそ失神した。
側頭部に強烈な衝撃が走り、昭夫は気を取り戻した。
ほんの一瞬のできごとだったのだろう。床で倒れている昭夫を見下ろすように、すぐ隣に月子が立っていた。
「早く帰れよ。犬コロ以下のバカ男。」
昭夫の怒りは再び上昇した。急いで首輪をはずし、あきれている月子に不意打ちをとる形で、ベッドに押し倒すことに成功した。」
このまま犯してやろうと、月子のブラウスのボタンをちぎりながら開き、ストッキングごとパンツを引き摺り下ろした。
あわてる様子もなく、余裕の表情でなされるがままにしていた月子は、
「それで……どうするの?」
どうせレイプする度胸もないだろう、とでも言うように蔑みの笑みを放ち、下にいながら昭夫を見下していた。
冷静に投げかけられた質問は、興奮状態の男に一瞬のスキを作った。
すかさず、月子は体を昭夫の下に潜り込ませ、男の最大の急所に強烈な膝蹴りをお見舞いした。
ボグッ!
「ぐっ……!?」
睾丸の歪む音とほぼ同時に、くぐもった悲鳴を発して昭夫は2回目の気絶を体験した。覆い被さる強姦未遂犯の体をどかして、月子はつぶやいた。
「正当防衛よ。このまま警察に突き出してやろうかしら? でも、こんな男、家に入れたことを知られるのもイヤだわ……。
ましてや、『レイプされそうになりました』なんて絶対言いたくないし。でもこの男、写真くらいじゃ参らないかもね。どうしよう……。」
ふと目を遣った卓上カレンダーに、小猫が戯れている写真があった。
それを見ながら月子の思案は、この男に絶望の未来を与える、恐ろしい方向へと収束していった。
次に昭夫が目覚めたのは、ベッドの上だった。
「あら、ようやく目が覚めた? よかった。」
月子にやさしい声をかけられ、これまでの状況も忘れて一瞬喜んだ昭夫だが、すぐに体の自由が効かないことに気がつき、仰天した。
両手両足が、先程の荷作りロープとテープによって、がんじがらめに縛られているのだ。首輪もつけられたままで、指先を動かすのがやっとだ。
それでも何とか、声のする方に顔を向けると、バスローブ姿の月子が、机の上のノートパソコンをいじっているのが見える。
チェアーに座っている月子の後ろ姿は、布越しにも美しいヒップラインが浮かび上がる。
「私思ったんだけどね。やっぱりお前のこと飼ってやることにしたよ。」
カチカチと外付けマウスのクリック音を立てながら、月子は背を向けたまま話し続ける。
「でね、飼い主としては、やっぱり今回のお前の粗相は、ちゃんとしつけた方がいいと思うわけ。」
月子が自分に、何か罰を課せようとしたのはわかった。しかし、罰を受けるなどどうでもいい。
そんなことよりも昭夫は、彼女が、自分をそばに置いておくという言葉にときめいた。
「それでね、いろいろ考えていたんだけど、さっきいい方法を見つけたわ。今回のおしおきにもなるし、これからの予防にもなるはずだし、
それになにより、マンションで犬を飼うなら、必要なことだしね……。」
月子に交際を申し込んだときから、彼女に虐げられる自分を想像して興奮していた。
おしおきされる――そんなこと、むしろそれこそ、昭夫が期待していた月子との交際の姿だ。
昭夫は、黒髪を乱して自分を鞭打ち、顔面を踏みにじる月子と、罰を受ける自分を想像して興奮した。
昭夫の妄想など知りもせずに、月子はキーボードを軽く弾き、マウスをクリックしていく。
「ふーん……こうするんだ。けっこう簡単みたいね。」
何かを調べているらしい。月子が食い入るようにモニターを見つめて調べごとに没頭している。
「ここが良さそうね。」とつぶやくと、月子はノートパソコンを回して、モニターを昭夫に見せるようにした。
「私、用意して来るから見ておきなさい。これがお前への仕置きよ。」
月子はそう言うと、ミニコンポの音量を跳ね上げて寝室を出た。流行の最新曲が、部屋の空気を振動させるほどの音量で流れてくる。
月子の住む高級マンションの防音設計があればこその大音量だ。
これでは、月子の声はもちろん、自分の声だってよほどの大声でも聞こえない。
現に、昭夫が月子に問いかける声はかき消されていた。
彼の問いかけは至極普通の疑問だった。画面いっぱいに表示されたホームページを見て、
それが「おしおきだ」と言われて、何人が理解するだろうか?
そこに書かれていることはわかる。しかし、それを本気と取るだろうか。
画面には、可愛らしい犬、猫のイラストに挟まれてこんなタイトルが書かれていた。
「飼い主の責任を果たすために、去勢手術をしましょう!」
月子が洗面器を抱えて戻ってきた。その中には、いくつか道具が入っているようだ。
あまり冗談に付き合わない月子の性格からも、本気で去勢手術をやりかねない。
まさかと思いつつも、どうしようもない不安が昭夫の表情からも見て取れる。
そんな昭夫の表情を見て、足元で道具を並べていた月子が、体を乗り出して
昭夫の耳元に近づいて囁いた。
「よかったわね。お前は犬で。宦官にするならペニスまで切り落とすところだったわ。」
昭夫の不安が確信の恐怖に変わる。
「まっ……待ってくれ! それはちょ……ブガッ!」
上ずった声で懇願しようとした昭夫だが、その言葉はさえぎられた。
月子が、歯を食いしばって力いっぱい昭夫の睾丸を握り締める。
「ワンちゃんがしゃべっちゃダメでしょ? お仕置きついでにこのまま潰そうか?」
マニキュアのついた細い指が、どんどん昭夫の陰嚢に食い込んでゆく。
昭夫には返答はもちろん、月子の言葉を理解する余裕もなかった。
わずか数秒の地獄。しかし、その直後、昭夫の頭の右側と、月子の指先に
ブチブチッ
という組織が破壊される、嫌な音が響いた。
絶えきれない激痛に、昭夫の顔がみるみる赤くなり、大きく息を吐いた。
「あら、もろいものなのね? もう潰れちゃったのかしら?」
昭夫とは対照的に、月子の反応は落ち着いたものだった。それも当たり前、月子にとっては関係ないのだ。
ニュースで見る幾多の殺人事件のように他人事でしかない。
この男の睾丸が潰れようが、自分の人生に干渉すべき存在ではないのだから。
全神経の電気信号が暴走して、体中の筋肉を硬直させる昭夫。
息もろくにできずに、押し寄せる痛みにただ耐えるしかない。
「おとなしくなったわね。痛い? いい気味。それじゃ始めるわよ」
月子はそう言うと、昭夫の足元に戻り、チキチキとカッターナイフの刃を出す。
(このまま2つとも潰しちゃえば簡単かな?)とも考えたが、
それでは治癒してしまうかもしれない。最初の予定通り、睾丸を抜き取ることにした。
しかし、先程の感触は気持ちが悪かったので、台所で手を洗い、ゴム手袋をつけた。
戻ってきた月子は、さっそくこの“犬”に去勢手術を開始した。
昭夫の尻の下にビニールを置いて、ベッドを汚さないようにすると、
「えーと、最初はこのあたりを切るのね」
と、作業を確認しながら、向かって左側が大きく腫れた陰嚢をつまんで、
縦に切れ目を入れる。昭夫の体がビクンと震えて、指を切りそうになった。
月子は怒って左の睾丸をつねりあげて昭夫の耳元に戻り、
「おとなしくしなさい。もう一個も潰されたい?」
と昭夫に警告すると、作業を続けた。カッターナイフを置き、
陰嚢の根元を掴んで切れ目から睾丸を搾り出す。ムニュッとした感触のあと、
若干の血とともに、白っぽい楕円形の肉塊が飛び出してきた。
昭夫は皮を裂く鋭い痛みの直後、睾丸を外に抜き出される異様な感触を感じた。
“まな板の上の鯉”とは、こんな感じなのだろう。
もうどうにもならない、あきらめなくてはならない。不思議とそう思えた。
さらに月子は指を絞り、残りの睾丸を取り出した。
内部の組織が一部握りつぶされ、破壊されたそれは、さきほどよりふた回りほど大きく、赤みを帯びていた。
汚らしい、と思いつつも、めったに見られるものではない生の睾丸を見て、月子はちょっとおもしろいと思った。
こんな下種でも、考えてみればこいつも男だ。
そのシンボルである金玉を、自分が奪おうとしていることに優越感を感じた。
いい気味だ。女だからと自分をナメた男たちを代表して復讐している気分だ。
●犬であるということ
次に月子は、去勢手術のホームページにあったように、健全な方の睾丸を強く引っ張り、輸精管と血管を伸ばして、固結びにした。
睾丸側の管をカッターナイフで切ると、残りの管は結び目とともに、ゴム紐のように陰嚢の中にシュッと入っていった。
意外と簡単だ。輸精管をつまんで、切り離された睾丸をプラプラと揺らしてみる。
それ自体はグロテスクな物体だと思った。しかし、それが今まで男だった生き物から奪った戦利品だと思うと、達成感がこみ上げる。
さっそく、次の睾丸も奪い去りたいが、優越感をさらに味わいたいと思った月子は、昭夫の体を乗り越えて、唯一の目撃者である昭夫目の前にそれを突き出した。
「見てごらん。これがお前の大事なタマだよ。……取れちゃったね。」
恐ろしい言葉を、これまでにない甘い言葉で囁く。
雄の上で、バスローブの間から胸の谷間をこぼす美しい雌が、雄の生殖器を奪い去り、その勝利の証を見せつける様は、恐ろしくもエロチックだ。
昭夫は、それが何なのか理解していないかのような、うつろな目でそれを見る。
しかし、上を向いてこぼれない涙を溜めた目は、その現実を受け入れていた。
「レイプって未遂でも成立するのよ。そんな弱みがあったら訴えられないよね。
もっとも、お前は犬なんだから、ご主人様に去勢されて当たり前だけどね。」
狡猾に口止めを強要しつつ、月子はさらに優越感をかみ締める言葉を続ける。
「よかったわね。これで粗相をすることもなくなるわ。ご主人様にありがとうございますって言ってごらん?」
金玉を抜かれて、礼を言うなんてことがあるだろうか。
しかし昭夫のパニックで呆然とした頭は、月子に「よかったわね」と言われたことで、それがうれしいことと判断した。
「あ……あり……」
「違うわ。あなたは犬でしょ。うれしいなら2回吠えなさい。」
異様な謝辞をさえぎり、男性器を奪った女は、この上人間の尊厳をも奪おうとした。
そして、男はそれに応えた。
「わん……わ……わんっ!」
「よしよし。うれしいのね。それじゃ残りのタマもとってあげなきゃね。返事は?」
会話の中で、昭夫は少しだけ冷静さを取り戻していた。しかし、もう彼には「やめてくれ」と懇願することはできなかった。
レイプの罪を背負い、男性のシンボルを切り取られ、人間であることも許されない絶望的な状況だが、
ここで彼が、それを止めるメリットはすでに残されていないことは彼にもわかった。
そんなことをしたって、月子なら去勢をやめることはないだろう。しかも、ここで自分が反抗すれば捨てられてしまう。
睾丸を奪われ、人間の尊厳を奪われても、ここで月子を失ってしまえばすべてを失くしてしまうことになる。
「……わんっ……わんっ」
去勢されたことを感謝し、さらに嘆願するその鳴き声を発したことで、昭夫は人間を捨てた。なぜか、救われた気がした。
「プッ……クスクスクス……タマ取られるのがそんなにうれしいんだ。」
昭夫の表情から真意を感じた月子は、まさに自分の完全勝利を実感した。
「わん、わん」
「そう? 嫌なら許してあげようかと思ったけど、それじゃしょうがないわね!」
「えっ?」
昭夫はあきらめようとしていた選択肢を耳にして、一瞬思考が逆流した。
そして次の瞬間、股間に激痛を感じた。月子の膝が、ビニールの上に転がっていた
睾丸を押し潰したのだ。
「ギャッ!」
一瞬だが冷静さを取り戻した昭夫は、すでに痛めつけられた睾丸にさらなる攻撃を受けて
これまで以上の激痛を感じた。切り取られた睾丸の痛みとはまた違う痛み。
「嘘よ馬鹿。いっそこのままコナゴナになるまですり潰してやろうかしら?」
一度壊れたものを再び壊すのは簡単だ。月子が体重を乗せるたびに、睾丸はグジュグジュと不気味な音を昭夫の体内に響かせて潰れてゆく。
「うううううう! ……がああああっ!」
昭夫が悲痛なうめき声を発する。あと少し力を入れれば、睾丸は張力を失い、完全に破壊されるだろう。
しかし月子は、それで去勢を終えるつもりはなかった。万全ではない。万に一つでも、回復されては嫌なのだ。月子は膝を上げた。
昭夫の呼吸が落ち着くまで待って、月子はもう一回尋ねた。
「さて……ワンちゃん。そろそろ残りのタマも取ろうか?」
「……」
「返事は? 嫌ならもう一回潰すわよ?」
もう月子に捨てられたくないとか、人間の尊厳どころではなかった。
あの苦しみを、いやここで踏みつけられればそれ以上だろう。
そんな痛みはもう味わいたくない。拷問された者が自供するように、昭夫は逃げた。
「わ……わん……わんっ……」
「もう一回聞くけど、本当にタマ取るわよ? 二度と元に戻らないわよ?
あなたは男じゃなくなっちゃうわよ? 子供も作れないわよ? それでいいのね?」
「わんっ! ……わんっ!」
昭夫の人間としての敗北宣言に、月子は満足した。
人間としては気持ち悪いやつだが、ここまで服従するなら、ペットとしては可愛がれそうだ。まんざらでもない。
「……かわいいわね。それじゃ、あなたの大事なトコロ、取ってあげるね。」
月子にかわいいと言われては、昭夫としては無上の喜びを得るところだろう。
しかし昭夫は、これで苦しみから解放される、という安堵感でいっぱいだった。
●躾上手は飼い主冥利
月子が三度、昭夫の足元に戻って少し驚いた。
睾丸は3倍くらいに腫れて、内出血のせいか真っ赤になっていた。
持っていた左の睾丸を洗面器に落とし、先程と同じように輸精管を固結びにする。
今度は睾丸が大きいため、かなり苦労した。輸精管をいっぱいまで引き伸ばし、睾丸を輪の中に力任せに押し込む。
昭夫が苦しそうに痙攣しているが、知ったことではない。
なんとか方結びを終えて、切り取ろうとするが、カッターナイフが見当たらない。
昭夫が暴れたときに飛ばしてしまったのだろうか。
探すのが面倒になった月子は、輸精管を両方の人差し指にぐるぐる巻きにして、力任せに左右に引っ張った。
筋張っていて少し堅かったが、プチンという音とともに輸精管はちぎれた。
切り取るというより、引っこ抜かれる感触を昭夫は感じた。
人差し指の力を緩めると、輸精管が陰嚢にチュルン、と引き込まれた。
去勢完了だ。ここに横たわっている生き物は、もはや男ではなくなった。
一人の男から男性器を搾取した月子は、その手に掴んでいる睾丸の重さを味わい、興奮にもとれる達成感を味わっていた。
そして、一人の女から男性器を奪取された昭夫は、睾丸という肉体の一部のことではなく、もっと大事な何かを失くしたような、とてつもない喪失感を感じていた。
月子はその後、アルコールで陰嚢の傷を消毒して、瞬間接着剤で傷口を塞ぎ、その上から絆創膏を貼った。
そして、昭夫がもう悲鳴を上げないことを確認して、ミニコンポの音量を戻した。
「どう? 男でなくなった感想は?」
洗面器の中から、大きさも色も違う2つの睾丸をつまんでみせながら、月子は昭夫に問いかけた。
憧れの女。自分を犬扱いする女。自分から金玉を奪った女。
悲しさと、不安と、後悔と恐怖が昭夫の中から離れない。しかし、憎しみはなかった。
今の自分が誰かに認められるには、きっとこれしかないのだ。
「……わん。」
「そうそう。わかってきたじゃない。」
昭夫の頭を撫でながら、月子は笑顔で答えた。
数日間はまともに歩くことすらできなかった昭夫だが、有給休暇を取って休養した後、会社に復帰した。今までどおりの生活が戻った。
相変わらず会社内では、月子と目を合わせることもない。しかし、月子がマンションに戻ると、そこには昭夫がいた。
約束どおり、月子の家で犬として暮らすことを許されたのだ。
月子が帰るまでには炊事、洗濯、掃除を済ませ、帰宅する頃には服を脱ぎ、首輪をつけて、尻には尻尾を刺し、四つんばいで月子の足元にひれ伏して過ごした。
切り取られた昭夫の睾丸は、真空パックされて月子の部屋の冷凍庫にしまわれた。
昭夫はそれを、ことあるごとに見せ付けられた。
昭夫にはペニスは残されていたが、2人の間には性生活はなかった。
ペニスが使われるときは、月子によるおしおきのときだけだった。
人間の言葉を使ったり、必要以上に駄々をこねたり、月子の機嫌が悪いときにはペニスを棒で叩かれ、勃起したところを見つかると長いまち針を刺されて朝を迎えることになった。
会社で月子と接触をしようとしたり、大きなミスを犯せば、カッターナイフで切り付けられたり、ライターであぶられたりした。
すべての罰は、彼が男性であった最後の証に与えられた。
しかし昭夫にとって、月子にひどい罰を受けることですら、かまわれているひとつの接点であり、快楽のひとつだった。
何度針を刺されてもペニスは勃起不全を起こすことなく、傷が癒えることはなかった。
月子にとっても、男性器を虐げることは会社のストレスを発散させる最高の行為だった。
傍から見れば奇妙な関係だが、おそらくそれで幸せだったのだろう。
昭夫にとって悲しいことといえば、月子を怒らせてしまったとき、冷凍された睾丸を昭夫の目の前で粉々に踏み潰されて、便所に流されてしまったことくらいだった。
しかし、そんな歪んだ幸せにも終焉のときが迎えられた。
1年半後、お仕置きでカッターナイフで切られ、踏みにじられた傷が思ったより大きく、化膿して腐りかけてしまったため、月子はそのペニスを、根元から包丁で切り落としたのだ。
処置は完璧だったのだが、その後回復するまで休暇をとっていたところ、有給を使い果たしてもなお完治せず、昭夫は会社を辞めざるをえなかった。
さらに、攻撃対象であるはずのペニスをなくした昭夫にいらつきを覚えた月子は、違う男と結婚してしまう。
もちろん2人の関係を続けられるわけもなく、昭夫は捨てられ、失意の中で自殺してしまった。
電車への飛び込みだった。
司法解剖でも彼の股間に何もなかったことが判明しなかったところを見ると、月子に最後まで迷惑をかけたくないと考えた、昭夫の忠誠心だったのかもしれない。
キャリアを捨て、普通の夫の専業主婦となった月子のその後の人生は、周囲には幸せな家庭に見えたかもしれない。しかし、彼女は一生、物足りなさを感じていたようだ。
彼女の親友は、「月子は笑わなくなった」という。
月子は自宅の庭に墓を立て「昔飼っていたペットのお墓なの」と彼を末永く供養した。
その墓には、「アキオ」というペットの名前が書いてあったという。
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投稿:2003.11.07
犬
著者 Ash 様 / アクセス 22308 / ♥ 5