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<205*年>
株主総会で取締役から常務取締役に昇任が決まった三条浩一郎は、役員室で会社が直面している課題をぼんやりと考えていた。何もなかった。会社には自分で考え実行するような仕事はほとんどなかった。仕事がないというよりできなかった。この二十年間、会社に入ってくる社員はどんどんレベルが落ちていった。そもそも子供の数が減少しているのに、マトモな頭脳を持った子供がいなくなってしまっていた。小学生レベルの算数がやっとの人間に、技術開発や新商品開発ができるわけがない。全く英語が理解できない連中に、海外との取引ができるわけがない。与えられた単純作業を繰り返すことができるだけだった。若手社員はそのような人間しかいなくなってしまった。中堅どころにもその程度の人間がいた。役員も幹部社員もあきらめきっていた。それでも自分ひとりでも何とかしてやろうという人は幹部社員にもいなかった。幹部社員にも男性的な闘争本能をもっている人間は一人もいなかった。
どこの企業も官庁も町の商工会の会員も農協の組合員の人たちも似たりよったりだった。
既に子供の99%は「出産業の女性」から誕生し、養育院で育ち、養育院で義務教育を受けた。かつての優秀な女性は、手に職を持ってあるいは企業などの組織で活躍した。しかし、そういった女性はほとんど結婚せず、人工受精もせず年老いていった。そのため優秀な頭脳のDNAを母親から受け継ぐ子供はいなくなった。
両親が子供を育てる基本的な家族制度は既に存在せず、子供を教育しようとする母親もいなくなった。養育院で形だけの義務教育を受け、国の補助が打ち切られる15歳で母親から養育院への養育費の納付もなくなり、子供たちは自活せざるをえなかった。高校以上の高等教育を受ける子供たちは母親や奇特な保護者の支援があるごくわずかな子供たちと、養育院での学業成績が優秀で国から奨学金を受けられる限られた子供たちだけとなり、かつて100%に近かった高校進学率はこの十数年ほどで激減し10%を割った。大学に進学するものは国の特別奨学金を得ることができるわずかな子供に限られ、大学は東京と京都に一校ずつ、他の大学はすべて廃校となった。このわずかな学生ですら、アジア、ヨーロッパは無論のこと、世界中のあらゆる国の学生のレベルにも到底かなわなくなった。
子供の養育に「男」の関与が一切なくなった。養育院で子供の面倒を見たり教育に従事している者は、元男も含めて女だけだった。男の子も「大人の男」を見て育つことがなくなった。いずれ社会に出た時点では、女と男らしさを欠いた女性的な男に囲まれて生活することになる。女親も養育院指導員も、子供が男であろうが女であろうが女らしくしていることが社会に溶け込みやすくなると判断し、極力男性的な性格を消そうとした。そのため、男の子は精通がおきるとすぐに精子を採取して去勢することが一般化した。一部の養育院では、男の子らしい乱暴な性格の子供たちへの対応ができなくなり、精通前に男性器をすべて切除し全員女子として養育するところまで現われた。
国そのものが女性国家となった。国会議員も政府首脳も女性と元男の女性が大半を占めた。少数派の男性も去勢済の者がほとんどとなった。高齢の議員の中には去勢していない男性もいたが、有権者に男性機能を有している者がほとんどいないなかの選挙を考えると、男性性を強調することはできなかった。
国も自治体も民間企業も、男性的な闘争心はすっかり失われた。組織の内外とは平和的な協調が基本となった。そのため他の国家との紛争となる懸案事項は事実上なくなった。竹島や尖閣諸島は、20年ほど前に日本の領有権を放棄した。北方四島は半世紀以上ロシアの実行支配が続いていたが、10数年前にロシア固有の領土として認めることで、隣国との友好関係を保った。沖ノ鳥島は「島」ではなくなり、公海上の岩礁になった。捕鯨やマグロ漁も諸外国の強い要請を受入れて禁止となった。沖縄本島は基地の縮小や県外移転など厳しい外交交渉に耐えられる者がほとんどいなくなったうえに、自衛隊の防衛能力低下を口実に沖縄をアジアの軍事拠点とすべく基地拡大を強く求め始めたアメリカ政府に抵抗できず本島の大半がアメリカ軍基地となった。そのため、基地従事者を除いてほとんどの住民が少子化で人口の激減した本土の各都市に移住した。沖縄本島の状況を踏まえて離島住民も日本国民としての生活が事実上不可能となり本土に移住し、すべて無人島となった。沖縄は日本領ではあったが、事実上アメリカの統治下に入っていた。
国内では、経済の成長・発展を望むことは既に不可能となり、既存の企業や職場の存続と従業員の生活保全だけが命題となった。学生の著しい能力の低下から優秀な若い人材は払底し、従来の技術力は完全に消滅、新たな顧客の開拓や効率的な組織運営も不可能となっている状況の中で、ただ各企業とも、成り行きに任せていくしかなかった。かつて世界に誇った自動車、精密機器、造船などの産業はすべてアジア各国の後塵を拝することになり、既に自社開発は放棄していた。生産現場は海外メーカーの設計どおりに組み立てる単純作業だけになっていた。各産業で構築された複雑なITネットワークはメンテナンスが困難になり情報機器は徐々に過去の簡素なものに置き換えられていった。巨大な土木工作物や公共投資も激減した。既存インフラの活用が中心となったが、人口の激減、産業の縮小でもって多くの建造物や構築物が廃墟となった。かろうじてある程度のレベルを維持していたのは、製造ではアパレル、食品部門、その他では流通、サービス、マスコミ程度であった。しかし、あくまでも国内に限定した事業規模でありグローバルな産業活動は皆無となった。また、文化・芸術の分野ですら我が国からの発信はほとんどなくなった。
小山は名前を真一から真奈美に変え中堅女子社員として秘書部に所属していた。仕事への気迫はすっかり欠落してしまったものの、よく気が利いていて人付き合いのいいことから、役員や社員の評判は上々だった。
三条は、お茶を入れに役員室に来た小山に話しかけた。
「もう我が社も存在意義が無いかもしれないな。でも大勢の仲間たちと路頭に迷わすわけにはいかない。どうしたらいいだろうか。」
「常務、海外からの援助物資を国民に配分するだけで十分役にたってるじゃないですか。それより、会社全体がずいぶん古くなってますよね。過ごしやすいようにきれいにしませんか。」
「そうだな、私が入社するかなり前に出来たビルでもう50年もそのままだ。設備をいじるのは危ないから、とりあえず皆できれいに磨きあげるか。」
「そうしましょう。話しはかわりますけど・・・」
「なんだい、急にあらたまって。」
「私を女にしたのは常務ですよね。」
「どういうことだ。」
「はねっかえりだった私を酔いつぶれさせて、男の・・・シンボル・・・玉を取ったのは。」
「どうしたんだ、急にずいぶん昔のことを。睾丸がないのは私も同じだ。それなのに君は自分自身で女として生きる道を選んだ。」
「女になって後悔はしていません。そのあと、胸も下半身もすっかり女の体にして、女性らしい体形を作るために、骨盤や鎖骨の手術もしました。それは全部自分の意思でしたことです。玉を取ってもらって、自分の内面にあった女性的なところを気づかせてくれた。今は感謝してるんです。」
「いいじゃないかそういうことなら、誰がしたことであろうが。その後は、男と派手に遊べたっていうことかね。男だった時みたいに。」
「男だったときのこと知っていたんですか?女になってからはずっとおしとやかにしていました。男の人に抱かれてみたいと思ったことはありますけど。でも男の人はほとんどできなくなってますものね。私は女ということだけで満足です。でも、常務が男としてできるのだったら・・・」
「馬鹿なこというな。役員と秘書の関係だぞ。それに私は役立たずになって30年、いや40年近く経つか。」
海外各国は日本の去勢ブームの進行に、当初はちょっとした一時的なブームとみなしていた。事実日本についで経済発展を果たした隣国韓国でも、不況の影響によるストレスの増加も日本と同じように発生、日本より一足早く性別変更に関する医療体制の法整備がなされていたため、2020年頃には女装者や去勢者はかなり人数に達していた。しかし、その頃、金正日の死去後の金正恩体制にあった北朝鮮が自己崩壊、膨大な難民が南に流れ込む危機に直面した。そのうえ、中国も辺境の異民族地域が独立を求めて混乱に陥り東アジアはかなり不安定な情勢に陥ったのだ。海を隔てていたため混乱が飛び火しなかった日本と異なり、韓国はこのような困難な時期に官民ともに強力なリーダーシップの発揮が求められ、結果として「男性性」が消失するにはいたらなかったのだ。
アメリカやヨーロッパ各国、そして世界最大の性転換国であったタイでも、去勢や性別変更の増加は見られたものの、民族紛争や宗教対立、国境付近での隣国との紛争など厳しい政治運営を迫られるなかで、リーダーシップと男性性の保持が国民からも求められ、日本のような極端な去勢の進展は見られなかった。
こうして2030年を過ぎた頃には各国とも去勢ブームが沈静化しはじめしたにも関わらず、相変わらずブームの続く日本について、各国は改めて異常事態と認識した。当初は、官民ともに交渉能力が低下しはじめた日本に対し、各国政府や企業は日本に対する優位を固定化させるべく攻勢を強めた。しかし、全く反攻の気配を見せぬ日本政府や日本企業を奇異に感じるようになり、攻勢を強めるだけでなく人道上の支援をすべき国家ではないかとの認識を示し始めたのだった。そして、生産量の激減した日本の工業製品を補完すべく「援助物資」の名目で安価な粗悪品を大量にただ同然の低価格で日本へ輸出し始めていた。
一方、各国の医学、心理学、社会学などの分野の研究者は共同で、日本の去勢ブームの継続と女性化の進行の原因究明を図るべく準備を始めていた。しかし、日本政府や去勢の施術主体であった日本医師会は、個人情報などをオープンにせざるを得ない調査に消極的であった。また、国を危うくする民族対立や宗教問題が存在せず、むしろ経済情勢によって厳しい状況になった国民の精神状態が、去勢と女性化によって著しい改善が見られたというのが、国を挙げての基本認識であったため、海外からの研究者の調査のための入国や資料提供に強い抵抗をしめし、援助物資受入以外の海外との交流を拒否し始めた。
既に会社を退職していた福山恵理は、久しぶりに三条に会った。
「常務取締役に出世したんですってね。来年は社長かしら。」
「自分はそんな柄じゃないよ。取締役はいざというとき責任が重くなるから、役員就任をみんな嫌がってるんだ。たまたま、社長から打診があったとき曖昧な返事をしてしまったんだ。そうしたらいつの間にかこうなってしまって・・・」
「昔は役員ポストを狙って社長や主要株主に接待攻勢をかけたりしてたのにね。ずいぶん変ったものね。」
「悠々自適の暮らしはどうだい?海外旅行にも行き放題だろう。」
「最近は全然、近場の温泉旅館に行くのがせいぜい。」
「現役のころは、休暇といえば世界中行きまくっていたじゃないか。どうしたんだい?体調が悪いわけではないんだろう。」
「知らないの?羽田からもう国際線なんて飛んでないのよ。関西からも。海外に行くとしたら、横浜や神戸で貨物船に便乗させてもらうか、下関から定期船で釜山に行って、仁川発着の国際線に乗るしかないの。それに乗ろうとしても、チケットがあまりに高すぎて、私みたいな退職金を取り崩して暮らしているおばあさんには買えないわ。」
「知らなかった。国際情勢なんてあんまり興味がなくなってしまっていて。旅行にももうあまり行けないんだな。」
「5年前はまだ羽田から国際線が飛んでたんだけど、その時からもう円が安くなりすぎて航空券は高くなるし、もし行けても買い物もできなくなっちゃってたのよ。外国人の日本旅行ならお金かからなくていいんでしょうけど、ビザなし渡航はやめちゃったし、外国の日本大使館はビザ発給の手続きをスムーズにできる職員がいなくてすごく時間かかるっていうし、もう外国との交流はないも同然ね。」
流通はまだしっかりしているとはいいながら、まともなのは日用品を中心とした小売販売とその商品運搬を中心とした国内輸送だけだった。航空輸送では、優秀なパイロットや整備士の不足から、人為ミスによる死亡事故が6件もたて続けに発生し、航空会社は決めてとなる事故防止策を構築できず自力での運航を諦めてしまった。一時海外の航空会社に運航を委託していたが、地上システムの構築やジェット燃料の確保ができず輸送自体を4年前に完全に放棄した。多くの機体はアジア、アフリカ各国に売り払い売却代を乗務員などの報酬に当てたという。
新幹線も定時・高密度の運転ダイヤを維持するシステムのメンテナンスが困難となり、遅れや運休が日常化した。そのうち高速運転のための車両や構造物の維持も困難になり、人口の減少に加えてビジネスや用務の長距離移動の減少により利用者が激減したため、2年前に廃止となった。その他の鉄道は、利用者の少ない路線が既に順次廃止されていて、首都圏に3路線営業しているものの、システムの不調から定期運行が困難な状況になっていて、数年のうちに自然消滅するものと思われている。
輸送はトラックによる陸送が残存する高速道路などを利用して行なわれている。既に全面無料化にはなっていたが、台風、地震等による災害の復旧がなされないまま、通行不能のまま放置されている区間もあった。
エネルギーは、国内に放棄されていた希少金属や機器、廃棄された家財や文化遺産等を国外に売却し、わずかばかりの粗悪な化石燃料を輸入してまかなった。幸い、水力発電所は耐用年数が長く、複雑なメンテが不要だったため、全国で発電が可能だった。人口の減少や産業の衰退で電力自体の需要が激減していたため、火力発電所や原子力発電所の運転は不要となった。各原子力発電所の使用途中の原子燃料や、原子炉設備の一部は、イスラムやアフリカ諸国から隠密裏に入国したバイヤーの買い付けに応じ、かなりの高値で売却されたようだが、誰が何のために使っているのか把握しているものはいなかった。
つづく
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投稿:2011.01.28更新:2011.01.28
日本崩壊(3)
著者 とも 様 / アクセス 8431 / ♥ 0