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一方、米国においても、自慰防止コルセットなどの着用は普通に行われ、売れ行きも好調とあって、利益を少しでも独占しようと、特許の申請も相次いだ。
夢精防止のためにペニスを常に冷却する器具も登場した。
あるいは、勃起するとペニスが凶悪な棘で制せられるものもあった。
そんな風潮の中、1891年にハーバードの講師となった優生学者ダヴェンポートは、男性の自慰常習者などの性欲過剰者を、精神薄弱ととらえ、対策として去勢手術をすべきだと主張した。去勢手術ならば、「性ホルモンの分泌を止めて患者を従順で扱いやすくし、性欲をなくすこともできる。」というわけである。
また、ウィスコンシン州立精神薄弱者収容施設の院長であるアルバート・ウィルマースは、精神薄弱者は「動物的衝動に抗しきれず、乱交に走る」ので、去勢すべきだと主張し、断種法制定運動の先頭に立った。
アメリカにおいても、19世紀の終わりから、精神薄弱者、精神病者、犯罪者の断種と去勢の問題が、関心を集めはじめた。この流れは、1905年のペンシルバニア州、1907年のインディアナ州の「断種法」の制定により、一気に法律による強制的去勢へと向かっていく。去勢の対象を大きく拡げたアイオワ州の断種法では、薬物中毒者、性犯罪者、てんかん患者などで公的施設に収容された者のほか、犯罪者も断種することとされていた。この後、1930年までにカリフォルニア州など27の州で、各州が、強制的に精神薄弱者、精神病者などの去勢を行い始め、自慰常習者と判断された者は、次々と去勢されていった。
これにより、全米で1929年までに4257人の男子が断種され 175人の男子が去勢(睾丸切除)された。同様に4649人の女子が断種 (輸卵管切除) され、48人の女子が去勢 (卵巣切除) された。1928年の1年間のみでは、それぞれ男性が断種 304人、去勢17人、女性が断種 612人、去勢12人である。 デラウェア州で
の断種法では、断種と並んで去勢も積極的に行われ、1929年までの男性の被術者 103人のうち36人が去勢された。カンサス州でも、男性被術者 317人のうち94人が去勢されるなど、男性の場合は睾丸切除も普通になっていた。
実際に行われた優生学的断種の最初は、先に述べたように、1889年に、ペンシルバニア州エルウィンにある州立精神薄弱児訓練施設の所長アイザック・カーリン博士が、両親の許可を得て、何人かの男子児童に、輸精管切除による断種手術を試みたのものである。
「受刑中の非行少年たちは、雑居房の中でも平気で自慰行為にふけっていた。
その多くは、過剰性欲により自慰の常習者となっていると認められた。これを放置すれば、出所後は性犯罪に向かう恐れが極めて強かった。
そこで、非行少年の性欲を減退させ、自慰を防止するために、最初のうちは陰嚢を切り開き、輸精管を切除したが、睾丸は存置された。が、追跡調査の結果、ほとんどの者は、それだけでは性欲の減退が起こらず、自慰行為も治らなかったので、翌年からは結局、対象者は全員、睾丸切除による去勢を行うことに変更され、既に断種をしていた少年は、気の毒にも再手術が施された。」
「受刑者全員を診断した結果、当州立刑務所の男子受刑者の中に、自慰常習など、精神薄弱(性欲過剰)の現象が現れている者が、相当数見受けられた。
そこで、医師としての判断により、過度の自慰行為により精神異常と認められる男子受刑者14人について、異常性欲を除去するために睾丸を剔出する手術を行うこととした。これらの受刑者は、いつも自慰行為にふけっていたが、去勢手術の結果、自慰行為はほとんどなくなり、全員が例外なく身体的、精神的に改善の傾向を示した。」
このバージニア州の断種法は、刑罰的色彩も持っていた。すなわち、性犯罪や重大な犯罪で服役した者については、再犯予防のために、州政府の命令により断種手術や去勢手術を強制的に受けさせることができた。
ここに、18歳の青年が陰茎を切断される手術を見学した記録がある。
「私が待っていると、青年は、手術台に寝かされ、股を開いた状態でベルトに拘束された。そして陰部を剃り上げられ、下腹部に麻酔を打たれた。
医師は、尿道に棒を入れ、陰茎の根元をゴムバンドで十分に緊縛したあと、1センチぐらい残して環状に陰茎側面の皮膚を切開し、根元に近い部分を陰茎から剥がした。そして陰茎の本体である海綿体をゴムバンドのすぐ上から切断した。夥しい血が流れ出したが医師はかまわず海綿体の切り口を縫合し、さきほど剥が
した皮膚で切断した部分の表面を包み、尿道口と縫い合わせた。
余裕をもって包むのは、腹腔内に残された海綿体の根本が、興奮したときに若干勃起するためとのことであった。
このように、実に手なれた手順で、月曜日恒例の陰茎切断手術は終了した。3日たって、この少年の尿道に入れた棒を取り除くところに立ち会った。包帯をとり、露になった股間をみると、まだ糸で縫われたままの傷痕が痛々しい。もちろん突起物は全く残っていない。ただ、尿道に差し込まれた栓だけが、失われた象徴の小さな代用品のように少し飛び出している。しかしすぐに、医師がその栓を抜いた。その瞬間、あたかも公園の噴水のように溜まっていた尿が吹き出してきた。」
この日、去勢される入院患者は、18歳の白人1人と17歳と24歳の黒人2人の計3人で、いずれも『狂気を伴う過度の自慰行為』が原因で去勢されると、主治医は言っていた。
まず、最初は、17歳の少年であった。数人の看護士に押さえつけられて、ズボンとブリーフを脱がされ、手術台に寝かされ、大股開きにされて、ベルトで手足と胴体を縛りつけられた。剃刀で下腹部を剃毛され、ツルツルにされた後、麻酔がかけられ、まず陰嚢の右にメスが入れられた。縦に3センチほど切り開かれた傷口に医師の指が入れられると、すぐに睾丸が精索ごと引きずり出された。そして、睾丸のすぐ上で精索が緊縛され、精索が切断された。
残るもう一つの睾丸も、同じように切除され、その後、傷口が縫合され、この少年の去勢手術が完了した。
残る2人も、この日、同じように睾丸を切除された。すぐに治癒しない場合は、性器に手が行かないように、腰の周りに大きなテーブルのようなガードの付いた拘束衣を着せられた。この拘束衣は複数の患者が協力して相互オナニーをすることまでは阻止できないため、後ろ手錠で手を拘束する方法も取られた。そして、壁や柱を使っての「おさすり」を防ぐため、さらに貞操帯を着用させられていた。この貞操帯は金属製で、一度嵌めると、自分の性器を触って確認する事さえ不可能になるという優れたものであった。
医師は、一切構わずに剃刀によって、陰嚢の右側を数センチ切り開き、そこから無造作に指を突っ込んで睾丸を摘みだし、一緒に引き出された精策を、睾丸の上で縛ってから切断した。左の睾丸も、同じように身体から切り離され、2個の睾丸は、予定どおり、血液の供給が絶たれて立派な標本になった。
それから、睾丸と陰茎の大部分を切断する手術などを見学したあと、いよいよ根治手術を見ることになった。
さて、手術室に入ると、前に私に睾丸を提供してくれた日系人青年が手術台に寝かされており、これから陰茎を切断されるところだという。青年は、睾丸摘出後1ヶ月ほどして、残された陰茎で、再び自慰を行うようになったため、今日、陰茎を切断することになったということだ。
私が待っていると、青年は、以前、睾丸を切除された時と同じように陰毛を剃り上げられ、下腹部に麻酔を打たれた。医師は、陰茎の付け根近くの腹部の皮膚に、これから切開するガイドラインを書き入れた。
その後、尿道に管を挿入してから、陰茎の根元の部分の皮膚にメスを入れ、陰茎の廻りのお腹の皮膚をリング状に切開し、さらに皮下脂肪を切り開いた。そして、陰茎海綿体に沿ってメスを入れて、骨盤との繋ぎ目である陰茎脚部分から剥がした。尿道と尿道海綿体は、糸で縛って、その途中から切断した。
こうして、陰茎全体が身体から分離され、ピンセットで摘まみ上げられて、手術台の前の皿の上に置かれた。
尿道は会陰に穴を開けてそこに誘導し縫合した。
陰茎を切除したあと、丸く開いた腹部の開口部は、既に睾丸を切除されて中身が無くなっている陰嚢の皮膚を上に延ばして覆い、その上で伸ば した陰嚢の皮膚と腹部の皮膚とを縫合した。
こうして私の見ている目の前で、青年の下腹部の突起物は完全に取り除かれ、シアトルから来たこの日系人青年の男性としての性的機能の一切を喪失させられたのである。もはや『男』でなくなった青年は手術室から運び出されていった。陰茎を単に切断するたけだと、腹部の皮膚の下に残った海綿体を刺激して自慰を続けることがあるため、この病院では、単純な陰茎切断はできるだけ避け、今回のように陰茎を根本から切除することにしているとのことで、こういう処置は他の病院でも一般化しているとのことであった。
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投稿:2022.10.22更新:2024.08.09
オナニー防止装置と去勢手術の歴史(2-米国編)
挿絵あり 著者 Charon 様 / アクセス 30290 / ♥ 261