俺の名はジミー。本来の仕事はスタントマンだ。でも、その仕事はバイクで炎の海を飛び越えたり、高いビルから落ちたりすることではない。俺が得意にしていたのは、拷問シーンのスタント。特にリアルな鞭打ちは評判だった。
拷問人が鞭打つと、実際に背中やお尻に痣ができ、腫れて変色し、やがて出血する。それを克明に撮らせるのがウリで、こんなのは本物のタレントには絶対に無理だった。
一度、このシーンを撮ると、2ヶ月ぐらいは椅子にも座れないぐらい痛い。完全に治って次の出演ができるのは半年後だ。しかし、ギャラは良かった。
次の出演まで半年かかるといえば、剃髪シーンなんかも引き受けた。魔女狩りの映画やナチスの映画の中には、陰毛の剃毛シーンもあったな。
俺の仕事に最初に危機が訪れたのは、まず特殊メイクの発達だ。これで、普通の俳優にも、いかにも拷問を受けたような傷痕を付けることが可能になった。
でも拷問の最中に、少しづつ身体の傷がひどくなっていくのを見せるのは、特殊メークだけでは無理。少し仕事が減ったけど、俺は気にしなかった。
大規模な装置を使った大掛かりな拷問では、SFXにも仕事を取られた。でもこれもわずかな部分だった。
俺が大変なことになったのは、コンピュータグラフィックの発達だ。これはもうどんな画像も万能で、架空の拷問シーンをドンドン作ってしまう。鞭打ちでも痣も腫れも傷も超リアル。これには参った。本当に仕事が来なくなってしまったんだ。
俺はしばらく失業していたが、やがて前衛芸術家のリチャードと出合った。彼は当時、彫像の中に実際の人間を閉じ込めるという、変わった作品を発表していた。最初は内部の空洞の中に人間を入れておいて、生活させるといったものだったが、そのとき、人間の身体をそのまま固めてしまうような作品を考えていたんだ。
俺はモデルになることを承諾した。全裸になって全身の毛をすべて剃り落としてから、立ったままポーズをつけて、グラスファイバーのギプス包帯を巻かれた。呼吸と食事と排泄のために、顔と性器と臀部は露出していたが、あとはぴったり巻かれた包帯が固まると、身動きができなくなった。
この上に合成樹脂で彫像のような外観が作られて、そのままニューヨークのホイットニー美術館の特別展に運び込まれた。2週間のあいだ、食事も排泄も美術館が閉ってからという生活を続け、苦しかったが何とか乗り切った。
作品は評判になり、チャードの名声は上がった。お金も入るようになったので、男女のモデルの数も増えた。俺は1回だけのつもりだったが、そのうち生活費に困って、また彫像になった。
今度は顔も覆われて、食事も呼吸もチューブ経由、排泄は小便はカテーテルで大便は浣腸で定時排泄、期間も3週間という厳しい条件だった。しかも前回は不透明だった包帯や彫像の材質が、今度は透明になっていて、全裸の全身が見られたい放題だったが、乗り切った。
次にリチャードから仕事が来たのは、同じモデルでもちょっと違っていて、直方体の透明プラスチックの中に全裸で固められるというものだった。彫像の中と違って、俺の身体が全部晒される。モデルとしてはやりがいがあるだろうというわけで、俺は二つ返事でOKした。
顔にだけは透明なお面が被せられ、透明パイプで呼吸と食事を確保。あとはプラスチックが直接付かないようにするため、油のようなものを全身に塗る。陰茎にはコンドームのような外付けカテーテルが被せられ、肛門直下には透明な漏斗状の便受けと排出パイプが付けられた。
準備が全て終わると、俺は直方体の枠の中に入れられ、上から透明樹脂が流し込まれた。この液体はすぐに固まって、俺はいわゆるM字開脚姿勢で閉じ込められた。
このときは、展示会場が2ヶ所だったので、このままトラックに載せられて、ニューヨークからシカゴまで運ばれたりした。
1ヶ月してプラスチックの枠から解放されると、またすぐに同じ仕事が来た。前回は、排泄物で股間部のパイプが汚れてきたので、今度は、尿道に直接カテーテルを差し込み、大便用のパイプも直接肛門に差し込まれた。顔の部分も、鼻と口にチューブを入れられ、眼球を保護するカバーがある以外は、顔面も直接プラスチックで固められた。
姿勢も、背中を床につけて、両脚はやや開き加減で、脚は股と膝で折り曲げた格好。いわば、性器も肛門も丸見えのスタイルだった。その上、プラスチックの全体の形が球形で、お客さんが自由に転がせるという趣向。逆立ちしてお尻が上になったまま長時間置かれたりして、もう大変だった。
そのときの展示場所は、サンフランシスコとホノルル。サンフランシスコで固められた俺は、展示が終わるとジェット機の貨物室で、ハワイに運ばれた。もちろん転がらないように、枠で固定されていたけどね。
この間、肛門の括約筋が強制的に拡げられていたので、終わってからしばらくは大変だったよ。
こうして評判が上がったリチャードは、ハワイのある島に、自分専用の美術館を作ると言い出した。そのプランは、美術館の鉄筋コンクリートの建物本体に、モデルの人間をレリーフのように埋め込みたいというものだった。建物の設計は円形で、全体がケーキのように4分割され、4分の1の部分を3ヶ月で建設、半年間展示して、残り3ヶ月で取り壊して、跡地にまた次の建物を建築するというものだった。
もちろん展示品は、人間レリーフだけでなく、得意の人間入り彫像や、プラスチック固めの人間像も展示し、作品を制作する現場の見学イベントを行ったり、お客さんが短期間の作品体験ができるコーナーも設けるということだった。
30人以上いた専属モデルのうち、人間レリーフを承諾したのは15人。建物の中に一度固められると、半年以上は解放されないし、万一出ようとすると建物を壊さないといけないので、莫大な損害がかかることから、報酬が良くても躊躇する人も多かった。
俺はもちろんレリーフを承諾した。基本は、建物の鉄筋や型枠を組んだ上に、素っ裸にしたモデルを入れて目的の姿勢をとらせ、手足を鉄筋に針金で縛りつける。まだ組んでいなかった鉄筋と型枠を完成させ、皮膚に炎症を起こさず、しかも早く固まる特殊なコンクリートを流し込んで固めるというものだ。コンクリートが固まったら型枠を外して完成だ。
俺のポジションは、一辺が50㎝ほどの鉄筋コンクリートの柱。この柱を人間の身体が、直角に貫いているという作品になるのだ。
柱の鉄筋と型枠を途中まで組んだところに、素っ裸にして全身脱毛した俺が、柱に直角になるように寝た。それから両脚を顔の上に思いっきり曲げられた。柱の型枠の前方に首と手と折り曲げた足が、後方には下腹部、つまりお尻と性器部分だけが出ている恰好になった。それから身体のあちこちを鉄筋に針金で縛りつけられ、鉄筋と型枠が上方へ延長され、強度が必要になる鉄筋は巧みに身体を避けて組み立てられた。
こうして、鉄筋と型枠を完成したところで、コンクリートが流し込まれ、俺は、建物を支える柱の一部となった。
いっしょにレリーフになった仲間のモデルも、素っ裸で、全員が顔と下腹部を露出させている。壁の中に両手首、両足首付近と後頭部を埋め込み、身体は壁から手前に外に出ているというスタイルが基本のようだ。 薄い壁を利用して男性を直立させ、男根は表に、お尻は裏に出ている作品などは、壁の強度が必要で、特に身体の回りの鉄筋を厳重に組んである。
今回の目玉作品は、スッポンポンの下半身を1階の天井から出し、足をぶらぶらさせている男で、頭は2階の床から出ているのである。
*いっしょにレリーフになった仲間のモデル*
手足が使えないモデルたちは、閉館後、係員に水をもらったり、食事を口まで運んでもらう。大小便も開館中はできるだけ我慢しているので、閉館と同時に一斉に大小便を排泄する。まあ、俺は何度もリチャードのモデルをやって慣れていたけど、初めてのモデルは大変だったようだ。
下に落ちた排泄物は係員が掃除するが、両手両足埋め込みで、壁と肛門が密着している作品は、よく見ると壁面が汚物で汚れていた。
こうして2ヶ月ほど経ったとき、リチャードがやってきて驚くべきことを言い出した。何でも郡当局が、生の性器を露出させたリチャードの作品を、猥褻だと言い出したというのだ。
リチャードはモデルの性器の部分に、「ミニマムクロス」という最小限の布を着けて隠すことを実験してみた。
さらに、ミニマムクロスを半透明の材質で作るとか、肌に密着させないとかいろいろやってみたが、芸術性からどうも納得できないという。
*改良型の半透明ミニマムクロス*
ついにリチャードは、男女のモデル全員に、去勢手術を受けて欲しいと言い出した。しかも女性モデルは、膣の部分を縫合するだけだけど、男性は性器全部を切断しなければならないらしい。
断れば、1ヶ月で2万ドルというリチャードからのモデル収入を失うことになるし、俺が飾られている場所は柱の部分なので、自分だけが脱落すれば、せっかくの美術館を途中で壊さなければならない。最も信頼できるモデルを重要なポジションに配置したというリチャードの説得に、俺は首を縦に振らざるを得なかった。
リチャードは、補償として3か月分のモデル代の加算を約束した。
翌日の閉館後、早速医師がやってきた。どうやらレリーフモデルの男性で承諾したのは、俺だけだったようだ。横になったまま柱に貫かれて動けない俺の手術は、局所麻酔だけで行われ、この日、俺の性器は永遠に俺とおさらばした。
もっとも、俺が自分の変わり果てた股間部を、実際に見ることができたのは、柱から解放された3ヵ月後だったけど。
*前衛芸術作品モデルになった俺~完全去勢後*
この日から、美術館の入館者は倍増した。他の男性モデルはミニマムクロスを着けたけど、本当に去勢した俺の姿が、相当な関心を呼んだらしい。
これで一番得をしたのはリチャードだ。俺は、その後、郡当局に出かけて聞いてみたけど、誰が猥褻だと指導したのかはっきりしなかった。
考えてみれば、性器露出に寛容なハワイでちょっと変な話しだし、これはリチャードの陰謀だったかもしれない。現実に、今はいつのまにか元に戻って、ミニマムクロスもやっていないし。
でも、俺の何も無い股間は、入場者の関心の的だ。セックスもオナニーも立小便も、俺とは無縁のものになったけど、リチャードもモデル代をアップしてくれたし、俺は当分、この仕事を続けるつもりだ。
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投稿:2006.11.05更新:2022.06.04
スタントマンと美術館
挿絵あり 著者 名誉教授 様 / アクセス 24033 / ♥ 73