2ちゃんねるのニューハーフ板より転載
83 :医学部永久浪人:2005/05/23(月) 17:06:36
田舎で名物開業医だった父の傍で見聞きした事である。戦前から昭和30年頃までは思春期前の少年の睾丸結核(潜在肺結核が転移)も多かった。その当時までは睾丸結核や停留睾丸は即刻手術で除去(去勢)が常識だった。睾丸結核は片方だけという事は先ずなかったので(片方だけという診断は難しかったので)診断(病名決定)即両方とも取り去る事が普通だった。各小学校には(男の子が数百人居れば)一人か二人はこうして睾丸を両方とも抜かれた子が居たのだが、両親と校医しか知らない事も多かった。遠い親戚の6年生も夜中に家に連れて来られて私も見ている前で全裸にされ父にペニスや袋やその辺を引っぱったりさすったりして診断され、睾丸が両方とも鼠経管の出口に引っ掛かったままだと診断され、翌朝1番で除去手術(根治手術、と言った)を受けた。明日手術して取っちゃおうと言われた時にこらえていたしかめ面が一瞬に泣きべそに変じたが、連れて来た父親に一喝されて黙った所まで見ていたが、私の方も気が動転し、また凄く興奮してしまい、あとは見なかった(見るに耐えなかったというべきか)。父が廃業した後で(昔住んでいたあの町の)床屋の誰某、町会議員の誰某、勉強して東大へ入った誰某等々はみなキンタマがない、おれが小さい頃に抜いてやった、と自慢話し。その父も物故して30年。
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投稿:2006.09.20
XX先生にきんたま抜いてもらうから! 後日談
著者 ストップ!!@名無しくん! 様 / アクセス 14138 / ♥ 16