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<203*年>
三条浩一郎営業課長は過激な発言を繰りかえす小山真一に手を焼いていた。彼は入社3年目だったが、積極的な営業活動で部の業績アップに貢献していた。しかし、社内や取引先としばしばトラブルを起こすなど、問題もかかえていた。
彼の日頃の主張はこうだ。「ライバル社の売り上げ急増に対し、当社も休日返上で巻き返しを図るべきだ。こんな状況で平然しているのは管理職として失格だ。」というものだった。
ライバル社の売り上げ急増は、一時的なものというのが業界全体の判断で、ここで無理をして業界内でギクシャクした関係を生み出すのはよくない、というのが三条の考えだった。無論部長や役員も同様だ。
三条は労務課長の福山美穂に相談した。
「彼はどうも男の面が強く出すぎている。去勢はしていないのだろうか?」
「三条さん。従業員が去勢しているかどうか、会社では把握できないのですよ。男性生殖器がどうなっているかというのは、個人情報の最たるものです。会社側はそこまで立ち入るべきでないというのが10年以上前から常識化してしまいました。最近は健康診断すら従業員のほとんどが拒否しているじゃないですか。」
「個人情報の保護も徹底しているからしょうがないか。彼と親しい社員などからこっそり聞き出すわけにはいかないだろうか。」
「やってみましょう。で、去勢していなかったらどうするんです?強制的に去勢するんですか?」
「そこはまた相談する。」
三条は10数年前の去勢大流行を思い出していた。
三条が去勢して暫くして去勢に関する法整備がなされてから、都会の若手サラリーマン層が中心だった去勢希望者が、世の中のトレンドに敏感な学生や自営業者、フリーターにまで広まりはじめた。女性も去勢者のほうが普通の男性より同じ価値観を共有できるため、去勢者の増加に肯定的だった。「男らしさ」はダサイという風潮が徐々に一般化し始めた。この数年は、都市部だけではなく全国のあらゆる年齢層の男性にまで広まっていった。
男性としての競争社会に適合しない人や、元々内向的な性格の人たちは、睾丸摘出のみならず陰茎まで切除し女性としての生活に踏み込む者もいた。睾丸摘出のみであった人も、男性的な性格が喪われるとともに女性化を望むようになり、改めて性別変更のための手術に踏み切る者も出てきた。三条と同時期に去勢した古川は、しばらくするうちにすっかり女性的な性格になり、3年ほどして突如として女性の姿で出勤して周囲の人たちを慌てさせた。その翌年に陰茎切除と造膣をした。更に翌年豊胸手術を行なった。しばらくは戸籍上男性のままだったが、30代も半ばになってから一回りも年長の男性と恋に落ち、女性に戸籍変更をし、結婚退職をした。今は、専業主婦だという。
会社の従業員の構成はよくわからないが、三条より年長者は去勢している者は少ないようだったが、20代〜30代の社員は、睾丸だけ切除した者、陰茎まで切除した者、そして生まれつきの女性、それぞれ同じくらいずつのようだった。陰茎まで切除した者ばかりでなく、睾丸だけ切除した者にも、女性として仕事をしている者もいるようだった。元男性で女性に性別変更している人もいるようだった。見かけ上女性として勤務している従業員のほうが多かった。いずれにしろ、個人情報保護に加え「性同一性障害」の人たちの扱いもあって、従業員の性別を正確に把握することができなくなっていた。「男女雇用機会均等法」以降、採用に男女の区別が廃されたうえに、最近は入社前に性別変更をしたり最初から女装して入社してくる人も多く、若手社員は入社当時から性別がわからなかった。
規模の大小を問わず各企業とも似たような状況になった。技術系、事務系を問わず、正規社員でないいわゆるフリーターといわれる人たちも若い人たちは同じような状況だった。去勢者の採用を抑制している職場がないわけでもなかった。自衛隊は、肉体的に厳しい訓練を強いなければならない理由で、当初は去勢者の入隊を認めなかった。その後、女性の入隊を認めておきながら去勢者の入隊を認めないことに批判が続出、入隊した女性隊員に元男性の性別変更者がいたことから、体力的な条件での線引きがあいまいになり、結局去勢者の入隊も認めることとなった。
港湾労働者や建設作業員が作業に従事する際、去勢の有無を確認しているケースは今もあるようだ。肉体的な問題もさることながら、女性の現場への入場を忌避する風習が今でも残っており、去勢者も拒否すべしという声があったからだ。10年ほど前までは、去勢手術が全額自費負担で高額であったことから、経済的な理由で去勢をしていない若手作業員が多かったため、さほど問題にはならなかったが、今では去勢していない者のほうが少なく、去勢者を作業に従事せざるをえないこと多くなってきているようだ。噂だが去勢の有無を確認する際、現場監督が作業員全員を全裸にして陰嚢を力をこめてわしづかみにするというかなり乱暴な方法をとっているとも聞く。痛みを感じない者が去勢者というのだ。陰茎まで切除して女性そのものの股間になっている者もいたようだが、同じように下半身を晒して検査しているのだろうか。
福山労務課長は三条に報告した。
「小山はまだ男性器がそのまま残っているようです。彼の学生時代を知っている人に話しが聞けたのですが、彼の父親が昔気質の人間で去勢に断固反対だったようです。彼も父親に感化されたようで、学生時代も「去勢を断固拒否する会」というサークルを立ち上げ活動していたようです。実際のサークル活動は、他大学の女子学生をナンパすることぐらいで、アパートに連れ込んで輪姦していたという噂もあります。最近も時折当時の仲間をつるんで、いかがわしいことをしているようです。去勢はまちがいなくしていませんね。」
「困ったな。男であることを否定するつもりはないのだが、ああまで我を張られると困る。睡眠薬入りの酒でも飲ませて、強制去勢しようか。」
「本当にそんなことをするんですか?強制去勢なんて世間に知れたらとんでもないことになりますよ。」
翌週、営業課では突然課員懇親会が開かれた。三条課長の肝いりで開催され、費用も全て課長持ちであった。個人主義が徹底し忘年会や慰安旅行は既にどこの職場でも行なわれなくなっていたが、課長のおごりとなれば多くの課員が参加した。飲んで騒いであわよくば女性社員を口説き落としてやろうか、いかにも男性的な性欲に満ち満ちていた小山も喜んで参加した。
三条は小山を隣席に呼び、日頃の仕事ぶりを褒め労いそして飲ませた。かなり酔わせたところでグラスに睡眠薬を混ぜ更に飲ませた。小山は前後不覚に眠り込んだ。三条は小山をタクシーに押し込み懇意にしている外科医の家に連れて行った。アルコールと睡眠薬のおかげで麻酔注射にも目覚めなかった。外科医は直ちにメスで小山の陰嚢を切開、睾丸を取り出した。代わりにシリコン製の偽睾丸を陰嚢に入れ縫い合わせた。
小山が自宅のベッドに寝ているのに気づいたのは翌日も既に夕方だった。睾丸に痛みはなかったものの、軽い違和感はあり睾丸を握ってみた。あまり痛みを感じなかったが、この程度の痛みが自然なのかどうか分からなかった。まして中身が偽睾丸にされているとは気づくよしもなかった。
去勢ブームは、確実に婚姻を減らすこととなり、出産も激減した。2000年代の終わりには1.34人にまで低下した特殊出生率は、少子化と晩婚化の同時進行ということで過小な数値を示していたこともあり、2010年代一時1.5人にまで回復した。その後の去勢ブームの進行で晩婚化から非婚化に進み、最近では1人を割り込もうとしている。
去勢関連制度の最初の法制化では、出産する女性への補助施策の不足していたことから保存精子の利用はほとんどなく、少子化対策とはならないことが明らかになった。そのため、その3年後には保存精子を利用した妊娠・出産をする女性への金銭的な補助施策がスタートした。当初は人口受精の費用だけだったが、出産費用、出産前後の休業期間の生活費補助、育児費用、義務教育期間の教育費、母親の生活費は育児期間から教育期間へと徐々に補助範囲が広がった。その結果、人工受精による妊娠から出産、そして産んだ子供が義務教育を終えるまでの約16年間は、国の補助だけで最低限の生活が維持できるようになった。
しかし、この制度を利用する女性は少なかった。大半の女性は学校を卒業すると男性と同様に職を持ち独立して生計をたてていた。具体的な「結婚」にこぎつけた場合は通常の妊娠(去勢者のパートナーでパートナーの保存精子による人口受精も含む)から出産の道を歩むが、結婚に至らない女性は、見知らぬ人の精子で人工受精をしてまで子供を育てようとすることはなかった。この制度を利用する女性は、企業にも就職できず手に職もない生活に困窮した底辺の女性たちだった。最近では、子供を生み育てることが下層階級の女性たちの「職業」となった。
こういった下層階級の女性が少子化対策の救世主となったことから、政府は二人目以降の出産も奨励することとなった。一人目の子供が成長し女性が職に就いても二人目を人工受精により出産できるように、特に時間に不規則な職場で働く場合も不利にならないように、二十四時間体制の保育所が既存の保育園、幼稚園を改廃のうえ整備されていった。しかし、出産した女性が職に就くことはほとんどなかった。出産し国の補助での生活に慣れた女性が二人目の補助を得るために人工受精をした。保育所の利用は、こういった補助金を生活の糧にしている女性が二人目以降の出産時の利用に限られた。その結果、この保育所制度を利用して、このような女性は何人も子供を生んだ。すなわち、乳離れをした子供をすぐに保育所に預けて国から得た補助金の一部を保育所に納付し子供の養育を24時間委ねる、そして預けるとすぐに保存精子で受胎し新たな補助金を受給する、これを繰り返すのだ。産む子供が多いほど受け取る補助金は増えていった。こういった母親は、妊娠中や乳児の養育を理由に、就学年齢になっても保育所から子供を引き取らなかった。少子化を逆手にとり、出産による国への貢献を主張した。親でなくてもできる子供の養育は国が責任を持って行なうべしと主張したのだった。学齢の児童が増えるにつれ「保育所」という名称は実態を表さなくなり「養育院」に改称することになり、乳児から中学生までの子供たちの集団居住施設となった。
「あなたに睾丸がないからですよ。去勢したことを忘れたのですか?」
精液が無色透明になったことが重篤な疾患ではないかと危惧した小山真一は、心配になって泌尿器科を受診したのだった。営業課の懇親会で課長からしこたま飲まされてから、体調は必ずしも万全ではなかった。昔の仲間とナンパした女性とで乱交パーティーを開いたが、女を見てもいつもほどの高揚感がなかった。フェラチオした女性が何気なく「あなたのザーメンあっさりした味ね。」のひとことが気になっていた。
数日後、自慰で射精したが自分の精液を見ると無色透明になっていた。栗の花のような濃厚な精液臭もなかった。何日かしてまた自慰をした。同じだった。かつての白濁した粘液はまったく出てこなかった。それで午前中休暇をとって泌尿器科の受診をしたのだった。
「玉はこの袋の中にあるじゃないですか。」
「ほら、強く握っても痛くないでしょう。おそらくシリコンか何かでできた偽睾丸なんですよ。」
「そんな馬鹿なことあるか! 俺は去勢手術なんて受けたことはない。」
医師は、気の毒そうな表情で偽睾丸のサンプルを小山に渡した。
「握ってみてください。自分の睾丸の握り具合とおなじでしょう。陰嚢の裏をよくみてください。1センチほどの傷跡があるでしょう。睾丸を取り出した傷口です。あなたが手術を受けたのではないのですか?」
「あの営業課の懇親会だ。俺を小うるさいやつと毛嫌いしていた課長の三条が俺を眠らせている最中に玉を取ったんだ。」
会社に着くと三条の席に詰め寄った。
「おまえ・・・」
言葉がでなかった。血相を変えて三条の席に歩み寄った小山を課員全員が注目していた。課の男性社員は皆去勢していた。上司とのトラブルは誰もが嫌っていた。それに、衆人環視の中で言い争いをするということは、自分の不始末や日頃のふしだらな行為が公になってしまうかもしれなかった。態度を改め、言い直した。
「課長、ちょっとご相談が・・・」
会議室に連れ込んだ。外で聞き耳をたてている同僚たちを思うと、ここでも大声での詰問はできなかった。三条は否定した。事実を知っているのは三条と三条の友人の執刀した外科医の二人だけだ。福山にも打ち明けなかった。三条は白をきりとおした。
小山は、自分の男としての自信を完全に喪失した。職場で自分には睾丸があるなどと言ったこともないが、かつての仲間の間では「去勢者など男ではない」と公言し、酔うと股間をさらけだし、自慢の巨大な陰茎と睾丸を仲間に見せ付けていた。しかし、もうそれもできないのだ。自分も「男でない」のだ。
しばらく、出勤もせず、食事もとらず、家に閉じこもっていた。男でなくなった自分はどうすればいいのか? 死も選択肢に入っていた。
一週間後、乱交パーティに参加していた女に電話をした。
「すぐ俺の家に来い。さもないと、乱交したことを皆にばらすぞ。」
女が家に来た。
「もう、俺は男じゃない。お前とセックスはできなくなった。」
「私を抱きたくて呼んだんじゃないの?」
「俺は女になる。」
「何を急に言い出してんの?おかしくなったんじゃない?」
「男じゃなくなった、ということは女になるってことだ。これから女の服や持ち物を買いに行くから手伝え。」
女は小山の極端な発想に戸惑いながらも、付き合うことにした。
普段着に通勤着、下着から寝巻き、化粧品から日用品まで、思いつく限りのものを買い集めた。女は、やや長めの髪だった小山の髪をセットし、入念に化粧を施した。女らしい仕草も懇切丁寧に教え、練習した。既に夜は明けていた。そして、徹夜明けながら、そのまま女の姿で出勤した。一週間ぶりだった。小山が小柄で痩せていたことから、女性化初日といいながら女に見えないこともなかった。
三条は小山が突然女の姿で出勤してきたことに驚いたが、古川をはじめ突然女の格好で出勤してくる社員を何人も見ていた。営業課の女子社員に制服や更衣室の使い方などを教えるように指示した。その女子社員も元男性に女性としての会社での振舞いを指導することはすっかり慣れていた。そうやって、大勢の女子社員や女性の管理職が誕生しているのだった。
女性管理職は部長クラスでは少なかったが、三条の世代である課長職には多かった。三分の一は元男性だ。この世代は、男女ともに生まれたときの性別のまま入社していため、誰が性別変更したかお互いにわかっていた。
どんな企業も役所も、女性が増えていた。管理職の大半が女性で占めている会社も珍しくなかった。生まれながらの女性も、男性が次々去勢していくため結婚も機会を失い、退職することなく仕事人生を送っていた。男性も去勢しただけではなく、陰茎切除、造膣、豊胸までして性別を女に変えた者もいた。去勢だけで、単に女性の姿をしているだけの女装者もいた。女性の服を纏って自分が女性のつもりであれば、すべて女性として扱うのが普通になった。そのため、職場での女性の比率は大幅に増加したのだった。
既に女性への性欲も完全に失せている三条も姿だけは男のままで男性扱いだったが、女性化した元男性との違いは見かけだけだと認識していた。
つづく
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投稿:2011.01.28更新:2011.01.28
日本崩壊(2)
著者 とも 様 / アクセス 10322 / ♥ 0