学寮
▼ 写真~新寮生の公開集団去勢
PART1
僕の名は、片岡ススム。
2月の入試で日本を代表する私学の名門校の一つ、啓林大学の政治経済学部経済学科に、何とか合格を果たしたばかりだ。
地元の国立大学の合格発表があって、それがダメで、最終的に啓林大学の入学手続きを終えたのが3月23日。さて、どこにアパートを借りようかと思って探し始めたけど、めぼしいところは私学や国立の前期日程合格者で埋まってしまっていた。
そんなときに、同じ高校から合格した矢野恂也君が、明誠学寮の入寮選考会に行かないかと言って来た。そこは、特に秀才が集まることで有名な学寮の一つだという。
そんなところは僕に合わないような気がしたけど、まあ、下宿も決まらないことだし、彼が一緒に行こうというので、付き合って3月25日に出かけた。
明誠学寮は、学寮といっても大学の中にあるわけではなくて、政治経済学部の校舎がある麻布地区から丘を一つ越えた広尾にあって、僕たち1、2年生が通う神奈川県の向ヶ丘キャンパスからはずいぶん離れている。
地下鉄を下りて坂を上がっていくと、鉄筋コンクリート3階建の白い寮舎が見えてきた。受付を済まして中に入ると、説明会場の食堂には、新入生の男子学生が既に200人ほど集まっていて、超満員だった。
僕は、空席を見つけて、矢野君と並んで座った。
定刻の9時になると、寮の運営委員の学生が前に出て、挨拶を始めた。
背が高くてかっこ良くて、いかにも啓林ボーイといった感じの先輩だ。
「新入生の皆さん。わが啓林大学政治経済学部への入学おめでとうございます。
今日は伝統ある明誠学寮の入寮説明会にお集まりくださいまして、ありがとうございます。
私は、明誠学寮運営委員長の浅井豊です。
まず私から、明誠学寮とはどのようなところなのか、その歴史を振り返りながら説明させていただきます。
この、明誠学寮は、大学が作った寮ではありません。
1968年に、当時、政治経済学部の新進気鋭の教授であった伊藤明彦先生が、大学紛争が激しくなって、勉学に支障をきたしていた学生のことを心配されて、私費を投じてこの寮を建設され、優秀な男子学生を宿泊させるともに、自らもゼミを開設して学生を直接指導されたのが始まりです。
ご存知かとは思いますが、啓林大学の伊藤ゼミといえば、当時からいわゆる就職ゼミとして有名で、商社や銀行への就職は絶対でした。
そんなこともあって、この私塾は大きな人気を集め、大学紛争が終わってからも、啓林大学政治経済学部経済学科の精鋭たちが入寮するところとして、定着していったのです。」
僕の周りには、これを聞いてうなずく新入生が何人かいた。
委員長はここでちょっと一息ついた。
「ところが10年近くたちますと、大学も落ち着いてきて、あたかも4年間のレジャーランドになってきました。同時に寮生の緊張感も無くなってきました。
ダンスパーティ通いやディスコ入り浸りぐらいは、軟派で鳴らす啓林大生なら当たり前でしたが、この頃の、異性関係の乱れは激しく、寮生の集団風俗通いは序の口で、寮内に女性を連れ込んだり、そのままこっそり自室に一晩泊めたりというありさまでした。
そしてついに1978年10月1日、明誠寮祭を見に来た清英女子高校の女の子2人を誘った4年生4人が、白昼堂々性行為に及ぶという事件が起こったのです。レイプの疑いもあって警察も動き出しましたが、なんとか示談でまとまって正式の事件にはなりませんでした。
しかし、一部のマスコミにこのことが書かれて、噂は瞬く間に拡がって、寮の風紀の乱れは、衆人の知るところとなりました。当時は10月が就職活動の解禁だったのも不幸な偶然で、無関係だったのに就職内定を取り消された4年生も出たりしました。
この事態に、伊藤先生もついに寮の閉鎖を決意されたのです。」
委員長の表情が険しくなった。
聞く新入生の方も真剣だ。
「そのとき、寮の運営委員は、5人の3年生がやっていましたが、こんな風になってしまった明誠学寮を何とか立て直そうと、よその大学の同じような学寮の情報を集め始めました。
そこで知ったのが、司法試験合格者が多いことで有名な、鳳桜大学法学部の受験サークル泰法会の寮でした。
鳳桜大学には、全寮制をとっている司法試験受験サークルがいくつもあります。泰法会は千葉県内に寮を建てていましたが、いつの頃からか、色欲が勉学の妨げになるということで、入寮する会員が自発的に去勢するようになっていたのです。
この去勢は、両方の睾丸、つまりキンタマを抜いているだけだったのですが、これが評判となって、この頃には泰法会の会員は全員が去勢していたのです。会員の司法試験の実績もすばらしいものがあって、1学年5人ぐらいなのに、毎年3~4人の合格者を出していたのです。」
鳳桜大学法学部は、僕が今年受験して落ちた所だ。そういえば司法試験受験サークルがたくさんあることは、大学案内に出ていた。
「運営委員会では、この泰法会の方式を、自分たちの寮にも導入してはどうかという案が議論されました。
最初は何をバカなことを言っているという反応だった委員たちも、報告を聞くうちに興味ををもってきて、寮生総会に提案してみようということになりました。総会の議論は沸騰し、寮生は大学にも行かずに、激しい討論を3日間続けました。
総会の最後に運営委員会が取りまとめた最終案は、3年生以下の寮生全員が、睾丸ではなく陰茎、つまりペニスの方を切断するのがいいだろうということでした。
これは、試験合格ではなく、企業エリートやビジネスマンを目指している明誠学寮の学生にとって、ホルモンのバランスが崩れて、身体や性格が中性化や女性化するのは避けたいとか、睾丸を残せば万一のときにも子供を作ることが可能だろうという意見に配慮した結果でした。
この案を寮生の全員投票にかけたところ、3年生以下の36人の寮生のうち、何と8割以上の30人が賛成票を投じました。白票は2人、反対票は4人だけでした。
運営委員会は、総会の結果を伊藤先生に報告し、自分たちの去勢を条件に、学寮の存続の許可をもらいました。
このとき先生は、どうせやれっこないと思って承知したそうです。
でも、背水の陣の寮生の決意は固かったのです。10月の終わりに反対していた4人の寮生が退寮すると、残った寮生は、11月8日に医学部の安藤教授の紹介で麻布の啓林大学付属病院に出かけて行って、全員が陰茎切断手術を受けました。32人そろってペニスを取ってしまったのです。」
へぇ、そんなことがあったんだ。
「知ってたの。」
って、小声で矢野君に聞いたら、
「もちろん。」
て答えた。
何だい、知らないのは僕だけか。
委員長は、説明を続ける。
「これは当時、大変評判になりました。世間でも4年生の不始末の責任を下級生が取った美談と受け取られて、寮の評価は以前にも増してグレードアップしました。
逆に、風当たりが強かったのは4年生です。例の犯人の4人は退寮しましたが、残された6人のうち4人が、就職が決まらなかったり、内定を取り消されたりの憂き目に遭っていたのです。
これは、就職戦線は左団扇が当たり前だった明誠学寮生にとっては、天変地異の事態でした。
結局、4年生6人は相談して、自分たちも手術を受けることにしました。それも3年生と同じでは示しがつかないということで、11月22日に性器全部を切除する完全去勢を受けたのです。その結果、世間の風向きも変わって、4人の就職も以前と遜色の無い大手企業に無事決まりました。
この11月22日は、明誠学寮が去勢学生だけの寮に生まれ変わった記念日ですので、ケチがついたそれまでの寮祭をやめて、今はこの日を寮の記念祭として祝っています。」
この寮はそういう寮なのか。知らなかったなあ。
でも、矢野君だけじゃなくて、この説明会に来ている新入生は、みんな大体知っているらしくて、驚いた様子はない。
僕には、衝撃的な内容だったけどね。
それはそれとして、よく日付まで覚えているなあ、と思ったら、委員長はこっそりメモを見ているようだ。
「1979年の新入生募集は、応募者が5人で初めて定員割れしました。そこで、2年生も追加募集して合計9人を何とか確保、新入寮生は、えーと、このメモによると4月23日に病院で手術を受けました。細かい日付は、もうどうでもいいですね。」
委員長は、メモを捨ててしまった。これって予定の演技かな。それとも読心術なの?。
「しかし、その年の4年生の就職は、前年と一変しました。寮生に引き合いが殺到し、商社、銀行、メーカー、とにかく誰もがうらやましがる超優良企業に、卒業生全員が就職できました。
就職が好成績を上げたのは、例の上級生身代わり美談で有名になったこともありますが、若者が全員そろって去勢するという並々ならぬ決意を、企業の側も評価したということでしょう。
この評価は、今日まで続いていて、われわれの誇りでもあります。あっ、もちろん、伊藤先生に直接ご指導いただいている経済学への評価もあるはずです。伊藤先生は、今は名誉教授になられましたが、毎年、3、4年生がゼミのご指導を戴いております。」
なんか、あとの方の理由は取って付けたような感じ。
「もっとも、中には、明誠学寮のOBは結婚をしないはずから、扶養手当もいらない、家族にかける時間を仕事に廻せるといった思惑もあったりしたようですが。
まあ、これは今でも世間では、明誠学寮生は入寮の段階で、恋愛や結婚をあきらめていると思われていますから。
でも、ペニスが無くても彼女を見つけて結婚したOBは、実は少なくないのですけど。会社のOLにとって、エリート社員は玉の輿ですからね。彼女たちは、オチンチンがないぐらいであきらめたりしません。」
矢野君は、
「へえ、そうなのか。」
なんて言っている。
彼でも知らないことがあるんだ。
「もちろん在籍中の恋愛はご法度ですよ。何のために去勢したのか分からなくなりますからね。
オナニーはできないから心配ないですけどね。」
新入生の笑い声が聞こえる。考えようによっては、かなり深刻な話なのだけど。
「明誠学寮のことが広く知られるようになると、他の大学でも同じような学寮が作られるようになりました。
私たちが参考にした鳳桜大学では、寮生が陰茎陰嚢とも取ってしまう完全去勢をする学寮、秀黎会が生まれました。こちらの合格実績は、泰法会より更に良いようです。
わが啓林大学のライバル校の墨田大学では、明誠学寮をコピーしたような経済友好会学寮がありましたが、就職戦線で負けるようになってきたので、数年後に私たちと同じように陰茎だけを取る去勢を行って、去勢学生の寮になりました。それでも、今のところこっちが勝っていますけど。
関西では、兵庫経済大学の公認会計士の受験サークルSC研究会の学寮が、国公立大学では始めて、去勢学生だけの寮になりました、ここの学生は、完全去勢のようですね。
これらのことは、明誠学寮の決断が決して間違っていなかったことを示していると思います。ちなみに、今年の卒業生の進路はご覧の通りです。」
委員は、受付で配っていた入寮案内書の裏ページを指し示す。
見るとそこには、難関と言われる超有名企業の名前がずらりと並んでいる。大学院に進学している先輩もいるようだ。
「さて、話を戻しまして、就職好調の評判が伝わった1980年の新入生からは入寮試験が3倍以上の競争率となりました。事件以前は30倍ぐらいの競争率でしたから、それでも少ないわけですが、入寮したら去勢しなければならないことを考えれば、当時としてもまずまずの実績だったようです。」
そりゃそうだろうと思うなあ。矢野君は首をかしげているけど。
「1983年になると、入寮試験の競争率も5倍ぐらいになってきましたので、自信を持った運営委員会は、入寮試験の方法を改正することにしました。
これは、1年生に定員より数人多く入寮してもらって、3ヶ月間は去勢せずに能力や適性を見ようというものです。同時に、新入生の方も、明誠学寮生としてやっていけるかどうか、試すことができるわけです。
これを2年ぐらいやってみましたが、新入生が、トイレの個室はおろか、相部屋の室内で堂々とオナニーをしていたとか、風呂場でペニスのない上級生の前で、新入生が立派なモノをブラブラさせているのがけしからんとか、問題がいろいろ出てきました。
それを解決したのが、これです。」
委員は、金属性の器具を取り出す。ちょど褌とパンティを合成したような形をしている。
「これは、男性の陰部を封鎖するコルセット、まあ貞操帯の男性用ですけど、新入生には、それを着用してもらうことになりました。
この筒にペニスを入れます。で、ここに鍵がありまして、こういう具合に一度嵌めたら、体験入寮の3ヵ月間はずーと鍵を外しません。陰部が不潔になりやすいですけど、ステンレス製で錆びませんので、着用したまま入浴もできます。
でも、着用前に陰毛は剃り落としておいてもらいます。少しでも清潔にしておきたいですからね。自分でも剃れますけど、友達同士の方が楽です。
もし、うまく剃れないときは先輩がお手伝いします。
スポーツをしたりするときもちょっと不自由ですけど、明誠学寮の勉学と体育会の活動は両立しませんので、問題ありません。体育実技だけちょっとやりにくいので、できれば水泳などを選択してください。
これを着けると、立小便もオナニーも不可能になりますので、明誠学寮の去勢を疑似体験することもできるわけです。つまりこれを着けて3ヶ月間耐えられれば、ペニスを取ってしまても心配ないだろうというわけです。」
そう言うと、委員長は、貞操帯をかちゃがちゃ音を立てて仕舞い込んだ。結構、ゴツい感じで、重そうだ。
あんなものを着けて3ヶ月も生活できるのだろうか。
「1986年から体験入寮の制度がはじまりましたので、寮の改装に着手しました。
1年生の入寮者が3ヶ月間だけ数人増えますので、予備室を確保しました。この改装の時に、和室6畳に二人部屋だったのを、洋室のベッド方式に改め、1,2年生は2人部屋、3年生以上が個室になりました。
トイレも改造して、不用になっていた小便器を撤去して、座り便器を増設しました。
浴室も、貞操帯着用の新入生のためにシャワーを増設しました。
1990年には、全室冷暖房完備になり、1991年には各寝室に電話が設置されました。1993年には本格的なパソコン室を設置、1995年にインターネット接続をしました。」
あれ、委員長は、またメモ読んでいる。どこから出したんだろう。さっきの貞操帯の前の金属板の裏側に筒みたいなのがあったから、そこに隠していたのかな。
「最後に、今日の入寮選考について、ご説明します。
試験は、英語と数学を行います。11時から始めます。会場は、ここの食堂と自習室A,Bと、ゼミナール室A、Bです。」
もう、いきなりペーパー試験だ。
文系学部なのに、国語も社会も無しなのか。
それにしても200人の試験が一度にできるんだから、この寮には、大きな部屋がたくさんあるんだな。
僕の席は、矢野君と一緒に食堂だった。他の部屋を指定された新入生が出て行ってちょっと空いたかなと思ったけど、机が運び込まれてきて、また窮屈になった。
さっきの委員長が、試験官で残っている。
試験が始まった。
僕はもともと理科系だから、数学は得意、英語も何とかなったけど、矢野君は、文系三教科だけ勉強してきたから、試験が終わっても浮かぬ顔をしている。
「それでは発表は3時です。時間になったら集合してください。」
答案を集めた試験官はこう言うと、部屋を出て行った。
そこで矢野君と2人で駅の近くまで戻って、たまたま目に付いた吉乃家に入った。
牛丼を食べながら、
「こういう寮だとは知らなかったよ。」
と、僕が話し掛けた。
「啓林大学の受験生なら、説明するまでもないと思ったよ。」
「僕は、国立が第一志望だったからなあ。」
「あ、そうか。そういえばもともと理科系だったね。じゃあ、今日の問題も楽勝だったでしょ。合格間違いなし。」
「ち、ちょっと待ってよ。何となく流れで試験まで受けちゃったけど、そんなつもりで来たんじゃないんだから。去勢のことなんか全然知らなかったし。」
僕は、あわてて矢野君の言葉をさえぎった。
「何を言っているんだよ。合格してすぐ止めましたなんて言ったら、経済学科のみんなから袋叩きになるよ。みんな入りたくてあこがれているんだし。
3ヵ月後に、正式寮生にならずにやめちゃっただけでも、去勢が怖くて逃げた弱虫って、クラスでバカにされるそうだから。」
「えー、そんなの困る。」
今更ながらどうしようと思ったけど、これだけ秀才が集まっているから、僕なんか合格するわけないと思い直して、店を出た。
時間が余ったので喫茶店に入って、それから2人でどこかの国の大使館の横のだらだら坂を登って、寮に戻って来たら、3時15分前なのにもう合格者が貼り出されていた。
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PART2
合格発表に指定された時間より早いなあと思いながら、僕と矢野君は掲示板に近寄った。
掲示板の合格者の人数がちょっと多い。
新入生が前に集まっていて、
「あれ、何か多いぞ。」
「64人も合格してるぞ。」
といった声が聞こえる。
とりあえずそんなことより自分の名前だ。
「あった。」
これは僕。
「あ、ある。」
これは矢野君。
あれあれ、2人とも合格しちゃったよ。どうしよう。
でも、矢野君が、
「人数が多いということは、二次試験でもやるのかなあ。」
と言い出した。
なるほど、それなら決まったわけじゃないかも。でも、そんな話聞いていないけど。
とりあえず、合格者は食堂に集まるように書いてあるから、2人で寮の中に入った。
食堂には、合格者全員が集合していた。
委員長が、また前に出てきて言った。
「皆さん、明誠学寮の入寮試験の合格、おめでとうございます。4月から皆さんを寮生としてお迎えすることになり、大変うれしく思います。」
えー!、合格なの!、それも最終合格!。
どうしよう。
矢野君もちょっとびっくりしている。矢野君だけじゃなくて、ほかの22人もそんな感じだ。
「それでは、入寮選考のやり方や、入寮してからのことなどは、副委員長が説明します。」
おっと、委員長の話があっさり終わってしまった。
代わりに副委員長が登場した。小柄で痩せていて、委員長に較べてあんまりパッとしない感じ。
「副委員長の秋山光男です。
今回の入寮選考について、説明します。
寮の定員は1学年16人ですが、今回の入寮選考にパスしたのは64人です。毎年半数近くの方がお試し期間が終わった3ヵ月後に入寮辞退されますので、去年までは32人前後を合格としていました。」
「そのため、毎年倉庫の一部屋を改造して16人定員の臨時寝室を用意していました。ところが、今年は英語ができる方と数学ができる方が見事に分かれてしまいました。
そこで、運営委員会で相談した結果、今年は例年以上の人数を合格として、まず3ヶ月様子を見させていただこうということになりました。
合格者は数学の上位16人と英語の上位16人と総合順位の上位32人です。」
そうだったのか、それで、僕と矢野君が、一緒に合格しちゃったのか。
「3ヵ月後に正式な寮生になるかどうかは、皆さんのご自由です。それから能力や適性からどうかなと思う方には、運営委員の方からアドバイスを差し上げます。でも、ご本人が強く希望されれば、よほどのことが無い限り正式の寮生として受け入れますので、ご安心ください。」
あえれ、これじゃ、3ヵ月後に辞退したら、弱虫扱いされちゃうじゃん。
「まあ、それで16人になるといいのですが、定員超過しましたら、1年生で3、4人部屋になることもあります。その場合は、今あるベッドを2段ベッドに置き換えますので承知しておいてください。
それから3ヶ月間なのですが、本来の1年生の部屋の16人分と臨時寝室の16人分したかありません。寮はすべて洋室のベッド方式なので、畳に敷く布団を増やすわけにもいきません。
3段ベッドの導入も検討しましたが、段の間隔が狭すぎるのと、梯子段が意外に場所をとるのでうまくいかず、すいませんが同じベッドに2人が寝ることでよろしくお願いします。」
えー、男同士で同衾!!。
「1,2年生用のベッドは、横幅が120センチありますし、臨時寝室はもう少し幅広で150センチになっています。布団も大きめなので、寝れないことはありません。それに、貞操帯がありますので、同性愛行為の心配もありません。」
新入生から笑いが漏れる。副委員長はいたって真面目に話しているつもりなのだろうけど、ブラックジョークに聞こえる。
僕は1年生用の120センチ幅のベッドに2人寝るのはかなり窮屈だろうな。でも臨時寝室で32人が同室というのも嫌だな。そんなことを考えていた。
「部屋やベッドの組み合わせは、数学優秀者と英語優秀者のペアを基本に指定させていただきます。3ヶ月間だけですので、よろしくお願いします。
それでは、皆さんに寮内をご案内いたします。荷物は置いたままで、私の後についてきてください。」
副委員長は、さっさと食堂を出て行った。
24人があわてて後に続く。
「まず、ここがゼミナール室です。今は名誉教授になられた伊藤先生のゼミも、3年生と4年生を対象に、週1回ずつ開かれています。
そのほかに、伊藤先生の門下の現役教授のゼミもあります。長谷部教授と成瀬助教授は明誠学寮のOBです。成瀬助教授は、去勢学生の寮になってからのOBですね。」
隣りの部屋に移る。
「ここが自習室。1人1台の机があります。3年生以上は個室ですので、自分の部屋で勉強することが多いので、十分に余裕があります。本は足元に置けます。」
次の部屋は寮生の居室で、8畳間ぐらいの広さだ。
「ここが1年生用の寝室です。ご覧のようにベッドが2台左右にありますが、今年は4人部屋として使います。奥に机がありますが2人分なので、共同で使ってください。自習室がありますので、あまり使わないと思いますけど。
それから衣装棚とタンスと本棚。2人で一つになりますので、うまく使い分けて下さい。」
確かにベッドの幅は広そうだけど、2人で同じ寝具ねえ。
「こちらが2年生用の部屋、同じ構造のベッド2つの2人部屋です。」
次は3階に上がって4畳半ぐらいの部屋だ。
「ここは上級生用です。個室ですから消灯に無関係に勉強できます。3年生以上は自習室はほとんど使いません。」
続いてトイレに案内される。
「トイレです。仕切りも扉もありませんが、寮生は小用でも大の方を使うので小便器の感覚と思ってください。和式と洋式がそろっています。最近は洋式を好む寮生が増えたので増設しました。それでちょっと狭苦しいですが我慢してください。扉がありませんのでロスタイムはズボンを下ろす時間だけですみます。」
トイレに個室なしかあ。
大便でも見られ放しでしなきゃならないのか。出るもんも出なくなりそう。
朝は、大学へ行ってからするか。でも1、2年生の校舎は遠いなあ。駅の便所は使いたくないし。
次は1階に下りて浴室だ。
「ここが、大浴場です。ご覧のようにシャワーがたくさんあるのは、貞操帯着用の新入生がよく利用するからです。浴槽が二つありますが、貞操帯のまま入るときには、小さいほうを使う決まりです。覚えておいてください。
で、今日は皆さんのために、お湯を沸かしてあります。そこの脱衣場で服を全部脱いで、裸になって全員一列に並んで下さい。」
えっ、入浴体験?。何でだろと思いながら、全員素っ裸になって一列に並んだ。
こうしてみると、巨大なイチモツの持ち主から粗チンまで様々だ。隣りの矢野君は立派なものを持っているけど、僕は仮性包茎で短小気味だからちょっと恥ずかしい。
「いいですね。じゃあ、湯船に浸かってから洗い場で陰毛、チン毛を全部剃り落として下さい。デルタだけじゃなくて、フクロや肛門の周囲もです。安全カミソリとシェービングクリームは洗い場にあります。」
もう、剃毛するの。24人がちょっとどよめく。
でも、全員が浴槽に入ってから洗い場に向かった。自分では剃りにくい。初めてだし。
「剃りにくい方は言ってください。手伝いますから。」
ジョークかと思ったけど、この副委員長は、あくまで大真面目らしい。
結局、何とか全員が自分で剃り終わったようだ。
副委員長は、並んだ新入生を確認する。
股間には、まだシェービングクリームが付いている。
「いいですね。順番にシャワーを浴びて下さい。」
シャワーでシェービングクリームが流されちゃうと、パイパンになった下腹部がみんな丸見えになった。僕のチンチンはまるで小学生だ。
「そのままで廊下に出て、隣りの部屋に入って下さい。」
指示された隣りの部屋は、倉庫になっているらしい。
廊下を通ってその部屋の中に入ると、午前中に見た貞操帯や、その部品らしきものが、棚にいっぱい置いてある。
相変わらず全員素っ裸だけど、湯上りなので寒くは無い。
「さて、ここからは、貞操帯の見学です。新入生がペニスを切断するのは3か月後なので、それまで、貞操帯を着用して過ごしてもらうことになっています。」
「ここには、新入生に3ヶ月着用していただく貞操帯が保管されています。皆さんの先輩が3ヶ月づつ着用したもので、古いものはもう15代以上の先輩に引き継がれてきています。
男性用貞操帯はサイズ合わせが難しいのですが、ここには数も100ぐらいありますし、腰ベルト、前板、臀部板、ペニスチューブといったパーツ毎にサイズを揃えてありますので、24人全員がぴったりのサイズを見つけ出すことができると思います。
それではサイズ合わせをします。2年生の先輩が手伝ってくれます。」
「最初は、第1号ともいうべき記念の貞操帯ですが、去勢を始めた当時は男性用の貞操帯に関する資料がほとんどなく、試行錯誤の手作りでした。」
「しかし、せっかく完成したものの、動きやすさも配慮した結果、隙間だらけで、性交こできませんが自慰はやりたい放題という欠陥品でした。」
「そこで、中世の十字軍で有名な女性用の貞操帯の内側に、ペニスを入れて固定する管を付けたヤイプが開発されました。」
「しかし、この「褌タイプ」は、オナニー防止には威力を発揮しましたが、運動の妨げになって、日常生活があまりに不便でした。そこで、もっと動きやすい新タイプの貞操帯が開発されました。それがこれです。」
「でも、これは見て分かるとおり、プクロが露出しちゃってますから、陰嚢を揉んでオナニーなんていう技が可能になる欠点があります。そこで、その陰嚢を完全にカバーした新タイプができました。これがそれです。今年の1年生から使えますよ。」
「ただ、今までの褌タイプがぴったりくる新入生もいますので、どのタイプになるかは運次第です。」
外に控えていた2年生が、ドヤドヤと入ってきて、新入生を2人1組にまとめると、巻尺で身体の各部を計り始めた。ウエストや股上だけじゃなくて、僕たちのペニスの長さや太さまで測って、カルテみたいなボードに記入している。
僕はものすごく恥ずかしかったけど、ほかの新入生は平気な様子だ。
僕と矢野君を担当した先輩は、ボードの数字をもとにして、棚から貞操帯を2つ持ってきた。中にはぴったり合うサイズがないらしくて、パーツを組み合わせている先輩もいる。
「じゃあ、嵌めるから両脚を開いて。」
先輩に言われて、僕は両脚を開いて立った。先輩は、僕のペニスを金属のチューブに通した。続いて先輩が選んだ貞操帯が股間に触れたかと思うと、腰ベルトがガチャリと嵌められた。
先輩が、前後左右に貞操帯を動かしてみて、
「ああ、ぴったりだ。これでいい。」
と言った。
僕の感覚では、かなりきつ過ぎると思うんだけど。
先輩は、南京錠を2つ持ってきて、僕の下腹部の前後を覆う金属板と、腰ベルトやペニスのチューブを固定すると、今度は、矢野君の貞操帯を嵌め始めた。
周りでは、一度嵌めた貞操帯が合わないらしくて付け替えていたりして、全員が貞操帯着用姿になったのは40分後だった。
先輩の間からは、
「今年は時間がかかったな。なにせ、人数が倍だから。」
といった声が聞こえる。
「じゃあ、脱衣室へ戻って服を着て下さい。」
と、副委員長が言ったので、新入生が動き始めた。
僕は、ガニマタの変な感じで、一歩目からまともに歩けない。
でも、中には初体験に興奮してVサインを出している新寮生もいる。
思いは人それぞれのようだ。
「歩くのはすぐに慣れて、普通になります。走るのは ちょっと不自由かもしれません。」
真面目副委員長はそう言うけど、かなりの違和感だぞ。
矢野君も、
「歩きにくいなあ。」
って言っているし。
さて、もう一度服を着てから、副委員長の案内で、寮の玄関の横の小部屋に入る。
中には、切断された性器がいっぱい並んでいる。
僕もそうだけど、これを見た新入生全員がドッキリしている。
「ここがトロフィールームです。ここには、皆さんの先輩238人のペニスが保管されています。ここに剥製というか乾燥標本になった男根がありますが、これが1978年12月に去勢した38人の先輩の性器です。ペニスにフクロが付いている6個は、4年生6人のものです。
後の壁に、先輩の名前と写真が貼ってありますから、較べてみてください。
乾燥標本を長持ちさせるために瓶詰にして透明な樹脂で固めた学年もありました。これらがその先輩たちが遺された一物です。
1986年から2001年までの先輩のペニスは、瓶詰めのホルマリン漬になっています。ここに並んでいる瓶がそうです。このうち、1986年、つまり体験入寮制度の最初の年に入寮した先輩のペニスは、ご本人たちの強いご希望で、同じ大きなガラス瓶の中に12本一緒に保存されています。何でも団結の象徴だそうです。
あっ、これが経済政策学の成瀬助教授のペニスの瓶ですね。」
案内の委員が持ち上げた瓶に、ずいぶん小振りなペニスが入っていた。
僕はちょっと自信回復。
「ただ、ホルマリン漬の標本は、年数が経つと形が崩れてくることが多いという問題がありました。」
「そこで、2002年からは、医学部で標本作りのために研究されていたプラスティネーションという樹脂固形法で保存するようになりました。ここからの壁飾りに取り付けられているペニスがそれです。
外観は身体についていたときと全く変わりありません。額の中に写真と名前が入っていますから、すぐに誰のペニスだったのか分かります。」
「もっともこの2004年度の入寮生のように、みんなで一緒の記念品にすることもあります。」
「こうなるとすぐには誰に付いていたものだかわかりません。実は裏側に名前があるんですけどね。もちろんご本人は分かっていますが。」
「そして、ときどきペニスだけでなく睾丸や陰嚢も取って欲しいという新入生が現れることがあります。
なかには競争心からか、前立腺まで切除を希望される場合もあります。もちろん、ペニス切断だけよりより好ましいことなので、そういう先輩の男性器は、特別な装飾を施して、特別な場所に展示をされます。これがそれです。」
ここまで説明があると、新入生の中から、
「先輩のは、どれですか。」
という質問が飛んだ。
「これです。」
と副委員長が、やや恥ずかしそうに指差した壁飾りのペニスは、平凡な円盤型の板から、プラスチネーション加工のペニスが付いているだけだったが、その学年12人の中でも、ひときわ巨根で、額縁からまっすぐ突き出していた。
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PART3
「あーあ、今日は大変な日になっちゃった。」
ここは、矢野君が借りたアパート。宿がない僕は昨日からここに転がり込んでいたわけ。
「でも、合格してよかったじゃない。」
「そうかあ、矢野はそうだろうけど、僕は最初そんなつもりがなかったから、今でもどうしようと思ってるよ。」
僕は、股間に嵌められた貞操帯を、コンコンと叩きながら続けた。
「これだって、すぐ外してくれるのかと思っていたら、今日はそのままお帰り下さいなんて言われるし。」
「一応、正式な寮生になったんだから。」
「でも、歩きにくいし走れないし、小便は不自由だし。結局ここまで我慢しちゃったじゃない。」
矢野君のアパートは千歳船橋にあった。最初に場所を聞いたときは、てっきり千葉県だと思ったけど、実は小田急の沿線だ。
学寮からは、恵比寿、新宿乗換で帰ってきたわけだけど、新宿駅でトイレに行こうと思ったら、個室は全部使用中。結局、まっすぐ帰ってきたわけ。
「そうだね、男は大で使うからなかなか空かないし、二人で待っていたらいつになるかわからないもんね。」
結局、アパートのトイレを使ったんだけど、慣れないもんで、矢野君は予想外なところからオシッコが噴出して靴下を汚しちゃったし、僕は終わったと思って立ち上がったら、曲がって押さえられていたペニスに残っていたオシッコが漏れてきて、パンツとジーンズを汚してしまった。
矢野君のアパートは家賃が安いだけあって、築40年以上の木造で、台所は各室にあるけどトイレは共同で廊下の奥にある。他に人が見てなくてよかったけど。
僕はジーンズ一着しか持ってきていないので、あわてて水洗いして窓に干してある。つまり、今下半身は貞操帯だけの姿だ。
僕の貞操帯は、何代も前の先輩から使っているらしく、南京錠が付いていてゴツいけど、矢野君が着けているのは、新しいタイプみたい。鍵穴が見えるだけで錠も内蔵式、縁の曲線も微妙に人間工学的で、曲がる部分も多くて、はき心地も良さそうだ。
何でも、工学部の研究室にお願いして、毎年改良研究を続けているとか。そういえば前にオオトリを象った校章が刻印されている。確かにうまく出来ていて、ペニスに触れるのは全く不可能だ。
でも、結構かさばるので、今日もキチキチのジーンズで来た新入生が一人、帰りにジーンズのジッパーが閉じなくて苦労していた。
僕が矢野君に聞いた。
「寮に入るなら、このアパートどうするんだ。」
「すぐ解約するよ、敷金もったいないけど。」
「僕が落ちていたら、譲り受けたのに。」
「世の中、そうはうまくいかないみたいだ。えーと、布団は寮が用意してくれるから、田舎に送り返すとして、あとは寮に運ばないと。」
矢野君はそういうけど、彼のアパートには、冷蔵庫は無い、洗濯機は無い、テレビは無い、机も無い。あるのは布団と衣類と食器と筆記具だけ。電車で十分に持っていける量だ。
その布団も送り返すと言うのだから、完全に明誠学寮を狙っていたとしか思えない。だいたい、今時木造モルタル2階建、トイレ共同なんていうこんな安アパートに住む啓林大生がいるのが奇跡だ。
「ススムは、そのまま寮に入ればOKじゃん。明日から入寮できるし。」
高校のクラスに片岡姓が2人いたので、矢野君は僕を名前で呼ぶ。
「そうだなあ。田舎に寮の住所知らせて、服と本だけ送ってもらうか。」
「入寮の保証書はどうする。」
「いっしょに送り返してもらうよ。どうせ中身読まないだろうし。」
「じゃあ、明日寮に移ろうか。今日はもう寝よう。」
矢野君が、隅に丸めてあった布団を敷いた。
布団は一組しかないので同衾だ。そういえば、新入生はしばらく2人でベッド1つだとか言っていたのを思い出した。
布団に入ってから隣りの矢野君に聞いた。
「部屋割はどうなるんだろう。」
「明日になると分かるみたいだけど。ススムと一緒だといいけど。」
「そんなにうまくいくかなあ。でも、数学優秀者と英語優秀者のペアで指定とか言っていたから、可能性はあるね。」
「確率は16マイナス1で15分の1かあ。」
「相変わらず数学はイマイチかい。単純に16分の1だよ。それに総合点の組もあるし。」
「どうして、あっ、そうか。ダメだこりゃ。」
その日は、そんな無駄話をしながら、2人とも寝てしまった。
翌3月26日、僕と矢野君は、矢野君の衣類や食器一式を鞄と手提げ袋に詰めて、千歳船橋のアパートを後にした。
矢野君の布団は、朝のうちに運送屋に頼んで、田舎に送り返した。
電車を乗り換えて、やっと寮に着くと、入り口横の掲示板に、新入生24人の部屋割りとベッドの指定表が張り出されていた。
僕は105号室のB、そして矢野君は105号室のAだった。
「少なくとも同じ部屋になったみたいだね。」
と2人で言いながら、指定された部屋に入ってみたら、AとBが同じベッド、CとDが同じベッドだった。
矢野君が、思わず叫んだ。
「あっ、ベッドまで同じだ。良かったぁ。」
もちろん、僕もほっとした。
明誠学寮は、OBが多額の寄付をしてくれるおかげで、設備も備品もばっちり整っている。洗濯機や乾燥機は共同のものが用意されている。食堂には自由に使える冷蔵庫や電子レンジもある。
タオルや下着や寝巻はダンボールに入れてドンと置いてあって、自由に持っていけるようになっているし、布団やシーツだって新入生には新品を用意してくれている。
ただし、なぜか全部白一色なんだ。確かに啓林大のスクールカラーは紺と白だけど、この白へのこだわりはよく分からない。
矢野君は、
「色気なしということかなあ。」
と、ジョークか本気か分からない独り言を言っていた。
僕と矢野君は、部屋の中の備え付けのタンスや本棚に、自分たちの持ち物を整理して入れた。本来1人分のところへ2人分の物を入れるのだから、そのうちに狭くなりそうだ。
あっちこっち動かしているうちに、あと2人のルームメイトが入ってきた。
一人は、香川幸一君、もう一人は古瀬良男君。香川君は大阪の出身、古瀬君は長野の出身だそうだ。もちろん2人は昨日が初対面。
僕と矢野君が同じ高校の出だと聞くと、2人とも
「へえ、いいねえ。」
と、うらやましがっていた。
古瀬君はけっこう大柄だから、香川君は同じベッドでつらいんじゃないかな。
そうこうしていると、大の方がしたくなった。貞操帯を着けられてからは初めてだ。
昨日の小便みたいな失敗はしないようにしないといけないと思いながら、トイレに入った。
洋式トイレは奥に細長くて、入り口に手洗いがあって、中央に通路が伸びている。洋式便器が、通路をはさんで向かい合わせに設置されている。そこには仕切りも扉もない。
廊下を挟んで反対側には、和式便器が、やはり通路の左右に分かれて設置された便所があった。こちらも仕切りも扉も無く、便器は通路に向かってしゃがむ方向に作られているので、用便中は通路をはさんでにらめっこになりそう。
和式、洋式どっちを使おうかと迷ったけど、和式なら小用は経験しているから、まだ無難だろうと思って、奥の和式便器にしゃがんだ。
貞操帯の後の部分は穴が開いていて、用便はそこからするようになっている。うまくやれば、小用と違って貞操帯が汚れることもないみたいだ。
でも、紙で拭くのはなかなか難しい。ウォッシュレットが欲しいなあ。
そのとき、真正面のブースに誰かが入ってきてしゃがんだ。ズボンとパンツを下ろしたら、貞操帯をしていなかったから先輩だ。和式便器はしゃがむとズボンとパンツの下から下腹部が丸見えになる。
先輩は、僕の貞操帯を見て、
「おう、新入生か。」
と、声を掛けてきた。
立小便しているときならともかく、しゃがんで大をしているときに面と向かって声を掛けられるのは、初めての経験だ。
僕はとりあえず、
「はい。先輩。」
とだけ返事をした。
僕からも、先輩の下腹部が丸見えだ。もちろんペニスは無くて、フクロだけが垂れ下がっている。毛は別に剃らないらしく、普通に生えているので分かりにくいけど、傷口らしきものは見当たらない。
先輩は小用だったらしく、フクロの向こう側、お尻の穴の前あたりからオシッコが出てきた。
どうやら手術では、ペニスを取るだけじゃなくて、オシッコが出る位置も付け替えるんだ。
思い切って先輩に、
「どうして、トイレに扉や仕切りが無いんですか。」
と、聞いてみた。
先輩は、
「寮生は、みんな隠すモノが付いて無いからに決まってるだろ。ドアの開け閉めも面倒だしな。それよりその貞操帯不便だろ、早くピーを取っちゃうといいぞ。」
と言うと、立ち上がって出て行ってしまった。
ピーとはP、つまりペニスのことだろうな。
部屋に戻ったら、矢野君が、
「新入生は食堂に集合だって。」
と、教えてくれた。
食堂に行くと、新入生が集まっていた。24人全員、脱落なし。
もっとも昨日、貞操帯の鍵を預けて帰ってしまっているから、いやでもここに来ざるを得ない事情もあるわけだけど。
昨日の秋山副委員長が食堂にやってきた。
まず、
「新入生の皆さん、おそろいですね。まず、お聞きしますが、貞操帯の調子はどうですか。寝るときや歩くときに痛くありませんか。トイレでは大小ともうまく出来ましたか。」
と聞いた。
すると、ある新入生が、
「大はまだしていません。」
と、答えた。
副委員長が、
「そうですか、ほかに、大がまだの人は手を上げて。」
と言うと、5人の手が上がった。矢野君も手を上げた。
副委員長は、
「まだの人に体験してもらいますから、ちょっとお待ちください。」
と言って、5人を連れて出て行った。
15分ほどして5人が戻ってきた。
矢野君に、
「どうだった。」
と聞いたら、
「腰掛けても出ないから浣腸されちゃってね。大変だったよ。それも注射器を大きくしたような浣腸器で。」
と言っていた。
どうやら矢野君は、洋式便器の方を使ったらしい。
副委員長が
「それでは、全員の貞操帯をチェックします。昨日の風呂場に集合してください。服は、昨日のように脱衣場で全部脱いでおいてください。」
という。
24人全員が、服を脱いで貞操帯だけになって浴室に集合した。
こうしてみると、僕みたいな臍の下に南京錠をぶら下げたような古いタイプは少数で、錠を一体化したスマートな貞操帯をしている新入生が多いことに気が付いた。中には、鍵穴が電子ロックになっている貞操帯もある。きっと最新式だろう。
副委員長が話し始めた。
「皆さんは貞操帯を丸1日嵌めっ放しだったので、パンツも大分汚れているのではないでしょうか。貞操帯も周りも結構臭くなっていると思います。そこで、今から貞操帯を嵌めたままでの、シャワーの使い方を練習します。
ここの3ヶ所のシャワーが1年生専用です。水圧が強力で、ノズルの先が狭いところに入るようになっています。水もすぐ下の排水口に流れていくので、汚くありません。
じゃあ、遠慮なく使ってください。」
新入生は、順番にシャワーを浴びた。なるほど、貞操帯の細かいところまで洗い落とせて便利だ。
「貞操帯の締まり具合を確認させてください。」
副委員長は、そう言いながら、一人一人の貞操帯に触れたり、ベルトを掴んで引っ張ったりした。
「一度、全員の鍵を外します。」
そう言うと、鍵束をポケットから出して、全員の貞操帯を外してくれた。
「どこか当ったり擦れたりしているところはないか、皮膚が赤くなっていないかで確認します。まず前を向いて、えーと、分かりましたから、次に後ろを向いてください。」
副委員長の掛け声で、全員回れ右をした。
「いいですよ、戻ってください。そうですね、君と君と君。ちょっと合わないようだから、調整します。残りの人は、もう一度貞操帯を着けますね。」
僕も矢野君も、同じ貞操帯をもう一度嵌めることになった。2人とも違和感はあるんだけど、この程度は合わないうちに入らないらしい。
食堂で待っていると、調整していた3人も戻ってきた。彼らはどうやら別の貞操帯と交換してもらったらしい。
副委員長は、左手に僕たちの貞操帯の鍵束を持っている。
「ではよろしいですね。それでは24人分の鍵束ですが、これをここに仕舞います。」
副委員長は、手提げ金庫のような箱に、鍵束を入れて、蓋を閉じた。
「この箱には本学の工学部で特別に作ったタイマーロックが仕込んであります。ですから今から3ヶ月経過しないと開きません。その日は、皆さんが付属病院でペニスを取り除く手術を受けていただく前日です。」
新入生からは、
「えー。」
という声が上がる。
でも副委員長は、
「この箱を、金庫に保管してもらいますね。」
と言って、傍らにいた委員に預けてしまった。
本当に3ヶ月間外せないのか。ショックだなあ。こんなことなら、直前にもっとオナニーしておけば良かったよ。
ここで、寮のトイレをご紹介しよう。
去勢した寮生や貞操帯を着用した新入生は、立小便ができないので、寮内には大便器しか見当たらない。そのため、大も小も同じ便器を使用するが、個室化すると出入りに時間がかかるので、仕切りや扉は一切設けられていない。
しかももし、前の人が使用中だと、時間短縮のためズボンやパンツを下ろして待つのがエチケットだそうだ。
和式のトイレは壁に向いてしゃがむタイプが多い。使用時間を短くするために、身体の向きを変えなくてもいいためだそうだ。
中には、壁ではなく外が見える窓に向いてしゃがむように作られているトイレもあって、外から丸見えだ。
和式で向かい合わせのトイレでも、窓が居室の掃き出し窓と同じ高さとなっていて、やはり用便中の様子が外から丸見えになるところもある。
また和式の場合、水洗式ではあるけど、水が流れるのは一定時間ごとで、用便が終わったら個別に水洗できるようにはなっていないらしい。
窓が大きいのは開放感を重視した設計だそうだけど、これも慣れるまでは大変だろうなと思った。
寮の風呂は定休日があって、その日に入浴したい寮生は近くの銭湯を利用する。去勢済の学生は問題ないけど、貞操帯を着用している新入生は、貞操帯での入浴がOKな銭湯を選ばなければならない。
寮生の貞操帯姿は、一般客からも注目の的になるので、最初に脱衣室で下着を脱ぐのはなかなか勇気が必要になってくる。
先輩方の股間の去勢痕もそれはそれで注目の的になるようだけど。
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PART4
今日は、啓林大学の入学式、向ヶ丘キャンパスの記念体育館は、3千人の新入生でいっぱいだ。大学の正門からここまでは、サークルの新入生勧誘の出店がいっぱいで、まともに歩けないぐらいだった。
矢野君とは第二外国語が違うので別のクラスになったけど、式典は自由席なので並んで座った。
学長の挨拶のあとは、校歌斉唱。あの、
「見よや果てなき、天空翔ける。大鳳我らの、徽章とかざす。」
という、有名な校歌が流れた。
PTA会長も県会議員もいないし、学長の話も新入生はあまり聞いていないし、校歌と校旗はあっても君が代も日の丸も無いのが、いかにも大学らしい。
第一、全員私服だし、と思ったら、あちこちに学生服の集団がいる。あれはきっと体育会の推薦入学者だろう。箱根駅伝では見たこと無いけど、大学野球リーグでは有名校だし、そういえばアメフトや水泳も強かったはずだ。
式典が終わると、学部別のガイダンスがあった。語学以外は自由に選べるのも高校と違うところだ。でも、中には体育実技のように、定員があるものもあるので、ゆっくりはしていられない。
ガイダンスでもらった履修科目の一覧表を見る。クラスの語学と重なっているところはダメだから、
完全に自由というわけではない。
そう思って見てみると、なぜか水泳が少ない。寮の先輩の話だと不人気科目だから、抽選になったことはないと言っていたけど。
矢野君が何か見つけた。
「えーと、欄外に何か書いてある。『今年度は、向ヶ丘キャンパスの屋内プールが改修工事のため、水泳は、ニュー東京スイミングプール、溝口スポーツランドプール、JA教会プールで行います。移動時間が必要なため、昼休を挟む場合以外は他の授業と連続履修できません。』だって。」
「それで少ないんだ。だめじゃん。どれどれ、『入場は無料ですが、ロッカー代等がかかるところもあります。交通費は自己負担です。選択にあたっては、科目の備考欄の各プールの利用規定にもご注意ください。』か。面倒臭さそうだな。」
語学の時間割とにらめっこしながら、2人で曜日と時間を見比べていく。
「えーと、僕が取れるのは6コマのうちの2コマだけだな、ニュー東京スイミングプールだけか。ススムは?。」
「僕は、と、やっぱり2コマのどっちかか。矢野と同じだな。あれ、僕は両方ともJA教会プールだ。」
どうやら矢野君とは、別々の授業を取るしかなさそうだ。JA教会プールは、地図を見ると、向ヶ丘キャンパスに一番近くて便利そうだけど、それでも休み時間の10分で移動するのは無理だろうな。
「備考欄を見てみようか、『ニュー東京スイミングプールは、ロッカー有料100円、競泳用水着着用のこと、スクール水着やレジャー用水着は不可。』と書いてある。競泳用水着ってちっちゃいだろ。貞操帯がはみ出すなあ。」
「『JA教会プールは、』JA教会ってそもそも何だ?。まあいいや、えーと、『JA教会プールは宗教法人の経営で、本来は信徒専用ですが、特別に利用許可をいただいています。みそぎにも使用するプールであり、信仰上の理由により水着着用は一切禁止です。』えー、素っ裸で泳ぐの?。アメリカの大学に留学した先輩の中尾さんが、あっちの大学プールは水着禁止だったとか言っていたけど、アメリカの真似?。でも、僕たちは貞操帯外せないよな。どうするんだ。」
「問い合わせは、学部事務室かい?。」
「体育センターへって書いてある。行ってみよう。」
僕たちは、広いキャンパスをあちこち探しながら、ようやく体育センターにたどり着いた。受付は若い女性事務員だ。聞きづらいなあ。
矢野君が聞き始めた。
「1年生なんですが、体育実技の水泳のことでちょっと。」
「はい、なんでしょう。」
「えーと。実は、僕たちは明誠学寮の寮生でして、備考欄を見たらちょっと困るかなと。」
それでは、何のことか分からないだろうと思ったけど、意外にも事務の子はピンときたみたい。明誠学寮って、啓林大学の関係者はみんな知っているんだ。
「ああ、コルセットならそのままで結構ですよ。先生に了解をもらっていますから。」
彼女は、貞操帯と言わずにコルセットと言ったけど、こんなかわいい事務員さんにも知られているなんて恥ずかしい。
僕は、思わず聞いた。
「JA教会プールでも、そのままでいいのですか。素っ裸でとか書いてありましたけど。」
「JA教会では衣服がいけないだけで、コルセットは身体の一部の扱いだそうです。JA教会の信者の方でも修行のために、似たようなコルセットを着用する方もいらっしゃるそうで、全然問題ありません。」
そうなのか。それなら水泳を選択すればいいかと納得して、履修届に記入することにした。
さて、僕の初めての水泳の授業の日がきた。
前日に水泳の授業があった矢野君は、
「競泳パンツの上に貞操帯が覗いていて、かなり変だったよ。他の1年生が珍しがってチラチラ見てくるし、落ち着かなかった。水から上がっても股間が拭けないから、乾かすまで時間がかかってねえ。バスタオル巻いていたけど晒し者だよ。」
と、言っていたし、ちょっと心配だ。
JA教会プールは、南武線の久地駅の近くにあった。周囲は道が狭いのに、交通量が多くて危ない。
どうして東京はこんなところばかりなのだろう。
JA教会というのはキリスト教の教会だと思っていたら、どうも感じが違う。入口の説明の看板を読んでいたら、インドのジャイナ教という宗教が、アメリカに伝わって、だいぶ教義が変わって、それが日本に来たものらしい。
「ジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、完全裸形で修行し、」
「1世紀に僧尼の着衣や鉢の携帯を認める白衣派(シュベーターンバラ)と、聖者は何も纏わない空衣派(ディガンバラ)に分かれ、」
などと書いてあるから、プールが素っ裸なのもその関係かもしれない。
「JA教会では、教会内でのみ、聖者の完全裸形を実践しています。」
そりゃそうだ、熱帯のインドじゃあるまいし、日本やアメリカで全裸は無理だろう。それにしてもいろいろな宗教があるんだな。
さて、プールは別の建物になっていて、入口を入ってすぐ更衣室。ロッカーは鍵なし、これなら無料であたりまえだ。貸切だからまあいいか。
1年生が何人かもう来ていると思ったら、そのうちの1人は、寮の先輩だった。確か2年生の大川さんだ。
「あれ、先輩。」
「おう、片岡か。」
「どうしたんですか。」
「去年の体育実技、落としちゃって再履修。まあ、その時間に聞きたい講義があったんで、自主聴講していたわけなんだが、それでこうしているわけ。」
「このプールは初めてですが。」
「ああ、去年は全部向ヶ丘の屋内プールだったからな。それにしても、変なプールだな、ここ。」
全員全裸で泳げなんて、先輩が言う通り、本当に変なプールだ。他の学生は素っ裸になったけど、僕は貞操帯を着けたままプールに向かった。みんなチラチラ僕の方を見ている。
プールそのものは、普通の25メートルの室内プール。みそぎなんて書いてあったから、インドのガンジス川みたいになっているかと思ったけど、普通の競泳プールと全然変わらない。一旦アメリカを回って来た宗教だからかな。
先生の号令で、プールサイドに集まる。みんな股間の黒い毛の中央に、イチモツがチラチラ見える。しっかり剥けた立派な巨根から、小さな包茎のチンコまで様々だ。
そんな中で、大川さんの股間には毛があるだけで、ペニスが見えない。他の1年生も気が付いて、僕の方から大川さんの方へ、注目先が移っていった。
小声でヒソヒソと、
「ほら、明誠学寮だよ、きっと。」
「ああ、そうか。」
といった声が漏れる。
僕たちは1年生にもよく知られているんだなあ。
もともと不人気の水泳だけど、このクラスは更に不人気のようだ。履修要綱では定員30人のはずだけど12人しかいない。もちろん素っ裸が嫌われたんだろう。
プールの規則だから、先生も全裸。みんな水に入ってしまえば背泳ぎ以外は苦にならないけど、準備体操だけは何か締まらなくて落ち着かない様子だった。身体を捻るたびにみんなのオチンチンが左右に揺れている。
でも、時間はあっという間に過ぎて、シャワーを浴びてから更衣室に上がってきた。矢野君が行ったニュー東京スイミングプールは、サウナがあったそうだが、ここにはない。
矢野君が言った通り、水泳の後は貞操帯が乾くのに時間がかかる。ロッカーの前で突っ立って身体を乾かしていると、他の1年生が話しかけてきた。
「明誠学寮なの。」
「そうだよ。」
「その腰の鉄のフンドシみたいなのは、ずっと嵌めっぱなしなの。」
「ああ、これね、6月終りに外すよ。」
「そうしたら、あの先輩みたいにオチンチン取っちゃうの。」
「そう、外すのは手術の前日だって聞いてる。」
「去勢するって勇気あるね。とても真似できないや。すごいね。」
彼はそう言って、離れていった。
おとといのクラスコンパの後の2次会でも、何人かから、
「本当に6月に去勢しちゃうのか。」
「彼女は欲しくないの。」
「まだ童貞なんだろ、それでいいの。」
などと、散々聞かれた。
そこで、
「大丈夫だよ、自分で決めたんだから。」
と、啖呵を切った手前、やっぱりいまさら去勢は止めましたは言えないなあ。
6月になった。僕も矢野君の5月病とは無縁で、一応学生生活を謳歌している。でも、運命の日は刻々と近づいてきているわけで、明らかにどうしようか迷っている1年生も何人かいる。窮屈な4人部屋を少しでも楽にしてもらうためには、脱落してもらった方がいいんだけどね。調整用の予備室もあるけど、このままじゃ2年になっても2人部屋にならないかもしれないし。
みんな脱落してく定員割れになったら、追加募集するそうだけど、今年に限ってはそんなことは絶対にありそうもない。そうそう、追加募集だと体験入寮なしの正式入寮、つまりいきなり去勢となるから、応募するのも勇気がいるそうだけど。
6月24日、この日が体験入寮の最終日だ。午後6時に1年生全員が食堂に集合した。
委員長が挨拶する。
「1年生の皆さんが入寮されてから3ヶ月がたちました。体験入寮は今日までです。ご承知のように今年は体験入寮の人数が多くなっています。もし、正式入寮を辞退される方が多くても大丈夫ですので、ご遠慮なく申し出てください。大事なことですのでよく考えてください。それでは、正式入寮していただける方は、挙手をお願いします。」
僕も矢野君も挙手をした。同室の香川君と古瀬君も手を上げている。手を上げなかった1年生、つまり辞退者は28人。36人が正式入寮を希望したというわけだ。いつもの年の入寮者が16人だから、これでも20人も多いわけ。臨時寝室を使い続けても3人部屋ができるなあ。
それとも予備室を更に増やすのだろうか。合格者を増やしたとき、2段ベッドで8人部屋を作る話があったけど、あまりの合格者の多さに、1ベッドに2人が寝ることになったので、かえって不公平だということで、この話は流れたみたいだけど。
「正式入寮辞退の方は28人ですか。よろしいですか。辞退の方は今から予備室に移ってください。6月30日までは在寮して下さってかまいません。貞操帯の鍵は、今から全員にお渡しします。」
副委員長が、あのタイマーが付いた箱から鍵束を取り出して、全員に配った。
「貞操帯を外したら、入浴とシャワーで特に不潔になっている股間部を、よく洗っておいて下さい。それから正式入寮の皆さんは、明日の手術に備えて、3ヶ月間で伸びてきた陰毛を綺麗に剃り落としておいて下さい。
今夜は、ペニスで射精の快感を味わえる最後の夜になります。明誠学寮では、この夜をファイナルナイトと呼んでいます。このファイナルナイトだけは特別ですので、全員心行くまでオナニーをして下さって結構です。同室の友人と合意できれば、相互オナニーでもいいですよ。」
ファイナルナイトだって。わー、今夜は一体どうなるんだろう。
でも、委員長は、ここからが肝心だぞという表情で、出席者を見回す。
「正式入寮の方は、明日が手術日になります。麻布の付属病院に一緒に出かけますので、10時に玄関前に集合してください。
手術はすぐに終わります。本当にあっけないほど簡単です。麻酔がしっかり効いていますので痛みはありません。
本来は2日間の入院が必要な手術ですが、皆さんは若いので1日たてば動けますから、翌日にタクシーで寮に戻って、自室で静養します。この期間だけは、2年生が看護婦代わりに付き添いますので、先輩をこき使っても結構です。
3日後には、体育実技以外の大学の授業に出席できます。包帯が取れるのは1週間後です。
では、解散します。」
こういうわけで、僕と矢野君はさっそく貞操帯を自分で外した。それから風呂に飛び込むと、股間部をゴシゴシ洗った。そこらへんは物凄く敏感になっていて、ちょっとした刺激でもいってしまいそうだ。
それをぐっと我慢して、カミソリで剃毛して、シャワーを浴びて服を着て部屋に帰ると、同室の香川君と古瀬君が、もうさっそく2人並んでベッドの縁に腰掛けて、下半身裸で自分のオチンチンを擦っていた。
僕と矢野君は、それを横目に見ながら、服を全部脱いで素っ裸になって、2人で布団にもぐりこんだ。女性とやるように抱き合って局部を押し付けあったが、どうもイマイチなので、頭の位置を入れ替えてシックスナインにして、お互いをフェラしたら、2人ともあっというまにいってしまった。
でも、ちょっと休んでいると、またムラムラしてきたので、今度はお尻の穴を貸し合うことにした。香川君と古瀬君も、2人で向かい合って、交互に擦り始めている。
僕たち、別にゲイじゃないんだけどなあ。今夜は特別だ。何と言ってもみんな後が無いんだから。
夜中の3時頃には、全員疲れて寝ちゃったけど、目が覚めたらもう朝の8時だった。今日は手術の日だから、もう一度シャワーを浴びないといけないと思って浴場に行ったら、1年生が4人もいた。
「ファイナルナイトどうだった。」
「良かった。」
「それで手術を止める気にはならない?。」
「全然。思い残すことないし。」
「ファイナルナイトは最後だからいいんだよ。」
「3ヶ月我慢していたからだよね。」
みんながおしゃべりしていたけど、僕も全く同感だ。そのうち矢野君も風呂に入ってきた。彼の姿が恋人のように眩しい。でもそう思うのも今日限りだろうなあ。
明日、この寮に帰ってきたときは、みんなオチンチンが無くなっているんだから。
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PART5
10時になった。寮の食堂に正式入寮希望の1年生36人全員が集合した。出発前にセレモニーがあるらしい。予想通り委員長が登場したのだけど、なぜか紋付袴に朴歯の下駄で手には扇子を持っている。何だありゃ。神田の某バンカラ大学の応援団じゃあるまいし、スマートが誇りの啓林大生が台無しだ。
全国大学野球選手権大会の決勝で見たその某大学の応援団長は、いかにも「漢(おとこ)」という迫力があった。それに較べると、今日の委員長は七五三みたい。そもそもペニスが無くて男と言えるかどうか微妙だし。
副委員長が立って説明を始めた。
「全員そろってますね。それでは、正式入寮の記念品を、委員長から新入寮生に贈ります。」
そう言って、副委員長が取り出したのは、白い布、いや越中フンドシだ。で、それを1年生一人一人に委員長が手渡した。
うーん。アナクロニズム極まれり。
でも、手術の後に股間部を覆うには、パンツより越中フンドシの方が良いらしい。そんな理由で、記念品になったのだろう。
フンドシ贈呈式が終わると、 副委員長が、
「着替えやタオルは持っていますね。それでは、出発します。」
と言った。
玄関の外でカメラを構えているのは、啓林大学新聞会の学生だ。大学新聞に載せるのだろうか。
その点は、ちょうどワールドカップに出場する選手団のような気分。ただし、サッカーじゃなくてアメフトのワールドカップぐらいかな。
ここから大学病院までは1キロちょっと、十分に歩いていける距離だけど、坂が多く、アップダウンの激しい道だ。わざわざ歩くのは、気が変わったらいつでも離脱していよということらしい。
今日は梅雨の中休みで、晴れて気持ちが良い日だ。仙台坂を下って麻布十番の街を過ぎると、目の前に、目的地の啓林大学医学部付属病院が広がる。
左手には東京タワー。もしタワーが倒れたら、先っぽが引っかかりそうな位置だなと、変なことを考えたら、その東京タワーが屹立した巨大なペニスに見えてきた。
そして、オチンチンが無くなることは、あの東京タワーが突然消えるのと同じかあ、と思ったら、急に股間がきゅんとしてきた。
そうこうするうちに、出発から20分ほどで、全員が無事病院に到着した。そのまま泌尿器科の病棟に行くのかなと思っていたら、医学部の学部棟の方に案内された。
通された部屋は普通の教室。
全員がいすに座って待っていると、白衣を着た若い医師が入ってきた。
「明誠学寮の新寮生の皆さん。正式入寮おめでとうございます。
私は、村松といいます。3年前に啓林大医学部を卒業して、泌尿器科の助手をやっています。
今日の皆さんの手術は、私を始めとして大学病院と関連病院から駆け付けた10人のボランティア医師で担当させていただきます。
10人は、啓林大を卒業した35歳以下の外科系青年医師の集まり『グループU』のメンバーです。明誠学寮の志を意気に感じて、1980年から新寮生のお手伝いをさせていただいています。
ボランティアですので、無償奉仕ですが、そのかわり手術の様子を、在学中の医学生に見学させていただいたり、手術の記録を残したり、手術後の心身状況をご報告いただいたりといった、ご協力をお願いしているところです。」
そうか、それで手術は無料なんだ。OBの援助というのは、学部を超えてすごいなあと思った。
村松先生の話が続く。
「皆さんに受けていただく手術は陰茎切断ですが、洋式便器での小用に困らないように、尿道口を陰嚢と肛門の間に付け直します。
例年、もしご希望があれば、全去勢、つまり両方の睾丸を含む陰嚢の切除を、併せて行っています。
それから皆さんにお知らせがあります。今年から、希望すれば陰茎を切除するときに、一緒に前立腺も切除できるようにしました。前立腺を取りますと、お尻の穴で快感を得るのも不可能になりますので、陰茎を取るだけの場合よりも、完璧に淫欲を絶つことができます。
将来の前立腺ガンや、前立腺肥大症の予防にもなります。」
村松先生が、ちょっと間を置いた。
「ただし、明誠学寮のOBの方は、将来、もし結婚して子供を作ろうとした場合は、お尻の穴を刺激して射精して、出てきた精液を指に塗りつけて、奥さんの中に挿入したりするそうです。簡単に射精できなくなると、それが難しくなるかもしれません。
それから、全去勢の方は入院が半日、前立腺も切除する方は、入院が1日長くなります。
手術室に入るときに、どうするかお聞きしますので、考えておいてください。
間違えないように、陰茎切断はP、つまりpenectomyのP、全去勢はE、つまりemasculationのEの札を手首に付けます。毎年Eの人はあまりいませんけどね。前立腺切除はprostate excisionですので、それも希望される方は、大文字のPやEの後に小文字で「-pe」を付けます。
間違いがないかどうか、自分で必ず確認してくださいね。」
僕と矢野君は、顔を見合わせた。ほかの1年生も、戸惑っている表情だ。
「それではここに荷物を置いて、隣りの男子トイレで小用を済ましてきてください。これが、人生最後の立小便になります。」
村松先生がそう言ったので、全員が隣りのトイレに向かった。男性用小便器を使うのもこれが最期か。僕は、ぷるんぷるんとオシッコを切って、オチンチンを仕舞った。
「オシッコで紙を使わなくてもいいのは、今日限りかあ。」
と、隣りで小便をしていた香川君がつぶやく。
「貞操帯で慣れちゃって、気にならないよ。」
と、僕が答えた。
部屋に戻ると、村松先生が、
「記念写真を撮りますので、隣りの部屋に移ってください。」
と言ったので、また、ぞろぞろと部屋を移動する。
隣りの部屋は、奥に「祝・入寮・明誠学寮」という横断幕が掲げてある。
その下に全員が並んで、記念撮影だ。
カメラを構えるのは、写真研究部のメンバーで、ボランティアで来ているらしい。3人のうち1人は女子学生。
あれ、同じドイツ語クラスの加藤由美じゃないか。彼女、写真研究部だったのか。眼鏡っ娘で、特に美人と言うわけじゃないけど、なぜか気になる存在の娘だ。
それにしてもなぜ、わざわざ写真研究部が3人も来ているんだろう。
パシッとストロボが光って、集合写真を撮り終わった。
すると、村松先生が、
「次は、服を全部脱いで、一人一人の撮影です。撮影場所は、部屋の左側です。カメラが3台ありますので、正面の全身写真、右側面の全身写真、そして前陰部の拡大写真をそれぞれ1枚づつ撮ります。手術前の完全な身体での最後の記念写真です。」
と、言いだした。
そんな写真いらないのに。僕たちはやっぱり医学の実験台かあ。
見ると3人の写真研究部員が、カメラの横に早くもスタンバイしている。撮影しやすいように、背後には白い布が貼ってある。
これがあるから3人来ていたのか。しかも、3番目のクローズアップ撮影担当が、あの加藤由美だよ。まいったなあ。
でも仕方がないので、服を全部脱いで、傍らのテーブルの上に置く。パイパンの前を晒しながら、順番にカメラの前に行って、1枚づつ写真を撮ってもらう。
いよいよ問題の3台目のカメラの前に立った。加藤由美は、僕を見てにっこり笑った。恥ずかしさで僕の股間のモノも縮こまってしまった。
彼女の前を早々に逃げ出してから、やっぱり彼女が気になって、ちょっと振り返ると、僕の1人後の坂崎君が、彼女の前に立ってから、僕とは逆に豪快に勃起させてしまって、恐縮するやら赤面するやらで大変な様子だ。
彼女は、それを見て、
「写真が撮れないから困ります。」
とか何とか言っている。
今後も加藤由美とは、クラスで顔を合わすんだよなあ。憂鬱だ。
撮影が終わったので、服を着るのかなと思ったら、
「そろそろ時間ですね。手術室に向かいます。」
と、村松先生が、時計を見ながら言った。
「手術でどこまで取って欲しいかは、入口で申し出てください。」
ということは、素っ裸で廊下を歩くのか。
村松先生を先頭に、36人が長い廊下を歩いて、ある教室の入口の前まで来た。
「入口で、PかEか、申告してください。P-pe、E-peもありますからね。」
と、村松先生。
えーと、間違えないようにしないと。
「じゃあ、ここからはこちらの、医学部の現役学生のボランティア諸君に引き継ぎます。私は、準備がありますので。」
村松先生は、そう言うと、さっさと中に消えていった。
学生ボランティアが2人、1人は机に名簿を広げて記録を付けていて、もう1人は、手にマジックを持っている。
先頭は香川君だ。
「Pです。」
学生ボランティアが、香川君にPの字の札を付けた。
次は古瀬君。
「僕もP。」
やはり、Pの札が着けられる。
続いて僕の前の矢野君。
「E。」
えっ、本当かよ。タマタマも取っちゃうの?。いいのか、本当に。
矢野君のおなかにEの文字が書かれた。
矢野君も当然Pだと思っていた僕はあせった。このままだと矢野君は、1人だけ長く入院しなければならない。それでは気の毒だ。
僕は決心した。
「P-peにします。」
僕がそう言うと、今度は矢野君が驚いて振り返った。
「いいのかい、ススム。」
「もちろん。」
と、僕は答えた。
僕の手首にP-peの札が付けられた。
突然、矢野君が、
「すいません。僕、E-peにします。-peを書き加えてください。」
と、言いながら戻ってきた。
学生ボランティアが、矢野君のEの札を回収し、E-peに付け替えた。
「いいのかい。」
今度は、僕が聞く番だった。
「もちろん。ススムだけ-peさせるわけにはいかないよ。さあ、入ろう。」
こうして、僕と矢野君は、2人並んで教室の中に足を踏み入れた。
そこは細長い長方形の部屋で、教室といっても、中には黒板や机は無くて、広いフロアには、手術台らしい台が16台、横に一列に並んで設置されている。
壁の色は白色というのか、手術室の写真で良く見る色だ。天井には無影灯もあって、どうやら医学部の手術の実習に使う教室らしいと分かった。
それぞれの手術台の頭の方には、白いシーツをかぶせたベッドのような診察台が1脚づつ、やはり合計16脚置かれている。
手術台の足の方向は窓になっているらしいけど、今は厚いカーテンが閉められていた。
中にいた別の学生ボランティアが、
「本来は手術台に全員が一度に上がれるのですが、今年は人数が多いので、診察台と手術台に上がって待っていてください。それでも余った人は診察台のベッドに2人掛けをしてください。早く手術が終わった台に案内します。奥から順番に詰めてください。」
と、言っている。
新寮生は36人なので、20人が余ることになる。そこで残りの新入生は背後のベッドでしばらく休むように言われた。診察台に新寮生が1人づつ上り終わった。
僕は診察台に、矢野君はちょうど僕の前にある手術台に上った。
台の上で寝転がればいいのか、それとも座っていればいいのか、その指示はまだ無いので、みんな素っ裸の身体をもてあまし気味だ。
みんなの印を見ると、P以外を選んだのは、僕と矢野君だけだった。2人だけ2日間入院ということになりそうだ。
奥の扉から、村松先生が出てきた。
「ボランティアの学生さんは、位置に付いてください。」
室内に散らばっていた10人のボランティア学生が、手術台の左横に1人づつやってきた。
村松先生が続けた。
「啓林大看護短期大学部を今春卒業した36人のナースが、皆さんのために、忙しい勤務の合間を縫って駆け付けました。」
奥の扉から今度は、医療器具をたくさん載せたキャスターを押しながら、キャップを着けた白衣のナースがやってきた。その気で見るせいか、みんな初々しい。ナースはキャスターを16台の手術台の横に1台づつ停めると、そのまま診察台の右横に立った。
僕のすぐ横は、色白で小柄なナースだ。白衣に名前が木村と書いてある。
「それでは、今日の手術を担当いただく医師をご紹介します。グループUの外科医10人と、泌尿器科医6人、ご協力いただく本院の麻酔医5人です。」
緑色の手術服に身を固めた16人の先生と、白衣の5人の先生が、教室に入ってきた。
ここまで、入学式か卒業式か、何かそのあたりの式典が進行しているみたいな雰囲気だ。
ちょうど3ヶ月前を思い出す。
ただし、今は、僕たちが一糸纏わぬ情けない姿なのが、決定的に違うけど。
「手術台の上の方から先に麻酔をします。診察台の方はそのままお待ちください。まず、腕に注射を打ちます。」
木村ナースが、手術台の矢野君の腕に注射を打った。
「腰椎麻酔をしますので、横向きに寝て、膝と頭を付けて身体を丸くしてください。」
麻酔医の先生が、両端から1人づつ、大きな注射器で背中に麻酔を打っていく。左から始めた先生は、2番目に矢野君の腰骨のあたりに、太い針を刺した。矢野君の表情は見えないけど、身体が緊張しているのが分かる。
ちょっと時間がかかったけど、こうして順番に10人の麻酔が終わると、矢野君たちは、ボランティアの学生とナースに手助けされて、仰向けの姿勢に移された。下半身麻酔なので、自分では動けない様子だ。
ボランティアの学生が、上部にUの字型の断面の板が付いている2本の金属棒を、手術台の向こうの端に取り付けた。
矢野君たちは、両脚を上に持ち上げられ、膝の裏側をその板に支えられて、大股開きの格好になった。ナースは、矢野君たちの両膝、両手首、胸のあたりをベルトで止めて、動けないように締め付けた。
「準備はよろしいですか。 ここで、この手術室について、皆さんにご説明します。
この手術室は、学生の実習用に作られたものですが、1教室の中に手術台が16台あります。
解剖実習室ならば、このような台が16台あっても当たり前ですし、実際の手術を上から見学できる部屋などは大学病院なら普通にありますが、手術台は1台です。
ここは、その両者の特色を備えているという、他大学の医学部に例を見ないユニークな構造の教室なのです。」
村松先生の声だ。
「あの、カーテンの向こう側ですが、あそこが手術見学用の教室です。
今日は,医学部の現役の学生と、明誠学寮の維持会員や賛助会員の方がお見えになっています。」
えー、あのカーテンの向こうは外じゃなかったのか。
よーく見ると、カーテンはガラスの外にあるじゃん。確かに普通そんな窓は無いよなあ。
「この手術の見学が、維持会員、賛助会員の最大の特権ですので、会員の方はほとんどお見えのようですね。」
維持会員というのは、年額10万円以上の寄付をしたOBのことと聞いたことがある。そして、啓林大学のOB以外で寄付した人が、賛助会員だったはずだ。
ということは、僕たちの去勢手術は、寄付金集めのショーなのか。でも、それで、寮費が超安なのだとしたら、文句は言えないかも。
「いいですか、それでは、カーテンを開けます。お待たせしました。」
村松先生がそう言うと、大股開きで手術台に拘束されている矢野君の足の裏の先の、大きなガラスの向こう側にあったカーテンが、するすると横に動き始めた。
(次作~Part6につづく)
(続篇~それからの学寮へ)
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投稿:2004.02.15更新:2024.05.28
学寮(PART1-PART5)
挿絵あり 著者 名誉教授 様 / アクセス 52295 / ♥ 311