寝床に入ろうとしたとき、先に隣で布団をかぶっていた妹が言った。
「ねえ、お姉ちゃん、ムックは大丈夫なのかなぁ?」
妹が心配しているのは、飼っている犬のこと。フィラリアでかなり弱っており、今日 病院で手術を受けた。
「んー、大丈夫ならいいんだけど・・・。どうなのかなぁ、結構 齢でもあるし・・・」
「まだ電気ついてるよ。ムックの様子見に行ってみようよ」
確かに、いつもならとっくに電気が消えているのに、道を挟んで はす向かいにある犬猫病院はまだ明るい。
妹に引きずられる格好で行くことになった。パジャマを脱いで普通の服に着替える。もう11月後半に差し掛かり、かなり寒くなってきていた。
さすがにだいぶためらわれたけど、そのまま外にいるのも寒いので、ドアを開けた。
「すみませーん」
返事がない。電気も一部しかついていないが、妹はさっさとゲージの方へ行ってしまった。手術室のほうに電気がついていて 人がいるらしい。一応、見舞いに来たことを断っておこうと思って、まずは声を掛けられる状態かどうか 手術室の様子を伺ったのだが。
手術室には2人。しかし、あろうことか、手術台に子供があがり、脚を開いて・・・。
手術室のドアを勢いよく開けた。当然ながら、中の2人は驚く。
「なにやってるんですか、こんな時間に、こんなところで、子供相手に」
「ちょっ、ちょっと待って、話を聞いて」と、最近勤め始めた若い女の先生が、私をかかえるようにして 手術室から押し出す。
手術室の外で問答になった。
「なにをやってたんですか」
「いや、その、・・・」
「何ですかあれは、犬や猫ならともかく、人間の子供を・・・」
先生はしどもどして答えられない。
声を聞きつけて妹もやってきた。
「なにを言い合ってるの?
先生、ありがと。ムック、元気そうだったよ」
「・・ええ、よかったね、もう3日ほどで帰れると思うわ」
話題を逸らさせまいと、わたし。「ちょっと、先生・・・」
ますます話がややこしいことに。
そのとき、
「待って。香川さん・・だよね・・・。先生を悪くいわないで。」
男の子が、少しあけたドアから半身をのぞかせて うつむき、小さい声で言う。すそが膝まである、大き なTシャツを着ているだけだ。Tシャツの下から 血が数滴落ち、床に弾けた。
驚いたことに、それは森くんだった。小4で、いまは別クラスだが、いままで2回同じクラスになったことがある。小柄で、かなりおとなしくて、本の好きな子だ。
「僕から無理に頼んでやってもらってたの」
先生は森くんの肩を抱いて手術台まで連れて行き、腰掛けさせた。わたしも椅子を勧められ、しぶしぶといった感じで腰掛ける。わたしの後ろには妹が顔だけのぞかせている。
「実は・・、ちょっとこれは誰にも言わないでくれる?
・ ・・男の体がいやで仕方なくて、・・・女の子になりたくて・・・。
この広河先生は、幼稚園に入る前によく遊んでくれた近所のお姉さんだったんだけど、獣医になったのを聞いて、無理に頼んだの。たまをとってくれるようにって・・」
「そうだったの・・・。でも、だからって・・・」
「それは言わないで!・・・わかってる、わかってるけど・・・」
涙声になって言う森くんを、広河先生が抱きしめた。こんな身近にそういう子がいるものなの・・・?
「ねぇ、今だから言うけど、実のところを言うと、僕の初恋は香川さんだったんだ。小1のときに。」
なんか、胸が熱くなるのを感じた。ぜんぜん知らなかったことだけれど、好意を持ってくれていた子がいたなんて。
「・・・見届けてくれない?僕が男の子を捨てるところを・・・」
長い沈黙。妹だけが手術室の中をうろうろしては珍しいものに勝手に触れている。
「わかったわ・・・」
わたしは 手術台にあがってぺたんと座る。
「さ、ここへ寝て」
「えっ、そこへ?」
「うん、いいから」
遠慮がちに森くんはわたしのももに頭を乗せる。全身が小刻みに震えている。
何だかいとおしくなって、おでこや 髪の毛を優しくなでであげた。
膝枕をさせて手術再開。Tシャツを胸までめくりあげる。すでに切開口は大きく、すぐに精巣を押し出すことができた。
精巣は血にぬれた色をしていた。体とつながっている部分はかなりグロテスクだった気がする。
「ごめんね、いいよね?」
先生がたまをつまみ、ひもの部分を指でなぞりながら聞く。
森くんが一呼吸おいて、うなずいた。直後、ハサミの刃の間で、たまが切り離された。
麻酔が効いているはずだが、目をつぶって、顔をそらしていた森くん。
ふと横を見ると、妹が指をくわえて股を指でこすっている。
男の子の大事なところなのに、こんなに簡単に取れちゃうんだ。
先生はそのたまをおなかの上において、次のたまに取り掛かる。いよいよ男の子を捨てるんだね、森くん・・・。
男の子でなくなった森くんを抱きしめる。
摘出直後のたまに手を伸ばした。
おそるおそる頬にあててみる。
(あたたかい・・、だけど・・・冷めていく・・・・)
この感じは忘れられそうにない。
傷口を縫い合わせるまで抱いていたが、包帯を巻くのをやらせてもらった。
もろに手術部を見た。あのふくらみがなく、4センチほどのおちんちんの下部に何かあいまいなものがある、というような印象だった。
巻き終わってトイレに付き添い。男の子・・じゃないけど、おちんちんからのおしっこは初めて見た。包帯のせいで、体を前傾させるようにしないとおしっこできないみたい。
包帯にも少しかかってしまって、包帯をやり直す。今日は金曜だから まだ土日の2日間があるけど、月曜日までには大丈夫なの?男の子が個室に入ったりしたら怪しまれるんじゃ・・・。
今度は妹が包帯を巻きたがり、先生に教えられながら危なっかしい手つきで巻いている。最後に先生が手直しして完了。
終わってから、森くんがお礼を言った。
「ありがとう、本当に。これで男にならなくてすむね・・・。
広河先生や香川さんみたいにかわいくなれたらいいな・・・。あっ、夏江ちゃんもね」
と、妹の頭をなで、妹も森くんに じゃれついた。
そのあと、先生がコンビニに行ってきて4人で乾杯した。森くんはトイレに行きにくそうなのでジュースはなしだったけど。男の子でなくなったというだけで、付き合い方も結構変わるものなんだ・・・。
みんなでじゃれあったりして、その晩は楽しかった。先生や森くんの意外な面を見たし。
わたしもお姉さんといえるような人に抱きついてみたかったんだ。
おっきな胸に抱かれるというのは、なんとも言えず幸せな気分。
うちのお母さん?あれはぺったんこだから。でも、足元が見づらいってことはないのかな?そこまで大きくはないか・・・。
ふと時計を見れば、もう真夜中の2時。こんな夜更かしをしたのは初めてだ。
来週の木曜日の動物病院終業後に、またみんなで会おうということになって解散、ムックの様子を見てから帰った。森くんも犬が好きだそうで、ムックの頭をなでてやっていた。
今日は本当にいろいろなことがあった。夜になるまでは さほどでもなかったのに。
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投稿:2006.10.07
長い夜
著者 ベンツピレン 様 / アクセス 15213 / ♥ 5