前作「それからの学寮(Part1-啓林大学明誠学寮編)」はこちら
私が、啓林大学明誠学寮に入ったとき、ライバル校の墨田大学に経済友好会学寮があったお話をしたのを、みなさんのご記憶のどこかに残っているだろうか。
そう、経済友好会学寮、略して経友寮の去勢の歴史は、明誠学寮よりもずっと早く、中国が清朝だったころに、留学生の寮として発足したことに始まるという。
当時の留学生は中国(清)人が大半で、その中に清王朝で宦官にされて紫禁城に勤めてから改革派に転じて日本に留学した学生や、清王朝が実施していた上級役人登用のための科挙試験の勉学のために淫欲を捨てようと去勢した学生などが混じっていた。
これらの学生が優秀だったので、当時の中国人留学生の間で宦官学生となることが流行し、清朝が倒れて本国に宦官制度がなくなってからも、この伝説かつ伝統の習慣は続けられた。
幼少時に一度宦官として出仕したものの、清朝の滅亡で職を失い、改めて勉学に励んで留学してくる学生もいて、それらの学生の貴重な写真が残されている。
その後、経友寮が日本人学生も受け入れるようになると、日本人学生の中にも、密かに宦官学生となる者が出てきた。 ただし、戦前は変わった思想は弾圧の対象となったので、日本人学生の去勢は手淫防止を目的とした陰茎切断だけが行われ、それも亀頭だけを切除するといった穏やかな方法を含んでいた。
やがて、日中戦争の勃発もあって、中国からの留学生は途絶え、日本人学生だけの寮になっていった。同時に、中国の宦官のような陰茎陰嚢ともに切り落とす完全去勢は廃れていき、寮生全員が去勢するようなこともなかった。
第二次世界大戦が終わると、思想信条の自由のもと、堂々と去勢学寮を宣言し、新しい寮生は全員が去勢宣言したり、アメリカの真似をして、トイレの個室の下を開けた形にしたりして、個性的な学生寮として知られるようになっていった。
戦後のトイレの写真では、扉も仕切りも水分によって下部の腐食が激しく、そのまま下方を開きっ放しに改造されているのが分かる。
扉のガラスは採光用に当時は普通に見られたものである。
戦時中は無くなっていたが、戦後は以前と同じく、上半分は透明ガラスで下半分は摺ガラスに戻っている。
この形が後に、経友寮の特色の一つである、扉も仕切りもないトイレに発展していく。
なお、去勢宣言が復活したと言っても、かっての清朝の宦官のように、男性器全てを切り落とす寮生は稀で、明誠学寮と同じように陰茎だけを切り落として、陰嚢も睾丸も残す形が、自然に定着していったという。
初代の寮舎は第二次大戦を耐え抜いたが老朽化が著しく、1960年に2代目の寮舎に建て替えられた。
現在はこの2代目の寮の一部を残しつつ、空き地に新寮も建設され、入寮希望者の増加に対応している。
このような経緯から、経友寮では伝統的に「陰茎切断・陰嚢存置」が基本となっており、小用時に多少の不便があっても、明誠学寮のような尿道口の会陰への付け替えは行わないことになっている。
戦後しばらくは、墨田大学には医学部がないこと、学風も古風で質実剛健なことから、中国の宦官の施術にならった「羅切式」と称する乱暴な儀式が行われていた。
その羅切式では、毎年20人ほどの新寮生は、素っ裸で広い食堂に集められた。ペニスに麻酔薬を塗ったり、麻酔注射をしたりすることもあったが、中国人の宦官に負けてなるかというわけで、この麻酔処置を全くしないのが普通だった時期もあるという。
新寮生は、テーブルに覆いを掛けた急造の手術台に、股を開いた状態で腰掛けた。まず2年生の先輩が、新寮生の股間の毛をバリカンなどで切断に支障がないように短く刈る。
次に、止血のためペニスの根本を二重に緊縛する。これは最初は紐を使っていたが、のちに強力なゴムバントに代わったそうだ。
この2本のゴムバンドの中間が切断場所になるが、この作業は3年生数人が新寮生の勃起状態を観察し、最大勃起時のペニスの長さを見ながら、切断する位置を相談して決める。切り株で自慰行為ができない程度の長さになるよう、慎重に決めているのだそうだ。
陰嚢は切断しないが、陰茎切断の邪魔になるので、やはり根元をゴムバンドで縛ることになっている。
こうして切断する場所に目印が付けられると、その部分に麻酔薬が注射される。
それから新寮生全員は、白い六尺褌を着ける。この褌は「あくまで男らしく」という精神を込めているというが、これからその男の象徴を切り落とすのだから、少々変な話だ。
褌一丁になった新寮生は、仰向けに大の字に寝かされ、3年生が新寮生の褌の前袋を左右に分けて、中央からペニスを突き出させてて露出させる。両手首と両足首は丈夫な紐でテーブルの脚に結わえ付けられる。
いよいよ補助者の4年生が新入生のペニスを鷲掴みにして直立を保持し、用意した鋭利な刃物で、新寮生のペニスをすっぱりと一斉に切り落とす。食堂内には血が飛び散り、白褌はたちまち赤褌になり、新入生の悲鳴がそれに交わるという、阿鼻叫喚の地獄絵状態となる。
中国の宦官にならうと言っても、予後を考えると尿道確保のカテーテル挿入と傷口の縫合は必要で、最後に医学の心得があるものが、新入生一人一人の股間の傷口を処理していた。
この儀式は、事故こそなかったとはいえ、多少の危険も伴う実に野蛮な荒療治であった。しかも陰茎を大きく切り残してしまうとか、傷口がきれいに塞がらないとかの失敗例もあった。
時に切り残しの件は寮生の間でも問題になることもあり、素人同士で切るのは医療上も好ましくないという医師の意見もあって、私が学生だった頃には、ちゃんと泌尿器科で切断手術をするようになった。
泌尿器科は複数あるが、陰茎のみ切断し、尿道は移設しないのは共通している。
腹腔内の陰茎をどこまで切除するかは、手術をした泌尿器科によって少々ことなっていた。
当初は陰茎の切り残しが多いクリニックもあったが、近年は、切断後に残された根元が勃起しても、下腹部が膨らむことがないように、処置をするのは共通している。
こうして切り残しのなくなった今の寮生の股間は、ほとんど全員同じ姿で、残された陰嚢だけがかろうじて個性を発揮している。
手術前後を比較するとこんな感じで、陰茎の存在がいかに大きいかがよくわかる。
ただ、以前からの伝統を守って、明誠学寮の寮生に行うような尿道の会陰への付け替えはせず、有るか無しかの切り株の中央に尿道口が開いている。
最近は海綿体除去手術の進歩で切り株を残なくなり、皮膚から尿道口が直接陥没している場合も多くなった。
だから、彼らは小用のときも洋式便器に座ると、小便が便器を飛び越してしまうので、必ず和式を使っているそうだ。
私が学生時代に聞いた話だと、新入生は入寮が決まるとすぐに去勢手術を受けることになる。寮の近くで提携している泌尿器科の病院がいくつかあって、そこまで出かけていくのである。その病院では、女医が手術を担当していた時期もあったが、恥ずかしいという新入生が多く、男性医師の担当となっているとのことだ。
寮で準備が整い、入浴と剃毛を済ませると、伝統の白褌を付ける。
その褌一丁のまま、3月下旬のまだ肌寒い野外を、病院目指して駆け抜ける。受付で「お願いします。」と言って、寮で用意した「陰茎切断依頼書」、通称「羅切チケット」を出して、そのまま即日、陰茎切断手術を受けるのである。
陰茎の単純切断なので治りは早く、手術後は、3日間だけ入院。入学式前には、また褌だけの姿で寮に戻ってくるのだが、そのときは昔の伝統を汲んで、赤褌に変えているそうだ。そして手術後なので、さすがに走るのは無理で、帰りはほとんど徒歩になるそうだ。
股間を見ると、行きでは白褌に陰茎の形がくっきりと浮き出ていたのに、帰りの赤褌は前袋の結び方を変えるせいもあって、陰嚢だけの膨らみに変わっているのがよく分かるそうだ。
経友寮は入寮するときに即日陰茎切断をする。この一連の新しい儀式を受け入れる度胸の有る無しで、お試し期間がなくても覚悟は十分に判断できるということらしい。
手術時に剃り落した陰毛も、3ケ月ぐらいすると生え揃ってくる。
しかし、陰茎の切断痕が隠れるまでには半年以上かかるそうだ。
陰毛で切断痕が隠れるようになると、トイレで小用のときに紙が大量に必要になる。
それを嫌って、わざと陰毛を短く切り揃えたり剃ったりして、尿道口が常に露出している状態を保つ寮生もいる。
さて、経友寮のトイレは、当然男性小便器はなく、全部和式の大便器となっている。
しかしながら個室ではなく、扉も仕切りもない剥き出しの便器が並んでいるだけだ。
これは、もともとは中国人学生の寮だったので、中国のいわゆるニイハオトイレを取り入れたことから始まったらしい。
現在でも、小便器と同じ感覚で使用するということや、個室に出入りする時間を省くといった理由で、寮の建物が改築されて新しくなっても受け継がれているだけでなく、他大学の去勢学生寮にもその便利さが受けて、かなり広まっているということだ。。
小用や用便のときにすばやくできるように、お尻を入口や通路に向けてしゃがむようになっている。
ただし、入口が2つあるトイレでは変則的なスタイルになる場合もある。
こうして陰茎切断後の小用の不便さをできるだけ解消する工夫はされているが、小用で紙を使うのを嫌がって、股間部をパイパンにしている寮生も結構いるらしい。
さて、経友寮の寮生の去勢は、尿道口を会陰に移動させないため、切断した陰茎の尿道と海綿体がどうしても腹腔内に残ってしまう。そのため股間を押さえると多少の快感を得ることができたらしい。ただし、切株ならともかく陰茎の根元が腹腔内にわずかに残っているだけでは、射精まで1時間以上かかったらしいが。
ところが時は流れて、ライバルの明誠学寮が永久貞操帯方式に切り替えると、経友寮はオナニーができるじゃないかと言われるようになった。
もっとも、寮生同士で勝手に男根切除していたときはともかく、医師が切断手術を行うようになってからは、陰茎の根元までかなり切除するようにはなっていたのだが、やはり後ろ指を指されるのはいかがかということになり、珍しい「陰茎切断者用貞操帯」が導入されることになった。
これは、貞操帯のような腰ベルトがある褌タイプのものではなく、残っている陰嚢に貞操器具を挟み込むものである。
残された陰茎の根元の長さは様々で、オナニーができるかどうかは個人差もあるので、使用するかどうかは自由であるが、特殊な工具で装着されるので、一度嵌めると自分で外すことはできない。そして、この特殊工具は寮の自治会が管理している。
それでも自然に脱落することがあるのと、尿道口が貞操帯の排尿孔と合わないと小用のときに、貞操具の内側に当たった尿が飛び散るので、尿道口にカテーテル管を差し込むようになったタイプもある。
また、脱落防止のために、陰嚢にピアス穴を開けてピアスで固定することができるタイプも用意されている。
ピアスは一度締めたら逆回転できない破壊ネジになっていたり、ピアス自体が極小のロックになっていたりして、貞操具の脱落防止に万全を期している。
寮生は腹腔内に陰茎の根元が残っているので、どうかするとこれが勃起して貞操帯の脱落につながることがある。そこで、改良型として、陰茎の根部を強制的に体内に押し込んでしまうタイプの貞操帯も開発された。
これは尿道プラグも深部まで達するようになって、脱落防止効果も強化されている。
普通の宦官用貞操帯が平面貞操帯とも呼ばれるように、陰茎海綿体の残部を上から覆うだけの構造なのに対し、この新型貞操帯は海綿体の残部を体内に押し込むので「マイナス貞操帯」とも呼ばれている。
さらに今試用中なのが、啓林大学明誠学寮のようなベルトタイプの貞操帯で、尿道にプラグを挿すことによる尿道炎などの炎症を防止しつつ、貞操帯の脱落防止も図るものである。
これは、腰ベルトによって完全に脱落防止を図るとともに、2つの睾丸と陰嚢もガードして、切り株オナニー、尿道オナニー、睾丸オナニー、陰嚢オナニーを完全に防ぐように工夫されているという。
私学の名門墨田大学で今なお伝統を頑なに守る経友寮も、実は結構試行錯誤の中にあるようなのだ。それでも伝統といくものは「頑な」過ぎるほどに護ってこそ、輝きが増すとも言われている。
その点で「全員去勢学寮」から「永久貞操帯+去勢は任意」に変わってしまった我が明誠学寮は、これからどうなっていくのか、少々心配せざるを得ないのである。
「それからの学寮(Part3ー鳳桜大学保健センター編)」につづく
-
投稿:2015.12.03更新:2023.05.19
それからの学寮(Part2-墨田大学経友寮編)
挿絵あり 著者 名誉教授 様 / アクセス 50497 / ♥ 295