<プロローグ>
経済と科学技術の絶え間ない進歩はどこまで人類社会をリードしていけるのか。そもそも進歩とは無限に上昇する二次曲線なのか、それともある時点に無限の高まりとなるが、一線を超えたとたん無に帰する漸近線なのか。おそらく結果は神のみぞ知る事、人類消滅後、消滅に至る経緯を客観評価し記録できる高等生物が並存していなければ永久に闇に埋もれてしまうわけだ。ひょっとしたらそのように消滅していった高等生命が太陽系誕生の前とか、数億光年彼方とかにいたのかもしれない。
進歩のうねりは人類一人一人の総意で生み出されるものではない。大多数の人間は既存の社会構造の中の無数の歯車だったり、うまく回らなくて弾けとんでしまって社会の澱のようになってしまっているのだ。新しい歯車や構造は一部のエリートが知的好奇心と自己満足のために作られる。それは、大発見であったり、矛盾に満ちた社会の大改革だったりして、大多数の人は本質が全く理解できぬまま大絶賛するのである。そして、全員が一層巨大で複雑になった新たなギアボックスに組み込まれていくのである。
そもそもヒトもまた単なる哺乳類である。行動原理は固体保存と種族保存に収斂されるはずだ。食糧を得て成長し成人したら雌雄の営みをもって子を作り育てる。そして子に種族の維持の全てを委ね年老いて死ぬ。この繰り返しだ。固体の維持が個人としての行動原理だとすると、種族保存は集団としての行動原理、種族としてのヒトに与えられた最も大事な尊重されるべき義務であり、具体的に言えば雌雄の交合とそれに基づく出産と育児が人類にとって最も尊厳のある仕事なのである。
数百万年のヒトの歴史は、育児と出産を中心に据え、そのためにいかなる仕組みを構築していくかの連続であった。女は性交により受胎すると一年近く胎内で子を養育し出産する。そして乳児が一人で食餌を得られるまで母乳で養育する。その間およそ2年は必要だ。一組の雌雄から最低二人の子がないと種族の維持はできない。しかし、不妊の成人に加えて、科学的医療の未発達の世界では早世する子供、出産後死に至る母親はとてつもなく多い。したがって、健康な女は、4人でも5人でも6人でも、出来る限り多くの子を産み育てなければ種族の維持ができないのだ。すなわち、女は人生の大半を受胎し産み育てるという労働に費やさざるを得ないのであり、この女を種族全体で支えていくことがヒトの役割なのである。
妊娠・出産時に困難になる食糧の調達、より滋養に富み物量も豊富な食糧の調達、調達を妨害する他種族の排除、調達エリアの拡大、調達の組織化に伴う管理・統制、こういった出産・育児への支援を担うのが、女の体内に体液を放出した時点で育児・出産の役割を終えてしまう男だ。
しかし、「育児・出産の支援」であった本来の男の役割が自家増殖しはじめた。それを人類の進歩と称しているのだ。それは、科学・技術であり、文化・芸術であり、産業であった。そして、高度な組織管理システムが構築されていった。前近代では宗教の体裁をとったり、哲学の形態をとったりした。軍事を基本においた時代もあった。時代が下ると経済を基本に置いた。そのシステムの頂点に立つものは絶大な権力を得た。その権力構造を正当化し維持するため、様々な理屈を構築した。正当性が維持できなくなると革命や大規模な政権交代が起きた。すべて男の役割が自家増殖した結果だった。
生命体は正当な繁殖行動を逸脱すると自己崩壊する。レミングの集団自殺もその一例だ。既にヒトは種族保存のための支援行動が本来の目的を逸脱し、支援行動自体が目的化している。性行為が生殖を目的としなくなっていたり、出産・育児という人類で最も崇高は行為を放棄して、男の役割である賎業に就きたがる女が増加しているのもその結果だ。ヒトという種族が、知らず知らずのうちに安楽死に向けた行動パターンを取るようになってきたということだ。
<201*年>
三条浩一郎はストレスに潰されそうであった。バブル崩壊以降ちょっと持ち直してきたかに見えた経済情勢はリーマンショックでふっとんでしまった。いい意味での家族的な経営で上司と部下や同僚の間に連帯感や会社への帰属意識がたっぷり残っていたこの会社に就職できて満足していたのもつかの間、入社したとたん、あっという間に厳しい現実の元に晒されることになった。国内需要は落ち込むばかり、アジア諸国の企業は日本市場まで脅かさんばかりになった。コスト削減が大命題となり、かつての日本の一流企業では聖域であった人件費にまで容赦なく手をつけざるをえなくなった。定期昇給は存在しなくなった。ボーナスは毎月の給与より少なくなった。首がつながっているうちはまだいい。へたをすると人員整理だ。既に高給取りの幹部社員は役職から外され退職を余儀なくされるものが増えてきた。減員分はバイトや派遣社員に置き換えられた。正社員というだけで、バイトからは冷たい目で見られた。やっていることは同じなのに給料ばかり高くて、給与に見合うだけの仕事をしろというわけだ。正社員は、最後の肝心な詰めをほおりだして所定時間に帰ってしまうバイトに不満たらたらだ。だから、残業手当抜きで連日深夜まで仕事付けだ。なんでそんなに仕事漬けにならなくてはいけないのか。
社長は言う。「この苦しい時期にこそ、我が社の成長を果たさねばならない。」
部長はこうだ。「会社を支えているのは、我が営業部の精鋭部隊だ。誇りを持って戦え。」
課長までこんな調子だ。「他に課に負けて悔しくないのか。頑張れ。」
自分についてもよく考えてみれば、同期の水沢がプロジェクトリーダーに抜擢されたときかなり動揺したのを思い出した。
それに比べて一年年長の三島美佐子はのんびりしたものだった。「お茶の出し方が遅い!」とか「コピーもまともにできんのか」と課長に怒鳴られてるけれど、部長の下手な冗談にうまくつきあったたり、新入社員をからかったりして、ほんとうに屈託がない。残業もほとんどしてなさそうだ。
彼女が一般職の事務補助だというせいでもないようだ。美佐子と同じような元気者の福山美穂は三条の同期の総合職だ。男性社員と同等のはずだったが、かなり仕事はドライに割り切っている。三条が夜中まであくせく働いていると、「何あせってるの?無理する必要ないじゃない。どう転んでも大した成果がでるわけないでしょ。」と醒めた反応、ストレスにはとんと縁がないようだ。
三条や男性社員の大半は、仕事を無難にこなしていればいい、というのでは満足していなかった。職場は戦場だ、事なかれ主義が組織を駄目にする、というのが哲学だった。何でこんなにまで仕事にのめりこまなくてはならないのか、と疑問に感じても体が自然に仕事に打ち込んでしまっていた。
しかし、溜まるのはストレスばかりだった。
ある日、三条が通勤途上で久しぶりに手にした週刊誌を眺めていると怪しげな広告に出くわした。
「睾丸摘出 今なら50%OFF 仕事のストレスに苦しんでいる貴方、去勢して楽になりましょう!ご相談だけでもどうぞ ○×クリニック」
「キンタマ取るなんてことが流行っててるのか?最近テレビを見る暇もないし、週刊誌なんて買ったこともないし、会社のパソコンを私用で使ったらとんでもないことになるので、世の中の動きに疎くなってしまった。玉を取ったら子供はできなってしまう、だけどどうせこんな生活してたら結婚なんてできそうもないし、女とエッチができなくなるのなら困るけど、サオが残ってればできるんだろうか・・・」
三条の常識からすると、玉を取るなどということはオカマがすることだった。ところが、どうも常識は違うらしい。単にストレス解消のためだけに玉を取る人もいるようだった。サラリーマンを相手にしているクリニックらしく、受付は夜10時までやっている。
「このストレス漬けの毎日、もし何とかなるんなら、相談だけでも行ってみるか。」
その晩も、相も変らず愚にもつかない雑用に追われ会社を出たのは9時半過ぎ、それでもいつもよりずいぶん早いほうだ。三条は朝の週刊誌の広告を思い出し、通勤途上にあるクリニックに立ち寄ってみることにした。
夜10時近くというのに、待合室には5人ほどサラリーマンらしき男性が座っている。この繁盛のしかたに驚きつつ待っていると30分ほどして名前を呼ばれた。診察室に入ると医師は予想に反して30代半ばと思しき女性だった。
「ストレスかなり溜まってますね。仕事に疲れてるんじゃないですか?」といきなり核心を突いてきた。
「何で男性がストレス溜まるか分かります?男の人は意地を張りたがるからね。ライバル会社とか、同僚とかと、行動原理が競争と面子なのね。この程度ですましとけば、とか、みんなとうまくやれるように、とか考えるより、オレがやるぞ、ってなっちゃうのね。女性にも勿論そういう人いるけど、ほとんどの女の人は競争じゃないの、協調なの。女同士で意地の張り合いしている人たちもいるけど、勝ちたい、じゃないのね。あの人嫌い なの。だから本当は仲のいい人たち同士で仲良くやってこうというのが基本なの。だから、玉取っちゃって男の本性を抑えてしまえば楽になるって言うわけ。」
ごもっともだった。社長から新入社員まで、みんな競争と意地のぶつけ合いで四苦八苦しているのは分かっていた。だけどそうしないと自分が取り残されそうだった。取り残されるのはもっと嫌だった。
「最近密かなブームになっているんだけど、かなり大勢のサラリーマンが去勢してるのよ。今日睾丸取った人は6人。あなたはどうする?今だったら、今日の外来はあなたが最後なのですぐ手術できますけど。安静にしている時間も含めて1時間もあれば十分。勿論、子供は作れなくなるけど、女の子とエッチはできるのよ。玉なしでも勃起はするの。避妊しなくていいから便利じゃない?保険対象外だけど、今日は50%割引にしとくから。」
「じゃあ、お願いします。」とつい言ってしまった。言ってからしまったとも思ったが、もう女医さんは看護婦に手術の準備を指示し始めていた。少し考えてからまた来ます、とはいいづらい状況になってしまった。
「玉を取ったとしてもセックスができるようだからまあいいか。」と三条は肝心なところでズボラな思考回路に陥った。
下半身をむき出しにさせられると、診察台に横になった。両足を固定し大股開きにさせられる例の婦人科用のやつだ。こんな所に乗る羽目になるとは思ってもみなかった。女医さんは股間と陰嚢を丁寧に消毒した。妙齢の女医さんに股間の肝心な部分を触られているうちに、いつのまにか硬度が増してきてしまった。女医は慣れてるらしく思わせ振りな笑みを浮かべて、看護婦に硬度がかなり増してきた物体を持ち上げさせた。たてつづけに何本も麻酔の注射を打たれた。ちょっと痛かったが、フクロの部分が次第に痺れてきたところでメスで切開された。全く痛みもなかったが、サオのほうはあまり麻酔が効いてないのか看護婦の手の感触がはっきりわかった。看護婦の手で行ってしまわないようにひたすらこらえているうちに、両方の睾丸が自分の体から離れていった。15分ほどの出来事だった。永久に生殖能力が失われたのだが、ピンクというよりほとんど白に近い自分の睾丸が金属容器に放置されているのを見ても、何の感慨が沸くでも無く、まるで人ごとのような感じだった。40分ほどベッドで休んでから家に帰った。
翌日も相変わらずだった。毎日会社でこき使われ続けた。睾丸がなくなったなんていう意識はほとんどなかった。
3ヶ月ほどしたある日、昼休みに福山美穂からいきなり言われた。
「最近、顔色いいわね。仕事の割り切りかたがうまくいくようになったんじゃない?」
そういわれてみると、仕事がスムースに行かずカリカリくることも無くなったような気がするし、美佐子とも上手くコミュニケーションが取れるようになった。課長が時折苦虫を噛み潰したような顔をするが、あまり気にしなくなっていた。
「最近、三条君と一つ下の古川君、すごく明るくなってる。今までは二人とも仕事に押しつぶされた中年サラリーマンって感じだったのに、すごく溌剌としてるんだもの。何かあったの?」
これが去勢の効果なのだろうか。
オフィスを見渡してみると、ほとんどの男性社員は疲れきった表情をしていたが、一年後輩の古川は、明らかに表情が違っていた。気をつけて毎日観察してみると、古川はいつも明るい表情だったが、他の疲れきった表情の人はいつも疲れきっていた。
ある日、エレベーターで偶然古川と二人きりになった。
「おまえ、ひょっとしてあそこの玉をどうかしたのか?」
「先輩も最近明るくなったんで、私と同じように取ったのかなと思ったんですが、そうなんですか?」
やはりそうだった。
「うちの部に、他にもいるのかな?」
「多分いないと思います。だけど、上のフロアに全員が玉抜きしたチームがあるんだそうですよ。そのチームは結構業績あがっているんだって。」
上のフロアに様子を見に行った。確かにそのチームのエリアだけ妙に空気が明るい雰囲気の場所があった。女性陣とのやりとりも和やかで、笑顔が絶えない様子だった。屈託のなさは仕事の成果と何の関係もないように見えた。
近頃、三条は仕事は適度にふんぎりをつけて定時に退社するようになっていた。おかげで、のんびり家でテレビを見れるようになったのだが、あるドキュメント番組が目についた。「去勢にはまる男たち」というのだった。三条は広告を見てなりゆきで去勢してしまったが、実は知らないうちにかなり世間では流行っているようだった。
去勢流行の発端は女装趣味の人たちだった。
既にこの十年ほどの間に、十代、二十代の若者たちの間で女装がブームになっていた。テレビで素人の女装娘が紹介されたり、女装男子だけのメイドカフェが流行ったり、大学での女装コンテストは学園祭の定番になっていた。いわゆる「男の娘」ブームというものだ。メディアでも「オネエ系」のタレントがもてはやされたり、女性の間で人気の「ボーイズラブ」の小説でも、イケメン同士だけではなく女装の美少年とのからみも登場していた。普通の男性の中にも、スカート男子、レギンス男子というような本来女性向けファッションに身を包む若者たちが原宿あたりで見かけられるようになり、これらも女装に対する垣根を低くしていた。
こういった背景の中で、女性化願望を持っていなかったり、女装に興味を持っていない人たちでも、ちょっとした宴席の余興やイベント、それから気まぐれな女性の「女装してみない?」の一言から、女装をするきっかけはかなり多くなった。こうしたことで経験した女装にすっかり嵌ってしまう人も多かった。そんな人たちは、休日の短いひと時を一人で女装の世界に浸ったりするわけだが、こういった日常からかけ離れた耽美の世界に何回か浸っているうちに、職場で男の競争社会に揉まれているストレスからの解放にかなり役立つことが気づいたのだ。
こうして、女装がメジャーな娯楽のひとつになりつつあり、今では、公然と女装姿のまま授業を受ける大学生がいたり、就業後女性の服に着替えてアフターファイブを楽しむサラリーマンまで誕生しはじめた。今までの女装では、家族にも友人に知られないようにしていたので脱毛もおいそれとはできなかった。しかし、ここまで大っぴら女装するようになれば脱毛ぐらい堂々とできる、髪も伸ばせる、エステにも通えるようになった。このような女装者の中に、より女性らしい体つきや肌を求めて睾丸を切除するものが現れてくるのも自然な成り行きだった。
睾丸を取っても、日常は普通のサラリーマンだ。この男性ホルモンの欠如したサラリーマンは男性特有の競争心や自尊心が影を潜め、性格は女性的になっていった。競争より協調を、変革より安定を、支配より従属を求めるようになっていた。この閉塞感に満ちた企業の中では、かえってプラスに働いた。業績に直結するかどうかはともかくとして、従業員のメンタルな面ではかなり改善が図れたのだ。このような女装者の気持ちの変化を目の当たりにした女装趣味のない普通のサラリーマンまでもが、心の安定を求めて睾丸摘出を求める者が現われてきたのだった。
三条は去勢流行の背景を調べ上げると、早速労務管理部門の管理職に面会を求めた。
「会社の福利厚生施策として、睾丸摘出に補助を出したらどうでしょう。本人のためにもなるし、会社の業績にもプラスに働くはずです。」
「そういう人がいることは知ってるが、奨励するのはなあ。国をあげて少子高齢化対策に取り組んでいる最中に、こういったことをするのは会社としてはまずいだろう。」
「最近去勢する人たちは、事前に精子保存をしています。ですから結婚して子供を作ろうとしても問題ありません。だから精子保存も含めて補助を出したどうですか?女子社員には、その保存精子による人口受精の費用を補助すればいいじゃないですか。」
「うーん・・・ ところで君はどうしたんだ?」
「玉は取っちゃいました。だけど精子の保存はついうっかり・・・」
密かにブームとなった去勢は、三条が去勢した翌年には社会現象になっていった。健全な男性の生殖機能の喪失は全国津々浦々で賛否両論が戦わされ始めた。全てにおいて、こういった世間のブームへの対応が鈍い政府、行政機関でも議論の対象となった。
そもそも、故なく生殖機能を破壊することは母体保護法に反するものであり、倫理上も問題だ、というのが当初、保守的な人々の公式見解だった。しかし、去勢ブームが到来するかなり前から、女性化を希望するニューハーフなどに睾丸摘出手術が医療機関で行なわれていたのはよく知られていたことだった。1998年の埼玉医大での性転換手術の再開や2004年の性別変更の性別変更に関する特例法の施行などを契機に、美容外科を中心に施術内容に睾丸摘出が公然を掲げられるようになった。
この健康な睾丸の摘出は、本来「性同一性障害」という精神疾患の治療手段である。しかし、この精神疾患の位置づけは極めて微妙だ。内蔵疾患であれば、痛いとか痒いのような本人の主観とは別に、血液分析や体内の画像診断によって客観的な判定が下される。しかし、性同一性障害かそうでないかは、本人がどう感じているかにかかっていて、判断基準はかなり曖昧だ。本人が「昔から男であることに苦痛でした」と主張することが診断基準となるのだろうが、何で苦痛なのか、女になりたいからか、男であることを拒否したいのか、男から愛されたいのか、好きな女に同化したいのか、誰もが正直にすべての項目について自分の気持ちを開陳してくれないと障害かどうかなど分かりやしない。だいたい、人間の気持ちなんてものは元々曖昧で、その場で頻繁に変るものなのだ。
女装好きとは精神医学上の分類では、性同一性障害とは全く異なるパラフィリアの一種「服装倒錯」だ。女装好きが講じて女装が似合うように体になりたいと考えるのもまた尤もなことだ。その結果、睾丸や陰茎を切除し豊胸手術をする、十分あり得ることだ。「服装倒錯」と「性同一性障害」は別物で、後者でないと手術してくれないと知っている人はどうするか。「男であることに違和感ありました」といえば済むことだ。本人の本当の気持ちは「女を装うのに男のような体では違和感があります」ということを、医師が「男として生活していることに違和感がある」と誤解してくれるように言えばいいのだ。そうすれば睾丸など簡単に取ってくれる。
ストレスがたまって苦しくなったらどうするか。「このような社会では男として生きていくのがつらくなりました。」と言えばいいということなのだ。医師がそれを認定し、本人が不可逆的な去勢という治療を受け入れればいいだけのことなのだ。男としてつらくなったのは事実だ。去勢の結果、多くの苦しんでいる男たちが解放されればそれで皆幸せになるではないか。
自殺者の減少やメンタルヘルスの面でも去勢容認の声が多かった。実質的に企業の生産性向上に一役買っていることから、経済界は去勢容認で一致した。問題として残るのは少子化の進展をどのように食い止めるかということだ。関係者の議論の結果、三条の去勢から3年を経て、去勢施術医療機関の認可制、去勢実施時の精子保存義務化、保存精子の管理・運用を行なう「精子保存センター」の設置が法制化された。
一方、夫婦を基本単位とする伝統的な家族制度、これは社会的な存在である「人」にとっての基盤であるばかりでなく、生物としての「ヒト」の生存基盤であったはずだ。去勢の推進でもってこの家族制度が崩壊するという危惧を表明する人もいた。しかし、既に全国の世帯数のうち半数以上が独居世帯であるという事実から、こういった人類の基本構造の崩壊に結びつく「家族」について関心を示す人は極めて少数で、去勢ブームの大きなうねりに埋もれていった。
つづく
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投稿:2011.01.28更新:2011.01.28
日本崩壊(1)
著者 とも 様 / アクセス 15004 / ♥ 1