後宮(大奥)の世界は出し抜くか出し抜かれるか。狙いは太子殿下。男の兄弟がおらず、今の帝に子供が出来ないかぎり安泰だからだ。よしんば今の帝に子供が出来ても、殿下の母親の実家は権勢が強いから、よほどのことが無い限り逆転はない。
そんな具合だから、太子殿下を狙うライバルは山といる。いずれも実家の期待を背負った海千山千だ。そんな中、登殿後に実家が陰謀で田舎に飛ばされてしまった私のチャンスは少ない。それでも諦めないのは、秘密兵器がいるから。実家が飛ばされた先の田舎に現れた異国の薬師だ。奇妙な知識をもっており、女性が寵愛を受けやすくなる為の薬を私にだけもたらした。そう、私にだけ。
「恩は一番高く売れる所のが見返りが大きい。そして堅実な者は恩を他には売らない」
という説明に、私は正式な皇后になれた暁には彼を将来の典医にすると決めたものだった。
秘薬は私の体を魅力的にしてくれて、同時に殿下の心をもつかんだ。寵愛を得た私は、ついには身ごもった。もしも男の子なら、先に子供を産んだ女御たちに先んじて、競争の一番手になれる。というのも、今年19歳を迎える太子殿下の子供は2人とも娘だからだ。
とはいえ、魔の巣窟ともいえる後宮は、妊娠時期が一番危ない。夜の営みがなくなるこの時期を狙って、敵陣営も、なりふり構わず私を追い落とそうとするからだ。前に妊娠した2人も同じだった。それは何故か。まず懐妊が知られると、太子はお茶の時間程度にしか顔をださなくなり、夜は他の女御のところに行くようになる。妊婦の体に悪いとか、子作りしても意味が無いという以外に、妊婦は精神的に不安定になりがちで、昼の務めで疲れきった太子殿下にとって、心を休める場所にならないからだ。平民なら男には女の愚痴に付き合う義務があるかも知れないが、国民全体の愚痴を平等に聞く義務を持つ太子を、特定の女性が愚痴を独占する権利はない。
だから、最低でも妊娠期間、下手に難産だったら産後の回復を待つ期間まで気が抜けない。その間に他の女御が殿下を寵愛を得てしまったら、私を含め「御子作り競争」の先頭集団3人は確実に誹謗中傷されるだろう。中でも現在太子殿下が何度も夜を過ごしている競争相手の一人は危険だ。漢武帝の呂皇后や、則天武后と同じ臭いがする。
そんな不安にかられていた私に、かの薬師が案を授けてくれた。
「要は、他に子供が出来なければ良いのでしょう? それなら、お渡しした薬を殿下の飲むお茶にも混ぜなされ」
ああ、そうだった。あの薬は寵愛の秘薬。ならば、殿下の訪れるお茶の時間の度に急須にたっぷりと入れれば良いだけのことだ。私は殿下と二人で例の薬を分け合うために。
始めの3ヶ月ぐらいは何の効果もなく、かえって殿下と競争相手達との夜の営みを増やしてしまったが、その後は殿下の夜の活動も減り始めた。そして、私の出産前になると
「男子出産の為の祈祷」
と称して、他の女たちの所に全く行かなくなった。
だが、喜んでばかりはいられなかった。その本当の理由を知ってしまったからだ。
それは、私が男の子を産んだあとにすっかり回復して初めて殿下と夜を共にした時だった。男根が老人のように弱く、ギリギリ合体はしたものの、奥には至らなかったのだ。その後も、いくら私が色々手助けして硬くしても、直ぐに萎び始める。不勃起症? そういえば、暗闇で分からなかったが、のしかかってくる殿下の体は、その硬さも匂いも以前と異なって柔らかくなっている。老人性むくみ? この若いのに?
私は例の薬師に相談した。不勃起症の薬はすぐに作ってくれたものの、同時に爆弾を落とされた。
「もしかすると、内腑の作る気が陰(女)の気に変わってしまって、陰根のつくる陽(男)の気とせめぎあっておるのかも知れませぬ。下手をすると命に関わります。それを確かめるために、この次、夜にお会いになる際に、乳首をつまんでごらんなされ。そこに女を感ずるようでしたら、間違いありません」
原因について心当たりがあるかどうか、例えばこの種の呪いが存在するかを尋ねたが、呪いは薬師の管轄外で、その他の可能性については症状の確定するまで軽々しいことは言えないとのことだった。
薬師の助言を受けた私は、翌日の殿下が御子を見に来て、そのままお茶にしたときに「男根をたくましくする薬を手に入れてこざいます」と殿下に囁いた。こうして、私たちは再び睦み合い、その際に私は殿下の乳が最早男のそれでない事を知った。とはいえ、薬師の不勃起症の薬が効果を上げたのも確かだった。もしかしたら再び子宝を得たかもしれない、と思うほどだった。しかし、その副作用か、殿下がますます男を失ってしまっている事が露になってきた。そればかりか、体調を崩すことが増えて来た。
翌月、薬師が久々に顔を出した際に、事の次第を知らせると私に冷や水を浴びせた。
「それは、陰陽のせめぎ合いが明らかに陰(女)に傾いている証左でございます。ここまで症状が進んだら、もはや元には戻りませぬ。このままでは本当に命に差し支えがあります」
しかも男根を取り除かないかぎり、陰陽のせめぎ合いは終わらないとのことだ。呪いなのか?
そう呟いた私に、薬師は耳元でこうささやいた。
「もしかすると、お茶に入れておられる寵愛の薬の取り過ぎが原因かもしれませぬ。」
要するに私が秘薬をお茶に入れ続けたことで殿下の「男」を殺してしまった可能性があるとのことだ。不味い! たといそうでなくとも、回りはそう思うだろう。そうなったら破滅だ。
今のところ、これを知っているのは、殿下の着替えとトイレを受け持つ女官数人のみ。女御では私だけ。でも、人の口に戸は立てられない。殿下が男でなくなってしまったこと、すなわち事実上去勢されたことはいずれ明るみになるだろう。
幸い、薬師も一蓮托生だ。人払いして、私の不安を薬師に小声で告げると、薬師は一案を計じてきた。殿下の「病気」をこちらから奏上して、その際に、その理由として、御子を作ることで太子としての立場をより強固にした殿下を妬む何者かの呪いをあげるというものだ。確かに、私たちから言い出せば、私たちは疑われない。
疑われないのなら、スキャンダルは大きいほど良い。どうせなら、今みたいな不確かな去勢でなく、目に見える形の去勢が良い。薬師にいわせると、そうすれば陰陽のせめぎ合いが終わって体調は持ち直すはずとのこと。ならば、そこまで含めて奏上するまでだ。
私は、これらの旨を文書にして、帝に奏上した。薬師からの助言でそのようにした。というのも、もしも殿下が去勢してしまったら、帝が小作りに励むだろうからだ。まだ40歳なのだ。新たに男の子ができる可能性は高い。そうなったら、太子は廃嫡ともなりかねない。それを見越して、帝と繋がりを持つことにしたのだ。要するに殿下を見限ることにしたのだ。どのみち私には「唯一の御子」という切り札がいる。殿下はその為の道具に過ぎない。
この時の薬師からの助言は今でも忘れない
「太子から帝に乗り換えてはいかがですかな。太子が男でなくなったことへの相談で、一度でも帝と密室になれば、それが既成事実となります」
この国では、岳父と嫁が繋がる例はいくらでも例がある。ましてや夫の男能力に問題が判明したのだ。正式には無理でも、見て見ぬ振りをされるのが普通だ。問題はない。
時は立ち、殿下は玉抜きとなった。ただし、その後も関係は続けている。不勃起症の薬があれば、今の殿下でも少しは楽しめるし、殿下がその不具の曝け出せる私だけだからだ。そして、それは私の評判を「貞女」とさせるのに十分で、同時に帝との姦通をカモフラージュするのに役立った。
ここまで上手く行くと、帝にも私以外に御子・姫を生ませたくなくなる。やり方は分かっている。殿下にやったのと同じことを繰り返せば良いのだ。そして再び「呪い」を理由とする。
こうして私と薬師は、再び例の薬を使い、帝をも去勢させることに成功した。結局新たな御子は生まれなかったが、別に問題ではない。私の息子だけが「男」の血筋なのだから。
とはいえ、ここまで来ると、誰が呪いを起こしたかが問題となる。だが、冤罪をなすり付けるのは易しい。帝の弟の中で私を一番警戒している奴に罪をなすり付ける。秘薬の秘密は薬師と私しか知らないのだから、バレる恐れはない。
こうして3年後、私の息子は齢3歳にして帝代理となった。ついにトップにたったのだ。こうなると、唯一の気がかりは薬師だ。消そうと思った矢先、薬師は姿をくらませた。「わたしの復讐は成った」という言葉とともに。だから私は薬師にも「帝の弟の陰謀に実は加担していた」と罪をなすり付けた。だが、国は割れた。帝の血筋とはまったく異なる豪族があちこちで蜂起したのだ。
10年後、私は新しく興った国に「魔女」の烙印を押された。処刑が決まった私の前に現れたのが例の薬師だった。新しく起こった国に見事に取り入っていたのだ。
「10年の栄華、いかがでしたかな。それだけ楽しめば十分でしょう」
薬師がなぜ復讐するようになったのか。それは、この国が彼を冤罪で去勢の罰に落としたからだ。だからこそ、彼は後宮に住む私に会えたのだが、それを機会に王族を去勢させ続け、最後に国を滅ぼしたという。それを聞いて私は理解した。我がの欲望を利用されたのだ、と。
こうして私は露と消えた。
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投稿:2018.09.16更新:2018.09.24
後宮の陰謀
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