初めての方は古城の中から◆PART1〜バブルの果て◆からお読みください
この作品は古城の中から◆PART8〜驚異の新体験コース誕生◆からの続きです
周囲を取り囲む山々、そしてそこから天に伸びる杉林によって、日差しが若干隠されているが、間違いなく雲一つないと言ってよい五月晴のもと、「ヘリシュキャスル」は、グランドオープンの日を迎えた。
世間から忘れられていた古城が再び注目を浴び、山道には観光客の車の列が続いた。
鉄道の駅からの無料送迎バスも満員御礼、その駅から近くの数少ない観光スポットである小さな湖を結ぶ、1日5往復しかない路線バスの最寄りのバス停から、2キロの山道を歩いて登ってくる健脚家の姿もあった。
趣味人の集まりに過ぎない小さなNPO法人の施設が、これだけの注目を集めたのは、バブルのときに偽物に踊らされた人々の、本物志向が裏にあった。
古い石造りの城館は、ドイツから移築した本物、そして、その中で見られる拷問処刑シーンも、人形でも人間の演技でもない本物となれば、話題が話題を呼ぶのは、むしろ当然なのかも知れなかった。
和洋史学講習所もオープンに備えて、ボランティア会員を総動員して、なんとか受け入れ体制を整えたが、ハードな拷問処刑のシーンでは、交代要員が確保できず、どうしても人手不足になって、刑具だけの展示となったスペースも多かった。
そこで、会場の一角では「1日ボランティア会員」の募集が行われ、希望者はその日だけ刑具の体験ができるようにしたところ、これが大人気となり、申込者が相次いだ。
その結果、首枷式や足枷式の晒し台、指責器具、首と手を拘束するバイオリンなどの実演をしたり、拘束衣で過ごしたり、日本の手鎖を着けたり盗丸籠に入るなどのソフトな展示は、1日ボランティア会員に任せて、従来のボランティア会員は、両手両足を実際に釘で打つ付けられる古代ローマ式磔、キリシタンの逆さ吊などの、ハードなコーナーをおもに担当することになった。
さて、御別の拷問具の体験ももちろん行われているが、特にAコースからCコースまでの拷問体験は「アトラクション」、乗り物は「ライド」と呼ばれることになり、人型吊檻をモチーフにしたAコース、水責椅子をモチーフにしたBコースとも、長蛇の列ができた。
Aコースで残念ながら技術的問題で当初構想から外れてしまった、「全裸大の字磔」と「三角木馬体験」は、それぞれ単独の体験コーナーで行われた。
更に、両手両足を床に固定され、回転するドラムに付いた各種の鞭で、上方に突き出した臀部を叩かれ続ける、「自動鞭打体験」も単独体験に加えられ、これらの単独体験は見学自由ということもあって、体験者にも見物客にも大人気となった。
最後まで調整を続けた男性専用のアトラクションのCコースは、当初の構想では、去勢用の装置はもちろん、入墨の針や塗料、焼印の電熱式に鏝などの装置を、鉄の処女を仰向けに寝かしたようなエジプトのミイラの棺に似た形のライドに、最初から仕込んでおくことになっていた。
入墨は線ではなく日付と通番を入れることになり。焼印の部分も背中からお尻に変更された。
焼印の文字は「Eu」に決まった。これは英語で、宮刑を受けた宦官を表す略称である。
また自動去勢装置も、ライドの蓋の下腹部に当たる位置に、あらかじめセットしておくため、ライドを送り出すまでは、スタッフが付き添って、操作や補助を行う手順が作られた。
焼印用の鏝や入墨用の針は棺にセットすることになった。左腕を一周するように、自動入墨マシンもセットする仕組みである。
作成されたマニュアルによると、スタッフは、体験者の尿道にカテーテルを挿入し、抜けないように膀胱内でバルーンを膨らませる。
このカテーテルの管は、自動去勢装置の性器切断用の刃物と干渉しない太さで作られ、さらに刃が当たっても切れないように、途中が金属でできている。
スタッフが自動去勢装置を、ツルツルになった体験者の下腹部にセッティングすると、この装置は性器全体がすっぽり入るようになっていて、そこから出ているベルトが、両脚の間と腰の左右の3ヶ所でライドに固定される。
装置の入口部分には、カメラの絞りのような12枚の刃物があって、これで性器を根元から徐々に時間をかけて切断するのである。絞りは最大に締まった状態でも完全には閉じず、ちょうどカテーテルの太さと同じ穴が中心に残る。
自動去勢機の後方からは掃除機のようなチューブが出ていて、性器切断のときに真空圧で性器を引っ張って切りやすくするとともに、切断後の性器を吸い込むように出来ている。
スタッフがライドの鉄の処女のような扉を閉めると、人間の形を浮彫りにしたエジプトのミイラの棺である。自動去勢装置のために、股間が不自然に膨らんでいるが、外に見えるのは真空吸引装置と蓋の中の自動去勢装置から出ているチューブだけである。
このチューブの途中に袋がセットされてて、これが吸い出されてきた性器を一時保管する場所となる。
ところがこららの自動装置は、実際に実験してみると不都合が多く、改良を要することとなり、当初は去勢手術も焼印も入墨も、作業員のところへベルトコンベアーで運ばれてきた棺を開けて、手作業で行うことになった。
そのため出発の光景では、性器に去勢装置が取り付けられないことになった。
Cコース体験希望者は、Aコース、Bコースと同じように更衣室で素っ裸になる。更衣室は個室ではなく、20個ぐらいの更衣ロッカーが並んでいる。
続いて、去勢時の失禁などの防止のため、更衣室内のちょっと高くなったところにある和式便器で排尿と排便をする。このときどうしても便が出ない場合は、スタッフが背後に近づいて、先端が直角に曲がった大きな浣腸器を体験者の肛門に当て、浣腸液を注入して強制的に排便させる。
ライドは身長や体型などが合ったものがスタッフによって選ばれる。ライドが決まると乗車位置に運ばれてくる。
そのあと続いて、スタッフにより下腹部にシェービングクリームが塗られ、陰毛を剃刀で全部剃り落される。
体験者はその中に仰向けに横になり、両腕、両脚、腹部、胸部、頸部などがベルトで拘束される。
顔を固定するベルトは、頬の左右と頭頂部の3ヶ所でライドと繋がっていて、中央の三角形で鼻の周囲を留めるとともに、舌噛みの防止のためのボールギャグが国に入れられる構造となっている。
入墨と焼印は、その内容が去勢を証明する印となったので、順番を変更して去勢後に施される。
去勢の傷痕の処理は、実際の中国の宮刑にならって、縫合を行わず自然止血を待つことになった。全自動去勢機に切り変わった際に、機械で縫合までやらせることが、技術的に困難だったためでもある。
その代わりに、切断の刃物に電気メス機能を持たせるとともに、傷痕に強力な止血剤を吹き付ける装置が開発中であるが、当面は中国の宦官手術と同様、性器を全切除してから、尿道口に金属栓を入れて、そのまま3日間、飲まず食わずで排尿もできずに傷の痛みと戦わなければならない。
去勢後の3日間を棺桶型のライドの中で過ごす間、発声と舌噛防止のボールギャグを着用しているので、水はおろか唾をのみ込むことすらできす、一切の水分が採れないので、渇きで塗炭の苦しみになるという。
スタッフがボタンを押すと、ライドの下にあるコロが回って、ライドが動きだす。中の体験者はボールギャクを噛まされていて声を出せないので、悲鳴も聞こえない。
もっとももし気が変わっても、完全去勢による宮刑執行、入墨刑、焼印刑を経て、2日後に宦官となって解放されるまで、一連のライドの動きを止めることは出来ない。ボール口枷で一切の発声が阻止されるので、中止の意思を伝えるすべがないのである。
尿道の栓が抜かれてからも、傷口の治癒までは棺の中で療養する。そとためCコースのライドはかなりの数が用意されて、その需要に応えている。
さて、こうなるとエスカレートして、実際に生死にかかわる体験も行われるようになった。例えば電気椅子体験は、以前からある程度の電流を流す体験実験が行われていたが、実際に死亡するまで電流を流すのが普通になった。
このように、従来から研究所では、実際に体験者の処刑実演が行われていたのは、これまでにも触れたとおりであるが、いよいよ関係者以外の、多くの観光客の前での、公開の会場でも行われることになったのである。
この日のこうしたイベントで人気があったのは、電気椅子体験であった。3人が同時に電気椅子に座って、誰が最も速く処刑されるか競うもので、観客はその結果を賭けで予想するのである。
電極は、ボール口枷に付けられ口腔内に挿入された金属棒、両乳首クリップ、両手首と両足首の枷、そして肛門に挿入された金属棒に取り付けられる。
肛門への電極挿入のため、体験者は男女とも全員全裸になるので、大股開きの股間は観客から丸見えとなる。
この賭けはレースと呼ばれ、電流と電圧は、全員一斉に徐々に上がっていくレースと、ランダムに変化するレースがある。
実は普通の電気椅子のように頭部に被せるキャップも備え付けられているのであるが、死亡までの時間を長くし、レースを盛り上げるために、あえて使用しないことが多い。
1人が死亡して勝者となっても、レースは全員が死亡するまで行われ、死亡までの時間をすべて当てた観客がいると、多額の賞金が支払われる。
特別イベントは、日本式の磔の実演であった。これは、中国式庭園を改装した野外のイベント広場で行われた。
東屋から褌一つの体験者が現れると、地面に置かれた磔柱に縄で縛り付けられる。磔柱は、あらかじめ岩に掘られた四角い穴に立てられる。倒れないよう根元を土嚢で補強すれば準備完了である。
いよいよ刑吏に扮したスタッフにより、左右の脇腹から長い槍で突き上げられる。磔柱は史実に忠実とのことだが、意外に高く作られており、槍が細長くて曲がりやすいため、体験者の脇腹の位置に穂先を正しく当てるのに苦労があった。一旦位置が決まって、脇腹の皮膚が破られれてからも、刺された槍が胴体を抜けて肩から飛び出すまで、多少の時間がかかった。
実際の江戸時代の磔刑と違って、槍は何度も突き刺すのではなく、後の見学者のために、左右の槍が身体に突き刺さった状態で放置することになっている。磔柱の上で数日放置された遺体は、防腐処理されてからプラスチックで固められて、やがて博物館内に飾られるはずである。
ところて、この日に磔されるのは1人のはずであったが、ここで急遽飛び入り体験希望者が現れた。そのため、磔柱を急いでもう1本用意して、2人目の磔刑を執行することになった。
体験希望者が新しくキの字型に組まれた磔柱に縛られると、そのまま地面に掘られた穴に磔柱が立てられた。急ごしらえで土の上のため、しっかりと固定するために、柱の周囲に多めの土嚢が積まれた。
先程の細い槍は処刑が難しかったため、今度は棒のような太い槍が用意された。スタッフがその太い槍を抱えるようにして左右から体験希望者の脇腹を突き刺した。今度は槍が簡単に肩に抜け、おびただしい血が噴き出して体験希望者の身体や褌を染めていき、2人目の磔刑ショーも完了した。
連鎖反応なのか、3人目の体験希望者が現れた。キの字型の磔柱は残りの木材でなんとか作られたが、日本式の磔刑に付き物の褌が間に合わない。仕方なく体験希望者は自分が穿いていたブリーフパンツのままで、磔台に上がることになった。
槍も太いものは間に合わないので、丸棒の先を尖らせた木槍を使うことになった。それでもこの体験希望者は非常に満足して、喜々として処刑されていったのである。
こうなると不思議なもので、志願者第4号が名乗りを上げた。しかし、もうキの字の磔柱の準備ができず、仕方がないので女性用の十字架型の磔柱を使うことになった。磔用の衣服も女性用なので志願者には女装をお願いしたところ、何と律儀にも「そういうことなら男根を切除してから磔にされたいという申し出があった。そこで地面の上で宮刑の要領で、志願者の陰茎と陰嚢をすっぱりと切除、股間部からは血が流れたまま、長髪の鬘をつけ、女囚用の和服に着替えた。
磔柱に上がるとき、女性は普通は着衣のまま着物を裂いて前後の縄にまとめて縛り、両脇腹を露出させるのであるが、本人のたっての希望により今回は股間の去勢痕も露出させることになった。
槍も準備できたのは竹槍で、本当に脇腹から肩まで突き通せるのか心配であったが、結果万事OKであった。ご覧の写真は最初の片方の槍が貫かれた瞬間である。
特別イベントは3日間連続で行われる。2日目は女性の磔体験の日であったが、飛び入り参加者も含めて希望者が続出した。それを見越して磔柱も槍もたくさん用意され、初日のような飛び入りにも備えることができた。体験と言っても実際に処刑されてしまうのであるから、自ら希望した体験者とはいえ、その断末魔の表情は真剣そのものである。
体験は一応江戸時代の磔刑の作法に倣ってはいるが、処刑が終わった後は、見学者が自由にブスブス槍を刺している。
男女ペアでの磔刑体験も行われた。女性も男性とのバランス上六尺褌一つの姿になり、大股開きのキの字の磔柱を使っている。
磔柱に縛られた姿と、最後の自由な槍刺しはこんな感じである。
やがて去勢者の中から、女性のような磔を希望する者が現れ、去勢者が去勢痕を露わにして女性型磔になっていった。
さて、初日の結果であるが、入場者は5千人を超えた。辺鄙な山中の施設としては大盛況である。
2〜3日間の滞在を予定している入場者も多かったが、施設内の城館ホテルと和風旅館の収容力には限りがあるので、地元のホテル、旅館、民宿まで大賑わいとなった。
ボランティア会員は臨時のテントや、博物館内で泊まれる施設、例えば牢獄などを利用せざるを得なかった。
1日ボランティアの登録も50人を超えた。入場料だけで何度でもフリーに体験ができる各コースでは、綜合コースのAコースが252人、Bコースが155人、見学者にも公開され、呼び水効果もあった個別体験コースは、全裸十字架刑が145人、三角木馬刑が108人、ドラム式鞭打刑は220人以上が楽しんだ。
予想外の磔柱の不足や槍の不足も、翌日には対応が完了し、多くの体験者を受け入れた。
磔の形も工夫され、様々なバージョンが登場した。
ここで、西洋式の両手両足への釘打磔もご紹介しよう。
これはキリストの磔にならっているためか、西洋人の体験者に人気が高い。また、実際のローマ時代の磔刑の方法に従って、体験者は全裸で磔にされる。
両脇から槍を刺す和式の磔より、絶命までの時間がかかるが、全裸になることによって、体験者の衰弱を早めて、絶命までの時間を短くする効果もあるという。
Cコースは流石に体験者は少ない。それでも初日は5人が宮刑体験をした。また、最初は別の体験や見物を楽しんで、2日目以降にCコースをと考えている来場者もいるようで、後になるほど混む可能性もあるそうだ。
余談であるが、Cコースの体験者は、2泊分の宿泊料が浮いたわけだが、快適であったかどうかは、聞いてみないとわからない。彼らが新しい宦官となった感想を聞けるのは、ミイラの棺に入って鉄の処女の扉が閉まってから2日後である。
(PART10に続く)
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投稿:2014.02.15更新:2022.05.16
古城の中から◆PART9〜グランドオープンそして◆
挿絵あり 著者 名誉教授 様 / アクセス 40623 / ♥ 219